第4話 12月 スタラヤ=ルッサ市街(午後)

 ヴェリキエ=ルーキでの負傷で野戦病院送りになったハンスだっだが、一晩寝かされただけで退院、というか追い出された。

 あばら骨にひびが入り、左腕も打撲で青あざだらけ。左目上も切って包帯を被っているが、意識があって自力で歩けるなら軽傷と言われ、痛みがひいてない状態で原隊復帰を命じられた。

 確かに、他の入院兵は全身火傷のミイラ状態とか、手脚切断や昏睡寝たきりばかりだったから、相対的には軽傷なのだろう。

 とはいえ、シュトルヒも修理のために後方に運ばれていったし、ハンスも片手を吊っている状態だから、戦線復帰にはちょっと時間が必要だ。

 休暇も兼ねて後方に下がったハンスがスタラヤ=ルッサ行きの列車に乗ったのは、12月になってからだった。


 列車が減速をはじめたのをハンスが感じた時、ずいぶん遠くから始めるんだなぁと思った。

 スタラヤ=ルッサ周辺は数限りなく飛行しているし、地図読み取りは得意だ。

 歴戦のパイロットでも、空から見る地形と地上からみる風景が一致させられない人がいるが、ハンスは車窓風景でスタラヤ=ルッサまでの大体の距離がわかる。

 だから、まだしばらくかかると思っていたところに、この減速だ。

 それだけ列車が重く、大量の貨物を積んでいるということか。加えて、ソ連の冬季攻勢の始まりと共に、パルチザンの妨害破壊行為やソ連軍機の襲来も頻発していて、その対策のため車両の上に重機関銃や対空銃座が設置されており、銃座をかこむ土嚢と兵士も乗せていた。

 そりゃ重くもなるか、納得した。出発の時もなかなか速度が上がらなかったのもそのせいだなと思い当たった。

 乗る前に聞いた話では、3~4本に1本はパルチザンの妨害を受けて停止、あるいは破壊させられる列車があるらしい。それを聞けば運がよかったと言えるだろう。

 徐々に遅く、ゆっくりと流れる風景を見ながら、ハンスはそんなことを考えていた。


 最後は慣性のままにという感じで、スタラヤ=ルッサの駅に列車が着く。

 プラットフォームに降りて、大きく伸びをひとつ。そしてあばらの怪我を痛みで思い出す。

「痛てて」

 顔をしかめながら、長い車輌列を眺める。

 待ち構えていたらしい兵士や人夫が次々と車列に取り付いて、荷物の積み下ろしを始める。この寒い中、吹きっさらしの客車上の銃座にいたらしい兵士が、安堵した表情を浮かべて喋りながら取り付け階段を降りてくる。皆の口から吐き出される息が白い。

「オストワルト少尉じゃないですかぁ。長らくお休みだったようで」

 不意に、顔見知りの整備班の男が声をかけてきた。

「チッチッチッ。違うんだなあ、これが」

 ハンスは指を振り、その指で襟元の階級章を指す。以前の階級章より星が増えている。

「おっ、中尉になりましたか。昇進おめでとうございますぅ〜」

「ありがとう。まあ、同期の中じゃ遅い方だけど」

 戦時下だ。戦果の上げやすい戦闘機乗りや爆撃機乗りと比べると、縁の下の力持ち的な偵察機乗りの昇進は遅れがちだ。それでも平時なら3〜4年かかる昇進が2年足らずだから、早くはなっている。

「形上はホルムでの献身的活躍を賞してってことだったけど。まあ、この怪我の代償かな」

 と、包帯巻いた左手を上げ「痛てて」と声が漏れる。

 戦死すれば二階級特進、は有名な話だが、名誉の負傷をしても似たようなことが起こることを、兵士たちには経験的に知っていた。昇進で怪我に報いるのだ。

 軍当局は、なぜか絶対に怪我を昇進理由にはしないが。


「せっかくだ。基地に戻るんだったら、一緒に乗せてくれないかい?歩いて帰ってもいいんだが、まだ体の節々が痛くてさぁ」

「いいですよー、今日の便のうちの取り分は少なそうですし。馬車ですけど」

「マジかぁ。揺れるんだよなぁ。……でも歩くよりはマシか」

 ということで、飛行機の機材と一緒に馬車の荷台に乗ってポッカポッカと基地へと向かう。

 この怪我ではすぐの軍務復帰は無理だが、原隊復帰報告はする必要があるのだ。


 基地で細々した報告や書類を提出していると、なんだかんだで時間がかかる。基地を出るときにはもう暗くなっていた。ちなみにこの辺りの12月の日の入りは16:00頃である。

 雪の石畳の道に滑らないように注意しながら、いつものエリザヴェータの店へと向かう。

 カランカランと呼び鈴を鳴らしながら重い扉を開くと、真っ先に気がついたアドルフが駆け寄ってくる。

「よーしよし。久しぶりだなアドルフ。…ちょ、おい、痛いって」

 尻尾をぶんぶん振りながらじゃれついてくるアドルフに、痛めた脇腹が悲鳴を上げる。

「ハンスさんっ!」

 奥から出てきたマリーヤも、ハンスを認めて弾んだ声を上げる。

「リーザ!ハンスさんが帰ってきました!」

「聞こえてるよ」

 半分苦笑しながら、エリザヴェータも出てきた。


「なんか、もう完全にアドルフはこの家の住人になっちまったな」

「今のアドルフ君は、マーシャの騎士ルイーツァリだよ。ほら、髪の毛も伸びてマーシャもすっかり可愛くなったじゃない?」

「や、やめてくださいよ〜」

 恥ずかしがるマリーヤだが、確かに美少女ぶりを発揮している。髪はあのエロ兄弟の興味をそらすために短くしてたと言うから、これが本来の姿なのだろう。

「ちょっかいを出してくるドイツ兵がそれなりにいたんだよねぇ。だから、アドルフに護衛させてたんよ」

「しつこい酔客には唸り声を上げてくれて。そうすると、他のドイツの方が気がついて、諭してくれました」

 そう言って、マリーヤはアドルフの首元をなでる。

「頭いいだよねー」

 確かに、とハンスも思う。時折人語を解してるのではないかと思うくらい命令を聞き、まわりの状況がわかってる感じがする。

「元はソ連の軍用犬だったからな。母国語の少女の方がご主人様にふさわしいのかも」

「そんな事ありませんよ。今だってハンスさんが来れば、真っ先に駆けつけるじゃないですか」

 と、そこでマリーヤはハンスの左手の包帯に初めて気がついたらしく、大声を出した。

「怪我してるじゃないですか!」

「ああ、これ?」

 ハンスが左手を上げようとしたが、痛みが走り顔をしかめてしまう。

「痛いんですか⁉︎」

「時々、な。まあ動かさなければ大丈夫」

「何があったんです⁉︎何をして⁉︎」

「マーシャ」

 後ろのエリザヴェータから静止が入る。

「ドイツの皆さんには、言えない事があるのよ。あたしたちが聞かない方がいい事も」

 さすが、エリザヴェータは分かっている。

 戦闘の様子や戦況などをロシア人に話す事は禁じられている。もちろん、パルチザンを通じて情報が漏れることを防ぐためだ。

 とは言え、ドイツ語を解しているロシア人が酒場を切り盛りしていれば、酔った兵の愚痴や言葉の端々からわかってしまう事もあるだろうが、エリザヴェータは聞いてないフリをしている。それが双方のためだ。

 ハンスもここでは作戦のことを話したことはない。戦争の話題なんて無粋の極みだ。

 ここは、楽しく酒を飲む場所なのだから。


「さすがに、客は減ったな」

 雪が降る季節になれば、オープンテラスは出来なくなり狭い店内だけの営業となるが、客はハンスだけだ。

「12月だからねぇ。街に遊びにくるドイツ兵自体がほとんどいないし、娼婦さんたちも多くが自分の街に帰ってるよ。食料を抱えて」

 身を売って稼いだドイツマルクで食料を得て、故郷に残っている家族や子供に持って行くのだという。

「冬はこんなものさ。みんな家にこもっているからね」

「でもハンスさんは大歓迎ですから!だ、だって、家族みたいなもの、なんですよねっ」

「そうそう。無理強いする気はないけど、時間あるときは来てくれると嬉しいよ」

「わかっているさ。ほい、おみやげ」

 と、肩掛けバックから出したものは。

「怪我して後方に下がっているときに手にいれた。ほら、本場のベーコン《シュペック》」

 油紙に包まれ、紐で縛られた肉塊をごろりとカウンターに置くと、女性2人は「うわぁ」

と目を輝かせる。


「美味しそうだわねぇ」

「こんな大きな塊、もらっちゃっていいんですかっ」

「あと、前にも持ってきたことあるグリューワインも。今日はこれを飲もうと思ってさ」

「なになに?大盤振舞いじゃないのさ。何かあった?」

「実は俺、昇進したんだよな。中尉に。そのお祝いをやってもらおうかな、と」

「あら、おめでとう」

「おめでとうございます!」

「ありがとう。ま、自分で酒からつまみまで用意して祝ってもらうってのも、なんだかなあとは思ったんだが」

「こっちはお相伴預かれて、嬉しいわよぉ〜」

「そうですよ!ハンスさんのことなら、なんだってお祝いしたいです!」

「本当なら、ジークも呼びたかったんだが」

 冬になり、整備班は夜の焚き火番が始まっていた。昨年よりは楽らしいが、主任整備員のジークムントが抜けるわけにはいかないようだ。

「じゃあ、まずは湯煎しようかねー」

「ワインなんて、なんか一足早いクリスマス《ワラジディスティヴォ》みたいですっ」

「そういや、今年も終わりかあ…」

 ハンスにとり、ロシアで2度目のクリスマスとなる。あと何回クリスマスを迎えれば、この戦争は終わるのだろうか。

 女子2人が楽しげに、ワインの湯煎準備やベーコンを切っている風景をぼんやり眺めながら、ハンスはそんなことを考えていた。


 ♢♢♢


 年が明けた1月、ヴェリキエ=ルーキは陥落した。

 これでもか、というほどの重砲とロケットを集め、ロシア住人への配慮も全くないつるべ打ちで廃墟とし、救援部隊も悪天候に祟られてソ連軍の重包囲を突き崩すことができず、7000名の防衛部隊は全滅した。

 その半月後にスターリングラードのドイツ軍も降伏、ヴェリキエ=ルーキと同じような経過を辿ったが、被害の大きさではスターリングラードが圧倒的(包囲された枢軸軍は30万を超える)で、完全にその影に隠れてしまった敗戦となった。

 ただでさえ手を広げすぎたドイツ軍にこの損害を補填できる余裕はなく、ドイツ南方軍は撤退を始め、独ソ戦のターニングポイントとなったのが、1942〜3年の冬であった。

 




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