第3話 1944年8月 リガ南方~リガ飛行場(午後)①

 ハンスの読みは外れた。

 8月になってもソ連軍の攻勢は止まず、リガ南方のシャウリィが落ちた。ソ連軍の余剰戦力の多さ、ドイツ陸軍の弱体化がハンスの予想以上に進んでいたためだ。

 交通の要所であるシャウリィをソ連軍が手にした事で、ドイツ北方軍と中央軍を分断する楔となり、そうはさせじと北方軍と中央軍は反撃に出たが、この楔を排除する事はできなかった。

 ソ連軍はポーランドやルーマニアでも攻勢に出ており、いずれでも敗走を重ねていたドイツ軍に、とてもシャウリィだけにかまっている余裕はなかったのだ。

 リガ東方でも、ソ連軍がドイツ防衛線を破りリガに迫っていたため、北方軍はそちらの手当てもしなければならず、ナルヴァから撤退してきた軍を逐次投入という愚策を強いられていた。


 そんな中、ハンスは新たなソ連の攻勢を発見した。


 ♢♢♢


 何もない草原を、赤い星をつけたT-34戦車が疾走している。

 1両だけではない。一定の距離を保って追走する戦車がざっと15両前後。その後ろには軍用トラックや、アメリカから貸与されたらしいハーフトラックが続く。いくつかの戦車には車体に跨乗こじょうした兵士が見える。

 それらが一団となって北上し、砂煙を上げていた。

 さらに少し離れたところにも同じように砂塵を上げている集団もあり、最低2集団はこれがいるという事だ。

 両集団共に、一路北に向かっている。すなわちリガへ。


「まだ援軍はこねぇか?」

 ソ連軍の戦車集団上空にシュトルヒを張り付けているハンスが、苛立った声を上げる。

「空軍も地上軍も、それらしいものは見えませんなぁ」

 後席のミヒャエルが答えるが、それは目のいいハンスの方がよくわかっている。

「司令部にはちゃんと情報が届いているんかなぁ?」

「暗号文と白文で、計3回打ちました。ですが、司令部の無線機は各部隊からの救援要請や敵情報でいっぱいですから、見逃されている可能性がありますね」

 元無線技師のミヒャエルはその技術が買われ、偵察飛行のない時には司令部の無線通信の手伝いをしている。司令部の今の混乱ぶりはハンスよりわかっているようだ。

「イワンめ。このままだと2〜3時間でリガに突入しちまうぞ」

 シャウリィの陥落で、リガ防衛線南方にぽっかり大穴が空いている。警戒線さえ引いてないまったくの無防備だ。

 そこを見逃さずソ連は機甲部隊を派遣してきていた。歩兵部隊も随伴させているし、大軍ではないにせよ市街に突入されれば厄介だ。東方で圧力かけているソ連軍も連動して攻撃してくれば、後背地を攻撃されてるドイツ軍に動揺が広がり、一気に落とされるかもしれない。

「爆撃機を派遣するなら、今しかねぇのに」

 空軍進出が間に合ってないのか、ソ連軍機に守られてはいない今なら、護衛機なしでも被害を与えられる。

「ですが、あちらさんあまり慌ててる様子はありませんな。この機体は見えているはずなですが」

「舐められてんなぁ。非武装だから仕方ねぇが」

「あるいは、もうすでに空軍を呼ばれているとか」

「それは、上手くねぇな」

 ハンスとてその可能性は当然考えている。もしかしたら、ソ連軍機が今すぐにも現れるかもしれない。


「もうちょっと粘ってみようぜ。ウチだって今援軍が来てるかもしれんし」

「了解です……。が、中尉殿、今日の中尉殿はなんか違いますな」

「……そうか?」

「そうです。いつもならこんな時は『じゃ、一時退避』とか言って、危険から避けるじゃないですか」

「……だってさ、ここ抜かれたらリガの友軍が危険なんだぜ。命張るのは当然じゃないか」

「そういう言動が、らしくないんですが」

 ミヒャエルともコンビを組んで1年以上になる。よくハンスの性格がわかっている。ミヒャエルの言うように、いつもならさっさと逃げ出しているところだ。

 だが、今日ここでは、逃げるわけにはいかない。

 ➖リガにはマーシャたちがまだいるんだよ!

 と、心では思うが、マーシャのことを打ち明けてないミヒャエルには言えない。

 ➖8月までは大丈夫って、言っちまったからなあ。

 マーシャとヤコブは、8月末の最終の赤十字船に乗ってリガを離れる事になっていた。だが今ここでリガで市街戦が始まれば、スウェーデン船は入港を取りやめるかもしれない。

 第一、この状態でソ連軍が市街に突入すれば、住民の犠牲は避けられない。

「まあ、そーゆー気分の日もあるってことで」

 ハンスは煙に巻いたが、ミヒャエルがどこまで納得したかは疑問だ。

 だが、待っても待っても援軍は現れないため、一度リガに帰投する事にしたハンスだった。


 距離は近いので、リガ基地にはあっという間に着く。それだけ敵も近いということではある。

 飛行場内は騒然としている。駐機している機影は少なく、出撃できる飛行機は出払っているようだ。そして駐機してる機体はもれなく被弾、破損しており、整備兵が多く取り付いている。

 そして飛行場ではちぐはぐに感じる、空軍の制服に鉄兜、銃、パンツァーファウストなどを抱えた連中が、慌てながらまとまって走っていく。陸軍兵の数が足りず、手の空いた空軍スタッフも都市防衛に駆り出されているようだ。

 それらを横目に見ながら、空いている滑走路隅にシュトルヒを着陸を降ろす。


「司令部に行ってくる」

 ハンスが飛行帽とゴーグルを外し、機外に出て小走りして司令部に向かっていると。

「おう、ちょうどいいところで会った」

 運良くジークムンドにでくわした。とは言え、その表情は渋いものだ。

 ジークムンドたちプスコフの基地地上スタッフも、撤退中にソ連軍機の機銃掃射を受けて被害者は出たが、ジークムンドは傷を負うこともなくリガへ辿り着き、こうしてシュトルヒの主任整備員、というかひとりで整備を受け持っている。

 ジークムンドも整備班長として7〜8人の部下を持つ立場になっているが、「このシュトルヒはずっと自分が面倒みている」と言いつのり、普通ならありえないひとりでの整備も強引に認めさせたらしい。

 シュトルヒの面倒を見たいというのも本心だろうが、それよりハンスとの関係を切らせたくないというのもあるのだろう。ハンスがそう言っても、絶対認めようとはしないが。


「援軍部隊と連絡をとってくれって、司令部が言ってきた。射撃観測してほしいらしい」

「援軍?いるのか?」

「と言っていいかどうかもわからんがな。自走砲2輌だけらしいが」

「2輌⁉︎自走砲⁉︎伴随歩兵もなしか⁉︎」

「どうもそのようだな」

 それは、ジークムンドでなくとも渋い顔になるというものだ。

「敵戦車40輌ほどっていう情報は、正しく伝わっているのか?」

「うちも戦力足りないんだろうな。あと半日あればナルヴァ方面からまとまった部隊が来るそうだから、それまでなんとか足止めしとけって事だろう」

「半日か…」

 自走砲は待ち伏せが基本だ。上手くひきつけられれば足止めはできるが、それには数が必要だ。相手が損害を無視して突っ込んできたら、止める術がない。


「それに射撃観測って、何?そんなの必要か?」

 野砲部隊と協力しての砲撃観測は飽きるほどやったハンスでも、対戦車戦での支援はしたことがない。直視できない長距離目標に対する砲撃とは違い、対戦車戦闘は近距離での直視攻撃となるので、直掩機の支援が必要とは思えないのだが。

「俺もよく知らんのだが…、『ナースホルン』とかいうその自走砲の射程距離はかなり長いようでな」

「ナースホルンね…、聞いたことはある」

 対戦車砲として名高い88mm砲の砲身をさらに伸ばして、長距離でも撃破できるようにした新型の自走砲車輌だと言うが、ハンスは今までに見たことがない。

「その辺の事情は直接聞いてくれ。これが周波数」

 ジークムンドから4桁の数字が走り書きしてある紙を受け取る。

「ん?もうその自走砲は出撃してるんだ?」

「お前と入れ違いだな。まあ、シュトルヒならすぐに追いつけるだろ」

 それはそうだ。いくらシュトルヒが遅いとはいえ、それは飛行機というカテゴリーでの話だ。陸軍車輌と比べれば速い。

「わかった。詳しくは道中で聞くわ。どこまで足止め出来るかわからんが、足掻いてくる」

「頼むぞ。俺を地上戦闘に巻き込まんでくれよ」

「それは約束できん」

 ハンスとて止めたいとは思うが、敵のある話だ。戦場に絶対はない。

 ハンスは踵を返して、シュトルヒに戻っていく。




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