第3話 ホルム飛行場(午後)

「いっつも!ありがとさん‼︎」

 アントンが降りて、半分廃墟と化したレンガ造りの建物からわらわらと現れた友軍に囲まれてるのを横目に、顔見知りの軍医大尉が大声で挨拶してきた。

 大声なのは、駐機したシュトルヒのエンジンをアイドリング状態にしており、プロペラの風切り音が相当な騒音となっているためだ。

 いつ砲撃があるかわからないのだ。すぐ飛び立てるようにしておく必要があった。

「チフスワクチンとぉ〜!注射器とかぁ〜!その他医療品諸々〜‼︎」

 前席の風防を押し上げて、ハンスが積荷を伝える。

「助かる‼︎」

 髭まみれで頬が痩けた顔に感謝の念が浮かぶ。眼鏡がずり落ちそうになっているその顔からは軍医の威厳は感じられないが、2ヶ月の籠城戦の疲れがそうさせているのだろう。

「回していいっすかぁ〜!?」

 いつのまにか機体に取り付いたドイツ兵たちがハンスに確認をとってきた。ハンスはそれに親指と人差し指でマルをつくって、OKの合図を出す。

 「イー‼︎」「ヤー‼︎」「イー‼︎」「ヤー‼︎」という独特な掛け声と共に、人力でシュトルヒが動いていく。離陸に都合のいい方向に機首を向けてくれているのだ。

 手慣れた感じで、揃いも揃って髭も髪もボサボサの男たちの手によって、半凍結した土の上を滑っていくシュトルヒ。

「もーちょい右っ!そうそう、いい感じ‼︎はーいストップ‼︎」

 操縦席に座ったまま、細かな方向を指示するハンス。

 時間をかけずに回転を終わらせた後は、そのまま後方の収納スペースから今回の積荷を連携プレーで運び出していくドイツ兵達。

 ホルムに立て篭もるドイツ兵にとり、シュトルヒによる空輸は命の糸だ。綱と言うほど太くはないが、毎回最大限の協力支援をしてくれるし、感謝される。

 とは言え、ホルムに直接降りたことは一度もない。着陸は4〜50回はしているが。


「今回のぉ〜、お客さんはぁ⁉︎」

 ハンスの問いかけに、軍医は指差す。

 そこには、医療品を運び入れる兵達と入れ替わるように、白いシーツに包まれた重そうな荷物をもち、小走りしながら近寄ってくる一団。

 死体、ではない。重傷を負って後方送りとなる戦友だ。

「今日は、右足を戦傷のち凍傷で、壊疽した患者1名」

 後部座席の後ろ、積荷だった医療品が置かれていた細長い格納部に入ってきた看護兵が、てきぱきとシーツに包まれた患者を固定しつつ、答えてくる。

「麻酔は大丈夫?」

 前席風防を閉めた機内ならば、プロペラの風切り音も多少は抑えられるので、大声でなくても届く。

「大丈夫、だと思います」

 足の壊疽と簡単にいうが、多分足を切ることなる。

 シーツのため顔を見ることはできず年齢はわからない。だがこの負傷兵は生き残ったとしても、一生義足。

 とはいえ、このまま重包囲下から脱出できれば命は助かる。

 損得は図れないよな、とハンスは思いながらも口にはしない。

「午前便は、負傷兵おきゃくさんが途中で目を覚ましちまってさあ」

「えっ、麻酔が切れたんですか?」

 驚いた顔で、髭の看護兵がハンスの顔を見た。

 看護兵というと女性的に感じるが、戦場の看護兵は倒れた味方を担いで安全地帯まで運ぶこともある力強い兵種だ。この男のようにがっしりした体格の者も少なくない。

「多分。途中で痛ぇ痛ぇ騒ぎ出して、うるさいったらなかったぜ」

「麻酔が足りなかったかもしれませんね。…でも麻酔も不足気味で…」

「まあ、騒ぐだけだったけどな。暴れられたりしたりは…」

 不意に声が止まったのは、プロペラの風切り音に混じって別の音が聞こえてきたからだ。高速の列車が空気を切り裂いて近づいてくるような音。

 次の瞬間には、ズズンという複数の破裂音。

 何度も聞いた。ソ連による砲撃の着弾音だ。外を見ると、シュトルヒから100mほど離れた滑走路の土と雪を跳ね上げていた。シュトルヒの風防を砲撃の衝撃波がビリビリと震わせる。

 思わず首を縮めてしまったハンスだが、看護兵たちは驚く様子もない。

「大丈夫ですよ。遠いですから」

「…音で距離がわかるんだな」

「それがわからないと、ここでは生きていけませんよ」

 看護兵は軽く肩をすくめて答える。

「それに、これだけ建物の近くに寄せていたら、直撃はないでしょうし」

 ソ連軍の野砲は、飛行場から見て半分崩れた市街の向こう側に設置されている。らしい。

 放物線を描いて飛んでくる砲弾からは、高さある建物に近づけて駐機させればある程度盾にすることができる。

 直撃弾くらうのと、建物に誤爆して破片が降ってくるの、比べれば後者がマシに決まっている。

 でもだからといって、砲撃音を聞いてて平然としていられるかどうかはまた別だ。この点ではやはり空軍所属で、砲撃に慣れてないハンスの方が過敏に反応してしまう。


 改めてソ連軍の砲撃跡を見る。

 100mほど先の滑走路がほじくり返されている。シュトルヒの離陸能力からすれば障害にはならない。

 が、次の砲撃ではわからない。市街の向こうにソ連軍がいるなら着弾観測は出来てないかもしれないが、黒煙が登らないことから撃破出来てないことはさすがにわかるはず。

 飛び立つドイツ機が目視できるまでは砲撃を続けると考えるのが自然だ。

「そういや、今回のお客さんはひとりだけ?」

「え、どうなんでしょう??私が聞いているのはこの負傷兵だけですけど」

 看護兵が首を傾げる。

 包囲下のホルムに危険を犯してシュトルヒが離発着を繰り返す理由。

 それは負傷兵の後方輸送のためだ。

 弾薬や食料の供給だけなら、輸送機や爆撃機を使っての空中投下で間に合うし、事実そうしている。

 だが人員はそういう訳には行かない。重症負ったら「処置なし」としてほっとかれるなら、兵の士気にも関わる。

 一度に2人しか運べないシュトルヒであっても、軍はちゃんと助け出してくれているという事実が重要なのだ。

 だから、順番待ちの負傷兵は絶えずいるはずなのだが…。

「あー、あの空軍さんですかね」

 手を動かしながらも、看護兵があごでクイッとさした方向には、くたびれた陸軍の制服とは明らかに違う、空軍の制服に身を包んだ若者が1人。

 ハンスと目が合うと、かかとをくっつけて敬礼をした。

「お初にお目にかかりますっ!!わたしはっ、オットー…」

「あー、そんな堅苦しい挨拶はいいからっ!!」

 大声で自己紹介を始める空軍兵を、さらに大声で遮って止めるハンス。

「いいから乗れ!!」

 声と共に、手で後席に搭乗する様に合図すると、一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに「失礼しますっ!」と後席に乗り込んだ。

 と同時に、後部格納庫の外側ハッチをしめた看護兵達が声をかけてくる。

「固定完了!御武運を!」

 軍の定型文の挨拶をかけてきた看護兵に対し、ハンスは操縦席から手をひらひらさせて返し、ゴーグルを付け直す。

「すぐに飛び立つ。シートベルトはいいか?」

「大丈夫っす」

 オットーと名乗った若者は、さすがに空軍兵だけのことはあって飛行機乗るのも慣れている。

「行くぞ」

 アイドリングさせていたエンジンにスロットルペダルを踏み込み、回転数を上げる。甲高い駆動音とともに機体が急に動き出し、Gが体を押しつける。

 一気に上昇するスピードメーターを横目に操縦桿を手前に引くと、ふわっと機体が浮き上がるのがわかる。

 この間わずか10秒ちょっと。60mほどで離陸した。

 イワンの次の砲撃はなかったな、とハンスが思った瞬間。

 数m先に高速で黒い物体が落ちていくのが見える。何だ?と思う間もなく、真下で大きな爆裂音。

「とっ、と」

 爆風で機体が揺れ、操縦桿を動かして安定させる。跳ね上がった土や小石、凍土などがシュトルヒに当たり、ぱらぱらと音を立てる。

「……びっくりしたわ〜」

 誰に言うわけでもない言葉が、口から漏れる。

「1秒早かったら直撃してたな…。野砲で撃墜されるって、結構恥ずかしい記録をのこすとこだったわ〜」

 つとめて明るく後席に話しかけたつもりだったが、返事はない。

 後ろを振り向くことはしなかったが、後席は肝をつぶして声もない感じが伝わってきた。




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