第3話 スタヤラ=ルッサ飛行場〜市街(午後)

 30分ほど飛行し、スタヤラ=ルッサに近づく。

「マーシャ、聞こえるか?」

「聞こえてますっ」

 操縦席と後席に仕切りはないが、普通にしゃべるとマリーヤの声はエンジン音に負けてしまう。彼女にはできるだけ声を大きくして声を出してもらうことにした。

「悪いが、後席からさらに後ろの貨物室の方に行ってもらえるか?荷物を持って。貨物室の奥に工具箱があるから、その後ろに身を隠してくれ」

 飛行場は人目が多い。見つかったらアウトだ。

「わかりました」

 と言う声と、ごそごそ動く音。後席と貨物室にも仕切りはなく、風も穏やかでシュトルヒは揺れもなく安定している。慣れてないマリーヤでも移動は出来るはずだ。

「降りる時はぁ、しっーかり掴まってるんだぞぉー」

「わかりましたぁあぁあぁーっ」

 貨物室の方へ移ったのだろう、マリーヤの声が反響してこもった声になる。

 さて、第三の関門。そして最大の難関だ。


 飛行場の脇の切り揃えた草むらに着陸。シュトルヒの脚を草原用の橇にしているので、コンクリートの滑走路で痛めないためだ。

 マリーヤには、名前を呼ぶまでは出てくるな、と言いふくめておく。

 シュトルヒ専用といっていい草地に駐機すると、主任整備士のジークムンド兵曹が1人で近づいてくる。ここまでは予定通り。変ににやにやしてないことからも、追加の仕事もなさそう。

「おつかれ。今日はこれで仕事上がりだな」

 風防を開けた操縦席に、顔を突っ込んでくるジークムンド。

「あー、それがなあ」

「なんだ?報告書は自分で司令部に持っていけよ。それまでがお前の仕事だ」

「そういうことじゃなくてさー。ジークに一生のお願いがあるんだ」

「お前の一生のお願いは、これで2回目だな。だからそれは来世で聞いてやる」

「俺、前にも言ったことあったっけ」

「あるわ。アドルフを引き取った時だ。忘れたか」

 そう言えば、白犬を連れてきた時にそんなことを言ったかもしれない。

「じゃ、来世分の前借りでお願いっ」

「アホか。……でも、そんなことを言うってことは、また犬でも拾ってきたのか?」

 ジークムンドは身を乗り出し、奥を覗いた。

 すると後方の暗い貨物室の奥で、白いものが動くのが見えたようだ。ハンスも工具箱の陰にマリーヤの白い服が隠しきれてないのが見えた。

「誰だ!そこに隠れているのは⁉︎」

 ジークムンドの怒鳴り声に、白い服がビクッと揺れる。

 もはやこれまで、とハンスはロシア語で言う。

「マーシャ、もういい。出てきな」

 すると、そろそろとマリーヤが顔を出す。

「は?…」

 ジークムンドが、間の抜けた声を出す。

 腰をかがめたマリーヤがゆっくり近づいてくる。前に大きな鞄を下げて。

「はぁ?」

「えーと、彼女はマーシャことマリーヤ。最後に行ったポイントデルタの村の子で…」

「はぁあああっ⁉︎」

「ジーク!声が大きいって!」

「アホかああああっっっ‼︎」

 ハンスが聞いたことない、ジークムンドの大きい罵声だった。


 その後シュトルヒ機内で、マリーヤを連れてきた理由を話したが、一言いうたびに「アホか」「犬猫じゃねぇんだ」「責任とれんのか」「俺を巻き込むな」「立場ってもんを考えろ」などなど返ってきて、なかなか話が進まない。

「すいません。やっぱりご迷惑でしたよね…」

 ドイツ語はわからなくとも、ハンスとジークムンドの表情や口調で、ハンスが責められているのが分かったようだ。しゅんとした顔でマリーヤが言う。

「いや…、君を責めてるわけじゃ…。君には同情すべき点は多くて、だな」

 ジークムンドもロシア語はわからないが、マリーヤの泣きそうな表情でひしゃげてるのはわかったようだ。急にわたわたしてドイツ語でなぐさめる。

 これでなんとなくニュアンスは伝わるのだから、言葉ってのは面白いな、とハンスが思っていたら、

「お前がニヤニヤするな」

 とジークムンドに怒られた。


「……まあいい。いくら言ったとて、どうせお前は反省もせずやりたい事やるだけだからな。怒るだけエネルギーの無駄だ」

 ひとしきり罵声の連射をしたら、ジークムンドの気持ちも落ち着いたらしい。

「今は、どうやってこの娘を無事に基地から出すかだな」

「ジーク、じゃあ」

「言っとくが、お前の尻拭いは正真正銘これが最後だからなっ。このままじゃ、この子がまずいし」

 この飛行場の敷地内はドイツ軍の管理下にあり、どんな理由があってもロシア人が入るのは禁じられている。娼婦の持ち込みも不可だ。住民との関係が良いこの町でさえ、足を踏み入れたロシア人は銃殺である。

「それについては案がある。ジークの協力さえあれば、いける」

 ハンスはいたずらをする少年の顔になって耳打ちした。


 30分後、ハンスとジークムンドは桶自動車キューベルワーゲンの車上にあった。

 整備班所属のキューベルワーゲンの後部座席や荷物台には、様々な箱や機材、に被された深緑の軍用シートがごっちゃになっている。

 ゆっくりと進むワーゲンは、唯一の基地の出入り口へと進む。そこには顔見知りの歩哨の上等兵がいた。最終関門だ。

 ワーゲンを上等兵の横で停車させる。

「少尉、車で街へとはお珍しい」

「なぁに、ちょうどそこで車のジークにあったもんでな。駅に行くってんでついでに乗せてもらってるわけ」

「不良品やら故障品やらを送り返すところを、こいつに見つかったのが運のつきだ」

 ジークは素なのか緊張なのか、上等兵の顔も見ずに答える。

「兵曹殿も大変ですなぁ」

「なになに?君も俺を邪魔者にするわけ?」

 ハンスが笑い顔のまま軽く絡むと、上等兵もいやいやまさかと笑って答える。

「もう飲みにいけるなんて羨ましいっていう、ただのやっかみですよ。自分は今晩夜半まで見張りっスからね」

「ま、君は君の仕事を果たし給えよ」

 ハンスが大仰な言い回しで言うと、上等兵も釣られて笑う。

「門限ないって言っても、飲みつぶれんで下さいよ。良い夜を!」

「ありがとう」

 そういって車を発進させる。上等兵が積荷を気にすることは全くなかった。

 ハンスは後部座席のシートにそろそろと手を伸ばし、触る。

「検問を突破した。ただ、誰が見てるかわからないのでもう少しこのままでいいかい?」

 小声で言った言葉に、シートの下のが、かすかにコクンとうなづいたように動いた。


 エリザヴェータの酒場前で2人を降ろし、ジークムンドは本来の仕事である機材を駅へと運ぶ。

 酒場は開店していたが、好都合なことにまだ客はいなかった。

「とりあえず、中へ」

 と、いきなりの少女連れに驚くエリザヴェータにしゃべらせず、店内へと連れ込む。

 白犬アドルフには「ちょっと店見といて」と言い置く。もちろん言葉がわかるわけではないので、きょとんとしていたが。

「何よこの。ハンスさんの娘さん?」

 いきなりのエリザヴェータの言葉に、吹き出しそうになるハンス。

「おいおい、俺にこんな大きな子供がいるように見えるってか」

「そ、そ、そうですよっ。失礼です」

 なぜか、マリーヤも一緒になって抗議した。

「だって、髪の毛の色とか目の色とかそっくりだから。でもロシア人なのね」

 ロシア語からそう判断したようだ。

「マリーヤといいます。よ、よろしくお願いします」

 簡単な自己紹介のあと、かいつまんで事情を話したら、同情心溢れるエリザヴェータは「辛い思いをしたのね」と、話の途中にもかかわらずマリーヤをぎゅっと抱きしめた。

 いきなりの行動に驚いた顔をしたマリーヤだが、すぐ気持ちは伝わったのだろう、マリーヤも抱きしめ返していた。


「事情はわかった。マーシャはうちで預かるわ。そのつもりで連れてきたんでしょ」

 二つ返事どころか、ハンスが言い出す前に承諾していた。

「頼むな」

「任せて。店も忙しくなってきてたからちょうどいいわ。マーシャ、料理はできる?」

 愛称で呼んでいい?とも聞かずにマーシャと呼ぶエリザヴェータ。

「は、はい。母が亡くなってから祖母と一緒に作ってましたし、叔母の家でも…」

「わかった。じゃ、ドイツ語はまだ話せないだろうから、調理や片付けを担当してちょうだい」

 矢継ぎ早に言ってくるエリザヴェータに、マリーヤも気圧されながらもうなずいている。

「野菜はここ。肉系は吊るしてあるか、氷室ひむろにもある。包丁はここね。皿やコップは、この辺りの棚のを使って」

 エリザヴェータはカウンターにマリーヤを招き入れて、細かく指示している。

「あーっと、その前に荷物があったっけ。それを部屋に…」

「犬はいるけど、人影なし。お店、開いてる〜?」

 不意に外から客らしき声がした。遅れて、アドルフの鳴き声。

「はーい、今行きまーす」

 エリザヴェータが答え、「お客さんだ。ごめんね」とハンスとマリーヤに断り、カランカランとドアの呼び鈴を鳴らして出て行く。

 店内にハンスとマリーヤが残される。


「ハンスさん、ありがとうございます。優しそうな方で安心しました」

 2人きりになったためか、マリーヤがお礼を言ってきた。

「よかったよ俺も。嘘つきにならなくて」

「ジークさんにも感謝してます。この恩は、忘れません」

「伝えておくが、恩とか考えなくてもいいと思うぞ、あいつには」

「もちろん、1番恩を感じているのはハンスさんですが…」

「あー、そういう意味じゃなくてさ。恩を返すなんて考えなくてもいいよってこと。俺もジークも、やりたくてやっただけだろうから」

「ですが…」

「注文入った!」

 カランカランと鈴を鳴らして、エリザヴェータが飛び込んできた。

「ビールは裏庭の井戸で冷やしてあるけど、マーシャじゃ引き上げるのは大変か…」

「わ、わたし、やります」

「無理して落として、割られても困るから。ビールはあたしが持ってくる。マーシャは鹿肉の燻製ね。その吊るしてある、そうそれ。一口大に切って皿に盛って。厚さは歯応えがてきとーにあるくらい」

「て、てきとーに、ですか」

「いいのよ、マーシャがこれっと思う厚さで。それ終わったら、ウィンナー《サシースカ》を焼くから。さあ、うちの子になったんだから働いてもらうわよぉ〜」

 エリザヴェータはほんとに楽しそうに働く。それにつられて、マリーヤも笑い顔でてきぱき行動する。


 ミッションコンプリート。

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