2節「レガリアの王-SYUU-」

 

 王太后となったフィシュカは子にSYUUと名付け、その子は生誕と同じくして新たなる王とする異例の即位となった。


 そして、この新たなる王の生誕は新たなる国の興りと同義であった。


「その土地、その民そこに存在する遍く全てが王の物たる証」であるとして国名をアブグラムより新たに”レガリア”と改め、同時にこの年より暦を“王歴”へと改め、それ以前の暦を深歴と定めた。


 国から発せられるまさに歴史を変える数々の布告にレガリア国内は上位階級や民含め当惑があったものの偉大なる王の血を引く新たなる王の生誕の喜びに及ぶものではなかった。

 そしてレガリアより西南に位置するヴェストフレッヒェンとの国境付近を除いてはエライヒェンをはじめとする街々で国を挙げて先代の王の弔いと共に新たなる王の生誕の祝祭が大々的に執り行われた。


 王の旅立ちに対する弔意を表すことを漸く赦されたことで民は存分に王の死を嘆き、そしてその偉業を称えた。同じくして新たなる王の生誕も大いに喜ばれ、それらは宴となって三日三晩に渡って続けられた。街々はその間活気に溢れ、多くの人々が飲み、食い、歌い踊り、涙し笑いそして讃えた。


 ウルドの祝福はあったもののそれより月日は浅く未だ豊かな国とは言えぬレガリアに於いてそういった祭事が民の間でも行われた事によってアブグラムから続くレガリア国民という共通意識はより確固たるものとなった。


 産後太后となったフィシュカはすぐに政務に戻ろうとしたが、産褥の間はどうか安静にという複数の臣下らの進言により。国務は暫時産前と同様の体制が執られた。

 

 この頃には王の深淵探査の際に太后と共に国を支えた執政官シュタインライズフェルド卿、王と共に深淵へと至ったリュスタル卿やネーパス卿、探査後に深淵前線基地シュルフトブルクを任されたバルシュティン卿などの精鋭と魔導卿の身分を与えられた王宮魔術師トリスタヴとその子ノクシェを始めとする騎士や魔術師が国政を司る重臣として力を持つこととなった。

 

 王の誕生から程なくして、ウルド渓谷の周辺で魔力に毒され暴走状態に陥る者や危険指定されているウルド渓谷内の原生生物と見られる未知の生物が人々や村を襲撃する事件が発生するようになり、シュルフトブルグや渓谷周辺の地域では自警団や討伐隊が結成され、警戒が呼びかけられるようになった。


 此れにより、レガリア内で強力な王権を快く思っていなかった一部の諸侯が「これは王の深淵踏破という禁忌が招いた厄災であり、王の生誕は深淵の怒りを助長させたのだ」という大義名分のもと、中央に集まった権力を再び分権するようにと各領地の権力の復活を謳いはじめた。

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