東潤とうじゅんの部下の李信りしんは、午前中の比較的早い時間に現れた。


 三十代くらいの、一目で武官とわかる、鋭い目をした男だ。

 私は東潤に言われたとおり、『道端で気を失っていた彼を見つけここへ運んだ』こと、『怪我がなかったので彼は出て行き、既にここにはいない』ことを伝えた。

「朝早く、元気いっぱい山を降りて行きました」

 という、言われた通りの伝言も忘れずに伝える。

 李信は細い目を少しすがめて、ふむ、と頷くと、

「承知した。上司への心遣い感謝する。礼はまた追ってよこす事にしよう」

 と言って、帰って行った。



「李信さんとやら、帰っちゃいましたよ」

 家の中に戻ると、私の部屋で本を読んでいた東潤に告げる。

「ありがとう。李信、何か言ってました?」

「『承知した。上司への心遣い感謝する。礼はまた追ってよこす事にしよう』ですって」

「ありがとう。。──じゃあ予想どおり今夜かな。僕を暗殺しようとした奴らが、今度こそ僕を殺しに来ると思います」

 私の書棚の本をパラパラと読んでいた東潤が、顔も上げずに、この本面白いよねー、みたいなノリでとんでもない事を言った。

「……はい?」

「李信に敵の炙り出しを頼んでいます。今頃、敵側には『家主は出て行ったと言っていたが、実は東潤は重傷で、この家から動けずにいる』という情報が流れていますので」

「えっ…じゃあ……そいつら、今夜うちに襲撃に来るんですか」

「はぁ、そうなります」

 いやいや。

 はぁ、じゃないでしょ。

 やっと顔を上げた東潤が私の目付きを見て、ビクッとする。慌てて付け足す。

「あ、大丈夫ですよ。家に入られてものが壊されたら、ちゃんと弁償しますから」

「そういう問題じゃない!」


 人の家ごとおとりに使うとは何事か、と怒ったけれどもう遅い。

 そういう事なら事前に相談しろよ、とも思ったけどもう遅い。

 ここは山の中の一軒家だ。

 何かあっても誰も見ていない。

 私たち2人をさくっと殺して、家に火をつければ簡単に証拠隠滅だ。

 俗に言う「山賊にでも襲われたのだろう、酷いことをする……」という、真実は闇の中作戦だ。

 私が敵ならそうするだろう。


 東潤は、敵が現れた頃合いを見計らって、李信が捕縛に入ると説明したが、ここは私の家だ。

「自分の家は自分で守ります」

 東潤に伝える。

「私は李信という人を知りません。知らない人に命は預けられない。誰かの助けを期待しません」

 東潤は瞬きもせずに、じっと私を見つめている。瞳に面白そうだなという光が見えるのは、気にしない事にする。

「賊が私ごと殺そうとするつもりで来るなら、私も向こうを殺すつもりで身を守ります。あなたや李信殿が、生かして捕らえたいと思うのは勝手ですが」

「役人ですので建前上はね。捕縛は、まあ、出来れば」

「どちらにせよ、あなたの命を優先します。あなたを守ると約束したので」

 私は立ち上がった。

「どちらへ」

「台所。お昼ご飯を作らないと」

「なるほど」

「殺される前に飢え死にはしたくないでしょう?」

「はは、僕は守られてますね」

「人質かもしれませんよ」

「それも悪くないですね」

 東潤が綺麗な笑顔で笑った。

 私はこの顔は金づるだと思う事にして、殴りたい気持ちを抑えつつ、引きつる笑顔で台所へ向かった。


 お互いに慣れてくるにつれて、あの男に振り回されそうな気がしてきた。

 彼個人として見るなら、根っこのところは良い奴だとは思うが、それ以前に彼は組織の人間であり、国家の人間だ。

 ああいう頭の良さそうな手合いは笑顔で人を利用するし、いざとなれば切り捨てる。

 正体がバレた以上、ここで恩を売るだけ売って、さっさと李信という人に東潤を引き渡して行方をくらますのが一番だと思う。

 

 昼食を作りながら窓の外を眺める。家の裏から続く少し開けた場所に愛馬の青斑せいはんを放牧しているのだ。彼女はのんびり草をんでいた。


 敵が来るのは夜だ。

 東潤と簡単な昼食を取ると、私は迎撃の準備をしてから、とりあえず日が暮れるまで眠る事にした。

 

 



 


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