03 無理な話

「か、景くん、しっかり!」


 疲れと苛立ちと、犬扱いがつらい。そんな景虎の背を小萩が優しくさする。


「天野さん、いじめちゃ駄目です! 景くんはすっごく繊細な人なんです!」


「繊細? はは、なるほどつまりは豆腐メンタルというやつかな」


 いや、どちらかというとプリンメンタル? がおがおプリンに掛けて。


「ところで小萩。その男はなんだ? さきほどから、なにやら店のことに口を出してくるのだが。非常に不愉快だ」


 天野が落ち込む景虎を指して言った。


「あれ? 遥さんから聞いてませんか? ホール担当の景くんです」


「さてな。聞いたかもしれぬし、そうでないとも言える。俺も多忙ゆえ、どうでもよいことは覚えておらん」


 それはつまり、こちらに興味がないということか。いや、あっても困るが、その程度のことは把握しておけと思いながら、目の前の砂利石をながめる。

 あぁ本当にもう帰りたい。


「おい豆腐。神聖な神社で腐った気を放つな。きざむぞ」


 豆腐だけにか。

 よひらがさげすんだ目でこちらを見ている。薙刀なぎなたを向けながら。

 チクリチクリと。少し痛い。


「わわ、駄目だよ、よひらくん! 危ないよ」


「だって、コイツ陰気くせぇし、悪いもんとか連れてきそう。……つうか小萩もなんでこんなのと一緒にいんだよ。運気下がるぞ」


 ……こんなのって。


(ひどい言われよう……)


 神社に来てから散々だ。ついた途端武器で脅され、ここの宮司らしき天野からは邪険な扱いをされる。そして現在も隣でチクチクとされている(精神&物理)。ここはどこぞのオフィスか? 同族経営か? 景虎の心はますますブルーになった。

 そんな景虎の様子を察したらしい小萩が、彼の代わりに天野たちへ自己紹介をした。


「えーとですね。景くんは最近入ったアルバイトさんです! ホール担当のウエイターさん。年齢は20歳。普段はちょーっと暗いですが、お客さんとお話するときはいつも笑顔で、近所の主婦さんから可愛いって人気があります! それからー、好きなお菓子はパン屋さんのドーナッツ。最近はシナモン味がお気に入りで、『焼きは邪道、油で揚げたものこそ真のドーナツ』って言っていました。あと、そもそも焼いたものはマドレーヌと同じ味だからドーナッツじゃなく焼き——」


「ふむ、そうか、小萩。よくわかった。だからその辺でやめておけ」


「え、まだ途中ですよ?」


「駄目だ。割愛しろ。もしくはやり直せ。ソレの話にも細かな菓子の線引きにも、誰も興味は示さん」


 カットされた。よってテイクツー


「それじゃあ……。——この人はモーニングのアルバイトさん、景くんです!」


「よし、わかった」


 天野は大きくうなづき、空を見上げた。


「……あぁ、もうこんな時間か。悪いがこれから来客の用があってな。お前たちの、特にその男の相手をしている暇はない。今日のところは帰るといい」


 そういうと天野は手を打ち鳴らし、双子に指示を出した。


「——よひら、七花。お客様はお帰りだ。下まで送ってやれ」


「「承知いたしました」」


「ほら、帰れよ。くさった豆腐」


「ちょ、おい!」


 よひらがぐいっと景虎の背を押し、


「小萩様もこちらに」


 七花が優しく小萩の手を引いた。


「——あ、天野さん! 待ってください! お店が無くなるのは嫌なんです! 売上なら頑張りますから!」


 小萩が七花の手を振りほどき、拝むように天野へ頭を下げる。


「小萩……」


「お願いします!」


 必死な小萩に、流石の天野も困ったのか、その顔には困惑した表情が浮かんでいる。


「はぁ……小萩よ。俺はあの店の存続には反対なのだ。この辺りで手を引いておきたい。それからお前も、これ以上は製菓の腕を上げるな。次は料理でも学べばよい。良い店を紹介してやるから」


「な、なんでですか! 私、あの店に入ってからすっごくお菓子作りうまくなったんです! それに遥さんも景くんも、月ちゃんも! お客さんだってみんな優しくて。あの場所は私の宝物なんです。だから無くさないでください!」


 泣きそうな顔で、小萩は彼に閉店の撤回をう。


 そんな彼女の様子を見ていると、心がざわざわとして落ち着かない。天野に簡単にあしらわれる自分がひどく情けなく感じる。それはそうと、


(ん? ひとり足りていない……?)


 モーニングにはもうひとりパティシエがいるのだが。……可哀想に存在を忘れられているようだ。


「天野さん! 嫌です! お願いします」


 小萩が天野の腕にしがみつく。


「これ小萩、そう引っ付くな。嬉しいがその頼みは聞かん。——おい、七花」


「は、はい」


 七花が小萩を天野から引き剥がそうとする。


「七花ちゃん、離してー」


「お、落ち着いてください、小萩様」


 ばたばたと暴れる小萩。おろおろとした様子で小萩をおさえる七花。

 そんな様子を見ながらひとつ、景虎は気になることがあった。それは今朝の遥の言葉。


〝本当はね。もう少し続けるだけの余力はあるんだけど……天野さんが——〟


(………………)


 確かに店の経営主はこの男だ。だが店長は遥。直接店を任されている彼女が言うのだ。

 ならば、多少はどうにかなるのではないのか? 

 ほら、よく言うだろう。うえの人間は現場を知らない、だから好き勝手言えるのだと。


「……おい、だから待ってくれ。遥さんの話ではまだ経営に余力があると言っていたぞ。なのになぜそこまで『駄目だ』の一点張りなんだ? 小萩の言う通り、売上をあげれば店は潰れないだろ?」


「……なに? 遥がそのようなことを?」


「あぁ」


 景虎が遥の話を伝えると、天野は少し考えこむ様子を見せた。


「……ふむ。それは妙な期待をさせた遥が悪いか。残念だが余力など無かろうな。おそらく持ったところで、みつき……いやふたつき……といったところか」


「なんでだよ」


「なぜもなにも。お前は遥の金銭管理の無さを知っているのか?」


「金銭管理……? いや……」


「アレはな、細かい作業が苦手なのだ。やること全てが大雑把というか、菓子の腕は良いとは思うがな? 店の資金管理がまったくできていない。おかげで借金が減らなんだ」


「「借金⁉」」


 景虎と小萩は声をそろえて驚く。


「なにを驚くふたりとも。店を運営している以上、多少の負債ふさいはあるものさ」

「それはまぁ……」


 言われて見ればそうだ。黒字経営の店ならばともかく、モーニングは休日でも客が少ない。おそらく赤字の月も多いのだろう。天野の言葉に景虎は妙に納得した。


「……だがまぁ問題は額が少々な。お前たちは知らぬようだから教えてやるが、あの店には、二千万ほどの負債がある」


「二千万⁉」


「え! 嘘⁉」


「事実だ。流石にそれだけの額を抱えれば、経営は続けられん。いちおうは銀行へも追加の融資を打診しておったが駄目だった。それどころか借りていた金の半分をすぐに返せと言われてな」


 天野が難しい顔で話す。


「二千万の半分ってことはつまり……」


「一千万ですか⁉」


「左様」


(…………そんなに)


 一千万。

 どう考えたってすぐに返せる額ではない。ゼロが一つ多い。

 せいぜい真面目に働いたところで返済に十数年はかかるだろう。


「ちなみに返済期限は?」


「今年の暮れまで」


「暮れ……」


(今は九月の下旬……)


 つまりは残り三ヶ月。その間に一千万。馬鹿げた数字である。

 もしこれが大きな会社ならばどうにかなるかもしれない。

 だが、モーニングは小さな洋菓子店だ。一日の売上だって多くはない。


 そこからの返済となれば、経費を引いても微々たる額だろう。

 しかもそれだけじゃない。たとえ今、店を閉めたとして残された負債はどうなる。そもそも返せるのか。そこから既に危うい話だ。


(そんな額、どうすれば)


 二千万という負債を前にして、店を続けようなどとは簡単には言えなくなってしまった自分がいる。


「……………」


「さて。現状はわかってくれたかな? 残念だが、菓子のように甘い考えなど通用せん。諦めろ」


 【諦める】確かにそんな選択肢以外はあり得ない。

 わかっている。仕方がない。だって一千万だぞ。

 そんな大金を三ヵ月で用意しろなんて無謀な話だ。


(できないものはできない。だったら早く手を引いて、そのぶん余計な出費を抑えて、今あるだろうわずかな資金を返済にてたほうがいい……か)


 天野が言うことは間違っていない。

 さきほどから駄目だという天野の意見は理解できた。もし自分でもその立場ならば早々そうそうに店を閉め、返済資金の調達に奔走ほんそうすることだろう。


(だけど……)


 諦めたくない自分がいる。

 そんなこちらの気持ちに気づいたのか、天野が口を開く。


「言っておくが、そのような額、幸運でも重ならぬ限り無理だと思え」


「…………っ」


 たしかにそうだ。それだけの金額、普通に働いて稼げるわけがない。何かの奇跡か、はたまた汚い金でも無い限りは、すぐに返済することなど無理であろう。


(…………そうだ。不可能だ)


 世の中できないことなんて数多くある。

 それをどうにかしようと馬鹿みたいに足掻あがくくらいなら、さっさと諦めるべきだ。

 その方が楽だから。今までもそうだったように。


 ——そう、自分に言い聞かせ、納得させる。だから答えはひとつ。


「たしかにそんな大金、用意できないな……」


 どうすることもできない。それがいつも決まった『解答』だった。


「は、そうか。諦めてくれるか。ならばこちらも助かるというもの。では——」


「駄目です‼」


 ピシャリと声が響く。


「……?」

 

 すぐ隣を見る。

 そこには、真っすぐな瞳をした小萩が立っていた。


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