自分よりも大切な人

 ことの始まりは今から6年前。

 私が10歳の時まで遡ります。

 この日、私は一人の少年と顔合わせをしました。

 同い年で、情熱的な赤い髪、そして整った顔立ちの男の子。

 彼こそが、シュヴァルツ・ヒストリア様その人でした。


 目の前にいる彼が、私の旦那様になる。

 そのことを頭ではわかっていても、実感が伴わなかったのは、当時の私が未熟だったのも理由の一つです。


 けれどそれ以上に、私と彼の間には永遠に埋まらない距離があります。

 いくら親しくなっても、私たちが触れ合うことはない。

 そのため、当時の私はシュヴァルツ様との間に心の壁を感じておりました。


 ……そんな私とは対照的に、シュヴァルツ様の心には熱い感情が宿っていたようで、なんと彼は私を一目惚れされてしまわれたのです。


 それからというもの、シュヴァルツ様は私と会うためにわざわざ山奥にある神殿まで足を運んでくださるようになりました。


 ……けれど私の心中は複雑でした。

 たしかに私を想ってくださるそのお気持ちは嬉しい。

 しかし、私は聖女で、シュヴァルツ様は王子様。

 私たちは婚約という形で結ばれてはいても、触れ合うことすらできない関係です。


 叶わぬ恋にうつつを抜かしても、シュヴァルツ様が苦しむだけ。

 そう考えた私は、極力彼に気のない素振りを取り続けました。

 そうすれば、いずれ私のことを諦めると思ったからです。


 けれど、どんなに私が素っ気ない態度を取っても、シュヴァルツ様の私に対する想いは変わらなかった。

 それどころか、私に冷たくされればされるほど、まるで倍返しと言わんばかりに情熱的な愛のこもった言葉を投げかけてくださりました。


 これには私もたじたじです。

 男の人と触れ合うことを許されない私にとって、彼のストレートな想いのこもった言葉は強く心に響きました。

 きっとその頃からでしょう。私の中にあった心の壁がなくなり、彼に惹かれていったのは。


 こうして時は流れ、私とシュヴァルツ様が出会ってから6年の歳月が経ちました。

 私たちの間には、語り尽くせないほど多くの思い出が生まれました。

 そしていつしか私は……彼への恋心を自覚するようになります。


 ……好きな人と両想い。

 本来ならば、これほど喜ばしいことはないでしょう。

 けれど私の彼への想いが強くなればなるほど、どうしようもない現実が私を悩ませます。


 それは、彼の将来の婚約者のことでした。

 彼はこの国の王子様です。

 将来、お世継ぎを作り、この国を維持していくという重大な責務があります。

 このまま私との関係を続けていくことは、彼のためにも、この国のためにもなりません。


 シュヴァルツ様が私のことを諦めることはない。

 それは今までの彼を見ていれば明らかです。

 ならば、この関係を終わらせることができるのは私だけ。


 私は悩みました。

 何日も何日も、悩みに悩み……そして覚悟を決めます。

 この恋を――人生最初で最後の恋を終わらせるという覚悟を……。


 ――あなたのことが嫌いになりました。

 ――もう二度と私の元に来ないでください。


 感情を込めず、ただ淡々と愛想を尽かしたという内容を書き綴った手紙。

 私たちの関係を終わらせるためのその手紙を、私はシュヴァルツ様の元へと送りました。

 当然、手紙を受け取ったシュヴァルツは納得されませんでした。


『ナターシャと会いたい。会って話がしたい!!!』


 そう仰い、何度も神殿まで来てくださいました。

 しかし私はそんな彼の嘆願を無視して、一切取り合うことはしませんでした。


 そして1ヶ月ほどが過ぎた頃、ようやく私のことを諦めたのか、シュヴァルツ様がここに来ることはなくなりました。

 こうして私の恋は幕を閉じたのです。


 きっと以前の私ならば、ここまでの覚悟を持って彼と接することはできなかったでしょう。

 けれど私にとってのシュヴァルツ様は、今や自分以上に大切な人。

 彼のことを思えば、私はいくらでも自分のことを犠牲にできます。


 シュヴァルツ様。

 あなたを傷つけてしまったとしたら、申し訳ありません。

 でも、どうか。どうか私のことはただのお飾りの妻として割り切って、あなたのこれからの人生を生きてください。


 たくさんの思い出をありがとう。

 こんな私の婚約者になってくれてありがとう。

 ……そしてさようなら。シュヴァルツ私の旦那様。


 ◆


 こうして月日が流れました。

 あれ以来、私は集中力を欠くことが多くなりました。

 きっとまだ彼のことを引きずっているのでしょう。


 魔族は狡猾です。

 ちょっとした私の油断が、そのまま国の危険に繋がりかねません。

 ……このままではいけない。

 そう思い、気を引き締め直しても、すぐに力が抜けてしまいます。


 そんな悶々とした日々を送っていたある日のこと。

 いつものように聖女としての勤めを終えた私は、神殿を歩いていると、女中たちが慌ただしくしている気配を肌で感じます。


 何やらただならぬ事があった様子です。

 けれど、今の私は噂話にかまけている余裕はありません。

 ……自分のことに集中しよう。

 そう思い、足早にその場を通り過ぎようとしたその時。


『――シュヴァルツ様が魔王を倒しに行かれてしまった』


 聞こえてきた言葉に動揺した私は、気づけば女中に詰め寄っておりました。

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