第4話 ホルム〜スタラヤ=ルッサ(夕刻)

 着弾ショックもある程度落ち着いた後、今回の後席、オットー=フィッシャー空軍上等兵は話し始めた。

「本来は爆撃機乗りっス。だけんどグライダーで戦車砲運んでくれって言われて」

 朴訥な北方訛り(デンマークとの境にあるシュレスヴィヒ地方の出身だそうだ)で、それだけで誠実そうに感じてしまう。

「グライダーってGo242だよな。俺も操縦したことあるわ」

「自分は今回が初めてっス。オーバーランしそうでしたけど、なんとか到着できて」

「風向きとかもあるからなあ」

 輸送機の発着ができないホルムでは、弾薬や食料などは空中投下、人員や壊れやすい物はシュトルヒで運び入れているが、守備の要となる対戦車砲などの大型兵器はグライダーで運ぶしかない。人員なら12〜13名程度を一気に運び込める。

 エンジンを持たないため、輸送機や爆撃機に牽引されて飛び立ち、近くに来たら切り離されて滑空、着陸する。基本的には使い捨てだ。

 グライダーでも操縦士は必要なので、ホルムに残された操縦士をこうしてシュトルヒが脱出させて、またグライダーで送り込む。手間はかかるがそうまでしないとホルムは守れない。

 グライダーの離陸には長い滑走路が必要になるため、デミャンスク便でごった返す前線基地のスタラヤ=ルッサではなく、空軍司令部のあるプスコフから直接飛び立つことがほとんどだ。

 子機連れの輸送機はソ連からすればいい目標であるため、護衛戦闘機が必ずつく。らしい。

 また、事前に対空兵器の排除も行ってくれるため、グライダー飛行日はシュトルヒ乗りにとっても安全日となることが多い。

 これらも制空権がドイツ側にあるからできることだ。


「自分はぁ、包囲下の街に行ったんは初めてだったんスが…、何というか、異質っスね…」

「だろうな」

「歓迎はしてくれたんス。だけど、砲を降ろしたその直後に乗機がバラバラにされてぇ…、びっくりもしましたし、正直ショックっス…」

「あー、その気持ちはわかるわ」

 一度でも操縦桿を握った機体に愛着を持つのは、飛行機乗りとしては自然な感情だ。

「でも、あそこの建材不足は深刻らしいからなー。滑走路に置いといてもイワンの砲撃で破壊されるだけだし、仕方ないんじゃね?」

「頭では、理屈はわかるんス…」

 厳冬期のロシアで、固い凍土を掘って塹壕にするのは労力がかかりすぎる。

 だから、土嚢やバリゲートで防御線が構築されるのだが、重包囲下でのこのこ街を出て郊外の木材を伐採する訳にも行かず、土嚢袋も十分にない。

 そんな中、使い捨てのグライダーはバリゲート用のいい建材と目をつけられたのは当然かもしれない。機体の保持より防衛重視、と前に救出した守備隊の将校からも聞いた。


「機体をバラバラにしてバリゲートにする。それぐらいならいいんス……」

「……」

 オットーの声のトーンが心なしか落ちる。ハンスも促すように押し黙る。

「少尉殿は知ってます?あそこでおっ死ぬと、遺体がどうなるか…」

「……聞いたことは、ある」

「やはりっスか…」

 ハンスとオットーが口を濁しつつ、わかり合ってる遺体の行方。

 それは凍結した死体を積み上げてバリゲートにしているということ。敵味方関係なく。

 さっきも書いたように、凍土は固い。人力で何十体もの戦死者を掘って埋めるのは現実的ではない。

 一方で土嚢も足りないとなれば、人体を土嚢がわりとするのは合理的である。人としての感情を無視すれば、だが。

「自分も、もしここで倒れたら、あんなに扱われるかと思うと…、ほんと空軍でよかったっス。陸軍さんには申し訳ないっスが」

「……だな」

 一瞬ハンスの返答に間があったのは、さらに凄惨な話を聞いたことがあるからだ。

 シェーラー戦闘団がまだ治安部隊だった頃からいると言ってたから、最古参に当たる大尉を負傷兵として運んできた時のこと。

 腕の怪我だけで重包囲下の地獄から脱出出来ることにテンションも高かった彼が、陽気に話してくれた。


『ホルムにゃ、けっこうイワン共が残ってたんだよな。

 民間人が。避難もできずに。

 まあ、最初は強制労働なんかでコキ使っていたんだけど、包囲されちゃったじゃん?

 無駄な人員は必要ねーって事で、女子供は着のみ着のままで放り出し、男共はパルチザンになられても困るから、皆殺し。

 で、その死体でバリゲートを組んだんだよね、初期は特に。

 イワンの奴らも、ハハハッ、死んでも街を守ることができて本望だろうさ。

 ……あー、女たちはさ、けっこう若くて綺麗なロシアっ娘が多くて、シモの世話させてたからさ、直接殺すのはさすがに忍びなくて…。

 まあ、あのクソ寒い中肌着同然で放りだしたから、たいてい死んでるよ。情報は漏れてないさ。

 万一生き残って助けられたとしても、あの器量なら、ロシア兵の慰みものだぜ。へへっ』


 陽気に話してくれた大尉との会話が頭に浮かぶ。

 この大尉だけが特別残忍というわけでは、多分ないのだろう。

 こういう普通の人間を蛮行に駆り立てるのが、戦争の狂気なのだ。

 そしてハンスがそう思えるのも、自分が空軍で、後方の比較的安全な基地に毎日帰ることができ、シャワーとか温かい食事とか酒とか、日常生活に近い生活ができているためだとも思う。

 あんな閉ざされた空間で砲爆撃に毎日さらされていれば、倫理観など消し飛ぶ。

 その意味でも、オットーの空軍でよかったという言葉には共感できた。


「まあ今は、無事に今日を生き残れたことを喜ぼうぜ」

 つとめて明るい声でハンスは言う。

 あまり深く考えてしまうと、戦争のおぞましさに囚われてしまう。囚われては戦えない。

 深く考えず、あえて目先のことを楽しげに言うのは、ある意味生き残るために必要なのだ。

「そうっスね…」

「プスコフほど大きい街じゃねぇが、スタラヤ=ルッサにも酒保はある。まずはシャワーあびてサッ〜パリしたらいいさ」

「シャワー、いいっスね!」

「おーう。ホントならサウナもあるんだが、もうこの時間じゃ閉められているだろうからな」

「…あれは…」

「どうした?」

 オットーの声のトーンが変わっていた。

「3時方向!機影2つ‼︎」

 緊迫した声に、ハンスはすぐさま反応してシュトルヒの高度を下げる。


「どこだっ?」

 シュトルヒのコクピットからの眺望は抜群で、前面、天頂方向、そして後方と見ることができる。が、左右上部方向はシュトルヒ自体の大きな翼が視界を遮る。

 ためにハンスは、左方向にシュトルヒを旋回させて真後ろに機影を見るようにした。

 相変わらずのどんよりとした雲空。午後4時も回り、高緯度のこの辺りでは暗くなり始めてもいる。しかも前方の安全を確認しつつだから、何度も首を捻っての後方視認で視点の安定しない。

「見つからん」

「6時半ぐらい、中高度っス」

 オットーに言われて視認できた。確かに2機のシルエットがある。

「…敵さんっスかね?」

 確かに、機影の方向にはソ連の支配地域がある。

「どうかな?この辺の制空権はウチだが」

 敵地攻撃から帰ってきた友軍、と言うこともあり得る。希望的観測である事は自覚しているが。

「あ〜いや、シルエット的に敵っぽいス…。先っちょがずんぐりしていて…」

 ドイツ軍機は液冷エンジンが多数で、空冷式と比べるととがって見える。先鋭的なフォルムがドイツ軍機の特徴といえる。

「あ、旋回始めましたっ。見つかったっス」

「チッ」と舌打ちをするハンス。スロットを絞ってスピードを落とす。

「えっ、落とすんスかっ⁉︎」

 後席が驚いた声を上げるのも無理はない。敵から逃げるには増速するのがセオリーだ。

「シュトルヒにはシュトルヒの逃げ方があるんだよ」

 風防の下のハンスの口元が、くっと上がる。


 こんな時の後席が、怪我人でなく現役の空軍飛行機乗りなのは不幸中の幸いだ。しかも視力がいい。飛行機乗りの何よりのお宝だ。

「後席は、敵の方位っ、高度っ、どっちが近いかを教えてくれっ」

「了解っス!てか、こいつに武装は?」

「ない!後部機銃は外した!」

 ろくに牽制にもならないのだ。だったら少しでも機体を軽くしたほうがいい。

 そんなことを言いつつ、シュトルヒの高度は30mくらいまで落とす。点在する針葉樹林の高さギリギリだ。

 速度も70k/mという、普通の機体なら失速するところまでスロットルを絞る。

「近いのは5時方向!中高度!」

「もう1機はっ⁉︎」

「んーっと、3時から4時、こっちも中高度っス!」

 ハンスは頭の中に敵機の場所と自機の場所を、3次元で想像する。

「5時、機首がこっちに向いたっス‼︎」

 翼と機体が一線に並び、機影のシルエットが最も小さく見える。それが機首がこちらを向き、突撃してくる合図となる。

 剣先が目の前に突きつけられた時、刀身が最も小さく見える現象と似ている。飛行機乗りの心臓が縮み上がる瞬間。

 ハンスは操縦桿を倒し、すぐに右に旋回。機体が傾き、大きく下がったシュトルヒの右翼が雪の積もった針葉樹を風圧で揺らし、雪が飛び散る。

 約90°旋回したシュトルヒの1時方向に、左から右に飛行する機体が見える。

 さっき3時方向にいた奴だ。シュトルヒの素早い転舵についてこれず、あわてて右旋回しようとしている。

 空冷式のずんぐりとした機体。冬季塗装の胴体に赤い星がはっきり見える。

「I-16《ロバ》か…」

 まごうかたなき、ソ連の戦闘機だ。すでに旧式化しており、ドイツ軍の主力戦闘機Me109に圧倒されていると聞いた。

 でも、シュトルヒには強敵だ。

「3時方向!高度下げてまス‼︎」

 旋回したことで、5時方向の機体が3時に位置している。ハンスはさらに右旋回してもう1機を正面に捉える。ほぼ反航の形、だが高度差があるので、シュトルヒはソ連機の下をくぐり反対側へ抜ける。

 この結果、旋回しきれていない2機の戦闘機を後方に置き去りにする形となった。


「すごいっス…」

 後席のオットーが、驚きと感嘆が混じった声でつぶやく。

「だろ」

 ハンスにとりシュトルヒを褒められることは何よりも嬉しい。もっと多くのドイツ兵にシュトルヒの良さをわかってもらいたい。

 多くの戦闘機の場合、相手機の背後に食らいつき、前方で交差する固定機銃の掃射で落とす。だが、低空低速のシュトルヒでは、後方について速度を合わせようとすると失速墜落してしまう。

 だから、浅い角度で後方上から突っ込み(角度をつけると、引き起こしができず地面に激突する)、地上目標に対する機銃掃射に近い形で攻撃してくるのだが、シュトルヒの旋回能力は複葉機と見紛うばかりに良い。機体を大きく斜めに倒し、コマのように最小半径で小まわりする。

 なまじスピードがある戦闘機では遠心力が働き、どうしても大回りとなる。前方固定機銃しかないので、掃射機位をずらされると機首を返して追いかけるしかなくなり、追いついて射撃機位についたかと思うとまた旋回される。

 シュトルヒは戦闘機乗りにとり、とにかく落としにくくてイラつく相手なのだ。

 もちろんその性能を生かせるのは熟練の、シュトルヒで逃げまくってきた操縦士の腕は欠かせない。特に今回のように複数機で追いかけ回される場合、1機から逃げるために転舵した先がもう1機の掃射ゾーンという事もある。自機を中心とした3次元の位置関係を脳内で構築して、旋回に合わせて位置を変えていく必要があった。


「敵機、体制立て直して迫ってきまっス!」

 シュトルヒは遅い。すぐ追いつかれる。

「左右に広がってまス!今は4時と8時方向!」

 スピード差を活かして左右から挟み込むつもりだろう。連携は取れてるようだ。

「そうは、させん」

 小さく独り言を呟いたあと、後席に声を上げる。

「どっちが近い⁉︎」

「あー、うーんと…やや8時の奴っスかね?でもあまり差はないっス!」

「了解‼︎」

 ハンスは操縦桿を動かし左回旋。

 すると、11時方向に機影が見える。やや近いと言われた奴だ。向こうもまた旋回中だが、このまま進めばシュトルヒの航路とクロスするような形となる。

 まだ高度差はあるが、この距離があれば機首を下げてシュトルヒを射撃範囲に収められるかもしれない。

「なんて、思ってんだろうなぁ、やっこさん」

 ハンスは集中してくると独り言が多くなる癖がある。

 I-16が射撃位置につこうと増速した瞬間、シュトルヒを旋回。スッとほぼ反航して下をくぐる。

「もう一機は9時から8時っ。転舵しきれず離れていくっス!」

「おしっ」

 今回もうまくかわせたようだ。


「5時方向の奴、高度下げてます!」

 2度も下を潜られたのだ。イラついてシュトルヒと同じ超低空飛行を挑む気だろう。

「もう一機はっ⁉︎」

「7時方向、中高度!機首は……下がってないっス!」

 1機が低空で追い回し、嫌がって高度を上げてきたら中高度の奴が刺す気か。

 やはりこの2機の連携は取れている。単座機なので無線はないはずだが、パイロットは手話的なもので意思疎通してるのか。

「ついてこれるならやってみなっ」

 シュトルヒはさらに高度を落とし、点在する針葉樹の梢に機体が半分隠れるくらいにする。こうすることで針葉樹が射線の邪魔をしてくれるはずだ。そして右に左に何度も旋回。

「後方、ついてきまっス!今4時方向、旋回中!」

「うめぇじゃねぇか、ロバ野郎!」

 木々が擦れんばかりの高度で旋回するのは、慣れてないと相当怖い。目の前に木々があれば本能的に衝突を避けて、操縦桿を引きたくなる。

 ハンスとて、旋回のたびに傾けた長いシュトルヒの翼が地面につきそうな高度での逃避行は、相当に気を使う。

「げ」

 いつのまにか、もう1機の中高度のやつが真正面、12時方向にきていた。

 しかも機首がこちらに向きかけている。機影が最小になる、心縮み上がる瞬間。

 とっさに操縦桿を押し込む。ギリギリまで高度を下げ、プロペラや風圧で雪が舞い上がる。

 ババババッという独特な機銃音をたてて撃ち込まれた連射は、間一髪、シュトルヒの後方に外れた。I-16のほぼ真下を潜って反対側に抜ける。

「おわ」

 目の前にまばらな針葉樹の林。まばらといってもシュトルヒが通れる幅はなく、左右に避けようともこの高度で旋回すると、確実に翼が大地にぶつかる。

 操縦桿を思いっきり引き、スロットルを最小まで引き絞る。

 ふわっとシュトルヒの機体が浮く。

 林から抜けてくるやや強い向かい風が幸いし、半ホバリング状態で浮き上がり、車輪が針葉樹の雪を蹴散らしながらもなんとか林を越えた。

 機体が軽く、向かい風などの条件が揃えばシュトルヒは空中停止ホバリングが可能なのだ。

 とはいえ、実戦で使うことはほとんどなく、ハンスもお遊びで何度かやったことがあるだけだ。この場で再現できた事は奇跡に近い。


「敵機は⁉︎」

「それが…」

 オットーが困惑するように言い澱む。

 空中停止状態はいい的だ。反航したから6時方向だろうと当たりをつけて振り向くと、2つの機影が翼を触れ合わんばかりの距離で並んで飛んでいる。

 不可思議なのはまったくこっちを無視したかのように遠ざかっていることだ。

「こりゃあいったい…」

「雪けむりではっきりとはわかんなかったっスが…、どうもこっちを狙ったあの掃射、後方から追ってきた機体に誤射しそうになったようで…」

 中高度で機銃掃射したパイロットには、低空で追ってきた僚機の動きが目に入らなかったのだろう。見た感じ、損傷は受けてないようなので、なんとかかわしたのだろうが。

「それで文句付けてんのか」

 ぶつかりそうになるまで機体を寄せて。シュトルヒの存在も忘れて。

『危ねぇだろうが、オラ‼︎』『ああん?それぐらい避けろや!ボケっ!』『あんだとぉ〜‼︎このクソッタレ!』『うっせえ!トウヘンボク‼︎』

 などと、コクピット越しに手と口元の動きで罵声を浴びせあってるロシア人パイロットの姿をハンスは想像して、思わずニヤリとした。

「ロシア語って、罵詈雑言のバリエーションが豊富なんだよなあ…」

 親しい仲だからこそ、変化に富んだ悪口を言いあい、ケンカして、そして最後は肩組んでお互いを讃えあう。ハンスは子供時代のことを思い出していた。

「敵機、撤退してきまス!」

 オットーの声がハンスを現実に引き戻す。

 もう敵機の姿は薄暗い雲の中に消えそうになっている。夕闇迫る時間帯的にもここから引き返してくることは、まあないだろう。

「なんとかなった、かな?」

「すごかったっス‼︎あんな逃げ方があるんスねっ!」

 逃げきれた喜びのためか、オットーは足を踏み鳴らして感情を表現していた。

 ハンスはサムズアップでそれに応える。

「基地に着いたら一杯やろうぜ。生き残った記念に」

 この時間なら、酒保は空いているはずだ。

「あざっス‼︎最初の一杯は奢らせて欲しいっス!」

「下の階級の者に奢らせるのは、ドイツ的じゃねぇよ」

「最初の一杯だけっス!これはおらの気持ちっス!」

「しゃあねぇな。じゃあ、とびきりのヤツを頼んじまうぜ?」

 生き残った安堵感からか、2人の会話は弾んでいた。













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