第1話 異世界へようこそ!

 変な夢を見ている。

 ガタンゴトンと揺れる電車に乗って、私はすやすやと眠っている。いつも降りる駅を通り過ぎ、私は知らないまちへ向かっている。いや、違う。電車じゃない。私は馬車に乗っている。舗装されていない道を進んでいるのか、車輪がまわるたび不規則に車体が揺れる。車内はゆったりと広く、質素だが居心地の良い座席がしつらえてある。窓の外にはのどかな田園風景が広がり、遥か遠方には山脈が連なっているのが望める。

 眠る私の隣には、見知らぬ青年が座っていた。派手な装飾はないものの、質の良い衣装を身に纏い、腕と足を組んでいる。短く切り揃えられた黒い前髪から覗く眼光は鋭く、眉間に深い皺を寄せている。やがて、彼は諦めたように軽く息を吐いて立ち上がり、私の両肩を掴んで揺すり始めた。何かを叫んでいる。大きな声で──けれど何も聞こえない。なんて言ってる?

 ふと私は気がついた。違う。眠っているのは私じゃない。さっきの青年のほうだ──。

 そう、なのだ。

 声が聞こえる。今度ははっきりと。私自身の、彼の声が。

 ──きろ、起きろ!ジェラルド!!


「──様、ジェラルド様!」

「ん──……」

 耳元で誰かを呼ぶ声が聞こえて、私は目を覚ました。白い光が視界に飛び込んで、思わず目を細める。しばらくするとぼんやりとした輪郭が次第に人の形になっていき、ようやく見知らぬ女性が不安げに私を覗き込んでいるのがわかった。

「ああよかった、お気づきになられたのですね」女性は目元に薄らと浮かべた涙を指先で拭うと、安堵の笑みを浮かべた。「気分はいかがですか」

 外国人、のように見える。高い鼻筋に白い陶器のような肌、そして水晶を思わせる澄んだアイスブルーの瞳。艶のある豊かな黒髪は纏められ、フリルのついたヘッドキャップで留められている。──知らない女性だ。

「誰……?」

 とっさにでた言葉に、相手の女性は驚いたらしかった。しかしすぐにこりとする。

「あらやだ、お忘れですか?ナンシー、ナンシー・ディミティですよ」

「ナンシー?」

 やはり知らない女性だ。私は首を傾げた。それにしても喉がイガイガする。

「あらま……倒れた時に頭でも打たれたのかしら。どこか痛みは?吐き気はありますか」

「倒れた?俺が?」

「そうですよ。執務室でばったりと。物凄い音がしたんですから」

 執務室──?ん、待て、俺?──え?

 がば、と上体を起こし、私は周囲を見回した。

 私は広いベッドに寝かされていた。白いシーツが目に反射して痛い。天井を見上げると天蓋がついており、そこから垂れ下がった白いレースのカーテンがベッドを覆っている。

 ──わけがわからない。

 私は思わず頭を抱えた。思考がくるくると回転する。

 さっきまでコンビニにいた。いたよね私?それで外に出たら雪が降ってて、星が綺麗で見ていたらトラックが──ってあれ?私もしかして死んだ?ってことは、ここは死後の世界?死後の世界って、天蓋付きのベッドで寝るの?それに、さっきから何だか声がおかしいんだけど──。

「何をぶつぶつおっしゃってるのです。今お医者様を連れてきますから、大人しく横になっていてください。さ、ほら」

 差し出されたナンシーの手を、私は自分の手を動かして制した。はずだ。なのに、この手はどう見ても私の手じゃない。誰か知らない男の、骨張った、大きな、手──。

「ジェラルド様、どうなさいました!?」

 私はベッドを這い出し、レースのカーテンを捲り──変わり果てた世界と対面した。

 そこには、車も、信号も、照明も、ましてやコンビニなど一切なかった。ただ殺風景な部屋に、石壁一面の書棚と、簡素な机と椅子と、大きな窓から見える雄大な自然だけが、陽の光に照らされ輝いていた。

 一瞬、その光景に目を奪われてしまう。

 だが、その感情は、目の端に止めた鏡によって全て忘れ去られてしまった。

 ベッドの傍らに置かれていた姿鏡の前で、私は固まった。

「な、なんじゃこりゃ──!」

 低い男の叫び声が、喉元から部屋中に響き渡る。

 そこには、本来写っているはずの自分の姿はなく──代わりに、つい先ほど夢に出てきた青年が、まさに自分がそうしているように、切長の目を精一杯見開いて、青ざめた表情で立ち竦んでいた。

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