エンド13「まほうにかけられて」

藤原くう

第1話

「なんだこのつまらんエンドはっ!」

 口にした言葉とともに、拳を机に叩きつける。狭いデスクに置かれたコップが揺れ、踊るように体を揺すった。マズイと思って手を伸ばしたのが、事態を悪い方向へと進ませる。

 つかみ損ねたコップがますます揺れ、そして、ぐらりと倒れた。クスリっぽい香りのエナドリがデスクを濡らす。緑色の波は、デスクに置かれた光るキーボードとマウスを浸していく。僕は慌てて、ゲーミング専用の機器を退避させようとするのだが、その際に頭をモニターにぶつけてしまう。

 モニターが揺れる。何年か前に買ったモニターアームが軋み、折れる。

「ああっ!?」

 モニターアームが根元から折れ、緑の海に落下するのを見ていることしかできない。

 落水。しぶきが僕の顔にまでやってくる。右手にキーボード左手にマウスを持って、うめく。

 五万円もしたのに……。

 遅れてそんな感情が訪れたのもつかの間、モニターが光を放つ。その強い光は、後から考えても火花とか漏電とかそんなものではなかった。サーチライトを向けられてしまったときのようなそんな強烈な光に、目をぎゅっとつぶる。

 次の瞬間、僕は吹き飛ばされていた。

 何が起きたのかなんて分からない。気がついたら、暴風のようなものが吹き、僕の体を椅子ごと吹き飛ばしたのだ。わずかの間、空中を浮かび、そして壁に叩きつけられる。胃の底から空気とともに形容しがたい声が漏れた。

 背中がズキズキとして痛い。あまりの痛みに、僕はゴロゴロと床を転がった。その間も風は吹きすさび、光は太陽のごとき輝きを放っている。

 不意に、桃色の声が聞こえた。かと思えば、僕の体にのしかかる重み。その柔らかな重みに、僕はまたしてもうめき声を上げた。

「な、何が……」

 顔を上げる。仰向けの僕の上にいたのは、女の子。

 その女の子には見覚えがある。というか、ここ数日は、ずっと見ていた女の子の一人。

 目をぱちくり。閉じたり開けたりしても、女の子は姿を消さない。さもしい大学五年生が生み出した幻覚かと思ったのだが、そういうわけではないらしい。それに何より、腹部に感じる体重と熱は現実のものだ。

 女の子は、僕のことをじっと見つめていたかと思えば。

「ここはどこ?」

「ここって。いや、それよりも君たちは」

「先に答えて。あなたは『そふと』の手下なの」

「『そふと』って――」

 僕が女の子に訊ねようとしたときである。光はまたしても生じ、その光から人影が飛び出してくるのが見えた。二人の人影はもつれるようにして、僕と女の子の方へとやってくる。

 よける間もなく、僕と女の子は下敷きとなってしまう。何度目かの痛みであったから、先ほどよりは痛くなかった。

「いたたたた……」

「ちょっとどきなさいよ!」

「ご、ごめんなさい」

 僕と先にやってきた女の子の上に乗っている二人がそのような言葉を発する。ちょっと高い声と子供にしてもハスキーな声。それらの声にもまた、聞きなじみがあった。

「あの」

 僕が言葉を発すると、姦しい声を上げていた二人がハッとしたように僕の方を向いた。その瞳には恐怖となぜだか嫌悪感が混じっていたが、何とか言葉を続ける。

「き、君らはどこから……?」

「わたしが聞きたいくらい」

 そう言ったのは黒い髪をした女の子。ハスキーボイスの持ち主は彼女である。そんな彼女は嫌悪感を隠そうともしない鋭い視線を僕へと投げかけている。

「ひ、光に巻き込まれて気がついたらこんなところに」

 隣にいるおどおどとしている女の子が言う。桃色の髪をボブカットほどに伸ばした気の弱そうな少女である。見ていると、目をそらされた。

 そして最後に――。

「ねえ。あたしのことを忘れてないかしら」

 女の子二人がぎょっとする。顔を見合わせる。

「へるんの声が聞こえたわね」

「うん。で、でもどこに……?」

「あんたらの下よ!」

 声の方を見れば、確かに金髪が二人の下に見えた。女の子らのお尻に敷かれた格好のへるんは、顔をしかめながらもつり目を二人の女の子へと向けていた。

 へるんの上に乗っていた二人が慌てたように立ち上がる。それから、へるんも。

 そうして、三人が僕を見下ろす。

「この人誰なの?」

「知らないわ。気がついたら、ここにいたもの」

「へ、へんたいさんじゃないですよね?」

「ち、違うわ。誰がエロゲおじさんだ」

「エロゲおじさんらしいわ」

 ため息とともにへるんが言った。その言葉には侮蔑が多分に含まれていて、彼女を見ていられなかった。

 実際、エロゲおじさんという大学での愛称を僕は否定することができない。だって、今の今までやっていたゲームはエロゲなんだもの。

 目の前の女の子三人衆に見覚えがあるのは、彼女たちがそのエロゲの攻略対象に瓜二つだったからだ。いや、瓜二つどころではない。へるんの目の下のほくろにいたるまでそっくりで、画面の中から飛び出してきたと言われても信じてしまいそうなほどだ。

 画面から――ゲームから飛び出してきた。

「そんなまさかね」

「なにぶつぶつ言ってるのよ。きもちわるい」

「ご、ごめん。それよりも、さっきソフトって言ってたけど」

「そうよ。そふと! あんたたちに押しつぶされたせいですっかりわすれてたわ。それで、そふとはいるのかしら」

「いないけど……」

 ソフトというのは、へるんたち三人の魔装少女の前に立ちふさがる悪の組織である。そふとは『SOFT』で何かしらの頭文字をとったものであったが、何かは失念してしまった。僕がプレイしていたエロゲは『魔装少女∞ブーザーガールズ』といって、一口にいえば女の子三人が悪の組織と戦い、勝ったり負けたりするところを見るゲームである。といっても凌辱ものではなかったりする。どちらかといえばエロゲらしからぬほど熱い。エロはおまけであった。

 真ん中に立っているのがへるん。三人の中のリーダーで、負けん気が強い。僕から見てへるんの隣にいるのが、桃色のおどおどとした女の子の天吹。逆サイドが、黒髪の利発そうな井久保。

 三人そろって、ブーザーガールズ。そして、彼女たちをまとめるのが僕――じゃなくてプレイヤーだ。

 このゲームは平成の中ごろに発売されたもので、中から女の子が飛び出してくるような機能はなかったはずだ。

「ここには、ソフトはいないのね」

「う、うん」

 少なくとも、住む世界が違うはずなので――ゲームの中を世界と呼称するならばだけど――ソフトという敵性生物は存在しないはずである。念を押すような言葉に圧倒されながらも、僕は頷いた。

「よかった」

 へるんが取り出したステッキ――というよりはマドラーのようにも見えるそれを一度振るう。そうすると、女の子をキラキラとした光が取り囲み、変身が解除される。

 変身を解除したへるんたちはやはり幼子で――。

 どういうわけか局部を覆うように広がった光が消滅した後に立っていたのは三人のうら若き乙女たちであった。

「え」

 驚きの声を発した僕をよそに、へるんがけだるそうに首を回す。パキパキと音を鳴らしながら部屋の中を睥睨し、ソファを見つけるとため息とともに腰を下ろした。へるんの身長は倍以上にも伸びていたが、それだけではなく肌はこんがりと焼けている。全身こげ茶色。それがよくわかるのは、クラッシュジーンズにキャミソールといった露出度の高い服装をしていたからだ。彼女に残るへるんの面影といえば、金髪くらいのものだった。

 そうやって見ていれば、へるんが僕を睨みつけてきた。

「なに」舌にはピアスが見えた。「何か言いたいことがあるなら言えよ」

 その口調はなるほど確かにへるんが発しそうな言葉であったが、ギャル同然の彼女から言われてしまうと、なんというか圧というものをひしひし感じて、言葉が浮かんでこない。

「驚いてるん? うけるんだけど」

 小ばかにしたような笑い声を浮かべてへるんが言う。

「あーしたちがガキだって思ってたんだろ」

「ま、まあ」

「そんなガキがソフトのやつらに辱められて悦に入ってたあんたは知らなかったってわけ。あの姿はあーしらが変身した姿ってことを」

 ちょーうけるんですけど、とクスクス笑うへるん。

 彼女の言っていることが本当のことだとは思えなくて、他の二人の方を向く。

 彼女たちは、大きくなんてなっていないだろう――。

 そのような想いは粉々に打ち崩された。

 そこにいたのは、へるんと同じように成長した天吹と井久保であった。

「わたしたちは大人なのよ」

「か、隠しててすみません……!」

「でも、そんな情報どこにも」

「没データとして存在しているの。製作者は、大人が子供に変身して、その最中に辱められる――という設定でゲームを作ってたのよ。でも、偉い人たちから『そんなニッチなので売れるかもっとロリコン層を狙ってけ!』と言われて断念したそうよ」

「ダメですよ。そんなメタメタなことを言っちゃ」

「そんなのどうでもよくね? こんな√に入るプレイヤーいないって。それよりもパーティしちゃおうよ」

「パーティ?」

「そ。パーティ。もちろん、男と女がいるパーティっていったらあれよ」

 あれって何だろうと思っていると、へるんは右手で輪をつくりその中に左手の人差し指を通したり出したり。それが指し示す行為は一つしかない。彼女がにやにや笑っているところを見るに『セ』から始まるあれである。おおかた、童貞だとあたりをつけて――実際そうなのだけど――からかっているのだろう。だけど、僕には無意味だ。

「あ、すみません。幼女以外は興味ないので」

「…………」

 無表情になったへるんが立ち上がり、僕の前までやってくる。その手が僕の股間を強く掴んだ。

「あんたのどうなってんのよ! 男ならあーしみたいなかわいい子を見たら、勃起させなさいよ!」

「無茶苦茶な! というかかわいい子は股間なんて掴まない!」

「バッカね。女の子は掴むし咥えるわ。童貞にはわからないでしょうけどね」

 ――そうでしょ。

 へるんは残り二人へと声をかける。へるんが期待していたような肯定の声は上がらない。天吹は顔を髪と同じように桃色に染めている。井久保は別のものに興味が向いているようであった。

「まさか処女――」

「そ、それはへるんちゃんも一緒だよお」

「うっさい!」

 へるんは顔を赤くさせる。人のことは童貞だと決めてかかって来たくせに。そのような視線を向けていると、へるんが蹴り上げてくる。

「うわっあぶなっ!?」

「どうして避けるのよ!」

「当たり前でしょうが!」

「と、とにかくへるんちゃんは、男の人の股間を掴むのをやめて……」

 天吹の言葉に耳を傾けることはなく、へるんは僕の脛を執拗に狙ってくる。助けを求めるように、最後の一人へと目を向ける。

 僕とへるんのやり取りを静観していた井久保は、腕を組んで何事かを考えるかのように目を閉じていた。

「助けるのはやぶさかでないが、条件がある」

「条件?」

「お酒をくれないか?」


 ソファには三人が座っている。

「そういえば、あんたはなんていうの」

「僕はスイだよ」

「スイね。ま、名前で呼ぶことなんてないっつか。ロリコンって呼ぶから」

 否定してもしょうがないし聞くようなタイプには見えないので、何も言わない。

 それよりもだ。

 へるんの隣に座っている井久保に目を向ける。彼女の手にあるのは一升瓶だ。もう片方にはおちょこ。旅行の際にお土産として購入したものであった。お酒といえば、それか料理酒しかなかったのだ。ほんのりと頬を赤くさせた井久保はおちょこを使わずラッパ飲みしている。そのたびに、アルコールのなんとも言えない香りが漂ってへるんが顔をしかめる。

「どうしてこのウワバミに酒なんて与えたのよ!」

「そうでもしないと金玉が割れるところだったからだよ!」

「き、きんたま」

「あ、ごめん」

「べべべつに。へるんちゃんで慣れてますから……!」

 顔を赤らめ俯いた天吹。それを見たへるんが舌打ちする。

「なーに純情ぶっちゃてるんだか。露出狂の癖に」

「違います! 家では裸族ってだけで!」

「家だけじゃないじゃない。外でもしてるって、前に」

「そそそそんなことっ」

 あたふたとし始めた天吹が、言葉を続けようとするへるんの口を押さえんと手を伸ばす。伸ばされた手をかいくぐるへるん。どたばた騒ぎの隣で、我関せずといった素振りで一升瓶に口をつける井久保。

 ――この人たちはヤバい。

 そう思ったのもつかの間、窓の向こうが明るくなった。火事とかヘッドライトとかではなく、閃光が弾けたような感じ。

 この感じはまずい。そう直感したのだが、時すでに遅し。

 光の減退とともに、人影が現れたかと思えば、窓ガラスを割り部屋の中へと転がってきた。その闖入者を、僕だけではなく三人も見た。

 黒っぽくどこかおどろおどろしい威圧感のある服装には、既視感しかない。

 キラキラとしたガラス片の真中で、その人物は立ち上がる。

「余はサイダ。バーミーズよいざ尋常に――」

 腰に付けた大太刀を鞘から抜き、三人へと向ける。そうして、三人の姿を捉えると、小さな目をこれでもかと見開いた。

「あれ。バーミーズの反応を追いかけてやってきたのじゃが、おぬしらは?」

 尊大そうな少女であり、実際に偉い――こう見えてもソフトの首魁である――サイダは僕には目もくれず、ソファに座る女子の方へと目を向けた。敵のボスの登場に気がついているのは天吹くらいのものである。井久保は酒瓶を抱きしめまどろんでいた。ソファにだらしなくもたれかかり、退屈そうに欠伸をしていたへるんがようやっとサイダの存在に気がついた。

「よぉーっす」

 気の抜けた返事とともに、けだるげに手を上げる。

 へるんの挨拶に、困惑顔になりながらもサイダは応じる。

「って違うじゃろ! なんでそんなに気を抜いているのじゃ!」

「だって、ここあーしたちの世界じゃないし? 守る必要もないっていうか?」

「ど、どういう意味じゃそれは」

「説明するのだるー。そこのロリコンが説明してくれるわよ」

 サイダの訝し気な目が僕の方を向いた。

「おぬしは?」

「僕はスイっていうんだけど。この世界にはソフトとかバーミーズはいなかったんだ」

「いなかった――ということはじゃ、余やバーミーズが現れるまでは、ということかの」

 僕は頷いた。「光の中に入らなかった?」

「入ったな。そうしたら、余はこの部屋にやってきた……。光が何かしらのトンネルになっていたのじゃな。スイが何かをしたのか?」

「いや僕はただ、飲み物をこぼしただけで」

「なんじゃそりゃ。そんなので世界と世界を繋ぐわけなかろうもん」

「ですよねー」

 サイダの目が、バーミーズの三人へと向く。彼女たちが醸し出す雰囲気は、戦っているときの真剣なものではなく、たるんでいる。サイダがため息をつくのも無理はない話であった。

「別の世界にやってきたのはいい。やる気がないのも百歩譲っていいとして、その姿は」

「これ? あーしたちの本当の姿。変身するとガキんちょになっちゃうんだよね」

「にわかには信じがたいが、魔力の反応は憎きあやつらのそれと同じじゃから、信じざるを得ない……」

 信じると言いつつも、サイダはこめかみを強く押さえている。

「というか、そこの酒瓶抱えてるやつは一体何を考えているのじゃっ! 人の話も聞かないで」

 こっくりこっくりと舟をこいでいた井久保が、目を覚ます。きょろきょろとし、それからサイダの方を向いた。その瞳には、何やら妖しい光が浮かんでいるように見えて、僕は唾を飲み込む。

「な、なんじゃ。じろじろと見て」

「貴女もこれを飲みたいの?」

「いや別に。というか、余は未成年で――」

「いいからいいから。すっごくおいしくて、ふわふわーってして」

「だからいらぬと。ええいこっちへ来るな近づいてくるな!」

 ソファから這うようにしてサイダの下までやってきた、おちょこに酒をなみなみ注ぎ、それをサイダへと押し付けている。サイダはそれを受け取らないよう押しのけようとしていたが、体格の差に押し負けようとしていた。未成年かはさておき――エロゲの登場人物は二十歳以上である――小さな体躯の女の子にアルコールを押し付けるのはいかがなものか。それを口にしても、べろんべろんに酔っている井久保は全く耳を貸さない。耳を貸さないやつらばかりか。

 バーミーズのリーダーたるへるんに助けを求めるが、ゆるゆると首を振るばかり。それで、今度は天吹に助けを求めることにしたが、もじもじしていてなかなか返事をしてくれない。

「あっすみません。ちょっとぼんやりしてて」

「と、とにかく井久保さんを止めて。嫌がってるのに飲ませるわけにもいかないから」

「あーしとしてはみんなで酔っ払ってパコパコ――」

「色情魔の処女は黙ってて!」

 ポカンとした表情を浮かべたへるんはさておいて、天吹とともに井久保を引っぺがそうとする。泥酔状態なのにその力は非常に強い。サイダから離れないどころか、腕を掴んで引っ張ろうとしている僕に対してお酒を飲ませようとする。

「どうしてそんなことするの。一緒に飲もうよ」

「うわっ酒くさっ!? もうそれ以上にした方がいいですよ」

「まだ大丈夫だもの……」

 僕がおちょこを拒否すると、今度は天吹の方を向いた。天吹は困惑していたものの、のらりくらりと押し付けられてお酒を飲んでしまっていた。小さなおちょこが空になると、すぐさま液体が注がれる。飲むと注がれ飲むと注がれる様は、さながらわんこそばのよう。数杯飲み下した天吹が長い吐息を吐いた。顔はかなり赤みがかかっていて、どこか艶っぽく見えた。

「だ、大丈夫ですか? 顔が赤くなってますけど」

 ほんのりと頬を赤くさせた天吹は、とろけたような笑みをたたえていた。酔っぱらってしまっているのではないか。

「酔っぱらってなんかないですよぉ。でもちょっと暑くなってきちゃいました」

「別に暑くないけど……」

「すっごく暑いです。もう脱いじゃっていいですか。いいですよね……?」

「いやダメだって! 僕男だよっ!」

「もう我慢できないんです!」

 言いながら、ブラウスを脱ぎ始める天吹。上へと持ち上げられていく白の衣の間から、上気した肌とピンク色の下着がちらりと見えて、僕は顔を両手で覆う。恥ずかしくて見てられない。

「まったく生娘かよ」

 バカにするような声が飛んでくるが、気にしない。女性の痴態を目にするなんて無粋なこと、僕にはできなかった。

「な、なにがどうなっておるのじゃ」

「こ、こっちに」

「こっちってどっちじゃ。おい! 胸を触るな!」

「ごめん! 手を顔で覆ってるから見えなくて」

「そうか。それはすまぬ」

 僕はサイダを引っ張るようにして、その場を脱する。僕とサイダは揃ったように安堵の息をついた。顔を見合わせ、笑う。

「あやつらは頭がおかしいのではないか?」

 サイダの震える指が指す先には、酔っぱらって愉しそうにしている天吹と井久保とそれを見て愉しそうにしているへるんがいる。頭がおかしいは言いすぎにしても、個性的なのは間違いない。

「お酒飲んじゃってるからね」

「お酒とは恐ろしいものじゃ。かように人を狂わせるとは……!」

 指だけではなく体全体を震わせるサイダは、本気で怖がっているように見えた。怖がるのも無理はない。目の前で繰り広げられているのは酒盛りで、酔っぱらっている二人とそれをあおる一人の姿は狂乱といっても差し支えない。……僕まで胃が痛くなってきた。新歓のときに酒を押し付けられて、吐くまで酔いつぶされた時のことが脳裏をよぎって、吐き気がぶり返してきた。

 トイレにでも行ってスッキリさせてこよう。この部屋から一刻も早く出て行きたかった僕は、そのような決心をし、立ち上がろうとする。扉の方へと向かおうとした僕をサイダが引き留めた。

「ど、どこへ行くのじゃ」

「ちょっと、トイレに」

「余を一人にするつもりなのか……?」

 見上げるサイダは、目をウルウルさせながら訴えてくる。確かに気の毒であった。泥酔したダメ人間たちの矛先が、か弱そうな彼女へといつか向くことは想像に難くない。そして、幼女が困っているところを見過ごすわけにはいかない。

「わかった。じゃあそっと行こう」

「バレないようにじゃな? わかっておるとも」

 ぱあっと表情を明るくさせたサイダを見ると、こっちまで心が晴れ渡るようだ。……それに引き換えあの三人組は。

 手拍子を背後に聞きながら、僕とサイダは部屋を後にしたのだった。

 

 僕が借りているアパートはワンルームタイプで、先ほどの部屋を除くとロフトくらいしかない。トイレと風呂もあるけれど手狭だし、そんな個室に幼女と一緒にはいられない。そんなことをしてしまえば、指を指されパトランプの赤い光が僕を追いかけてくることとなってしまうだろう。イエスロリータノータッチである。

 そういうわけで、僕はトイレに入り、サイダは廊下で待たせることにした。それを伝えると、またしてもサイダは目じりに涙を浮かべた。

「余を一人にしないでくれ。すごく不安なのじゃ」

 ちょこんと手をつままれながらそう言われてしまう。ときめかない男などいるのだろうか、いやいない。

 そうなると、幼女の頼みか世間一般の目かどちらかを選ばないといけないけども、そんなの決まっている。幼女の頼みの方がずっと重要だ。それに、やましいことをするわけではないのだから、国家権力の皆々様も許してくれるはずだ。たぶん恐らく。

 トイレに入り、便座に腰を下ろす。吐き気はいつの間にか収まってきて、代わりに尿意が増してきた。いつもは立ちしょんだけど、さすがに幼女の前で息子を晒すわけにはいかない。

 狭い個室。目の前には女の子が立っている。正直なところ、トイレどころではない。そわそわそわそわしてしまって、尿意なんてどこかへと飛んでいってしまった。相手が、エロゲの登場人物ならばなおさらだった。

「や、やっぱり出て行ってほしい――」

 そこまで口にしたところで、サイダが扉に手をかける。サイダのため、そして自分の理性を保つために開かれていた扉を、サイダ自身が閉じる。

 かちりとカギがかけられる。

「サイダちゃん……?」

 返事はない。サイダが近づいてきて、そのまま抱きついてくる。

「い、いきなりどうしたの!?」

「余はどうにかなってしまったみたいじゃ」

「どうにかなってしまったって……まさかお酒を?」

 抱きついてきたサイダから熱と、トクトクという力強い脈拍が伝わってくる。あの時酒を飲まされていたとしたら――。

 しかし、サイダは首を振った。

「酔っぱらってなどいない。ただ、おぬしに一目ぼれしたのじゃ」

「ひ、一目ぼれ?」

「ああ。余を助けてくれたではないか」

「いやそれだけで好きになったって言われても……」

 僕個人としては嬉しいのだけど、それは何というかなかなか信じられない。僕を騙すために嘘をついていると考えた方が理にかなっているような気がしてならない。

 僕の言葉に、どうしてじゃ、と悲し気な語気でサイダが呟いた。

「もしや、余の体躯のことを気にしておるのか?」

「や、そんなわけではないけど」

「隠すことはない。ゲームの登場人物は皆成人済み。もちろん、余もだ。それに、見た目が気になるというのであればこういうことだって――」

 次の瞬間、サイダが黒い光に包まれる。眩しいと思ったのもつかの間、サイダのその姿は、ずっと大人びたものとなっていた。

「実はな、あの者たちと同じように余も変身しておったのじゃ。大人の都合、というやつじゃな」

 ――これで満足じゃな。

 そう言って、唖然としている僕に妖艶な笑みを浮かべたサイダの顔が近づいてくる。

 唇と唇とがぶつかり、口内へとぬめりとした長い舌が滑り込んでくる。

 似たようなことをついさっき、モニターの向こうに見たような。しかし、小さな疑念は全身へ襲い掛かる快楽の波にさらわれて、わからなくなるのだった。

 

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エンド13「まほうにかけられて」 藤原くう @erevestakiba

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