終章・■■■■■■の非日常
五月六日。
東京都千代田区、東京駅。
ゴールデンウィークが終わりを告げる週の真ん中、東京駅は田舎から帰ってきた家族連れや旅行帰りの若者をはじめとした人の荒波でごった返している。
時刻は間もなく十五時。ちょうど小腹が空く時間帯のファミリーレストランは特にその影響をモロに受け、まるで真昼のような賑わいを見せていた。
「だからさ、あのナイトーのフィニッシュは最高だった! まさか腕十字に持っていこうとするところをそのまま技で返すとか想像できたかよ!」
「はいはい、それ昨日からずっと言ってるな。そんなによかったか?」
「よかったろ? 俺はナイトーのファンじゃないけどあそこは思わず叫んだね」
「うん、隣でめちゃくちゃうるさかったのだけは覚えてる」
駅ナカのテナントとして営業しているファミレスの店内でボックス席に座った男が二人。
どこかに旅行に行ったことが一目で分かる大きめのスーツケースを席の奥側に置いて、手前に対面で座っていちごたっぷりなアイスパフェとチョコソースがかかったバナナパンケーキをそれぞれ頬張りながら思い出話に花を咲かせている。
身振り手振りで状況を再現しながら話を進める男は前髪をひとまとめにした茶髪に濁った海の色の瞳、黒縁の眼鏡をかけたあの彼。
「いやぁ色々あったけど行けてよかったぁ。口座が無事で安心したぜ」
「安心したのは俺の方。まったく、いきなり連絡が取れなくなったときはどうなるかと思った」
「あははぁ……」
一か月半ほど前、急に連絡が取れなくなったかと思えば二日後に池袋のマンションに呼び出され、車で迎えに行ったところ、明らかに怪我をしたであろう友人が出てきた時には青髪の彼も頭を抱えてしまった。
聞けばそのマンションに住んでいる女性に助けられて数日間世話になったと言うし、なんなら怪我をしたときに財布を盗まれたと言われたものだからもう大変。
もう遅いと言いつつも一応警察に届けを出しに向かい、その日のうちに盗んだ犯人が持っていた財布の中の免許証と顔が同じという理由から即日で返してもらえたのはある意味幸運だったのか。
それでも上着を完全にダメにしたという報告を受けた時にはさすがに眼鏡のバカを叱りつけた。
「その節は本当に申し訳ないって感じ。でも無事に帰ってきたからいいっしょ?」
「よくないだろ。それに、あれで無事って言われると常識が狂うからやめてくれないかな」
青髪碧眼の男がそう言いながら向かいの彼の頬についたクリームを紙ナプキンで拭う。
「ありがと、
「どういたしまして」
クリームを拭き取られてにこにこ笑う茶髪の男はお礼ひとつ言ったあとはまた旅行先での出来事を
食べこぼしも気にしないほど楽しげに話す姿にあきれ顔が隠しきれない青髪――
話の内容からして二人は地方で格闘技の興行を観戦に行ったらしいが、葉月の方はほとんど話についていけていない。
どうやら彼を引きずって行ったのはご機嫌な語り口が止まらない彼の方らしい。
「あと第一試合の
「お、おう」
「と、いうことで一通り話したから俺はトイレに行ってくる」
「脈略がないな……」
生理現象に襲われたとはいえ本当に行動がコロコロと変わるヤツだ。
「勝手に食うなよ? 間接チューはさすがの俺でもドン引きするから」
「誰もしねーよ‼」
「ついでに
「あぁこら! あーもう! 金を出そうとするな、あとで俺が買うから!」
一通り話を終え、パフェの中身も半分に差し掛かったかというところで立ち上がった彼はそのまま用を足しに行ってしまった。
カバンの中から財布を持って行こうとするのを葉月が全力で止めたが、こういう時には人の話を一切聞かない男なので全く効果がなかった。
残された葉月は一言で弄られながら、いつまでもご機嫌な彼の背中を見つめて困ったように笑っている。
「本当に、最近調子いいな、アイツ」
その言葉が聞こえていたかどうかはるんるん気分で歩を進める彼のみぞ知る。
やれやれ具合のため息交じりの視線を背中に受けつつ、ファミレスを出ていった彼はとても上機嫌だ。
ということで、葉月の視線を背中に感じつつフェミレス外の駅のトイレに向かった茶髪の男は人の波を避け、案内板に従って最も近いトイレを目指す。
混雑しているせいでそこまで距離がないのに辿り着くのに中々時間がかかりそうだなと苦笑いを浮かべ、
見知らぬ他人にぶつかりそうになる度に片手で詫びを入れつつ行く中、ふと背中を強く叩かれた気がして振り返った。
「ぶつかっただけか?」
そこには誰もいない。
もしかして子供が親と間違えて呼びかけたのが自分だったのか、などと考えて気のせいだと切り替えて今一度振り返る。
混雑している上、彼自身立派な成人男性なので多少の衝突程度なら気にしないのが一番だ。多少の衝突程度なら。
「……お前」
目の前に立ちはだかる一人の少女。否、彼女の場合はれっきとしたレディーと扱うべきだろう。
キャスケットを被ったセミロングヘアの赤毛、穏やかな草原のような翡翠を鋭く輝かせる挑戦的な瞳、穴を複数開けた耳には今日は二つずつピアスがつけられている。
小柄で少女みたいなのにどこか大人らしい、いいや、本当に大人の女性である彼女の姿には当然見覚えがあった。
だって彼女は、あの日ユウキを助けた探偵・月夜御鏡花なのだから。
「
目深く被っていたキャスケットをずらし、いたずらに微笑む。
「お前……どこまで調べた?」
「戸籍と最近の簡単な略歴かしら。前に言ってた色んなところっていうのはよくわからなかったけど」
「そうかそうか――さすが探偵だなぁ。こんなに人がいなかったらなにしてたかわかんねえよ」
「狙ってきたもの。当たり前でしょ?」
ユウキ――
名前も苗字とも名前ともとれる方だけを名乗り、他の情報はあれだけ隠していたのにさすがは探偵といったところ。基本情報は調べ尽くされてしまったようだ。
しかも、一般人には絶対に知られたくなかったモグリであることさえも。
「それで、俺になんの用? もしかして取り立てに来た?」
「まさか。お礼を言いに来たのよ」
「別に礼を言われるようなことしてねえし……それに俺は――」
「ありがと。アンタのおかげで助かったわ」
有無も言わさずして放たれた感謝に思わず反論の言葉が止まる。
彼女が心の底からあの一連の事件のことを感謝していることが、言葉と一緒に作られた柔らかで愛らしい笑顔で分かってしまった。
感謝されるほどのことはしていない。
むしろ感謝するべきなのは――――。
「あと、このこと隠してほしかったら私に協力してよ。ちょっと困ってることがあってね?」
「はぁ⁉」
「いいじゃない。幸せな生活から一転、犯罪者として逮捕されるか、それとも美人探偵にコキ使われるかだったらそりゃあ美人に付くでしょ普通!」
「はぁ……どっちもやだ」
普通に美人探偵なら後者を選ぶのだが、美人は美人でも中学生ルックでヤンキー気質が抜けていない乱暴女こと月夜御鏡花の下で働かされるとなると、逮捕されて罰金を払うか刑務所に入れられていた方がまだマシなのではないかとも思う。
しかしボランティア団体をやめた今は医療行為には一切及んでいないのでこんなところで捕まりたくないというのが彼の本音である。
「一体なにさせるつもりだよ」
「フフフ……それは話を聞いてからのお楽しみってことにしときなさい」
「うわ、余計にやだ」
なんだかロクなことにならないことを察知した。今すぐこの場から離れたい。
「ま、これも世のため人のためってやつよ。だから――」
手が伸びる。
「改めて、
握手を求める月夜御は満天の笑顔で、どうせもう決まっているであろう悠木の答えを待っている。
「……本当に、こういう強引なヤツは嫌いなんだ」
頭を掻き、目線を逸らして思案を巡らすフリをする。
口に出した言葉は嫌がる子供のような言葉でも、心の中では最初から決まっていた。
彼の答えは、ひとつしかない。
「
その手を握り返し、彼女と行くことを決める。
「やっと名乗ったわね。遅かったじゃない」
「遅くない。むしろこれから付き合いが長くなるんだろ」
「それもそうね」
挑発的に、なおかつ強気に大胆に月夜御が見上げる。
悠木にできることと言えば、目を逸らして彼女の視線から逃げることだけだった。
ひとつの奇妙な事件をきっかけに出会った月夜御と悠木は手を取り合い、今までとほんの少しだけ違う明日を生きていく。
これは、そんな物語の前日譚。
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