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彼女と離れてからの僕は、あっという間に堕落した。

堕落というと関わった人に失礼かもしれないが、とにかく一般的に褒められた生活ではなかった。


社会人である以上、昼間はまともに働き、普通に生活はしていたが、心はずっと空っぽのままだった。



もともと趣味と呼べるものは大してなかったが、彼女といた頃は、一緒にいる時間を当たり前に最優先していたため、それがなくなると何もすることがなくなった。


その退屈さを埋めるため、今まで繰り返してきたのと同じように、酒に逃げた。

とはいえ家での晩酌は性に合わず、友達と飲み会ばかりしていた。


週末になれば飲み会を詰め込み、昼間は二日酔いの療養や、そうでなくても動く気が起きずにただダラダラと過ごしていた。


交友関係はものすごく広がっていった。

といっても飲む場でしか出会わないのだから、飲み友に限定はされるが。


同年代と飲み会をする機会が多かったが、同じ店に居合わせた一回り以上の離れた大人や、ノリのいい大学生、道で話しかけられて仲良くなった若者など、様々な人と仲良くなった。

交友関係が広がると、飲んでいるときに他に呼ばれたり合流することが増え、店をはしごして朝まで飲むことも多くなった。



今までと大きく違ったのは、体裁を気にしなくなったことだ。

彼女がいなくなったことで、守らなければいけない一線がなくなっていた。

付き合っている間は浮気らしい浮気をしたことがなかった(浮気願望があったわけではないが)僕は、飲み会で出会った子や店で知り合った人と2人で飲みに行く機会が増え、行きずりで一夜を共にすることが多くなった。


別にそのために飲みに出るわけではないが、それに対して負い目も感じなければ後悔もなかった。


いっときの寂しさを埋められたし、相手もそのつもりで、ラフな関係を求めていたと思う。

その後に交際を求められることはほとんどなかったし、飲んで盛り上がったときや、なんとなくもの寂しいときにお互いに声をかける、そんな相手ができていった。


ただ、どれだけこんなことを繰り返しても、心が満たされることはなかった。

の心の繋がりはなく、行き場のない気持ちを互いにごまかし合っているだけなのだから当然だ。


そんな生活が数年続き、20代も後半に入ると、この友達の中からも結婚していく人が増えた。

ごまかしでなく真に愛せる人を見つけたのかもしれないし、もういい歳だからと自分を見つめ直したのかもしれない。



僕にはそれができなかった。

昔から結婚願望は強く、子どもも早くほしかった。

でもそれは彼女とだから望んでいたことであり、誰でもいいわけじゃない。

真面目な合コンもしたし、友達の紹介、マッチングアプリなど、真剣に相手を探していた。

その成果あってか、何人かと交際もした。

ただ、1人はもともとの友達関係を脱却できず、1人は寂しさを埋める友達の延長でしかなく、他の人とも半年続いたがダメだった。

知り合ったきっかけが堅かったこともあり、結婚を意識して付き合おうとするがあまり、気疲れして持たなかったこともある。

失礼と思いながらも、どうしてもどこか彼女と比べてしまう。

思い出補正だと分かっているけれど、それでも彼女ほど気が合って、生涯を共にしたいと心から思える人なんていないと思ってしまう。


こんな状態で付き合えるわけもなく、結局元の適当な生活に戻った。

誰に対して何の責任も感じず、寂しいときだけ誰かで気持ちをごまかし、そんな気の向くままの生活がもはやしっくりくるようになってしまっていた。




28歳になった年の夏、別れてからちょうど6年が過ぎた。

一緒にいた時間より、別々になってから流れた時間の方が長くなったと気付き、さすがに堪えた。

付き合っていた頃は、交際期間が積み上がっていくのが嬉しかった。

一緒にいた時間が、お互いを知らない、出会うまでの16年間を越えるのを楽しみにしていた。

歳をとっておじいちゃんとおばあちゃんになって、60年近く一緒にいることを喜びあえる日が来ると思っていた。

その日を迎えることはできなくなり、ただただ虚無の時間だけが過ぎていく。

毎年、記念日だった夏の日を迎える度、僕は1日中憂鬱な気分になる。

デジタル時計や車のナンバーがこの日と同じ数字を示しているだけでも、気持ちが動いてしまう。


自分の行いの過ちを、子どもすぎた考え方を、身勝手な振る舞いを、後悔してもしきれない。


何にも没頭できず、次に進むこともできず、後悔だけが膨らむ中で、時間だけがただいたずらに過ぎていく。


そして、30歳を迎えた。

20歳になったときは成人して大人になったと思っていたが、社会人になったとき、学生はまだまだ子供だったと感じた。体だけが成長しきっていて、心はまだまだ未熟だった。

今、一つの節目だと思っていた30代になってみて、20代もまだまだ子供だと感じた。

あの頃、もし自分がもう少し大人だったら、と後悔していたが、きっとそうではなかった。

人はいつまでたっても未熟で、未完成で、脆いものなんだと思う。

40代、50代となっても、きっとこの感覚は繰り返し訪れるのだろう。



もう20歳の頃描いて夢は叶わない。

当たり前に叶うと思っていた生活は実現しない。

全ては自分が招いた結果で、因果応報でしかない。

それでも、もしあのとき…とは思わずにはいられない。

恋も結婚もタイミングというが、今になってそれを痛感している。


ひょっとしたら今頃、僕たちにも、子供がいて、おじいちゃんたちに面倒を見てもらいながらたまに2人で出かけて、そんな日が訪れていたのだろうか。


いつまでも初心を忘れないでね。

そう言って僕たちが付き合うことを喜んでくれた彼女の親友は、当時の彼と結婚し、子どもと幸せそうに暮らしている。

どうして僕たちはそうなれなかったのだろう。


いつから初めて会ったときの胸の高鳴りを忘れてしまったのだろう。

花火に誘ったときのこと、告白の返事をもらったときのこと、別れが辛くて泣いたときのことを、どうして忘れてしまったのだろう。



そんなことを頭の中で日々繰り返し、また他の誰かで心の孔を埋める。

ゴールのないそんな生活がこれからもきっと続いていく。

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