第2話 11月ヴェリキエ=ルーキ近郊(午前)

 トロペツ周辺に散らばったストロングポイントを一気に無力化させたソ連軍は、一軍をヴェリキエ=ルーキへ、さらにもう一軍を南のベーリィに向けた。

 ヴェリキエ=ルーキは物資の集結地であり、複数の線路が乗り入れる交通の要衝でもある。ドイツ軍にとって重要な防衛すべき都市であり、充分な防衛施設と重砲隊を含めた防衛部隊で固められていた。

 だが、各ストロングポイントが抵抗、足止めすることで時間を稼ぐという防衛プランは崩壊し、あっさりと重包囲下におかれてしまっていた。

 ヒトラーは何とかのひとつ覚えのように死守命令を発したが、実際には逃げる暇もなかったというのが正しいところだろう。

 当然、ドイツ側は解包囲部隊の編成を始めたが、本来ヴェリキエ=ルーキは中央方面軍の管轄だ。だが、ソ連軍はヴェリキエ=ルーキ攻撃の翌日、モスクワ前面のルジェフ橋頭堡にも大規模な攻勢(火星マールス作戦という)を仕掛けており、とても中央軍に対処できる余裕はなかった。

 そこで場所的に北方軍との境目にあること、北方方面軍の担当区域では大規模攻勢が起きてないことを理由に、北方軍に解囲部隊の編成が命じられる事になった。


 スターリングラード攻防戦やルジェフ会戦の影に隠れがちだが、北のヴェリキエ=ルーキでもターニングポイントとなる戦いが始まっていた。


 ♢♢♢


 風花が降り始めた中、シュトルヒはヴェリキエ=ルーキから少し離れた廃村に作られた、急造の飛行場に着陸した。

「この雪で、今日の出撃もなくならんかな…」

 ハンスが愚痴とも独り言とも取れる言葉をつぶやくと、やる気満々の後席がかみついた。

「少尉殿っ。この3日間雪で足止めされてたのに、まだそんなこといいますか⁉︎やっと降り止まって助けにいけるというのにっ」

 ➖お前が手を挙げなければ、やる必要のない出撃だったんだがなっ。

 そう口に出そうだったが、何とか心のうちにとどめた。


 雪上の滑走路(と言えるかわからないような広場)にシュトルヒを駐機させ、手旗の誘導兵に聞いて、この廃村に置かれている解包囲部隊の司令部へ行く。そこで今日の出撃のレクチャーを受ける事になっている。

「スタヤラ=ルッサ空軍基地駐留のハンス=オストワルト少尉他1名、ただいま着任しました」

 カツンと飛行ブーツのかかとを合わせ、正式な敬礼をして天幕に入ると、地図を見ていた数人の軍人が顔を上げた。

「おお、来たか」

 と近寄ってきたのは陸軍少佐の階級章をつけた男。目の下にができ、浮かべた笑顔にも生気がない。

「困難な任務だが、自ら志願してくれたと聞いた。心強く思う」

 ➖志願したのは、俺じゃないけどなっ。

 と、これまた本音は胸のうちに留めるくらいの分別はハンスにはあった。

「ありがとうございますっ!!」

 これはハンスの後方で同じく敬礼したヨアヒムの声だ。

「どんな困難な任務であろうとも、必勝の信念があれば成し遂げられない事はないと教わりました‼︎包囲下の友軍のため、この身を捧げたいと思います‼︎」

「うむっ!その心意気や良し!ドイツ軍人の誇りだっ!」

 今にも熱い抱擁をしそうな男2人を、生温かい目と愛想笑いで眺めるハンスだった。


 5日前の、森に隠れたソ連軍の発見は、確かにヨアヒムの手柄だった。

 手遅れ気味ではあったものの、その情報を受けて抗戦、包囲される前に脱出できたストロングポイント部隊もあったし、それによって救われたドイツ兵もいたのだ。

 『最悪』の結果になるところだったものを、『戦況悪化』ぐらいには戻した感じはある。

 ハンスも褒めたし、空軍基地司令がわざわざやって来て激賞していった。

 もともと自己肯定感が高く、英雄願望があるヨアヒムにとっては、かれのプライドを大いに満足させる事だったに違いない。

 だからだろうか、『ヴェリキエ=ルーキが重包囲下に陥ったが、守備隊からの無線がこない。無線機が破壊されたか故障したようだ。ヴェリキエ=ルーキに無線機とともに行く勇気ある通信兵はいないか』という通達に、ハンスが止める間もなくヨアヒムが手を挙げやがったのだ。

 ヨアヒムが死地に行きたいというなら、どうぞご勝手にだが、そうなればヴェリキエ=ルーキに彼を運び入れるのは、現在組んでいるハンスのシュトルヒに下命されるに決まってる。

 ハンスがこれを知った時にはすでに命令が下ったあとで、完全に巻き込まれだった。

 雪が降って、解包囲部隊に行くのが延期された3日間は、エリザヴェータの店に入り浸り彼女やマリーヤを相手に、憂さを晴らしたものだ。

 まあ、切り替えの早いハンスのこと、途中からはいつもの陽気な酒盛りになっていたが。


 ひとしきり話をした後、ハンスたちは地図がある机に呼ばれた。

「現状、ソ連軍はここまで進出している。我が軍の攻撃を予想して防衛体制を固めている。我が軍の戦線はここ。この司令部の場所がここだ」

「ソイワンの包囲陣はかなり厚いですね」

「そうなのだ」

 少佐の顔は苦虫を噛み潰したようになる。

「あやつら、当方のストロングポイントの場所をかなり正確に把握していたようだ。ほとんど抵抗できずに落とされ、ヴェリキエ=ルーキを1日で封じ込めた」

「それで、ヴェリキエ側の戦線はどんなです?」

「それがわからんのだ」

 少佐の眉間のしわは更に深くなり、腕組みをした。

「ヴェリキエ=ルーキの無線機が使えないこともそうだが、この3日降り続いた雪で確認できなかった事もある。とにかく中の情報が入ってこないのが一番の問題なのだ」

 だからこそ、どうしても無線機と通信士を送り込みたいのだ、とヨアヒムを熱い目で見る少佐。

「自分も、ヴェリキエ=ルーキの飛行場には2度ほど降りたことがありますが」

「ほう」

「市街から少し離れたとこにありましたよね、たしか」

 地図のヴェリキエ市街からやや西に書かれている飛行場のマークを、コンコンと軽く叩くハンス。

「もしかすると、もうすでにイワンに制圧されているかも?」

「その可能性はある。もし、着陸不可ならばそれは仕方ない。その時はぐるりと市街を偵察し、ざっと戦況を報告してもらいたい。そしてこれを防衛部隊に届けてくれ」

 と少佐が出してきたのは細長い金属製の円筒。通信用の円筒で中に命令書などが入っているのだろう。これにパラシュートがついており、防衛部隊上空で投下する。

「了解です」

「それと急がして申し訳ないが、すぐに出撃してくれ。どうもまた天候が悪化しそうなのだ」

「風花舞ってましたね」

「うむ。今なら何とか離陸できるだろう。そちらには負担を強いる形になり、心苦しいが」

 大丈夫です、とハンスが返す前にヨアヒムが大きな声で答えた。

「心配ありません!どんな困難があろうとも、鉄の意志でやり遂げて見せます!」

「おおっ!なんと頼もしい若者か!素晴らしい!我が軍の未来も明るい!」

「いえ!ただ私は国家と総統フェーラー閣下のために、全力を…!」

「時間ないので、出発します」

 とっとと話を終わらせるために、強引にヨアヒムの腕を引っ張って天幕を出るハンスだった。



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