ヤングアダルト
@syouta65happy
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人を本気で愛せなくなったのはいつからだろう。
もう10年以上も前、高校生の僕は青春のど真ん中にいた。
高2になってクラスが変わり、初めて同じクラスになった子に一目惚れをした。
青くさいが、本当に運命の相手だと思うほど惹かれた。
話したこともないし、まだ認知されているかも分からなかったが、出席番号が2つ違いで席も近く、平静を装いながら内心は胸をときめかせていた。
理系クラスであったため、男女比は3:1ぐらいでほとんど男だったが、気さくでいつも笑顔の彼女は人気があった。
話題を振るのは得意な方ではないが、僕も負けじと話しかけた。
誰とでも楽しそうに話せる彼女はとても話しやすく、どんどん好きになっていった。
席替えがある度に隣を願ったし、授業の合間や教室移動など、理由を見つけては積極的に声をかけた。
その甲斐あって、彼女を含めた何人かでよく遊ぶようになった。
二人きりで遊びに行くきっかけをずっと探していたとき、季節はちょうど夏だった。
一緒に花火に行こうと声をかけ、二つ返事で行きたいと返してくれた笑顔を、今でも鮮明に覚えている。
田舎町の川沿いの花火。
かき氷を食べ、空を見上げて話しをしているだけで幸せだった。
その日に告白はできなかったが、これまでにない楽しい夏の思い出になった。
その分、彼女に気になる人がいると知ったときはショックだった。
実は両想いだったりするのではないかと、どこかでうぬぼれていた。
同じクラスの僕の仲良しの男友達だった。
二人は趣味が合って話がよく盛り上がっていたし、傍目に見てもお似合いだと思った。
でもその頃にはもう僕の気持ちは後戻りできないところまで来ていた。
意を決して告白しようと決めた日。8月9日だった。
近所の小さなショッピングモールでデートをし、帰り道に寄った夜の公園。
チキンな僕は気持ちを告げられなかった。
送り届けた彼女の家に着く直前、やっとの思いでようやく伝えた。
初めて会った日からずっと好きだったこと。
気になる人がいるのを知っているが、僕の気持ちはそれ以上であること。
絶対に大事にする自信があること。
ありがとう。ちょっとだけ時間をちょうだい。
彼女にそう返事をもらい、僕は10km近い道のりを自転車を走らせて帰った。
ちょっと、は僕にとって永遠のように長かった。
翌日、夏休みで家にいた僕は、一日中何も手につかなかった。
宿題をしても、テレビを見ても、漫画を読んでも、ずっと頭の中に彼女がいた。
このままフラれたらもう今までみたく仲良くできないだろうか。
そんなことを考えて21時過ぎ、電話が鳴った。
当時はまだガラケーだった。
彼女の着うたには、僕が一番好きだった曲を設定していた。
レミオロメンの「南風」。
好きな気持ちが止まらない感じが僕の心情にマッチしていた。
昨日は嬉しかった。これからよろしくね。
そう返事をもらったとき、嬉しすぎてはじけそうだった。
僕はいてもたってもいられず、家を飛び出して夜道を駆け抜けた。
文字通り飛び跳ねて喜んだ。前から協力してくれていた共通の友だちに電話をし、喜びと感謝を伝えた。
僕の友だちと付き合っていた彼女の親友も連絡をくれ、初心を忘れちゃだめだよ、そんな教訓をくれた。
それからの学校生活は本当に楽しかった。
もともと楽しんでいたが、段違いだった。
彼女と一緒にいる時間をとにかく作りたくて、くすぶっていた部活もやめた。
授業の合間もずっと一緒にいたし、放課後も教室に残って夜まで話をした。
電車で帰る彼女を駅まで送ることが僕の日課になった。
僕はほとんど使ったことのない田舎町の駅。
1つしかなかった入り口は、今では2つになっている。
見えなくなるまで手を振り、その帰り道にはもうメールをしあっていた。
今はLINEで短文をポンポン送り合うのが普通だけど、メールはタイムラグがあった。
でもそんなラグが嘘のように、僕らは短文の応酬をした。
メールボックスは彼女の名前でいっぱいになり、毎分ごとのメールが羅列していた。
中高生の間で流行っていたブログに、彼女との楽しい思い出を日々つづった。完全にバカップルでイタかったが、当時はそんなこと全く考えなかった。
今、人前でイチャつく若者を見て嫌悪感を覚えるのは、当時の反動だと思う。
九州への修学旅行。
ホテルは男女別の階層で、接触を防ぐため、先生たちがパトロールしていたが、彼女といる時間を作りたくて、監視の目をかいくぐって互いの部屋を行き来した。
彼女は気配りができた。
リーダーシップがあるわけではないし、あまり主張するタイプでもなく、周りに流されるわけではないが、どちらかというと周囲に同調するタイプだった。
ただ決して人を傷つけなかった。
クラスに、若干周りから浮いている女の子が一人いた。
もともと理系で女子が少ないのに、その中でも一人でいることが多く、男子もなんとなく敬遠していた。僕もその一人だった。
でも彼女は違った。一人でいるその子にたまに声をかけていた。
のけ者になっているから相手をしてあげなきゃ、そんな配慮は微塵も感じさせなかった。
ただただ、ごく普通に、クラスメイトとして当たり前に話しているだけだった。
そんな彼女がたまらなく好きだった。
歳をとってもこの子はきっと今のままだと思った。
そんな彼女と人生を歩みたかった。
思い出は積み重なり、半年、一年とときが過ぎていき、3年生の受験シーズンを迎えた。
比較的まだ新しかった母校は、国公立大学への進学数を増やすことを目標に掲げていた。
僕たちは若干の学力差があったが、同じ大学を目指した。
一緒に住もうと約束した。そこから学校に通い、お互いの友だちを呼んだりして暮らしたい。そんな大学生活を夢見ていた。
大学生が舞台の映画は多くあるが、僕はソラニンが大好きだった。
卒業後も続くモラトリアムを描いた作品であり、フリーターになってしまう話だが、あんな感じの生活に憧れた。
合い鍵にはもちろん作品に出てくるお揃いのキーホルダーをつけるつもりでいた。
僕のセンター試験はまあまあ出来が良かった。
合格ラインを超え、センター重視の志望校は安全圏だった。
彼女の出来はあまり良くなかった。
あまりというより、志望校はかなり厳しいラインだった。
彼女自信が一番悔しいはずなのに、残念な思いが強かった僕はそれに気づけず、無意識にどこか責めてしまっていたと思う。
彼女は他の大学を検討しなければならなくなり、地元の学校に通うことになった。
3年生の春休み。3月末。
僕は長野県の大学で一人暮らしをするため、両親と共に引っ越し先を探しに行った。
その日は、2011年の3月11日だった。
この日を思い出すと、今でも涙が溢れてくる。
内見をしているときで、車に乗っていたが、揺れたのが分かった。
そして不動産屋に戻ってテレビ画面を見たとき、背筋が凍った。涙がこみ上げてくるのが分かった。
地元は静岡の海辺の町で、大津波警報が出ていた。
実家は海から1km。
生きた心地がしなかった。
家族は高台の親戚のもとへ避難していて、津波も実際に到達しなかった。
彼女は海から離れた町に住んでいたため、何ともなかった。
彼女を失うかもしれないと思っただけで辛かった。
今でも、災害や事件、事故をニュースで見る度に、彼女の安否を気にしてしまう。
実家に帰る頃には、僕たちの町は落ち着きを取り戻していたし、予定どおり大学へも進めることになった。
実家を出る最終日、一人暮らしのわくわくが勝っていた僕は、家族のもとを離れることに寂しさは感じなかった。
一生の別れではないし、どうせ夏休みにまた帰るのだ。
そして新幹線に乗る駅へ向かう前、彼女の家へ寄った。
彼女は、寂しいとかをあまり言わない人だった。
1、2週間会わないことがあっても何も言わないし、お互いに電話が嫌いなこともあり、ほとんど一度も電話しなかった。
この日は、大学に行ってもちゃんと毎日連絡をとろう、なるべく会おう、そんな話をした。
家を出るとき、初めて彼女が寂しそうな顔をした。
目を潤ませ、離れることが怖いと、心配だと言った。
その表情が愛おしく、離れがたかった。
大丈夫、距離はあってもうまくやっていける。
そう確認し合い、僕は初めての一人暮らしが待つ、駅へと向かった。
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