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僕も彼女も、無事に地元で就職ができた。

とはいっても僕は地元の小さな町ではなく、近隣の大きな街だった。

僕は勤務場所が4月中旬まで未定であったため、仮の住まいを決めておく必要があった。

とりあえず就職する街の中心に近いところがいいか、それぐらいの気持ちで、また一人暮らしを始めた。

何の気なしにしたこの選択は、後に大きな分岐点で間違えていたことに気づく。


社会人の生活は思ってた以上に楽しかった。

同期が多く、みんな早く仲良くなろうと週末はいつも飲み会があった。

僕は大学に入学したときと同じことを繰り返した。

知らない会社で働く見えない彼女の様子を、僕は勝手に心配して、疑って、その気持ちを紛らわすために飲み会の楽しさに逃げた。

大学のときと大きく違ったのは、彼女の存在を隠したことだった。

そしてがこれが一番の過ちだった。

これは悔やんでも悔やみきれない。

大学を出たばかりで若かった僕は、同期の子たちにチヤホヤされたい気持ちもあった。

まだフラフラしていたかったのかもしれない。

もちろん、浮気をする気もなかったし、彼女への気持ちが揺らいだことは一度もなかった。

長い付き合いになり、別れることはないし、いつかそのうち結婚するんだと、見限られることはないんだと、どこかで驕っていたんだと思う。

高2の僕が見たら何て言うだろう。

浅はかで、自分勝手で、最低だった。

悪事はバレる。本当にそのとおりだった。

しかも、僕が勝手に心配することでケンカをしていた最中だった。

長年溜まっていた価値観の差も浮き彫りになってきていた。

というよりただ自分の価値観を押しつけていただけだった。

毎日連絡をとり、問題を解決して早くもとどおりになりたかった。

なれると思っていた。

遠距離恋愛をしていた頃より、よっぽど心の距離ができていたのに。


LINEで話が進まず、何度も直接話しに行った。

なかなか解決に至らなかった。

僕の価値観を押しつけて、理解してほしかっただけなのだから当然だ。

理解してもらえると本気で思っていた。

夫婦でももともとは他人。

価値観が違うのは当たり前で、お互いを認め合っていくべきなのに、僕は子ども過ぎでそんなこともわからなかった。

なんでこんなにもバカだったのだろう。

だからこそ、ちょっとずつ変わっていく彼女に気がつけなかった。

 

彼女からの返事は遅くなっていった。

昔、別れの危機だったときも、彼女の返事の遅さは、言葉を選ぶ優しさだったのに、このときもまだそれに気づけなかった。

そこに僕はどんどん自分の気持ちを、言葉を押しつけた。

言葉を選ぶなんて優しさは、僕には微塵もなかった。

この頃にはもう会話は成立していなかった。


彼女は、一時的に隣の県へ転勤になっていた。

もしかしたら、心機一転、新天地での新しい生活を望んだのかもしれない。

一度だけ、話をしに行ったことがあった。

彼女がどんな心境でいるかなんて考える余裕のなかった僕は、とにかく早く元の状態に戻りたくて、話をする機会がほしくて、何度か連絡をしていた。


久しぶりに会った彼女は前より痩せていた。

もともとかなり華奢だったが、やつれていたようにも見えた。

知らない街で初めての一人暮らし。新しい仕事。

数年後に聞いたとき知ったが、毎晩深夜まで働いて帰宅し、疲れ切って憔悴していたらしい。

そんな境遇にいるとも知らずに僕は、無理やり時間を作ってもらい、自分のために話をしに行ったのだ。

こんなにも相手のことを思いやれない人間だったのかと、今でも自分が恥ずかしくなる。



彼女が地元に戻ってきてからも、なかなか気持ちにふんぎりがつかない僕は、何度か彼女のもとへ行った。

もう気持ちを整理しきっている彼女には僕の気持ちは届いていない。


そして、ついにそのときが訪れた。

いつものように彼女のもとへ話しに行っていた。

就職しても実家住まいであった彼女の家は、昔のままだった。

実家に帰省した最終日、大学へ戻る電車を待つ間、いつも朝までいさせてもらったリビング。

解決に至らない話をとりとめもなく続けていた中、彼女から告げられた。

もう無理だと思う。

いつかは絶対に理解し合える、何の根拠もなくそうどこかで期待していた僕の思いは、傲慢な独りよがりでしかなかった。

そこから2時間ぐらいは話した。

単に僕が受け入れられず、不格好に粘っていただけだ。

散々悩みに悩んだ結果だから、もう揺るがないよ。

そう言われ、引き止める余地がないとわかった。

夕方、日がほぼ落ち、薄暗くなった部屋で、僕らは電気もつけずにただ佇んでいた。

あんなに楽しかったリビングは、色のない部屋になっていた。

わかった。

そう答え、最後に抱きしめた瞬間、涙が溢れ出た。

今まで流したことのない量の涙で、嗚咽に近かった。

高校から大学までの6年間、僕の人生を彩り、僕という人間を作ったのは間違いなく彼女との関係だった。全てだった。

彼女がいなかったら何のハリもなく、ただただ時間を浪費だけの生活をしていたに違いない。

彼女も見たことないほど泣いていた。

それを見てまた泣いた。

彼女も別れたくない気持ちがあり、その涙だとはき違えていた。

6年間を思い返し、いろいろあったけどそれが終わるんだと、長く一緒にいたけどもう別々に進むのだと、そう決心する涙だった。

彼女の家を後にし、僕は涙で視界が霞む中、自分の部屋へ帰っていった。

僕の実家でも彼女の実家でもなく、大学時代に擬似的な同棲をした部屋でもない、彼女との思い出のない部屋に。


男は昔の彼女に思いを馳せるが、女は引きずらずに前を向く。

聞いたことはあったが、本当にそのとおりだった。

このときから何年もの間、僕は過去を振り切れず、こじらせ続けていくことになる。

望みはないのに、どこかで復縁を期待したまま。

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