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大学生活は人生の夏休み。
そんな言葉をよく聞く。
本当にそのとおりだと思う。
サークル、飲み会、バイト。
大学のイメージなんてこんなもんだろう。
僕の大学も例に漏れず、そのイメージのままだった。
早々に仲良くなった友だちと3人で、ほぼ同居のような生活をしていた。
それぞれアパートを借りていたが、僕の家が定額制の光熱費だったこともあり、生活しやすかったため、毎日うちに集まった。
授業が終わった人からうちに帰ってきて、ゲームをしたり(もっぱらウイニングイレブンが人気だった)、麻雀をしたりして、たまに風呂に入りに戻ってはまた帰ってきて、そしてまた学校に通った。
飲み会もしょっちゅうだった。
地方都市だったからか、店飲みよりも家飲みが多かった。
鍋パ、タコパ、とにかくなんでもパーティにしたがった。
一人は酒が飲めないのに、それでも飲み会を開きたがり、毎日とは言わないまでも、週に2回はやっていたと思う。
理系学科だったこともあり、周りは男が多かった。
それでも他の学科の子と友だちになったり、他の大学の子と飲み会をしたり、お酒を酌み交わす楽しさにどんどんハマっていった。
大学生っぽい飲み会のゲームも多く、彼氏彼女がいる身にはちょっとグレーなこともあった。
とはいえ、地元に彼女がいることは隠さなかったし、浮気をすることはなかった。どこからが浮気なのかの線引きは置いておくとして。
彼女の動向は気にしなかった。
というより、気にし始めたらきりがないので気にしたくなかった。
もちろん今までのように毎日連絡をとった。あいかわらず短いスパンのメールをやりとりし、電話はしなかった。
自分が大学生活を楽しんでいたから、いたのに、彼女も同じように楽しんでいるだろうことを心配した。
飲み会はどれくらいあるのだろうか。好意を持つ男友達はできただろうか。
そういう心配を払拭するため、お互いの大学生活はあまり話さなかったし、SNSもフォローし合わなかった。
これは自分のに非があるからこそする心配なのだと後で彼女に言われ、本当にその通りだと痛感した。
遠距離恋愛というもの自体にどこか陶酔していた部分もあるかもしれない。
当時まだ「君の名は。」が上映される前、RADWIMPSは恋愛を題材にしたエモい曲を多く出していた。
夜になると、毎日集まる友達の家の前にあった川沿いを夜風にあたりながら散歩をし、「セプテンバーさん」や「遠恋」、「me me she」といった曲によく浸っていた。
高校生のときに比べて、ケンカが多くなった。
お互いの動向を心配したり、疑ったりした。
僕が自由に遊んでいるくせに、僕の方が彼女を疑った。
自分勝手で、子どもで、横暴だった。
心配をするのが嫌で、それをごまかすために飲み会をして、遊んで、また心配をして、その繰り返しだった。
それでも、長期休みは必ず会った。
静岡と長野は隣り合わせだが、縦断道がなかった当時は、交通の便が非常に悪く、名古屋経由が東京経由の経路しかなく、在来線だと7時間かかった。
そんな長旅を、彼女は文句一つ言わず会いに来てくれた。
小さな身体で大きな荷物を抱え、電車を4回も乗り継ぎ、知らない県の知らない町に一人で来てくれた。そんな彼女をなぜ僕はもっと大事にできなかったのだろう。
彼女が来ると、いつも1週間一緒に暮らした。
高校生のときに夢見ていた同棲を、擬似体験していた。
朝起きたら横に彼女がいて、3食一緒にご飯を食べて、寝るまでゲームをして、一緒に床についた。
年に3回しかない長期休み。
普段会えない分、僕たちはこの1週間をすごく濃厚なものにしたくて、家の中でも片時も離れなかった。
今思えば、もっと遠出もできたし、旅行にも行けただろうに、当時はとにかく一緒にいられればそれで良かった。
そして僕も実家に帰省する荷造りをして、一緒にまた7時間の長旅に出る。
長時間の移動は全然苦じゃなかった。
彼女と一緒に話をしているだけで、旅行をしているような、デートのように思えた。
そして彼女が一つ前の隣町の駅で降り、僕は次の駅で降りた。
高校生の頃、毎日彼女を送り届けた駅を、僕も利用するようになった。あいかわらず入り口はまだ一つしかなかった。
そして連休が終わり大学に戻る日。
また長旅が待っているため、朝一の電車に乗ることが多かった。
そんな日は決まって、前日に彼女の家にいさせてもらった。
今思うとご両親もよく許してくれたと思うが、自分の部屋がなかった彼女の家では、リビングで一緒に過ごさせてくれて、そのまま朝まで居座らせてくれた。
朝、また駅へ向かう僕を、彼女はいつものように寂しそうに見送った。
同じ7時間でも、今度の7時間は、ただの疲れる移動時間でしかなかった。
彼女の20歳の誕生日。
僕たちは夢の国に行くことにした。
子どもの頃に一度行って以来、10年近く行っていなかった僕は、テーマパークとして純粋に楽しみにしていた。
初めての首都高を、慣れない車を運転して、へとへとになりながらようやくたどり着いた。
子どもみたいにはしゃぐ彼女の横で、内心僕はそれ以上にはしゃいでいた。
あまり感情をはっきり出しすぎない僕だが、このときは感情が漏れていただろう。
長い待ち時間なんて気にならなかった。
7時間を往復できる僕らだから。
地元の花火にも行った。
車で向かう僕らは、渋滞にハマり、開場に間に合わなかった。
そんな時間にルーズな僕を、彼女はいつも笑って許してくれた。
このときはちょっとだけ怒られたけど。
競技形式の花火大会で、提供企業がそれぞれの腕を競った。
企業の名前がアナウンスされ、花火が上がる。
○○のは色味が良かったね。■■のは輪の広がりがイマイチだったね。
そんなことを言い合いながら、お互いの1位を決め合った。
付き合う前に花火デートをしたときと、僕らは何も変わっていない。そう思えた。
就職を考えたとき、僕らは一度真剣に話し合った。
付き合い始めた頃から、僕は彼女との結婚が見えていたし、彼女も同じ気持ちでいてくれていた。
改めて言葉に出してそれを確認し合えた。
僕は地元に帰るつもりであったし、彼女もそのつもりだった。
帰れば一緒に住めるね。
3年ぐらい働けば落ち着くだろうから、25歳で結婚だね。
そんな話をした。
もちろん別れの危機もあった。
原因は彼女を信じられなかった僕にある。
気さくな彼女は男友達が多く、そういう状況に耐えられなくなっていた。
誰とでも笑顔で話せる彼女の持つそのオーラを好きになったのに、そこが嫌なとこに見えてしまっていた。
遠距離で近くにいられない自分と、いつも近くにいる男友達を比べ、勝手に辛くなっていた。
感情が不安定になった僕は、ついカッとなって、溢れる気持ちを羅列してしまった。今思えば、完全にメンヘラだったと思う。
彼女は人を傷つけない。
だから、僕に質問に対しても真剣に答えを考えてくれるし、それには時間がかかる。
当たり前のことなのに、その間にすらイラついた僕は、自分の気持ちばかりを伝え、一方的に別れへの道を作ってしまった。
全て伝えて僕が去るとき、初めて彼女がちゃんと泣くのを見た。
その場こそ立ち去ったが、帰り道にはもう僕が耐えられなくなっていた。
傍から見れば茶番だろうけど、当人としてはその茶番の真ん真ん中にいるのだから、至って真面目に感情が大きく揺れ動いていた。
自分から別れを切り出したくせに、翌々日に仲直りをした。
結局、自分に酔っていただけなのかもしれない。
男はすぐ自分を物語の主役にしたがる。
なにかのドラマのセリフだったと思うが、僕も完全にそれだったんだろう。
彼女は、ケツメイシの「恋の終わりは意外と静かに」を聞くと、このときを思い出して辛くなると言った。
初めて聞く曲だったし、僕の心情にはあまり合わず響いていなかった。
でもその数年後、僕にとって一番切ない曲となった。
付き合って5年の記念日には、初めて遠出の旅行をした。
あいかわらず慣れない運転だったが、彼女がはしゃいでいるのが嬉しかった。
まだ、逃げ恥、で修善寺がブームになる前の伊豆に行った。
「天城越え」の天城峠に行き、名物のわさびソフトを食べ、伊豆三津シーパラダイスに行き、温泉付きの旅館に泊まった。
3時間の道のりも、いつもどおり楽しかった。
思っていた以上に本当に楽しかった。そう言って喜んでくれた。
そのときたくさん撮った写真は、今見返してもとても光って見える。
そして初めてあげたちゃんとしたペアリング。
今度、裏にイニシャルを彫りに行こう。
そう言っていたのに、彫ることも、一緒につけることができなかった。
4年間の夏休みはあっという間に過ぎていった。
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