第6話 ホルム飛行場(夜)

 陽が落ちれば、厚い雲に覆われたロシアの大地には月の明かりも星の瞬きも届かない。

 そうなれば、空も地上も見分けがつかない漆黒の世界になる。だから、少しでも明るさが残っているうちにシュトルヒを駆る。

 そのため、いつもは迂回しているソ連軍の支配地域も突っ切っている。この時間帯になればさすがにソ連機もいないだろうし、第一、ソ連支配地域とはされているが、戦力空白地帯の方が実態は近い。ソ連軍もドイツ軍も、度重なる損害で決して戦力に余裕があるわけではないのだ。


 その結果、なんの妨害も受けず1時間足らずでホルム上空に着いた。

 着陸灯として点々と灯される焚き火、ゆっくり回されるランタンの灯火。

 あちらからの要求なので当然と言えば当然だが、シュトルヒを向かい入れる準備は出来ているようだ。

 暗くて確認はできないが、ソ連軍の砲撃でほじくりされた滑走路は埋め直されていると信じて着陸態勢へ。

「夜間着陸なんて、慣れたくはないんだがなあ…」

 そんな呟きを吐きながら、ハンス今日3回目のホルム着であった。


「急な要求、すまんかったなぁ。ありがとさん」

 と、風防を開けてシュトルヒの後部座席に身を乗り出してきたのは。

「…久しぶりっす。クドリャフスキ少尉殿」

「2時間ぶりくらいかなぁ。思ったより早く再会できたわ」

 赤い髭に人なつっこい笑顔で、ハンスの皮肉にも、さらっと返してくる。

「76.2mm砲弾なんて運んできたのは初めてだけど、これは少尉が?」

 室内灯を点けたシュトルヒの格納庫から、せっせと砲弾や爆薬を運び出す友軍を横目にハンスは聞いてみると、「ご名答」と返ってきた。

「降りて対戦車部隊の戦力確認してた途中でな、打ち捨てられていたソ連軍の76.2mm野砲を見つけてさ。壊れてるって聞いたけどせっかくのお宝じゃん?

 そしたら、動かないっていう仰俯角ハンドルは歯車に銃弾を噛んでただけで、すぐに動くようになった。照準器は確かにバカになってたが、引きつけりゃ目射でもなんとかなるから。

 こりゃつかわねぇ手はねぇだろって、あの至急電に繋がったってわけよ。

 にしても、司令部も対応早くて助かるよ。イワンの鹵獲弾なんてすぐには揃えられんかとも思ったけど、無線でお届け1時間‼︎だもんな。いや、ホント助かる。

 もちろん、すぐ来てくれたハンスにも感謝してるよ。

 これで、にっくきT-34が攻めて来ても返り討ちにしてやれるぜぃ」

 と、相変わらずのマシンガントークで話し続けるアントンであった。


 T-34は走攻守そろった、第二次世界大戦中の最優秀戦車と言っていい。

 事前にT-34の存在をまったく掴んでいなかったドイツ軍は、自軍の戦車や対戦車砲では破壊できないことを知り、頭を抱えた。いわゆるT-34ショックである。

 ドイツ軍には性能、知名度共に抜群な88mm高射砲があり、長距離からでもT-34を貫通できる能力を持っていたが、本来高射砲であり、高射砲部隊がドイツ空軍下に置かれていたため、ドイツ陸軍が自由に動かせる88mm砲は実は少なかった。加えて重量があり対戦車砲としては背高が高い88mm砲は、移動が大変で発見されやすく、決して使いやすい兵器ではなかったのだ。

 そんな最中に大量鹵獲されたソ連軍のM-22野砲は、野砲ではあったが初速が速かった。

 ドイツ語で「ドカーン、バン《ラッチェ・バム》」と呼ばれるのは、ドカーンという爆発の後で、バンという発射音が遅れて聞こえるという意味で、すなわち音速よりも砲弾の方が速いということである。

76.2mmという大口径もあって適正距離からT-34を撃破できるため、一気に注目された。88mmよりも軽く、5人で動かせる(88mm砲一門の運用人数は10人)ことも大きかった。

 かくしてドイツ軍は改修を加えて自軍の正式兵器として採用し、東部戦線の多くでソ連製兵器を使ってソ連製戦車を迎え撃つ構図が見られるようになった。


 ホルムからの帰りは夜間飛行だ。

 風景から場所を知る事はできないので、方位計とか飛行距離計、高度計なんかと睨めっこしてスタラヤ=ルッサに帰り着くしかない。

 マシンガントークがおさまったすきに、地図を見ながら距離計算をしていると。

「…何をしてるんすか、少尉?」

 ふと気がつくと、アントンが後部座席に乗り込んでいることに気がつく。

「帰り便のお客さんが、少尉って事はないでしょーが」

 激戦地であるここホルムにおいて、昼に運んだ補充兵が次の便には負傷兵となって送り返される事は、ないわけではない。ハンスも一度やったことがある。

 だがどうみてもこの少尉はぴんぴんしている。にやついた顔といい、怪我人とは思えない。

「水臭いなあ。俺のことはアントンでいいよ」

「じゃあアントン。さっさと降りてくれ。邪魔だ」

 ならばとハンスは敬語もやめて、冷たく言い放つ。

 ところがアントンはにやついた顔を止めない。

「実は、ちょいっと頼みたい事がある…」

「断固拒否!」

 ハンスは大きな声で被せて、アントンの話を止める。

「おいおい、冷てぇなあ。まだ何にも言ってないのに」

「厄介ごとに決まってるじゃん。どう見ても。聞く気ないから」

 ただでさえ、至急電で余計な仕事をさせられているのだ。

「まあまあ、これを見たら話ぐらいは聞く気になってくれるかい?」

 と、アントンのもつ軍用リュックから出して来たもの。

「……グリューワイン⁉︎なんでこんなものが包囲下の街に?」

「もともとここって補給デポ地だって、ハンスが教えてくれたんだぜ。たくさんはないけど、ワインやビール、チョコレートなんかの嗜好品が残ってるんだと。昨年のクリスマス用らしい」


 キリスト教徒が大多数のヨーロッパ人にとり、クリスマスはもっとも特別な日だ。

 世界大戦中であってもクリスマス当日は休戦したり、ささやかでも特別なメニューが軍隊でも出されたりしていた。少なくとも戦争が始まった1939年、次の1940年のクリスマスはそうだった。

 だが1941年のクリスマスはソ連軍の攻勢中だったこともあり、休戦もなければ特別メニューもなかった。

 日本がアメリカ、イギリスをはじめとした連合国に喧嘩を売った太平洋戦争の始まりもあり、戦争がより拡大、より過酷になったことを感じずにはいられない。


「それで、あまったグリューを袖の下にして、俺を協力させようと」

「人聞き悪いなあ。これは上官の許可を得ての贈り物だよ」

「贈り物、ねえ。別にやましい物でもいいんだけどさ」

 装備品や補給品、食料品を末端の兵士がチョロまかすのは、どこの軍隊でも見られる行為だ。日本軍では『銀バエ』と呼ばれていたし、ドイツ軍では『ネズミ』と隠語で表される。

 で、「ネズミ」った物はこれまた兵士間で『贈答品ゲシェント』され、様々な融通を利かせてもらうための潤滑油となる。

「で?その頼み事ってのは?」

「お、聞いてくれる気になった?」

「もう、乗り込まれちゃってるわけだし、素直に降りてくれそうもないし。ま、こんな物出されたら聞く耳ぐらいは」

 持ちつ持たれつ、が軍隊でうまく生き抜いていくコツでもある。

「なぁに、それほど面倒な事じゃないんだ」

 と、アントンがいろいろ脱線しながら話すには、こんな事だ。


 今日の午前中に友軍から空中投下を受けたコンテナが風に流され、街の北西の守備隊とパルチザン包囲陣の中間に落ちた。

 なにしろコンテナにパラシュートをつけて投下されるから、風向きやちょっとタイミングがずれるだけで、街中を流れる川に落ちる、敵陣に飛んでいく、なんて事がしょっちゅう起こる。

 どうしようもないコンテナは見捨てるしかないが、午前の奴は2つほどはなんとか運び入れられそうだ。だが、パルチザンの射程内で回収行動してたらいい的だ。さらに明日は天候が荒れそうで、今晩中に回収しないと雪に埋もれ氷漬けとなる。

「だから、ハンスにはコイツを飛ばして、パルチザンの陣の上空で発光弾を撃ってもらいたいんだ」

「発光弾なんて打ったら、逆に回収部隊が丸見えなんじゃ?」

「だから敵陣上空で撃つんだよ。この暗闇の中で発光弾に包まれれば目が眩むだろうし、回収組もその明かりでコンテナを探し当てる事もできる」

 発光弾、あるよな?と、薄暗い室内灯の中でアントンがごそごそ後席の足元を探れば、筒型の発光弾銃と、先込め式の発光弾を見つけてきた。

「この機体は借り物なんで、湿気てても責任持てんが」

 シュトルヒには夜間戦闘時の先導機としての役割もあるので、発光弾が備え付けられている。後席が飛行中に風防を開けて打ち出す形だ。

 だがドイツ軍のドクトリンでは、夜襲を兵力が少ないにも関わらず戦わなければならない場合の奇襲とみなしており、同士討ちが発生しやすいこともあり夜間戦闘を好まない。

 兵力が少ないなら防勢にまわり、兵力が勝るまで補充を受けるのを良しとするのだ。

 ゆえに訓練以外で使ったことがハンスはない。これは多分この4号機も同じで、湿気ていても文句は言えない。

「まあ3発もあるし、1個ぐらいはつくだろ」

 と、アントンは意に返さない。


「でもさ、そんなに目立つことすれば、またこの滑走路に砲撃されて、戻ってこれなくなるってことも考えられるんじゃ?」

「それは、多分大丈夫」

「なんでそんな事が言える?」

「これはホルムの守備隊が前に捕まえたソ連兵からきいたらしいんだが、どうもここのソ連軍は午後6時になるとピタッと戦闘をやめるんだと」

「ふぅん?」

「なんでも夕飯の時間らしくてさ、しかも7時までに食べないとありつけないらしい。ま、給食タイムってとこ?」

 杓子定規な感じだが、共産主義的思考でもある。充分にありえそうだ。

 もっとも全体主義国家のドイツ軍も、その傾向は強いのだが。

「だからあと30分ぐらいは何やっても攻撃されんよ。多分な」

「多分、ね」

 ハンスはそう呟きながら、後部格納室を見る。量はさほど多くなかったためか、すでに積み下ろしは終わっている。

 これなら、すぐに飛びたてる。どうせやるならすぐにやったほうが危険は少ない。


「回収部隊の準備は?もう出来てる?」

「モチのロンよ。食べずに残していた馬にソリを引かせて回収予定で、もう待機してるはず」

 ドイツ陸軍といえば完全機械化されているイメージがあるが、そんな事はない。

 再軍備宣言から数年、ロシアから北アフリカまで前線を広げたドイツ軍には軍用車輌がいくらあっても足りず、ナポレオン時代と変わらず馬やロバを運搬用に大量に使っていた。

 馬は運搬量や速度など、軍用トラックと比べることはできないが、利点もある。すなわち草と水を与えれば働いてくれるので、絶えず石油不足に悩むドイツ軍にとってフトコロに優しい運搬手段と言えた。

 スタラヤ=ルッサでも、鉄道で運ばれてきた物資の移動やデミャンスク行きの飛行機に物資を積み込む時などに、馬に引かせた荷車が活躍しているし、伝令兵も騎乗して命令書を届けたりしている。完全機械化など夢のまた夢だ。

「そんなこと聞くってぇ事は、やってくれる気になった?」

「アントンを乗せて、敵陣で発光弾を打ち出せばいいんだよな。これでグリューワイン1本。で、ちゃんとコンテナ回収出来たら成功報酬でもう1本。これを呑んでくれるならやるよ」

「そいつはちょいと欲張りすぎじゃないかい?グリューなんて最高ランクのゲシェントだよ。1本でもお釣りがくるだろ」

「超過勤務で夜間労働。軍令でもない『お願い』で危ない橋渡るんだから、このくらいは相場だよねー」

 それに、とグリューワインを取り出してきたアントンのもつリュックをチラッと見る。

「そのリュックのふくらみをみると、そこにもう1本ワインがあるんじゃない?」

「気がついちゃった?なかなかにめざといな」

 悪びれもせずに、バレたかというふうに笑うアントン。

 察するに、元々上官からは交渉用に2本のワインが与えられ、うまく1本だけで話がまとまったら、もう1本はアントンがネズミるつもりだったのだろう。

「バレちゃ仕方ねえ。その条件でいいからさっさと行こうぜ」

 アントンはあっさりと条件を受け入れた。

 まったく慌てた様子もなく顔が笑っていたのを見て、もしかしたら交渉用に3本与えてられたのかも?という思いがハンスの頭をよぎる。

 まあ、それもアリか、とも思う。

 別に俺の物を取られたわけじゃないし、アントンだって来て数時間のホルム守備隊への義理や愛着はほとんどないはずだ。にも関わらずこうして交渉を買って出て、敵陣上空まで行くのだ。アントンにも何らかの旨みがあってもバチは当たるまい。

「わかった。ま、さくっとやっちゃいますかあ」

 気持ちの切り替えは早いと自負している。アイドリング状態のシュトルヒのスロットルをふかす。

「待て待て、回収部隊への合図をしないと」

 アントンが止めた。


 回収部隊に合図して、漆黒の闇夜にシュトルヒは飛び立つ。

 視界はゼロだが、この辺りは4~50回は飛んでいる。頭の中でホルム周辺の地形を構築し、方位計を見ながらパルチザン陣地へ。

「多分この辺りが敵陣地だな」

 愛機とは違うが同じシュトルヒだし、この4号機も数回操縦したことがある。視界はなくとも計器から読み取れる速度と滞空時間で、大体の距離は割り出せる。

「よっしゃ。行くぜぃ」

 アントンの声とともに、後部風防が押し上げられる。冷え切ったロシアの外気と、シュトルヒのプロペラ音が機内になだれ込む。

「右側にっ!撃つ‼︎」

 音に負けない声でアントンが叫ぶと、ポンと軽い発射音続きシュルシュルシュルと伸びる音、そしてパァンという破裂音。

 なぜ音だけかというと、アントンの声で左側に顔をそらして発光弾を見ないようにしたからだ。暗闇に慣れた目に閃光は、目潰し食らうと同等になってしまう

 そろそろと右側をみると、パラシュートに吊るされた発光弾がゆらゆらあたりを白光の元に晒し、地上の木製トーチカからは、巣穴から顔出す野うさぎよろしく、何事かと思い顔を出し、慌てて顔を引っ込めるソ連兵。

「さすがだわ!敵陣のど真ん中だもんな!これならいい目潰しになるだろ‼︎」

 発光弾は攻撃の前触れとしか思えないし、たとえ光源下にないソ連軍もそちらに目を取られて、暗闇の中でドイツ軍がコンテナ回収にいそしんでいるとは思えまい。


「次弾はもうちょい高度高めで!風向き考え、左側!」

「了解‼︎」

 1発目の発光弾が地面につきそうになった事で、アントンから指示が飛ぶ。それに答え、シュトルヒの高度を上げる。

「2発目ぇ〜‼︎」

 ポンと上がった2発目は、湿気てたのか調合ミスなのか、やや赤み、というかオレンジがかった色で輝いていた。

 白光色で冷たく照らす1発目と比べ、多少でも赤みがかっているだけでその印象は大きく変わる。

「なんかさ…、子供の頃に見た花火を思い出すな…」

 風防開けたままで風切り音がすごい中、決して大きくはないアントンのつぶやきをハンスの耳が拾ったのは、ハンスもまたその様に感じていたためだろうか。

 打ち上げ花火の激しさとは違う。赤い光でゆらゆらと照らすその姿は、空中に大きな線香花火でもあるかの様に、なんとなく優しさが感じられる。

 また、パラシュートという傘の下に筒状の発光弾がぶら下がっているため、ろうそくにも見える。暗い夜を照らす巨大なランタン。

 暗闇は人心を不安にさせるが、それを祓う一点の灯りは、見ているだけでなんとなく心が落ち着いてくるから不思議だ。

 大丈夫と思ったのか、何人かのソ連兵もトーチカから顔を出したまま、発光弾の灯火を見ていた。

 そしてその灯りに照らされながら、まわりをゆっくり旋回するシュトルヒだった。


 3発目の発光弾は必要なく、回収部隊が無事帰着したのは確認できた。

 シュトルヒはホルムに戻り、報酬と2人の負傷兵を乗せて飛び立った。

 結局、1発の銃弾も撃たれる事はなかった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る