第3話 ヴェリキエ=ルーキ上空(午前)

 風花が舞う濃さは変わらないが、風は少し強くなってきた。

 逆風の中、最短の距離でシュトルヒを離陸させると、とにかく上昇させる。

 ソ連の包囲陣に対空砲がすでに運び込まれているかは分からないが、森で会ったようなトラックに設置した自走式ならいてもおかしくない。

 低空が得意なシュトルヒだが、ここは高度をとって超えるに限る。

 ぐるぐると螺旋を描いて上昇させる。

 風花が風防にあたり、文字通り小さな雪の花を咲かせたような模様を描いて消えていく。

「そろそろ敵陣越えるが、後席、心構えはいいか」

「いつでも行けます!」

「気合が入るのはいいが、偵察は忘れるなよ」

 偵察が目的ではないが、せっかく危険を犯して敵陣を越えるのだ。情報は多い方がいい。


 少佐が地図で指差していたソ連軍の防衛線を越えたが、あまり変化はない。

 まあ高度は取ったし、風花も舞っている。視界は悪いしソ連側のカモフラージュもあるのだろう。ハンスとしては攻撃されなければ問題ない。

 だがそのうち。

「前方11時方向。爆煙あり」

 戦闘中らしい。視界がよくなくて敵や味方の姿は見えずらいが、爆煙や銃砲火の燦めき、そして風防を震わす爆発音が遠くから聞こえる。

 と、打ち上げ花火の発射音に似た、連続した音が聞こえた。

「あ…」

 後席のつぶやきにもつられて発射音の方向をみると、薄い煙を吐きながら数十発のロケット弾が飛翔していた。

「スターリノガルだな。死のオルガンの調べだ」

「あれが」

 適度に散らばって着弾(ロケットは精密な照準ができず、また風の影響も受けるため、時に思いもよらぬ場所に誤爆する)し、そこかしこで大きな爆発を起こし、雪混じりの土砂を吹き上げ、大地に大穴を空けていく。瞬間遅れて届く連続した爆発音。

 目を凝らせば、吹き上がるのは土砂だけでないのがわかる。

 木々の切れ端。何かの鉄片。鉄ヘルメット。千切れた人の四肢。

「こりゃ、着陸は無理だな」

 大穴がいくつも空いてるので気がつかなかったが、改めて見ればこのあたりがヴェリキエ=ルーキの飛行場のようだ。飛行機の残骸や、掩体壕の成れの果ても見える。

「もうここまで攻められて…」

「いつまでもここにいても仕方ねえ。市街に行くぞ」

 シュトルヒを増速して、街を南北に分ける川を越え、石造りの街並みの中心部に機首を向ける。


 市街はまだ街並みを保っていた。だがよく見ればいくつもの破壊された建物も見えるし、黒煙が上がっている場所もある。

 人影はほとんど見えない。どこかに向かうのか、行動していた分隊程度のドイツ兵がエンジン音で気がついたようで、見上げてシュトルヒを指差すのが見えたくらいだ。

「東側の戦線も見ておくか」

「…」

「後席!返事!」

「あっ!は、はい!了解です!」

 離陸当初のハイテンションは何処へやら、完全に黙ってしまっていたヨアヒムに、喝を入れる。

 まあしょうがないかな、とは思う。

 まだ戦場にきて間もない新米だ。頭でっかちで勇ましいことを口にしても、現実の戦場を目にしてショックを受けない者は少ない。

 ここに来る間にも、できたばかりと思われる戦死体がいくつかあった。上空からの遠目ではあっても、脚や頭が欠けた人がたのシルエットが白い雪の上で横たわっていると、どうしても目立つのだ。

 ハンスはそんな戦場を何年も見ていたため、単なる風景になってしまっているが、ヨアヒムには衝撃だろう。

「戦争は殺し合いさ。耳で聞く英雄譚では出てこないけど、実際の英雄の顔は血塗れで、足元にはやっつけた相手が死屍累々なんだろうな。これがお前さんが出たがっていた戦場のリアルだよ」

 できるだけ平坦な声でヨアヒムに言うが、案の定と言うべきか、彼からの返事はなかった。


 街の東の戦線へ向かう。

 本来ならここがソ連軍を迎え撃つ主戦地になるはずで、川の支流や点在する湖沼を利用した防衛陣地が作られている、というのが少佐の説明だった。

 だが、ソ連軍の砲撃はあるものの、西側の激戦区と比べればおとなしい。イワンも東は防御が固い事がわかっているのだろう、一気に攻勢をかけるわけではないようだ。

「……ここで引き返すんですか?」

 少しは持ち直したらしいヨアヒムが、機首を返したハンスに聞いてきた。

「これ以上踏み込むのは危険だなぁ」

「ソ連陣営は静かなようですが。まだ準備が整ってないのでは?」

「どーかなー。俺には鋭気を養っているように見える」

 優勢だからと、かさにかかって攻め寄せてくるなら御し易い。冷静に戦場を見て、充分に弱まるのを待たれる方が打つ手がない。

 ヴェリキエ=ルーキは、包囲され援軍もすぐには望めない孤軍なのだ。

 煽られるように攻撃を繰り返し、結果兵力の小出しという下策の末に落としきれなかった、昨冬のホルムの反省があるように感じる。

「着陸出来ない場合は、第一目的が味方の現状報告と命令書の投下、第二に敵軍の動向。第一目的ができたら任務は『おおむね完了』だよ。無理する事はないさ」

「また少尉殿は、そんな…」

 以前のヨアヒムなら、「敢闘精神が足りません!」と噛みついてくるところだが、少しはおとなしくなったようだ。


 再び市街上空に行く。

 この辺りの街は、基本的に中心部に教会と広場がある作りがほとんどで、その教会に野戦病院が設置されることが多い。加えてその教会に付随する鐘楼が、大抵の場合街のもっとも高い建造物となるので、よく目立つ。

 すなわち、鐘楼周辺で通信筒を落とせば防衛部隊に渡るという事だ。

 場所も先ほど通過した時に確認してある。

 程なく鐘楼が見えた。一応確認のためぐるりと教会の周りを回ると、案の定だ。

 教会に入りきれない、軽傷と判断されたらしい包帯を頭や腕に付けたドイツ兵が、広場に建てられた簡易天幕にいるのが見える。そのうちの何人かはシュトルヒに気がついたようだ。

「結構風が強いな」

 風防を開けると、どっと零下の寒気が風に吹かれて入ってくる。この風の強さだとパラシュート付きの通信筒は流されるかもしれない。

「高度下げるぞ」

 さらに機首を風の吹く方に向け、半ホバリング状態に。何だ何だ?という感じで、数人の包帯ドイツ兵が下に集まってくる。

「投下」

 操縦席脇の通信筒を、右手で持って機外で離す。パラシュートが開き、ゆらゆらと風に吹かれて落ちていく。よくわからなくても、下のドイツ兵が追ってくれている。

「よし、任務終了。帰投する」

 そう言って、ハンスが風防を閉めた時だった。


 風切り音がしたかと思うと、鐘楼が爆発した。


 爆風!衝撃!激痛!

 さまざまな感覚が一気にきた。

「少尉殿!」

 ヨアヒムの金切り声で、一瞬気が遠くなっていたハンスは現実に引き戻された。

 シュトルヒがバランスを崩している。咄嗟に操縦桿を動かすも、左手に激痛が走る。

「くあっ!」

 なんとか右手で機体を立て直す。

「少尉殿⁉︎大丈夫ですかっ⁉︎」

「大丈夫…じゃ、ねえな、これは……」

 脇腹も痛い。さらに頭かひたいを飛び散った風防のガラスで切ったらしい。左ゴーグルに血が流れてきて、世界を真っ赤に染めている。

「失血が…」

 ヨアヒムの声が途切れる。

「後席は、大丈夫か?」

「はっ、じ、自分は怪我もなく…」

「そりゃ、よかった…」

 言葉を発するにも、あばらがミシミシときしみ、鈍痛が走る。


 改めてあたりを確認すると、左側の風防がめちゃくちゃになり、右側前方の風防もひび割れが全面に入り外がよく見えない。

 席の左に石の破片がいくつも飛び込んでいる。これが当たって左手や左あばらを痛めつけたようだ。左脚は動く。

「一瞬で、よくわからんかったが……、何があった…?」

「ソ連の砲弾が鐘楼に当たったんです!爆風と共に吹き飛ばされた石ころが少尉殿を襲って…、もうダメだって思いましたが、少尉殿が無事でよかったです!あ、いや、無事ではないですが…」

 不安からか、ヨアヒムは堰を切ったように話を続けていたが、痛みで集中力のないハンスは聞き流していた。

 なんとなく何が起こったが分かればそれでいい。


「後席ぃ〜」

 破壊された風防から入ってくる風切り音に負けないように、声を大きくしようとするも肺が痛い。あばらにひびが入ったかもしれん。

「見ての通り、俺の左目は今開けられん。片目で操縦するしかない」

 左のゴーグルに血が流れ込んでいて拭えない。この状態では止血もできないので、左目はつぶったままだ。当然視界は狭まり、遠近感も取りにくい。

「…だから、お前が俺の目になって状況を伝えろ。廃村の滑走路に誘導するんだ」

「で、でも、自分はそんな訓練なんか…」

「やれ」

 この期に及んで、四の五の言わせない。出来なければ墜落するのみだ。

 絶句するヨアヒムに「返事は?」と追い討ちをかける。

「わ、わかりました!目の代わりをさせてもらいます!」

「今のような大声でな。俺も、ちょっと気を抜くと、意識が飛びそうなんでな…」

 そう言って、右手で操縦桿を握るハンス。

 神経がやられてるのか、それとも寒さのためか、体の左半分が麻痺している感じだ。どうしても息が荒くなってしまい、冷気を吸い込むたびにあばらがきしむ。

「爆発音、左手10時方向です!」

 往路でも遭遇した、戦闘区域のようだ。

 高度は上げれてないので危険ではあるが、風花状態だった雪が激しくなってきている。

 今のハンスたちにとっては僥倖だ。視界の悪化で見つかりにくくなるし、雪が照準をつけにくくもなる。

「戦闘も下火になってるようです!左8時方向です!」「戦闘区域、抜けました!爆発音後方6時!」「時間的にはまもなく味方勢力圏に入ります!」「あっ、廃村見えてきました!右2時の方向です!」

 意識が飛びそうになりながらも、律儀に目の役目を果たしてくれるヨアヒムの声で現実に引き戻され、体が覚えている動きで、シュトルヒを飛ばすハンス。

 と、片目となったハンスにも、降りしきる雪の向こうに見覚えある簡易飛行場が見えた。

「すぐに…降ろす」

 このまま新雪が降り積もると、どんどん着陸のハードルは上がる。

 高度も低いし、速度も出てないから、そのまま着陸態勢へ。

 ほとんど感覚だけで着地したので、いつもと比べれば接地の衝撃はあったものの、それでも不時着にはならなかった。

 新雪を蹴散らして、2脚の車輪についた橇と尾翼下の補助橇の、計3本のシュプールが刻まれていく。


「少尉殿!片目でも見事なランディングでした‼︎…少尉殿?少尉殿‼︎」

 ヨアヒムの絶賛を受けながら、機体停止をさせた途端、ふっと力が抜けたハンスは、そのまま気絶した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る