駆け出し公務員、異世界でも働く。
ミタヨウ
序章 慣例に則り、物語は現実世界から始まる。
都会だ、なんていえばホンモノに笑われる。かといって田舎と自虐すれば、地元から冷ややかな視線を送られるだろう──そんなよくある地方都市。
まがりなりにも政令市を自負する行政の庁舎は24階建てを誇り、最上階の展望台からは視界一面に広がる瀬戸内海と、本市自慢の夜景を楽しめる──らしい。行ったことがないので知らない。何せ7階まで登れば事足りる。さして景色も良くない低層階が、日夜私を缶詰にする愛すべき仕事場なのだから。
「あー、終わらん」
23時半。人気のない職場で、私は唸り声と共に大きく伸びをした。背もたれに全体重を預けて身体の力を抜く。モニターを見すぎてしょぼしょぼになった目をぎゅっと閉じる。
もう何連勤目になるだろうか。虚しくなるだけだと気づいて途中で数えるのをやめた。休日出勤、終電に駆け込む日々を繰り返し、家には寝に帰るだけ。齢25の女がこれでいいのかと何度も同じ問いが頭を掠めるが、誰も応えてなどくれない。
いいじゃん、地方公務員はホワイトでしょ──大学時代に友人から言われた言葉を思い出す。9時5時勤務、残業してもきっちり手当が支給され、ボーナスも充分に与えられる。世間の公務員のイメージはこうだろう。あの時は私もそう信じていた。しかし実態は、仕事量が多くてとてもじゃないが時間内には終わらない。時代の流れとともに残業時間にも制限が設けられ、いわゆるサービス残業も常態化している。──どうしてこんな仕事を選んでしまったのか。
大きなため息をつきながら身を起こし、掛時計を見た。どうやら今日はここまでのようだ。薄給の身にはタクシー代も馬鹿にならない。終電を逃すわけにはいかない。
PCの電源を落として帰り仕度をする。ちらりと横目でふたつ隣のデスクを見た。誰もいないのをいいことに、口の中で小さく舌打ちをする。早々に帰宅した上司の机は綺麗なまでに片付いていて、それが嘲笑うかのように見えて私を苛立たせるのだ。その隣、私と上司の間にある空席は、かつて私の同僚が使用していた。しかし今では空きをいいことに、さらに上司との〝壁〟を作るために、私が資料や決裁文書を山積みにしてある。そろそろファイリングしないと雪崩がおきそうだが、残念ながらその余裕すらない。むしろ増殖していくタスクが、自分の番はまだかまだかと後方に列をなしている有様なのだ。
「はあ」
本日何度目かのため息を漏らし、私は戦場を後にした。
歳の近い同僚であり、かつ戦友でもあった彼女が倒れたのは、半年前の夏だった。どうしても終わらない仕事を進めるため、情報セキュリティー上禁止されているデータを自宅へ持ち帰ってまで、サービス残業をしている最中に起こった。突然の出来事だった。
「気づいていたのにどうして注意しなかったの」
狭い会議室で、上司は私にそう言い放った。
まじめな彼女が今朝から無断欠勤している。それだけでかなり動揺していた私は、救急搬送されたと聞かされて、頭と心がくらくらしていた。上司の言葉をすぐに飲み込めない。彼女の体調に、という意味だろうか。それならわかっていた。でもそれはお互い様だったから、励まし合いながら頑張っていた。そうしないと仕事がまわらないから。
黙っている私に、上司はため息をついた。
「ただでさえ人手が足りないってのに、規則違反じゃこっちも対応できない」
私はしばらくその意味が飲み込めなかった。ワンテンポ遅れて「は?」とだけ口をついて出る。上司はそれを無視して続けた。
「とにかく、しばらく人はつけれそうにないから。彼女の業務も分担してやってくれる?」
ポカンとした私を残して、上司が会議室を出ていく。
は?は?は?そっち?倒れたことには何とも思わないの?そもそもあんたが無理矢理させた仕事だろうよ、用事があるからできないと言ったのに、彼女の仕事上、規則違反だってわかっててやらせたんだろうよ。知らんぷりすんな。てか対応できないって何?彼女の分も仕事しろ?本来あんたがやるべき仕事も含めて、どれだけ彼女が抱えてくれてたと思ってるの──。
感情が次々と押し寄せて、私はただ言葉を失った。涙だけが溢れてどうしようもなかった。
幸い同僚は大事には至らなかったものの、診断結果は過労からくる体調不良、そして、鬱と言い渡された。
『本当に、ごめん、ごめんなさい──』
電話越しの彼女の声は、生気が感じられないほどか細かった。嗚咽と共に、ごめん、ごめんと繰り返す。
『全部押し付けちゃうことになって、わたしだけが倒れて、ごめん、ごめんねえ』
何で気づかなかったのだろう。こんなにも追い詰められてたのに。私は毎日、彼女の隣にいたのに。
大丈夫、心配しないで。こっちのことは私に任せて。
努めて明るく言い張った。私にはもう、そうすることしかできなかった。
あれから半年。
ガタン、と揺れで目を覚ます。いつの間にか寝こけていた。夢を見るほど熟睡していても、降りる駅を逃さないのは習慣のなせる技なのか。いっそのこと寝過ごして、知らない街まで運んでくれたらいいのに──。
取り留めのないことを考えながら最終電車を降り、駅のコンビニで晩ご飯を買う。会計を済ませて外へ出ると、目の前に白いものがちらついた。
「うわあ、雪降ってる…」
どおりで冷えると思ったんだよなと独りごち、空を見上げた。途端、えっ、と声を上げる。
不思議な光景だった。
頭上には、満天の星空が広がっていた。
幹線道路の横断歩道。建ち並ぶマンションの間を縫うようにぽっかりと開けた空には、覆い尽くさんとするばかりの大小さまざまな星が散りばめられていた。そこには雪を降らせる分厚い灰色の雲は見当たらず、ただ星々の隙間から静かに雪が降り注いでいた。白い結晶が星を隠しては煌めかせ、私の眼にきらきらと光を映す。真冬の冷えた空気が、一層澄んだ世界を創り出していた。
──異物だ。
ふとそう思った。
この世界に私はいらなかった。
吸い込まれるように星空を見上げながら、幾度となく繰り返された思考が、明瞭な輪郭を伴って言語化される。
そもそも、何のために私は存在しているのか。彼女の代わりに私がいたように、私の代わりにも誰かがいる。ならば私の価値とは何なのか。
ぐるぐると思考が巡り、そしてひとつの感情に集約されていく。ただ、それだけ。知りたいのは、たったそれだけ。
「──私、何のために生きてるんだろ」
星空に吐き出した言葉が、白い靄となって宙を漂い、ふっと夜空に呆気なく溶けて消えた。その名残を、いつまでもいつまでも、眺めていた。
どれぐらい時間が経ったのだろう。ふと悲鳴のような機械音が耳を掠める。音の方向に目を向けた、その瞬間。
放った言葉に呼応するように、眩いほどの光と衝撃が、私を襲った。
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