第3話 スタラヤ=ルッサ 基地内(午前)

 翌日、朝一で基地司令が呼んでいると聞いて、ハンスは内心ビクビクしながら司令室に向かった。

 マリーヤ&アドルフ密輸作戦がバレた?ジークやリーザがバラすわけがないだろうが、誰かが聞いていたか?気をつけていたはずだが、焦ってもいたからなあ…。

 いやいやいや。そんな小事を基地司令が直々に問いただす、なんて事はありえない。

 じゃあ、なんだ?改めて敵の偵察報告が欲しいとか?撤退当日に?

「わからんわ、これは」

 基地司令に会えばわかるし、考えるだけ無駄か、といつもの先送りスキルで基地司令室のドアをノックした。

 ハンスが名前を名乗ると、中から入るように促す声。


 がらんと片付いた司令室で、敬礼をするハンス。

「当官をお呼びとお聞きしましたが」

「ふむ」

 癖なのだろう、カイゼル髭をなでながら、深く椅子に座った空軍少将はハンスの顔をじっと見た。

「一昨日の偵察と先導、ご苦労だった。お陰で敵の攻勢に確信が持てた」

「はっ、ありがとうございますっ」

「爆撃隊の連中が、闇夜にも関わらず寸分違わぬ誘導に感心しきりであった。さすが『未墜落男ニヒト アプシュツト』だ」

「はっ、恐縮でありますっ」

 司令の言っているのは、一昨日の夜から昨晩未明にかけての作戦のことだ。


 昨年にドイツ軍が放棄したデミャンスク周辺の航空基地群は、そのままソ連軍が接収していた。

 進出してきたソ連空軍と、このスタラヤ=ルッサのドイツ空軍は激しい制空権争いを繰り広げ、互いに爆撃隊を飛ばしあって基地機能の停止や機体の地上破壊を狙ってきた。

 だが秋口から勢力バランスがソ連側に傾き始め、ドイツは防衛に手一杯となり、対空砲部隊と協力してなんとか致命的破壊を受け流すスタイルで凌いでいた。

 やがて長く暗い(3度目の)ロシアの冬がやってきて、悪天候から航空攻撃自体が低調となる中、ソ連の冬季攻勢が始まったのだ。

 スタラヤ=ルッサ正面での攻撃が予想され、ギリギリのタイミングを探るためデミャンスク周辺の強行偵察が計画された。

 だが大量の対空砲に護られたソ連軍基地に、低速のシュトルヒが行くのは自殺行為に他ならない。そこで深夜を待ってデミャンスクまで夜間飛行し、照明弾を発射して偵察、のち退避という作戦が立てられた。

 さらにどうせ照明弾を落すならと、そのあとを4機のJu87爆撃機シュトゥーカに続かせ、シュトルヒを夜間先導機に見立てて、奇襲爆撃する作戦になった。


 作戦は、ケチのつけようがない大成功だった。

 かつてはドイツ軍の最前線基地だったデミャンスクには数知れずに行ったし、夜間飛行も何度もした。

 シュトルヒ操縦席の淡く光る方位計、速度計、風速計、燃料計その他もろもろの情報を、我が体のように馴染んだシュトルヒアインの微妙なクセとハンスの経験に混ぜ込んで、「ここだな」と後席のミヒャエルに命じて照明弾を撃たせた場所は、ソ連軍滑走路の真上だった。

 さらに2、3発と照明弾を打ち、パラシュートに繋がれた眩しい白光が、闇夜に隠されていたソ連軍の滑走路に並んで駐機されている機体、管制塔や格納庫、さらにはその周りに整然と止まっているトラック群を曝け出す。

 そして、シュトルヒの飛行灯を頼りに続いてきたシュトゥーカが、目標目掛けて爆弾を叩き込む。大戦初期には勇名を馳せたシュトゥーカもこの時期には旧式化し、制空権ない中での作戦で損害は大きくなっていたが、今は邪魔するものはいない。

 照明弾の灯りのなか、お手本のような急降下で大爆炎を上げさせていた。

 こうなれば熟睡中に攻撃受けたソ連軍は、蜂の巣を突いたような騒ぎになる。

 ウゥ〜〜、ウゥ〜〜と警戒サイレンが鳴り響き、あちこちの宿舎やテントの灯りがつく。探照灯が狂ったように振り回され、おっとり刀で火を吹く対空機銃の曳航弾が、明後日の方向に飛んでいく。

「だいたい把握した」

 照明弾だけでなく、爆発の火やソ連軍が自分でつけた灯りなどからも、敵の勢力の推測ができる。空軍機だけではなく、かなりの規模の部隊が駐屯しているようだ。

 それだけわかれば用はない。再び闇夜に溶け込むシュトルヒアイン。

 結局、4機のシュトゥーカも含めて1発の被弾も受けることなく帰投。ハンスの報告を受けた参謀部が即日の撤退を決めたのだが、それはハンスの知るところではなかった。


 ➖お褒めの言葉を授けるためだけに呼んだのか?撤退当日の忙しい中?基地司令ってヒマなんだな。

 顔には出さず、そんなことを考えていたハンスだったが、さすがにそれだけではなかった。

「君のその力量を評価して、司令部撤退機に指名したい」

「はっ…は?」

「私と、横の連絡将校の2人を乗せてプスコフに行くのだ」

 シュトルヒの積荷が少なかったのはそういうことか、と合点した。

 基地スタッフは地上のトラックなどに乗って撤退する場合が多いので、司令もそうなのだろうと思い込んでいたが、公式発表をせず、内々にハンスと話をつけて乗り組む気だったようだ。

「しかし、よろしいのですか?その、わたしのシュトルヒの出発時刻は早い時間に設定されて…」

「よいのだっ」

 ハンスの言葉を遮って、基地司令がしわがれた声を大きくした。

「基地司令のわしが決めたことに、意見する気か?」

 そう睨んでくる基地司令から横に立つ連絡将校に目を移すと、こちらは困ったような顔をして司令とハンスを交互に見ている。司令の無茶振りがわかってるようだ。

「我が軍の慣例として、司令部は最後に撤退する事が一般的です。一早い移動は上層部にも睨まれる事になりませんか?」


 ドイツ軍はプロイセン公国、さらに辿ればドイツ騎士団の流れを汲み、将は兵の先頭で戦い、兵の最後で引くのを伝統とする。

 この20世紀になってまでそれを慣例とする事の合理性はあるか、という問題もあるのだが、兵の士気は高まる。

 妙に復古的なところがあるヒトラーも、「将は最前線」の信奉者で、司令部の場所が後方すぎると将官を叱咤したことも何度かある。さらに基本的に撤退を嫌う彼は、真っ先に基地から逃げる司令部に厳しい目を向ける事は容易に想像できる。

 唯々諾々と従っていたら、後々こっちにも飛び火しかねないので、ここは一言言っておく必要がある。

「一介の中尉如きが気にすることではないわ」

 といいつつ、基地司令の目は連絡将校をチラッと見た。釣られてハンスも彼を見ると、彼の足元のいくつかの鞄が見える。その一つのリュック型のバッグの上にちょろっと見える絵の額縁ような角。

 どっかで見たことある額縁だなと思い、それがなんなのか気がついた時、ハンスの中で全てがつながった。


「司令〜。そういう事なら、もうちょいと腹を割って話しませんかねぇ?」

 全てが分かった事でハンスの気も大きくなってきた。ニヤけた表情を浮かべ、襟元のフックを緩める。

「な、何?」

 目の前の部下の急な砕けた態度に驚いたのか、司令のしわがれた声がうわずる。

「ち、中尉!無礼でしょう!」

 脇の連絡将校の方が叱責してきたが、ハンスはその連絡将校の足元のリュックを指差す。

「それ、ここの壁に飾ってあった聖画像イコンっすよねー。他にも何やらゴツゴツしたものがリュックに入ってるように見えますが、形からして一緒に飾られていた聖杯や祭具ですかねー、銀製の」

「い、いやっ、これは、その」

 ハンスより少し歳下らしいその連絡将校は、根が真面目なのか、動揺がもろに顔に出ていた。

「貴様っ」

「それ、この町の聖堂から略奪ネズミったやつっすよね。あれっすか、ウチの大将にでも上納する事で、お目溢しもらうって事で話ついてるんですかねー?」

 これまた図星だったようで、基地司令は口をもぐもぐさせたが反論は出てこなかった。


 ヒトラーが売れない画家上がりなのは、有名な話だ。

 総統になっても芸術への憧れやみがたく、占領地で目ぼしい絵画や芸術品を漁って略奪し、本国へ送らせていた。

 最高権力者がそんな風だから、側近たちも独裁者の趣味に寄せて気をひくのはよく見られる構図だ。ゲーリング空軍総司令官も美術品の収集(略奪)に目がなく、その腰巾着と評される基地司令が出先で美術品漁りにはげむのも当然と言えた。

 正教会での信仰の対象となるイコンは、その宗教的画材とも相まってキリスト教世界では人気が高い。時代を重ねたものは相当な値がつくこともある。

 また銀製の杯や燭台、食器なども地銀だけでももちろん、物によっては芸術的価値を持つ。ヒトラーよりも俗物寄りのゲーリングは、高尚な絵画よりキラキラの工芸品の方を好むとも聞く。

 ちなみに、この街の聖堂から略奪云々はエリザヴェータから聞いた話だ。彼女自身は熱心な信者ではないようだが、街の住人の中には返還してほしいと強く願っている者もいるらしい。


「もちろん基地司令が何をしようと、中尉のわたしが口挟める事じゃないのは分かってますよ〜。けど、わたしはおしゃべりなんで、今の話を他の兵士に言っちゃうんじゃないかって、心配で心配で」

 あえて困った顔をしてみる。これで充分ハンスの言いたい事は伝わるはずだ。

 慣例を崩して基地司令が財宝抱えて真っ先に逃げることを、他の兵士が知ったならどうなるか。部下を見捨てて逃げる上司に対する感情は、押して知るべしだろう。

 もしかしたら、ゲーリングは隠蔽しようとするかもしれないが、より上位権力者のヒトラーの耳に入ったりしたら、左遷では済まないかもしれない。

 それが分かっているからこそ、基地司令はあえて自分が乗る機を明示せず、兵に隠れてプスコフに撤退しようとしていたに違いない。

「…望みは、なんだ?」

「さすが司令官!話が早くて助かりますわ〜」

「分前が欲しいのか?生憎これは…」

「いえいえ、わたしは根っからの俗物でして。お腹のたまらない芸術品をもらっても」

「じゃあ、何が欲しい?」

「シュトルヒの使用権。今日だけでいいですんで」

「……何に使う気か?」

「わたし、犬を拾って飼っているんですが、司令は知ってます?」

「……ああ、あの白犬だな。総統閣下の名前を頂いたという」

 上からの命令が絶対の軍隊では、気ままな猫よりは飼い主の命に忠実な犬が好き、という軍人は多い。むやみと吠えることもないアドルフは人気と知名度があるのだ。下手すると飼い主のハンスより。

「さすがにこの撤退に犬を連れて行くのは無理か、と思ってましたが、1日シュトルヒを使わせてもらえれば、連れ帰ることもできますんで」

 本命はマリーヤの移送だが、もちろんそれは隠す。

「だが、プスコフで飼えるとは限らんぞ。いつまた撤退するかも分からんからの」

「分かってます。ですんで、リガまで連れてきたいかな、と。わたしバルト=ドイツなんで、リガに実家があるんですよ」

 もう実家ではなくなっているが。


 すると「そうなのか?」と基地司令が連絡将校に聞き、「確かそうだったかと」と答えていた。

 連絡将校が基地全ての将兵の出身地を知ってるわけはないだろうが、このミッションにあたりハンスのことは調べられていたのかもしれない。となれば、今の話にも真実味が増す。

「言いたい事はわかった。それで、わしはどうすればよい?」

「命令書を書いて下さい。基地司令の名で。それがあればリガやプスコフでも補給を受けられますんで」

「ふむ。特別任務のため当機に配慮をせよと、そんなとこか」

「それで充分っす」

「わかった。しばしまで」

 連絡将校から、鷲と鉤十字のはいった命令書とペンとインク壺をうけると、スラスラと書いていく。存外に綺麗な読みやすい字だ。基地司令のサインを入れる。

「わかっておるな?これで貴様も我らと同じ船、沈む時は共に、じゃ」

「全部わかってますよ、はい。この口は固く閉ざされましたから」

 さしだされた命令書をうけとりながら、ハンスは笑った。

 ➖これでいける!

 という内心の思いが、思わず出てしまっていた。


 準備がありますので、と司令室を出た足でジークムンドの所へいく。

「どうした?……何か計画に支障が?」

 ハンスを見たジークムンドは、あたりを憚る声で言う。

「いや、思わぬ目が出た」

 今さっきの会話をかいつまんで話す。

「あの痩鴉ドゥヌス グラスめ、小狡いこと考える」

「おい、他には言うなよ」

「分かっとる。…だが、確かにこれはいい目が出たな。その命令書があれば燃料補給も可能だ」

 当初の計画では、積荷の軽いシュトルヒを基地から離陸させたあと、密かにスタラヤ=ルッサ近くの目立たない広場に着陸させ、そこでマリーヤとアドルフを乗せてリガまで一気を考えていた。

 ただこの計画の難点は、スタラヤ=ルッサ〜リガまでの飛行分は何とかいけるが、リガからプスコフに戻ると燃料満タンでも航続距離が足りないのだ。

 何とか誤魔化してリガで給油するか、それが無理ならいっそ軍から脱走してしまうか、まで考えていた。ただ、当然脱走兵となればドイツ軍の追及は厳しいし、子連れで逃げ切れるか分からない。

 結局、最後は出たとこ勝負するしかないかと話していたのだ。

 それが解消される。


「ただ、多少の作戦変更は必要だな」

「うむ、俺はすぐにリーザの店に行ってマーシャを連れてこよう。そしてこの基地内で載せればいい」

「大丈夫か?」

「タイムスケジュールからすれば、俺ら整備班の車両が出発する時間まで多少の猶予がある。そうだな、あの娘っ子をズタ袋にでも包んで何とか運び入れてやるよ」

「すまん、恩に着る」

「ふん、無事成功したらいい酒を奢れよ」

 それだけいうと、ジークムンドは踵を返していく。

「本当に感謝!」

 後ろ姿のジークムンドにハンスが声をかけると、振り向きもせず、ただ右手をひらひらさせて答える。


 今までのジークムンドだったら、「連れてくなんて、アホか」「俺を巻き込むな」「無理だよ無理」とけんもほろろに断りそうなものだが、今回はやけに協力的だ。

 ジークムンドもマリーヤの健気さに、ほだされたのかもしれない。

「っと、俺も急がなきゃあな」

 出発まで時間がない。しかもその後もミッションが目白押しだ。


 ハンスの長い1日が始まる。





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