4節「Erreichen-王の帰還と死-」
4節「Erreichen-王の帰還と死-」
竜の加護を受けしヴェーグ王とそれに随伴した騎士達は遂にシュルフトブルグへと帰還を果たした。
厳しい冬を越え、麗らかなる春の訪れと共に帰還を果たした王に王妃フィシュカは大いに歓喜し、帰還後間もなく催された凱旋式にて深淵を踏破した王の勇姿を民は自らの目で仰ぎ、称賛と喝采を浴びせた。
凱旋は幾日幾週とシュルフトブルグより都エライヒェンまで続き、アブグラムでは国中で間昼夜問わず祭りが行われ、王がエライヒェンへと帰都すると王は王城にて深淵の踏破を宣言した。
我、大いなるシュルフトウルドを踏破したり
我、偉大なる深淵に明を灯したり
我、純白の都に至り、棲まう竜より寵愛と加護を授かりたり
よって
我がアブグラムはここより栄えたり
と。
その報せは即座に諸外国にも知れ渡ることになり、多くの驚嘆を生み、数多の称賛を集め、そして伝説を創造した。
この偉業によって、王の威光、権力は高まり、アブグラムという小国はそれぞれの領土を持つ貴族諸侯の間でひとつの国家として共同意識が芽生えはじめ、それまで封建的な姿勢であったものがその形式を維持しつつも中央集権に転じはじめる転機となった。
王不在の間を狙って他国に侵攻されることは懸念されていたが、周辺諸国は王の深淵踏査について、導入した兵力も、偉大なる冒険もノルン最北に位置するウルド渓谷周辺の秘匿性の高さから彼の王の帰還まで知ることは叶わなかった。
神秘に至った王を称賛する国もあれば、探査に導入した人員やその損失を後から知り、その機を狙ってアブグラムに侵攻する勢力もあった。最初こそ国境沿いの防衛に難はあったものの、その侵攻のいずれも失敗に終わった。これは彼の竜からの贈り物(gift)によるウルド渓谷が抱えていた魔力の開放によるにより齎されたものである。
それまで深淵より溢れる魔力の影響で不毛であった土地はそれまでとは逆にその魔力によって肥沃な土地へと姿を変え、閑散とした大地に草木が芽生え実りを生み出し、淀んだ湖は浄化され、人々にもさらなる魔力の恩恵が授けられた。
それらは、民の営みを豊かにするだけでなく、元より魔術の研究や解析が行われていたアブグラムにておいて、このギフトは国家の軍事力をはじめ文化そのものに発展を齎した。
ヴェーク王が深淵から帰還する間のせめてもの保険にと敷かれた魔術を主とした実験的な防衛拠点と防衛線が谷より溢れ出た魔力の恩恵を受け、強固なもとへと発達したのだ。
此れにより国土の防衛は堅牢なものとなり、隣国の侵略を防衛、撃退した。この結果を受けてアブグラムは少数勢力であっても有効的に魔術を行使することによって効率的に戦闘が可能であるという魔術のさらなる有用性を見出した。
贈り物によって急成長を遂げた小国アブグラムであるが、王は慎重であった。即座に打って出ることはせず、国土の守りをより堅牢なものとするために力を蓄えるという選択をしたのだ。そこには今後のアブグラムのさらなる発展と軍備の強化という表面的な理由の裏に深刻な理由が隠されていた。王が病床に臥したのである。
王は紅き竜から授かった永遠の命も、碧き竜より齎された叡智の紋も王は自らのために使うことはなかった。深淵探査の道半ばで散っていった兵や同行した者を想うと、例え偉業を成したとはいえ、強行に及んだ自身のみが深淵に飲まれた従者らを差し置いて恩恵を授かることを良しとしなかったのである。
病床に臥した王は近くで見守るフィシュカ王妃に言った。
「フィシュカよ、私は王である使命、古からの命題であり試練である大いなる深淵シュルフトウルドの踏破という偉業を成し遂げた。しかし、しかしな、私は忘れられんのだ。共に冒険した従者のことを、共に戦った仲間のことを。そして行き着いた闇の先にある白き光を──」
王は自らの冒険の最中に起きた出来事、戦い、発見、別れ、そしてその終わりの全てを王妃に語った。
「私は多くの犠牲のもとに深淵の底へと辿り着いた。そこで……そこで我が使命は果たされたのだ。犠牲の上に君臨した深淵歩きの王に授かりし力は身に余る。私は、この偉業を先に逝った者たちに伝えねばなるまい。その力はこれからの“アブグラムの未来“に“君たちの未来”に必要なものだ」
王は王妃のその内に運命を灯している温かに膨らんだ腹を細くなった手で撫でながらそう言った。
「貴方様はまさに真なる英雄。深淵だけでなく、この国に光を齎したのも貴方様です」
フィシュカは王の手を自らの頬に当てそう言った。王の手に王妃の涙が吸い込まれる。枯れた土地に注ぐ雨がそうであるように。
紅き竜の血は雫石となっているから共に深淵より持ち帰ったこの宝晶の杯に入れなさい。すると忽ち聖なる杯は赤き竜の血で満たされるだろう
碧き竜より授かりし紋も君に教えよう。それを描けば望む力を手に入れられるだろう
どちらも君と我が子、そして此の国の未来を左右する強大な力となるだろう
私が帰った後は我が騎士リュスタル卿を近くに置きなさい。共に深淵に光を灯した真なる英雄だ
困ることがあれば彼の故郷を頼りなさい。ルクスラクスには叡智ある賢者がいるという
私の死後敵対の動きがなければラクトベリエと懇意にしなさい。きっと今後の力になるはずだ
いずれ、この深淵を抱く小国アブグラムは、プルメジアを掌中に収める随一の大国となろう
しかし、さらに力を増すアルバフロスには気をつけなさい
そして、私の愛は国であり此れより生まれる我が子であり真に君であることを覚えておきなさい
王は数日間の間、毎夜フィシュカに少しずつ愛の言葉とそして語り尽くせぬ冒険譚を遺して、窓から静かに吹き込む春の夜風はそれらを攫っていった。
そして王は谷へと連れ添った騎士たちと最愛の妻フィシュカに見守られながら深い眠りについた。
闇が立ち籠めたアブグラムに光を齎した偉大な王の時代が幕を下ろしたのである。
王が病に冒されたことは秘匿とされたものの、没した事実は間もなくしてアブグラム内に知れることとなった。しかし、王の崩御は国外からの侵略の隙となると考えた国家は王の崩御を公開せずに葬儀はエライヒェン、そして深淵と縁のあるシュルフトブルグにて粛々と行われた。
葬儀が終えたのも束の間、王の座の空白を恐れた、或いは政権掴むことを望む王族縁者、貴族や騎士が次代の王に名乗りを上げ、如何に自らが王座に相応しいかを声高らかに宣いはじめた。王妃は世継ぎ争いを嫌い、生まれくる子こそが正当なる王であると宣言し、我が子14歳の初陣を果たすそのときまで、国の政を“女王”ではなく王妃であり“摂政”として行うことを揚言した。
しかし、王の深淵探査の間は執政を行っていたとはいえそのとき身重であった王妃の揚言は、多くの騎士や貴族の同意を得られるものではなく、さらには王妃の故郷であるヴェストフレッヒェンからも異議が唱えられ、継承問題へと発展した。
そこで王妃は地盤を固めるべく王の遺言のひとつである、リュスタル卿に執政補佐の任を与え、王が深淵に降りていた間の体制を維持しようとした。
リュスタル卿の抜擢に不満を覚える者も少なからず存在したが、彼が王と共に深淵を踏破し帰還した英雄であるという事実は其の者らの口を噤ませるには十分なものであった。
フィシュカ王妃は出産と子の育成に備え、国家の基盤をさらに固めるべく法の整備と魔術教育と魔術に関わる学問や技術、軍事利用の発展を推奨し、それまで独立していた魔術に関する小規模機関群を国家事業として統制し、推進した。その代表に王宮魔術師として王と共に深淵に降りた魔術師トリスタヴとその子ノクシェを迎え入れた。
此れにより、今後アブグラムの魔術基盤となる概念の共有や魔術視覚制度の制定、魔術を主体とする職業の発展と社会基盤が飛躍的に発展することとなった。
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