第5話 リガ市内(午後)①

 列車がリガ中央駅のホームに滑り込む。

 石炭の質が良くないのか、機関車の釜の整備不良なのか、やたらと目がしみる排煙のため窓も開けられず、外を眺める気にもならなかったが、降車する駅のホームとなれば流石に目がいく。

 給水のため10分ほど停車するとの放送が入り、さほど多くはない乗客(そのほとんどが休暇帰りの兵士である)の幾人かは、座りっぱなしでこわばった体をほぐすためホームに出てきた。もっとも眠りこけたままの者も少なくない。

「そう言えば、少尉はここで降りるんだったな」

 列車で同席して、ぽつぽつ会話を交わした陸軍大尉がハンスの手にトランクがあることを見ていう。

「はい」

「バルト出身のドイツ兵ってのは珍しいよな。良い休暇を楽しんでくれよ」

「ありがとうございます」

 良い休暇になるかどうかはわからないけど、と内心は思っていたが顔には出さない。

「大尉殿はベルリンでしたっけ」

「ああ。まだたっぷり1日はかかるか。ずっと座っているだけでも疲れるよな」

「でも下士官よりマシですよ。彼らは木張の座席か、下手すると貨物用車両にごろ寝ですからね」

「違いない」

 どこの軍隊でも、将校を境に待遇が大きく変わることが多い。こういう時には無理しても昇進試験受けてよかったと思う。


 やがて警笛が鳴り響き、給水が終わったことが知らされる。

 大尉が車内に戻って行き、発車までを見送るハンス。動き出す車輌から手を振る大尉に手を振りかえすが、大尉を見送るためにホームに残っていたわけではない。

 ゆっくり動く長い車列の最後の方に、ハンスのお目当てのものがあった。

 シートにつつまれ、車台に括り付けられた機体。

 間違えるわけがない。ハンスの愛機シュトルヒアインである。

 修理のため東プロイセンの工場に戻されるシュトルヒが、同じ列車に積み込まれることを知ったため、無事に戻ってこれるように見送ったのだ。

 翼を折りたためる構造となっているシュトルヒだから、列車でも簡単に輸送可能であり、機体が軽いことから自動車や数頭の馬による馬車でも移動できる。

 戦闘能力至上主義者にはなかなか理解されないが、こうした戦略移動の容易さも含めての名機だとハンスは思っている。


「さてと」

 列車も小さい点となると、ハンスはきびすを返してトランク片手に改札口へ。

 人影もまばらな駅構内を抜けると、そこは見慣れたリガの街並みだ。

「…寂れたな」

 ハンスの第一印象はそれだった。

 中央駅前と言えば、かつてはリガ市内でももっとも人通りの多い場所だった。

 だが、多くの店には閉店クローズドの板がかかっており、そもそも人通りがない。

 石造りの街並み自体はハンスがここを離れた18歳の頃とほとんど変わってないため、寂れ具合が実感できる。

 駅舎にかかる、赤地に白丸、そこに鉤十字ハーケンクロイツのナチスの垂れ幕が、数少ない変わった部分だが、長い間そのままなのか、風雨で色褪せ、ほつれも目立つため一層のうらぶれた感を醸し出していた。

『ドイツ千年帝国の栄光を!』という標語も、この街の寂れ具合からすると皮肉にも思える。

 領土拡大を誇っても、戦時経済下だ。資源は軍需に回され民間には降りてこない。

 まだ勝っているといえる今でこれなのだから、敗勢濃くなったらいったいどうなるのか。

「俺が考えても、どうしようもないか」

 ハンスは深く考えるのをやめた。

 厳しい現実にいちいち向き合うよりは、目先のことに逃げる方が簡単だし、ストレスもない。


 駅近くにあるホテルは営業していた。

 リガでは格式ある老舗のホテルだが、客はほとんどいないようだ。

 薄暗いフロントでチェックインしたが、全室空きで、「人手が足りませんで、3階より上はご宿泊できません」と、『支配人』のネームプレートをつけた初老の男性が、1人でフロントに立って説明してくれた。ほつれた白髪とも相まって疲れた顔だ。

 かつては多くの人が利用したであろうラウンジも、多くの椅子やテーブルが片付けられ、すみに無造作に積み上げられていた。

 これじゃ部屋も清掃されず乱雑なのかも、とハンスは思ったが、そこは老舗ホテルの矜持、掃除が行き届いた広めのゆったりとした部屋だった。ベットメイクも戦場ではありえない清潔なもので、時間はかかるが湯も出るらしい。


 トランクを置き、シャワーを浴びてすっきりとする。

「さて、どうするかな」

 スタラヤ=ルッサとリガの北緯はほとんど変わらない。まだ日は高い。

 今日はゆっくりして調査は明日からと思っていたが、時間を持て余しそうだ。

「事前偵察にでも、出かけてみるか」

 散歩がてら、街を懐かしがるのも悪くない。

 そうと決めたら行動は早い。

 私服にしようかとも思ったが、軍服の方が見た目で一目置かれるし、軍の規則では休暇中でも外出は軍服が基本とされていた。結局軍服のほこりを払うことなく、街に繰り出した。


 ホテルから出ると、ふうっと軽く息をついて、通りを見渡す。

「こっちだな」

 勝手知ったる石畳の路地をぬけていくと、開けた場所に出る。

 3〜4階の建物がひしめく市街の中、そこだけは広い庭があり空が広い。庭にはデンと豪奢な二階建ての屋敷が建ち、高い鉄柵越しからもよく目立つ。

 ➖帰って来た。

 18年暮した生家を数年ぶりに見たハンスの気持ちは、それだった。それだけで心が占められた。

 見栄っ張りの親父があえて地価の高い市街に敷地面積が広い豪邸をたて、来客にはとにかく「素晴らしい御屋敷ですねぇ」と言わせて、「いやいやそれほどでも」と返しつつ鼻高々になるのを見て、なんとも下品な俗物だなあと思っていたことも懐かしい。

「…庭は荒れているな」

 親父ご自慢の庭園は、さすがに手入れをされてないようだ。木々はボサボサっと枝が伸び、花が植えられていた場所には雑草ばかりになっていた。


 家を眺めながら、鉄柵に従って歩くと門がみえてくる。

「…何か御用ですか?」

 さっきからじろじろ家を見ていたので警戒されていたらしい。いきなり門番らしき制服を着た男が、胡散臭そうな目でハンスに話しかけてきた。

「あー、警戒させちゃった?だったら申し訳ない」

 あえてハンスは明るく話しかけて警戒を解こうとする。

「今、この屋敷の所有者は誰かな?」

「…誰です、あなた?」

「俺?俺はハンス=オストワルト空軍少尉」

 ハンスは襟元につけられた少尉の階級章を門番にしっかり見せる。

「そのオストワルト少尉殿が、一体どのような用件で?」

「実はこの家、俺の生家なんだよね。俺バルト=ドイツだから」

 ハンスはかいつまんで事情を話す。相手もバルト=ドイツのことは知っていたようですぐに理解してくれた。


「すると、少尉殿は行方不明になった家族の手がかりが欲しいと」

「そうそう。もしかするとこの家になんかヒントになるものがあるかも?って思ってさ」

「それはどうでしょう」

 門番は首を捻る。

「私も聞いた話でしかありませんが、ここはソ連軍に接収されて将校クラブになっていたようです。それを我が軍の侵攻でウチ、東部占領省が接収して、今はリガ統治本部になっています」

「なるほど占領省か」

 門番の制服が陸軍のものとも微妙に違っていると思ったが、そういうことか。

「でさ、ものは相談なんだけど、ちょいっとこの屋敷に入らせてもらえないかな?」

「ダメですね」

 門番はにべもなくといった態度で断った。

「さまざまな機密情報があるので、占領省の者以外の入館は固く禁じられてますので」

「そこをなんとか」

「ダメです」

「俺の身元ははっきりしてるし、絶対に迷惑をかけないからさ」

「今、こうして無理難題を言われることで迷惑かけられてますが?」

 取り付く島もないとは、こういうことをいうのだろう。

 これは、最終手段、なんか贈答品ゲシェントしてお目溢しを願うか、と思ってリュックを肩から外したら、

「言っときますが、ワイロは受け取りませんので」

 と、先読みされて断られた。


「わかった。今日のとこは引き下がるわ」

 もともと、散歩で見に来ただけだ。

「職務上の規定ですので、悪しからず。もしどうしても、というのでしたら、占領省に掛け合って許可を取っていただければ」

「なるほど。それも一案かも」

 とは言ってもツテなどないが。


 ♢♢♢


 リガの家を18の時に出て一度も帰っていなかったが、月1度の仕送りと共に母親が長すぎる手紙をくれて、ハンスの体調を気遣うと共にリガの近況も知らせてくれていた。

 ナチスドイツの復興に、ナチスびいきの親父の鼻息がどんどん荒くなっているとか、妹のマリーアがリガの社交界で人気だとか。

 筆不精のハンスは季節に1通返信するくらいで、内容も「元気でやってる」くらいの短文で終わっていたが、それでもお互い無事でいる証拠にはなっていた。

 

 だが、飛行学校を卒業した1938年頃から世情は急激に殺伐とし始める。

 3月の墺併合アンシュルスも、武力恫喝を多分に含むものであったが、併合されたオーストリア側がナチスに迎合、歓迎したため国際的には不問とされた。

 だが、5月から盛り上がったチェコスロバキアに対するズデーテン割譲要求は、世界戦争の引き金を引きかねないものだった。

 英仏もさすがに看過できずに介入してきたし、チェコスロバキア政府も動員を開始。

 ヒトラーは過激な演説をぶち上げドイツ人の戦争意識を高める一方、世界にはズデーテン地方のドイツ系住人の窮状を訴えた。

 部隊に配属されたばかりのハンスも、新品のシュトルヒでチェコ国境線すれすれ、しかも低速低高度で偵察を命じられた。

 司令官は明言こそしなかったが、シュトルヒの国境侵犯になりかねない飛行を、「挑発」とみてチェコ軍が暴発、発砲でもしてくればそれを口実に開戦、ないしは国際的に有利な立場を取る事ができる。そう考えている節をありありと感じた。

 俺は開戦口実の生贄かよ、と思いつつも、新兵のハンスが逆らえるはずもなく、チェコ兵の敵意と銃口を向けられながら飛んだことを思い出す。


 結局9月のミュンヘン会談で英仏が折れ、ドイツの要求がほぼ満額で認められて戦争は回避されたが、半年後の1939年3月に協定を破ってチェコスロバキアをドイツが解体、占領したことで再び戦雲が立ち込める。

 この状態ではハンスも軍に拘束される他なく、合間を見て下宿によると、数ヶ月分の母の手紙が溜まっていたことが何度かあった。

 まとめ読みした母の手紙では、リガでもソ連軍による領空、領海侵犯が増え、不安に思う日々が書き連ねられており、一家で移住も考えているとのことで、そうなれば移住第一候補がドイツのようだ。

 そして、そちらに行けばハンスとまた会えるわね、と結ばれていた。

 まあ、ナチスかぶれの親父があの家では絶対権力者だから、ドイツ移住以外の選択肢はないだろうと予想はつく。移住するなら早めに、と書き送った。

 検閲があるので詳しくは書けなかったが、ドイツ軍人であるハンスには軍の次の目標がポーランドであることを知っており、それにより世界は更に不安定化すると予想できたからだ。


 そして、そのように歴史は進む。

 ポーランド回廊要求の激化。8月の独ソ不可侵条約。そして9月のポーランド侵攻。

 当然ハンスはポーランド侵攻に参加させられていたが、ソ連によるバルト諸国への進駐要求の話は耳にしており、実家のことは気にはなっていた。

 ポーランド戦を終え、なんとか下宿に帰ってきたハンスが母親の手紙を見ると、珍しく短い文章で、『ドイツに移住します。今資産を処分してます』と走り書きのように書いてあった。とにかく早く、と返信したのを覚えている。

 その後、「まやかし戦争」とか「奇妙な戦争」とか、ドイツでは「座り込み戦争ジッツクリーク」と言われた半休戦状態になったが、ハンスは前線に張り付いたままだ。

 一方ソ連はフィンランドに侵攻し、世界的にはそちらの方が注目されていたくらいだった。

 だから、12月に休暇が出て下宿に帰った時に、母親の手紙でまだリガにいることを知って驚き、怒った。ハンスにしては珍しい事だ。

 ソ連のフィンランド侵攻と苦戦で、時間的余裕ができたと考えたらしい。焦って資産処理して足元を見られるのを親父が嫌がり、変な余裕を見せていると。

 あのバカ親父っ、と罵りたくなった。

 金より命だろう、海外資産だってあるし、捨て値で売っても充分すぎる金になるはずだ。今のバルト諸国がどんなに危険なのかわからないのか。

 でも、年明けの1月には、ドイツの用意したホームタウン(ポーランド占領地に作られた)に移るので、時間あったら来てください、と結ばれていた。

 フィンランド侵攻で世界的非難を浴び、国際連盟を除名されたソ連が1月にバルト諸国に手を出すとも思えず、まあ、間に合うかと思い返しもした。

 これで、実家の問題は片付いた、とハンスも思っていた。


 だが、それっきりだった。

 移住しました、という手紙がくるかなと思っていたがそれもなかった。移住すぐで忙しいのだろうと、この時はあまり深く考えてなかった。

 ハンスも4月からのノルウェー侵攻作戦とその準備、さらにはその後の西方侵攻にかりだされ、実家のことより自分が生き残る方が先だった。

 だからフランス戦の最中の6月に、ソ連のラトビア占領の報を聞いても他人事だった。

 フランス戦が1か月で終わり、得意満面のヒトラーがパリ入場パレードを行った際、上空でハーケンクロイツを形作った編隊飛行を披露(低速なシュトルヒは、この手のデモ飛行に向いていた)した後、久しぶりに下宿に帰った時に、母親の手紙が1通もないことにさすがに違和感を覚えた。

 時間があったのでポーランドのホームタウンに行ってみると、リガからオストワルト一家が到着した記録はなかった。調べてもらったが、ドイツに入国した記録自体がなかったのだ。

 うまく移住できなかったのか、移住途中でなんらかのトラブルに巻き込まれたか、それとも第3国、たとえばバルト海を挟んだ中立国スウェーデンに移住したのか。

 全く状況がつかめないまま、オストワルト一家4人の行方はわからなくなっていた。




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