『クイズ同好会部室からの脱出』
藤原くう
第1話
部屋が揺れる。建物が揺れる。
突き上げるような強い揺れに、ユウは机の下へ滑り込む。隣を見れば、華も同じようにしている。見合わせた顔は、不安にまみれている。
地震は、すぐに収まった。
机の下から、ユウと華は這い出す。
部室の中は、混とんとしていた。
もともと物置のごとく雑然と物が置かれていたが、それらは方々へ散乱している。スチール棚からはいくつもの本やら雑誌やら書類やらが吐き出され、ワックスが剥げた床に紙の海をつくっている。机のいくつかは倒れ、壁の上のあたりにあった賞状は固定具ごと落下していた。プラスチックの破片の下の賞状には、クイズ同好会の文字と、いくつかの優勝の文字がホコリにまみれながらも輝いている。
ここはクイズ同好会の部室である。部室だった、といった方が正確だ。旧校舎の一角に位置している、ここクイズ同好会の部室は、現在では使用されていない。クイズ同好会は、人数が足りずに廃部となってしまったのだ。それが、数年前のことらしい。らしいというのは、ユウと華がこの高校へと入部する一年前のことで、人づてにしか聞いていないからだった。
そんな使われていない部室へとやってきたのは、先輩から頼まれたからである。旧校舎にクイズ同好会の部室があって、その部は廃部になったのだが、部室だけがそのままの状態で放置されているからちょっと確認してきてほしい、とかなんとか。ユウと華は、生徒会の役員なのである。その証拠に、緑色をした腕章を身に着けている。
しかしながら、一抹の後悔と、先輩への不満がユウの脳裏をよぎった。先輩の頼みを聞かなければこんなところで地震に巻き込まれることはなかった――そんなことはできないし、先輩にだって悪気はないことはユウも重々承知しているが、それでも思ってしまうのだ。
「大変なことになっちゃったね」
ユウは頷く。まさか、地震が起きてしまうとは。そう言うと、華が苦笑を浮かべた。
「でも、先輩たちは大丈夫かしら……」
地震に巻き込まれたのは、自分たちだけではない。生徒会の先輩たちもそうだろうし、同級生もだ。怪我をしていないといいが……。
心配になったユウと華は、生徒会室へと急ごうとする。地震による被害が想像以上のものであれば、生徒会が先生たちと協力して対処に当たる必要も出てくるかもしれない。そうなったら、自分たちも協力しないとだろう。
ユウは扉に手をかけて、開こうとする。引っ張ろうとして、できない。いかにも頑丈そうな扉は、接着剤で固定されたかのようにびくともしない。何度かタックルしてみたり、蹴りを入れてみたものの結果は変わらなかった。
「どいて」
ユウが振り返ると、どこで見つけたのか華はパイプ椅子を手にしていた。おっかなびっくりユウが扉から離れると、華は椅子を振り下ろす。金属と金属とがぶつかり、鈍い音を響かせる。しかし、扉の表面に凹みができたくらいで、扉が壊れることはなかった。
「ダメみたいね。ユーくんもやってみる?」
ユウは首を振る。自分が非力であることを痛いほど知っているからであった。生徒会の一員となってから数か月。ユウは華と一緒に生徒会の活動を行うことが多かったが、何度助けられたことか。薙刀を嗜んでいる華は、高校二年生にしては背が高い。小柄なユウはもちろんのこと、たいていの男子生徒よりも身長が高いくらいで、高いところからものを取ってもらうことは一度や二度ではなかった。それだけではなくて、薙刀を習っているからか、運動神経や力も男子に負けないほど。それどころか、胆力だって男には負けないだろう。それなのに、男勝りというわけではないのだから、男子生徒だけではなく、女子生徒からの人気だってあるのは当然といえよう。
ユウの返事に、華が笑う。そのたおやかな笑みを見ると、ユウの顔は真っ赤に染まった。こんなキレイな人と一緒にいるだなんて、こんな状況でなければ、もろ手を上げて喜んだかもしれない。といっても、シャイなユウのことであったから、もろ手を挙げて喜ぶことなんてできなかっただろうが。
ユウは、真っ赤になった顔を上げて、周囲を見渡す。
とにかくここから早く出なければ。
「そうだねえ。でもどうやって出ましょうか」
開け放たれた窓から、ほこりっぽい部室の中へと風が吹き込んでくる。考えてみたいのは、窓からの脱出だろう。窓に近づいて、窓の外を覗く。出窓ではなく、降りられそうなところもない。飛び降りることはできるかもしれなかったが、部室があるのは三階であったから、怪我は覚悟しないといけないだろう。地面は、散乱した窓ガラスでキラキラ輝いている。ユウは窓からそっと離れる。
「わお。これは私も無理だね」
飛び降りることが無理そうなので、助けを求めることを考える。ユウたちには、文明の利器がある。スマートフォンだ。ユウと華は、それぞれ友人に連絡を試見ようとしたのだが、結果としてはできなかった。そもそもスマートフォンが圏外となっていたのだ。後からわかったことであったが、携帯会社のアンテナが一部倒壊したのが原因のようであった。
「スマホもつながらないか……。本格的に閉じ込められちゃったってわけね」
ユウは頷いた。助けを待つことはできるが、それがいつのことになるかはわからない。いつかはユウと華がいないことに気が付くとは思うが、地震のあれこれに忙殺される可能性がないとは言えなかったからだ。そうなってしまえば、夜までここにいなければならないかもしれない。遠くの空にぽつんと浮かぶ、秋の太陽を見ているとユウは陰鬱な気持ちになる。
「そんな顔しないの。とにかく、ここから出る方法を考えましょう」
ハッとしたユウはコクコクと頷く。暗い顔をしていても、扉が開くわけではない。部室を出るための方法を考えた方が有意義であった。
部室の中は、先ほど見回した通り、雑多だ。ものが散乱しているし、ただでさえ整頓されていないものだから、どこに何があるのかわからない。この場を切り抜けられるようなものがあったとしても、すぐに見つかりそうにはない。
「これはどうかな」
言いながら華が引っ張り上げたのはくたびれた箒であった。プラスチック製の柄をテコの代わりにでもしようということであったが、そもそも差し込む隙間がなかったし、取っ手にひっかけ少し力をかけただけで柄はぽきりと折れた。梃子のようにするためにはもっと丈夫そうなものでないとダメなようだ。
ユウは華とは別の場所を探すことにした。少しでも距離を取りたかったのだ。男子と閉鎖空間にいることになってしまった華を慮ってのことであったし、自分の頭がどうにかなってしまいそうだったからというのもあった。
部室の奥側には、古めかしい木製の棚があった。教室の後方にあるような学生カバンとか真っ赤な答案用紙を隠しておく類のものだ。その中には、日焼けした答案用紙がいくつも押し込められていたが、他にもクイズ関係のものと思われる本がいくつもあった。モールス信号だったり、暗号の歴史だったり。『踊る人形』や『黄金虫』といった推理小説もだ。しかしながら、それらが役に立つとは到底思えず、ユウはためすがめつして、棚へと戻した。
「何だろうこれ。ちょっとユーくん」
そんな呼び声にユウは華の下へと向かう。華はスチール棚で見つけたという箱を、ユウへと見せた。
その箱は、金属製でできていた。といっても、ジュラルミンなどのように頑丈なわけでもない。しかし、頑丈そうな鎖でぐるぐる巻きにされており、鎖は錠前によってつながれていたから、錠前のロックを解除しないと箱は開けられない。
「なんだかものものしいね」
ユウは頷いた。それだけのものがこのちっぽけな箱の中に入っているというのだろうか。
錠前をよく見てみる。錠前には0から9までの数字が書かれたダイアルが四つ並んでいた。パスワードは四桁と考えられた。
「四桁かあ。十個の数字からだから、10000通り? できそうだけど、面倒だねえ」
非常事態とはいえ総当たり攻撃を仕掛けるのは、ユウとしては嫌だった。総当たりは、パスワードがわからなかったときの奥の手だ。
それに、ここはクイズ同好会。パスワードだって、クイズ形式で記されていてもおかしくない。そう考えて箱に目を向けてみると、上部の模様が気になった。箱もともとの模様かと思っていたそれは、どうやら黒のサインペンで書かれているようだった。これがパスワードではないだろうか。その模様は、にょろにょろとした、まさしくミミズがのたうち回っているかのようなもの。適当に書いてあるようにも見えたし、法則性があるようにも見えた。ミミズはそれぞれ微妙に傾いていて、真一文字のものが一番多い。また、文字はいくつかの形でまとまっていたが、一文字のものもあった。
「何だろうね、これ」
ユウは首を傾げる。ユウにもわからなかった。文字自体にもその並びにも何かの規則性がありそうであった。
「どこかで見たような気もするんだけどなんだったかなあ」
小説だったかなあ、と言いながら華は顎に手を当て考える。小説でこんなものが出てくるのだろうか。そんなことを言うと、あるよ、という答えが返ってきた。暗号が使用されている小説があるらしい。例えばドイルの『踊る人形』とか。そういえば似たようなタイトルの本が、この部室にあったような。木製の棚を探ると、あった。タイトルも著者も華の言う通りの本。それを手にして華の下へと戻れば、それだよそれ、と華は言った。
「その本に、暗号が使用されていたはずだよ」
暗号。パラパラと目を通してみると、ページのそこここにイラストが挿入されている。旗を持った人のイラストは確かに踊っている人形のようだ。
「その暗号がね――」
本に目を通しているユウの肩越しに、華が顔を覗かせる。バラのような香りが鼻腔をくすぐり、ユウの心をかき乱す。
「――文字を表しているみたいなの」
どぎまぎとしながらも、華の言葉を反芻する。ミミズのような線は、特定の文字を置き換えている。どんな文字だろうか。少なくとも日本語ではないことは確かだ。日本語は区切ることが少なく、区切るにしたって句読点を用いるからだ。となれば別の言語を使用している。高校生で勉強するのは英語くらいのものだろう。
仮に英語だとしよう。問題はどのように置き換えたのかわからないということだ。
ユウがうなっていると、本棚を眺めていた華が口を開く。
「あっ、こんなところに暗号の本がある。クイズ同好会の人たちはこんな本を読んで勉強してるんだねえ」
華が手にしていたのは、ユウが先ほど手に取っていた本。目の前の暗号に気を取られて、すっかり忘れていた。その本に、暗号を解くためのヒントがあるのではないか。
「確かに。ちょっと読んでみよっか」
華が本をめくる。その速度は速い。読書が趣味なのだろうか。ページをめくる指がぴたりと止まる。そこにはアルファベットの頻度分布――その文字がよく使用されているかの分布――とよく使用される単語についてまとめられていた。これがあれば、暗号が解けるかもしれない。華に感謝の言葉を告げると。
「気にしないでよ。わたしたちの仲じゃない」
そんな言葉が返ってきて、ユウの顔は火照る。期待に応えたいという気持ちが湧き上がってくる。
本を片手に、暗号と向き合う。何度か文字を当てはめたところで、意味のある文章が浮かび上がってきた。
「『クイズ同好会が創立された年は』ね。何かに書いてないかしら」
華が、棚へと向かう。ユウも倣うことにした。二人して棚をあさっていると、ユウは同好会の日誌を見つけた。かっちりとしたものではなく、その日あったことを簡単にまとめたもので、その始まりは平成初期にまでさかのぼる。その歴史のある日に焼けた一冊目に記された日付は、平成九年。西暦でいうと――。
「1997年か!」
華の言葉に、ユウは頷く。早速、ダイヤル錠に1997と入力してみると、かちりと錠が開く。ユウと華は顔を見合わせる。ぐるぐる巻きになった鎖を外し、箱を開く。
箱の中には、鍵が入っていた。これでどこかの鍵を開けということだろうか。
「うーん。鍵を差し込めそうなところってあった?」
ユウは首を振る。ユウが見た範囲では見当たらなかった。棚やテーブル上に置かれた無数のゴミの中には、少なくとも先ほどの箱のようなものものしい鍵が付いているようなものはなかった。
華に断って、鍵を貸してもらうことにする。受け取ったそのカギは、飾り気はないもののずっしりとした重量感がある。黒ずんでいるところを見るに、最近つくられたものではないのかもしれない。昭和につくられた鍵と言われると納得してしまうほどに年季が入っていた。その存在感から察するに、ちゃちな錠前に用いられるような鍵とは考えられなかった。門とか部屋とか、そういった重要そうな場所に使われそうな鍵のように思える。
「といっても、そんな場所なんて見当たらないよ」
華の言う通りであった。少なくとも見える範囲においては、門も部屋もない。もしかしたら、鍵はどこか別の場所で使用するのだろうか。そうだとしたら、今までの謎解きの苦労は何だったのだろうか。そのような後悔がユウの頭をよぎった。
今までしてきたことが無駄だとは思いたくなくて、床に目を向ける。調べる過程でいくらか綺麗にしたとはいえ、床には物が散乱したままだ。床はほとんど見えていない。確認していないところといえば、ここくらいのものであった。
まさか、こんなところに鍵が差し込めそうなところなんてないだろう――そうは思いながらも、ユウは床に散らばったものを集めて、テーブルの上へとまとめていく。ユウのやっていることをくみ取った華も、同じように床のものを拾い始めた。
そして床がよく見えるようになると、四角く区切られた場所が現れた。その場所には部員以外の立入り厳禁とかすれた字で書かれており、文字の下には、鍵穴があった。穴の大きさといい鍵の大きさといい、ぴたりとはまりそうだ。
ユウはしゃがみ込み、鍵穴へと鍵を差す。ぴったりとはまった。そのまま捻れば、錠の外れる手ごたえが伝わってくる。
「あ、あいたの……?」
ユウは頷く。確かに開いた感覚があった。鍵穴の下には、凹みがあり、どうやらそこが取っ手のようになっていた。そこに手をかけて持ち上げると、軽い抵抗とともに、床が持ち上がっていく。それほど重くもない扉は長年のほこりをまき散らしながら、開き切った。
「どこへつながってるんだろうね?」
ユウにもわからなかった。旧校舎の、それもクイズ同好会の部室に、床下へと続く扉があるだなんて想像もしていなかった。普通に考えれば、下の階に続いているのではないだろうか。そこまでユウは考えたが、首を振る。この下は音楽室で、構造上おかしいところがあるわけではない。あるとしたら、横へと繋がっているパターンくらいだろう――クイズ同好会の部室は三階と屋上へと続く階段のすぐ隣にあるのだから。
華の視線に、ユウは気が付く。不安そうな視線は、ユウを向いてから、扉の先の暗闇へと注がれていった。光が届くのは、ホコリの積もる階段部分のみで、その先は一寸先も見えない漆黒が広がっている。人も出入りもほとんどなかったのだろう。空気は澱んでいるように感じられた。
「どうする?」
ユウはわからないとばかりに首を振る。ユウも華も部室から出たいだけなのだが、目の前には謎の空間が広がっている。何かあるのだろうか。バールとか、もっといいのは直接脱出できるところが見つかることだ。
ユウは、階段に足を踏み入れる。迷っていてもしょうがない。男である自分が先に行った方がいいだろう。
「じゃ、じゃあ私も!」
後ろから声がやってくる。一人で見に行ってもいい、とユウは伝えたが、華は強情だった。
急な階段をそろりそろりと降りていく。体重をかけるたびに木でできた階段がきしんだ。音がするたび、ユウは寿命が縮むような気持ちを味わうのだった。
間もなく階段が終わり、床へ降りた。ほこりの舞う真っ暗な世界が広がっている。懐からスマホを取り出して、液晶が発する光を闇へと向けた。光が闇を払っていくと、階段の先には狭い通路が続いているようである。
「あれって扉かな……?」
光を向けた先には、華の言う通り、うっすらと扉のようなものが見えた。扉の先には何があるのかはわからなかったが、ここまで来た以上は行かないという選択肢はなかった。
たどり着いた扉は、金属製のものものしい扉。例えるなら、潜水艦にありそうな重そうな扉である。潜水艦と違うのは、扉を開くためにバルブを回す必要はなく、これまた重厚なノブが付いていた。鍵穴はなかった。
ノブを掴んで回す。力をかけると、あっけないくらいあっさりと、扉は開いていった。扉の先にあったのは、はしごだ。上へ上へと続くはしご。それの根元から、闇の中を伸びていくそれを二人は見上げる。
「どこに続いてるんだろうね」
クイズ同好会の部室は三階に位置している。上の階は屋上だ。そうなると、このはしごは階段の近くを通って、屋上へと突き抜けているはずだ。しかし、闇に包まれてことが、あのはしごの先がどこか異界へと繋がっているように思えて仕方がなかった。
とにもかくにも、ここまで来た以上ははしごを上ってみるしかない。それに何より、このはしごが屋上へと伸びているのであれば、屋上へと出られるかもしれないのだから。
はしごは錆びついていたものの、金具にも異常は見受けられなかった。掴んで激しく揺すぶって見ても軋むことはなく、ホコリが落ちてきて嫌な思いをするばかりであった。
ユウがはしごに手をかけて、上り始める。華にはついてこないでもいいという旨の言葉をかけていたものの、彼女はユウの言葉を無視して上り始めた。下からやってこられると、ユウも上るほかなかった。
はしごを上る。そんな体験は一度もないから、ユウは四苦八苦しながら上る。それに何より、足を滑らせてしまえば、華もろとも落下してしまうだろう。自分が怪我をしてしまう分にはいいが、華に怪我をさせてしまったらことだ。慎重に慎重を重ねながら、時間をかけて上っていった。
そして、はしごの終わりが見えてくる。そこにあったのは、それこそ潜水艦のハッチに使用されていそうな円形の扉で、見上げるユウからは、バルブが見えた。
足をはしごにひっかけて、バルブを握る。落ちてしまうかも。そう思うと、股間のあたりがキュッと縮むが、ここまできたらユウも腹をくくった。
両腕に力をこめ、全身全霊でバルブを捻る。はじめこそはびくともしなかったが、金属と金属とがこすれあう不快な音を立てながら、徐々に回り始める。いっぱいまで回し切ったところで、体全体を跳ね上げ押し上げた。
降ってきたのは土埃と光。闇に慣れた目にはあまりにも眩い。目をぎゅっと閉じていると、パラパラと土が頭や鼻に入って、咳き込んでしまう。目を固く閉じていた時間はそれほど長くはなかった。汗ばんだ体を風がなで、遠くからは人の声が聞こえてくる。そんなものを感じてしまえば、目を閉じてなんていられなかった。
ゆっくりと目を開けていく。白んだ視界はぼんやりとしていたが、少しするとはっきりとする。
ユウがいるのは、高いところのようであった。高いところ。周囲を見渡すと、見慣れた光景が広がっている。
ここは旧校舎の屋上だ。
「どう。なにがあったー?」
ユウは事情を話し、はしごをギリギリまで上る。そこは、屋上へと続く階段のその上であった。天井の上には傾いた給水塔があったのだが、そこの先端に、はしごはつながっていたようである。それほど大きな給水塔ではなく、四苦八苦しながらもなんとか給水塔から降りる。その隣に、颯爽と着地したのは、華である。
「本当に屋上だ。私たち脱出できたんだ……!」
感慨深そうに言った華は、うれしさを滲ませている。それを見ると、ユウも嬉しくなった。
「ユーくんのおかげだよ。君がいなかったら、私は脱出できなかったかも」
ユウは首を横へと振る。照れ隠しというのもあったが、華の運動神経なら、窓から飛び降りることだってできるような気がするからだ。つまり、自分がいなければ、もっと早く脱出できたかもしれない。遠くの空は赤みを帯び始めており、夕方に差し掛かろうとしている。朝からいたのだから、六時間は部室に閉じ込められていたということになる。
そう思えばこそ、安堵の息が口からこぼれていく。そんなユウの手に柔らかな感触。見れば、華がユウの手を握っていた。
「ありがとう」
そう言われてしまうと、ユウの顔は真っ赤になる。そんな彼を見て、華が笑う。
いい感じとなった二人の間に割って入るようにスマホが音を立てた――。
ゲームクリアという文字が下からせりあがってきて、セピア色の背景画像にこれでもかと映り込む。
「どうですかね」
「ちょっとこの表示は興ざめじゃないか?」
「確かに。しかし、ゲームをクリアしたことを教える必要があります」
そこには人間が二人いた。その頭にはHMDを装着していた。興ざめではないかと言った長身の男性は腕を組み、考えることしばし。
「そうだな。二人の向こうの空へと視点が飛んでいくような感じにしよう。そしてスタッフロールを流す」
「分かりました」
返事をした女性は、床を這うスパゲティコードの終着点であるPCに近づき、キーボードを打鍵する。モニターの右半分に先ほど見ていた光景が、左半分には英文がつづられたウィンドウが表示されている。女性はプログラマーで、その彼女へ指示を出す男性はプランナーといったところか。
ここはゲーム会社。会社というにはあまりにも狭く、あまりにも汚い。クイズ同好会部室とどっこいどっこい、いやそれ以上の汚さだ。ここの惨状を参考にしているから当然といえた。
ゲーム。彼らがつくっているのはVR脱出ゲームだ。しかしながら、そういったゲームはたくさんある。VRもだしVRじゃないのはもっと多い。二人だけの従業員が疲れ切った表情をしているのも無理はない。製作に時間がかかったからというのもあるが、差別化を図る方法がなかなか思いつかなかった。……差別化できたからこそ、ゲームは完成間際を迎えようとしていた。そのゲームが、先ほどHMDに表示させていたものだ。
VR脱出ゲーム。その中であれば、いかなるシチュエーションでも設定可能だ。VRならば、不思議な館に招待されるとか怪獣が襲来した街から逃げ出すとか現実ではできない状況を体験可能だった。しかし、誰だってそんなことは考えていて、そのような脱出ゲームはすでに発売されている。しかし、二人が開発したのは、そんなものとは全く違う。
脱出ゲームをしながら、過ぎ去った青春の輝きを再び体験することができたら面白いのではないか。
そのような考えが二人の脳裏に浮かんだのは、二人が青春を謳歌して来ていなかったことが一因として挙げられる。寂しいと思われるかもしれないが、本人たちは気にしていない。とにかく、面白そうだとは思った。
そして出来上がったのがあれである。
主人公はユウ。男性でも女性でもよい。華はナビゲーター。つまりは主人公をサポートするのが仕事である。ゲーム中プレイヤーが詰まった時に助言する。実際の脱出ゲームにも何らかの形で存在している役割だ。
ここからが革新的なところだ。プレイヤーはナビゲーターを自由に選ぶことができる。華はその一人で、おしとやかな同級生というのをイメージしてキャラ付けされている。ほかにも先輩だったり妹だったり、お嬢様だったり。もちろん女性向けのものだってある。そうやって、好みのキャラクターとともに脱出ゲームを経て、最終的に仲良くなって終わる……。それが、やっとこさ試作品ができたばかりのゲームの内容であった。
「おままごとみたいなものですけど」
「それを言ったらRPGは全部おままごとだ」
「別に、ワタシはプログラムが組めたら何でもいいんですけど」
「僕はゲームがつくれたらそれで」
二人はパソコン上のコードに目を向ける。ゲームは完成したものの、ここからバグ取りなどやらなければならない作業は山ほどある。
徹夜の日々はまだまだ続きそうであったが、それはそれでいいのだ。辛かろうが苦しかろうが、彼らにとってはこれが輝かしい青春なのだから。
『クイズ同好会部室からの脱出』 藤原くう @erevestakiba
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