第4話 8月レニングラード近郊(午前)

 マリーヤを拾ってきた数日後、ハンスは移動命令を受けた。

 レニングラード攻略のための、着弾観測機としての任務だ。

 以前のノルトリヒト作戦は、フィンランド軍の協力が得られない事で大幅な変更を余儀なくされ、ドイツ軍がほぼ単独で攻略するゲオルク作戦に変わった。

 当然、以前より厳しい作戦となるが、だからこそだろう、ドイツ軍は最良の男をこの作戦に起用した。


 ♢♢♢


 ハンスはシュトルヒをアイドリングさせて、飛行場にいた。

 本日後席に迎える「大物」のために、ハンスにとっては珍しい、アイロンをかけたパリッとした軍服を着ていた。

 軍広報が写真を撮りにくるかもといわれて用意したが、そう言われてなくても準備したかもしれない。

 もともとシュトルヒは、陸軍司令官が上空から、味方の進軍具合や敵の情勢を見るために乗り込むことはよくあった。独ソ戦初期までシュトルヒが陸軍司令部に単機で派遣されていたのもそのためだ。

 だが、空も決して安全ではなく、シュトルヒに乗った作戦参謀がソ連軍に撃墜されて、所持していた書類から作戦が漏れる事もあったため、すっかり廃れてきた。

 しかしそれをやろうというのだ。しかも全ドイツ軍の中でもそうたくさんはいない、陸軍元帥の有名人だ。さすがのハンスといえど、多少の緊張を覚えずにいられない。


「元帥閣下、まもなくこちらに参ります」

 先触れの伝令がそう告げて、やがて秘書武官を伴った元帥閣下本人がやって来た。

 身長は180cmほど。大きいほうだが身体はスリムで威圧感はない。50過ぎの軍人としては普通にしわがあり、見た目はどこにでもいるドイツ将官だ。

 細い目だが、目つきは鋭い。辺りを絶え間なく見張り、目にする全てのものから情報を得ている感じがする。

「元帥閣下!」

 ハンスはカツッとブーツのかかとを合わせ、敬礼した。

「第1空軍艦隊ルフトフロッテアイン所属、ハンス=オストワルト少尉です!本日の操縦を担当します!」

「ああ、よろしく頼む」

 鷹揚に応えた元帥はそのまま後席に乗り込む。慌てて、ハンスも操縦席に移動する。

 ➖この人が、あのマンシュタイン将軍か。

 飛行準備をしつつ、ちらちらと後席を見る。

 間違いない。軍広報でも何回か写真を見たことがある。


 エーリッヒ=フォン=マンシュタインはドイツ陸軍だけでなく、第二次世界大戦の各国将軍の中でも、最優秀とされることもある名将である。

 その功績を挙げればキリがないが、フランス侵攻の際、敵の意表を突いたアルデンヌ突破作戦を立案(マンシュタインプランという)、6週間でフランスを降伏させたのは、戦術的成功が戦略的勝利に結びついた典型的な例である。

 また、つい最近では先月クリミア半島の要衝、セヴァストーポリ要塞を陥落せしめ、元帥に昇格したばかりでもある。

 兵士たちは、自国の将軍たちの噂話や論評をよくする。

 それは司令官の有能、無能が自分たちの生死に直結するから当たり前といえるが、ハンスはマンシュタイン将軍の有能さを疑う兵士に会ったことがなかった。誰もが優秀な将軍と認め、大抵はその指揮下に入りたがった。

 兵士はゲンを担ぐという点も重要だ。難しい戦術はわからなくても、勝ちを重ねる将軍は勝ち運があると認められ、それだけでも士気向上につながる。

 ドイツ陸軍の至宝ともいうべき彼を上層部は遊ばせる気は毛頭なく、セヴァストーポリ要塞を落とした攻城兵器とともに、レニングラードに送り込んできたのだ。

 そんな超大物が、今ハンスの後席に乗っていた。


 滑走路を友軍機が飛び立つ。ドイツ軍の戦闘機2機が、護衛のために先に離陸したのだ。

 シュトルヒに乗って長いが、護衛がつくのはハンスも初めての経験だ。

 それもこれもマンシュタイン将軍の御威光といえるのだろう。もう2度とこんなことはあるまい。

「閣下、飛び立つ準備はよろしいですか」

「問題ない。やってくれ」

 簡潔な言葉に押され、スロットルを開く。いつもの動作だが、心持ち慎重になってる気がする。加速スピードに気をつけて、離陸へ。


 レニングラードはフィンランド湾の最奥にあり、北東にあるラドガ湖を源流とするネヴァ川が市街を流れる。

 ドイツ軍は南方から東側にかけて包囲し、ラドガ湖畔の街シュリッセルブルクとその周辺をドイツ軍が抑えているが、その幅は10kmほどで(シュリッセルブルク回廊と呼ばれる)そのさらに東はソ連軍が包囲を崩そうと迫っている。

 ちなみに北西のカレリア地峡はフィンランド軍が封鎖しており、陸地の連絡線は枢軸側がおさえているため、ソ連軍はラドガ湖を使い、厳冬期は凍結した湖を、それ以外の季節は湖船や筏で物資輸送をしていた。


「あのネヴァ川の向こうがソ連の陣地です」

 さらにその奥がレニングラードの市街地となる。ドイツの砲撃でそれなりに破壊されているが、まだ多くの兵力と市民が残っており、壊したそばから直されるらしい。

「もっと近づけないか?」

 チラッと後ろに目をやると、将軍はあまり目が良くないのか、双眼鏡を風防にくっつけて覗いていた。

「これ以上近づくと、ハリネズミのような対空砲火が火を噴きます」

 制空権はドイツ軍が持っているが、それでも攻めきれないのは優秀な機関砲や高射砲が大量に配備されているからだ。

「ふむ。すると砲撃の方が有効か」

 マンシュタインは独り言のように呟いたあと、ハンスに聞いてきた。

「そう言えば、君はグスタフのために配置転換されたそうだな」

「そう、聞いてます」

「グスタフを見て、君はどう思った?」

 グスタフとは80cm列車砲1号車の愛称だ。約43mの車両に32m超のお化け砲身をのせており、7トンの砲弾を撃ち込む。らしい。

 戦艦大和の主砲が46cmなのを考えれば、その化け物ぶりがわかるだろう。

 セヴァストーポリ要塞の攻略に使われ、マンシュタイン将軍とともにこのレニングラード攻略にも使用されることになった。


「……まだ、組み立て途中なのでなんとも」

「今の組み立て状態でいい。どう思うか」

「そうですねえ…」

「言っとくが、空虚な褒め言葉は要らない。時間の無駄だし、評価も誤る。君が思ったままに言えばよい」

 短い言葉で端的に聞いてくる。有能とはこういうことかと思いながら、ハンスは正直に思ったことを言うことにした。

「なんとも使い勝手の悪い兵器ですな」

「なぜそう思う?」

「移動も組み立ても週単位でかかるし、補助兵含めて5000人以上の兵士が必要。それでいて1日で10発程度しか撃てない回転率。グスタフ潰して、その人材と資材で重砲大隊を5~6個作った方が効率いいですよ」

「だろうな」

 マンシュタインはあっさりと認めた。

「よく軍広報には写真や無双の活躍をした記事が載りますが、ねぇ」

「見栄えはするからな。戦意高揚には役立つ」

「しかし、そのためにしてはコストかかり過ぎですよ」

「ふむ」

 そう相槌を打ったあと、少し間が空いてからマンシュタインは続けた。

「しかし、作ってしまった兵器は使われねばならぬ。威力だけで言えばグスタフは絶大だ。その特徴を最大限活かせるように考え、お膳立てをするのが将官の仕事だ。どうせ兵器は壊れるものだからな」

 兵器にも適材適所があるということか。当たり前といえば当たり前のことだが、それができない将官も少なくない。

 どう使われるかも考えず、とりあえずあればいいんだろうと大量の兵器や人員をあつめても、うまく使いこなせなければ邪魔なだけだ。食糧や物資だって消耗する。

 

「レニングラードの様子はだいたいわかった。次は東側のソ連軍の方へ行ってくれ」

「了解です」

 機首を返し、10km幅の味方の回廊上空を進む。

 護衛の戦闘機もそれに続く。と言っても、シュトルヒの速度に合わせると失速してしまうので、シュトルヒ上空を円形に警戒飛行をする形である。

「この先がソ連軍です」

「ふむ」

 地上をみれば両軍の塹壕や鉄条網が、大地に独特な模様を作っている。その模様となる溝に点々となって見えるのが兵士のヘルメットだろう。

「…どうもあやしいな」

 しばらくして、マンシュタイン将軍のつぶやきが耳に入ってきた。

「何がですか?」

「あのソ連の塹壕を見て、どう思う?」

「どう、とは?」

「防御用だけでなく、攻勢のために我が軍に伸ばしてる塹壕があるように思える」

 そう言われてハンスも地上を見たが、よく違いはわからない。ハンスも偵察訓練は受けているが、それは敵のあるなしやその数を数えるもので、敵状から意図を判断することは求められていない。

「もう少し敵側に近づけないか?」

「それはご勘弁を。これ以上は敵対空砲火に捕まります」

「ふむ。後方の陣容が分かれば、敵の意図ももう少しわかるのだが」

「それはFw189《ウーフー》にやらせてください。それこそ適材適所ですよ」

 Fw189は3座の偵察機で、視界が広い。速度も最高高度もシュトルヒより上(というか、シュトルヒが最低レベル)で、強行偵察に向いている。ちなみにウーフーとはワシミミズクのドイツ語だ。

「やむを得んか。では…」

「敵機です!」

 敵陣側上空にキラリと陽光を反射させた黒い点が見える。護衛のMe109が増速してそっちに向かっている。

「退避、このまま帰投しますっ」

 シュトルヒの高度を下げ、いつものように逃げ回る形を取る。ただ速度は上げた。

 護衛機がいるし、将軍閣下に敵機の監視、報告を求めるわけにもいかない。ここはとにかく速度を落とさず、いち早く帰投するのみ。

 万一にも、マンシュタイン将軍と共に撃墜されてしまったら、悪い意味でハンスの名前が歴史に刻まれてしまう。

「ふむ。敵が迎撃してきたということは、よほど見られたくないものがあるのか?」

 こんな状況でも、まったく声色が変わることなくつぶやくマンシュタイン。

 やはり大物だわ、と感じずにはいられないハンスだった。


 ♢♢♢


 マンシュタインの見立ては当たった。

 ゲオルグ作戦を察知したのか、ソ連軍は先手を打って攻撃してきたのだ。

 マンシュタインは偵察や敵無線の傍受でこれを予見し、迎撃体制を整えていたため大事にはいたらなかったが、ドイツ軍の損害が皆無というわけにもならず、弾薬等物資も消耗した。

 これによりゲオルク、すなわちレニングラード攻略は無期延期となり、グスタフの使い道も宙に消えたため、ハンスは9月には元のスタヤラ=ルッサに戻ることになった。


 やがて、ソ連軍の攻勢で戦況悪化した南部方面軍のテコ入れのため、マンシュタイン将軍も南部に移動となるが、それはもう少し先の話。




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