第4話 スタラヤ=ルッサ 飛行場(昼)

 基地司令閣下とその付き人をプスコフへ運ぶ段は、これといって何かが起こったわけではない。

 他の将兵の目から隠れるように荷物を積み込んで、そそくさと離陸。偏西風に逆いながら西方のプスコフへ。

 誰よりも早くプスコフの空軍基地に降り立つと、基地司令はハンスに目も合さず、胸だけは張って降りていった。

 まあ、ハンスとしても基地司令からお礼を言われても、どう答えればいいのか分からないので、これでいいのかもしれない。

 仕事をこなした。ただそれだけで。


 時間がおしい。スタラヤ=ルッサの空軍は逐次撤退を始めてるはずで、すぐに基地は無防備化される。市街から離れている飛行場は、街を死守する陸軍の防衛範囲からは外れているのだ。

 一応、基地施設を破壊せず滑走路にダミーの飛行機を置いて、撤退したことをソ連側が知ることを少しでも遅らせるようにしている。空軍がいなくなったと知れば、カサにかかって追撃してくるかも知れないからだ。

 ただ、そんな小手先の欺瞞で誤魔化せる時間などたかがしれている。いつソ連軍の攻撃があるかも分からない無防備な基地に、マリーヤはアドルフと共にいる。

 まだ往復分の燃料はあることを確認し、ハンスはプスコフの整備兵に命令書を見せて離陸した。


 さっき来た航路を真逆に戻る。

 行きには逆風だった偏西風も、順風となって増速の手助けをしてくれる。

 やがて、見慣れたはずのスタラヤ=ルッサの空軍基地上空についた。

 タイムスケジュール通りなら、既に全ての人員が基地を離れているはずだ。

 実際、動くものが何もない基地はゴーストタウンのようだ。

 砲だけが取り外されて、土嚢などが乱雑に散らばっている対空銃座の跡を見ると、無常感さえ漂う。

「確か、宿舎に入れておくと言っていたな…」

 ジークムンドとの事前の話し合いで、もし基地で搭乗させる場合は、兵士が完全撤退するまでは宿舎のハンスの部屋に隠れていることになっている。

 聴覚の優れたアドルフがシュトルヒのプロペラ音に気がつくだろうから、それが出てくる合図としている。

 上空を一回軽く旋回して、宿舎近くの滑走路に着陸させる。

 ➖ジークからの連絡は、ちゃんと届いているかなあ?

 ジークムンドを信頼はしてるが、何事にも絶対はない。なんらかのトラブルでマリーヤを連れてこれてない事もないとは言えない。マリーヤの姿を見るまでは安全はできないだろう。

 と、無人のはずの宿舎の扉が大きく開き、そこから飛び出してくる1匹と1人。

「マーシャ‼︎」

 ハンスは風防を開け、呼びかけながら機外に飛び出す。顔がわかるようにゴーグルも外す。

「ハンスさーん‼︎」

 マリーヤもそれに答えて声を上げる。それより早く、ハンスに飛び込んできたのは白犬アドルフ。

「よーしよし」

 ハッハッと白い息を吐くアドルフの首元を撫でていると、次にはマリーヤが跳んで抱きついてきた。

「迎えにきてくれて嬉しいです!ハンスさん!ありがとうございます‼︎」

「言ったろ?俺は守れない約束はしないんだよ」

 そう言って、ハンスもマリーヤを抱く。結果論的に守れただけ、という見方も出来るが、ここは素直に粋がっていい場面だろう。

「もちろん、ハンスさんを信じてますっ。信じてますが…、人気のない部屋でアドルフとだけでいると、何かあったんじゃないかと思って…」

「あー、もう、泣かない泣かない。まだ安全が確保された訳じゃないから」

 そう言ってマリーヤの頭をぽんぽんと叩くハンス。

 マーシャの背、高くなったなぁ。


 シュトルヒの後部座席にマリーヤの荷物、そしてマリーヤ自身を運ぶ。昇降台がない後部座席に、いくら高くなったと言っても少女のマリーヤではまだ届かないからだ。

ハンスは着膨れした彼女を後ろから抱えて持ち上げる。

「重い…」

「あ、あのっ、これは成長、ですからねっ!決して太ったわけでは」

「わかってるよ、ほら」

 こういうセリフは、子どもと言っても女性だなぁとしみじみ。

 アドルフは開けた後方の貨物室のハッチから、軽々ひょいと自力でジャンプして飛び込む。

「アドルフはここ」

 ハンスは後席、すなわちマリーヤの足元を指す。機体を振り回すかも知れないので、狭い場所でうずくまらせた方がいい。マリーヤもアドルフが近くにいた方が安心するだろう。

手で「おいでおいで」して、アドルフを後部座席下に呼ぶ。

「マーシャも、今日はシートベルトをつけてくれ」

「はい」

 エリザヴェータに聞いてきたのか、それほど迷う事なく装着。荷物は抱えるように座らせる。


「さて、じゃ飛び立つぜ」

 操縦席に戻ったハンスはゴーグルを再装着して、シュトルヒのエンジンを回した。

 滑走路脇の雪の草地に、3本のシュプールを刻みながら増速していると。

「ちっ!」

 正面の上空に黒い点が見える。しかも3点。高度は低い。

 来た方向から考えてソ連機に違いない。その高度から考えて、対地攻撃機だろう。

 ほぼシュトルヒと反航する航路をとっているらしく、どんどん点が大きくなり飛行機の形を作っていく。

「マーシャ‼︎掴まってろっ!」

 回避能力の高いシュトルヒでも離陸体制中では下手に旋回できない。このまま突っ込むしかない。

 3機は斜め編隊を組み、その中の1番南側の機がシュトルヒの真正面から迫ってきてる。

 このままでは衝突する!

「クッ!」

 反射条件的に操縦桿を左へ。

 正面の敵機も慌てたように左手に傾く。両機とも相手に背面を晒す形となり、行き違う。

 上がった右翼がソ連機の翼と触れそうになるが、ぎりぎりで回避。

 間一髪、衝突を免れたハンスは、どっと冷や汗が出た。機体を傾けたまま左旋回させながら、ふうっっっと息を吐く。思わず息を止めていたようだ。


「すごかったです!ハンスさん!」

 後席のマリーヤは、はしゃいでいた。

「あんな技があるんですねっ!わたし、空飛ぶ飛行機をあんなに間近に見たのは初めてです!」

 幸いというべきか、飛行機にほとんど乗ったことがないマリーヤには、あれがどんなに危険なことがわからなかったらしい。今で言えばスリルあるアトラクションの感覚だろうか。

 アドルフもバウバウとあまり吠えない声をあげていたが、こっちはただびっりしていただけかも知れない。

「ね、アドルフもすごいもの見させてもらったよねっ」

 敵機がいる中で後席に振り返るわけにはいかないが、マリーヤはアドルフの首元を抱き締めているようだ。

 ➖ま、怖がらせるよりは、いいか。

「そう何度もできる技じゃねぇからな。今日は出血大サービスだ」

 マリーヤの誤解に、そのままのっかかったハンス。

「ありがとうございます、ハンスさん!」

 この戦場には似つかない、明るい会話がコクピット内で繰り広げられる。


 改めて敵機を見る。

 シュトルヒとぶつかりそうになった1機は体勢を崩してコースを外れていくが、残りの2機は機銃掃射で滑走路のダミー飛行機を破壊し、翼下のロケット弾を発射。煙を吐きながら正面の格納庫を吹き飛ばしていた。

「ペストか…」

「何か言いました?ハンスさん?」

「ん?ああ、こっちの話」

 そう言えばマリーヤが乗ってるんだった。独り言のつもりでも聞きとがめてくる。


 ペストとは今基地を破壊しているソ連機のことだ。ソ連軍からはIl-2襲撃機シュトルモヴィークと呼ばれているらしく、運動性は皆無だが、重武装と重装甲であらゆる地上目標を破壊する。

 基地や陣地はもちろん、対戦車戦では無類の強さを発揮する6号戦車ティーガーも、薄い上面装甲をIl-2が放つ無数の成形炸裂爆弾PTABにやられることが多いという。

 また厚い装甲板に囲まれ、角度が悪いと当たった機銃弾も弾き飛ばす。実際ハンスは味方戦闘機がIl-2に機銃弾を撃っても、全然火がつかず平然と飛んでいる姿を見たことがある。

 ドイツ軍が「空飛ぶ砲台」とか、そのウザさから「黒死病ペスト」とか呼ぶのもそのためだ。

 ドイツに制空権ある頃はその活動は抑えられていたが、最近は我が物顔で戦場を飛んでる姿が目立つ。

 とは言え対地攻撃機だ。あいつらの目標は基地であり、ひょろっと逃げ出した小型偵察機など眼中にないだろう。

 襲撃機の編隊からは大きく距離をとって旋回し、やがて離れていく。

 基地破壊に余念のないソ連機の追撃はなく、どんどん小さい点になっていき、やがて見えなくなった。



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