重大な事を忘れていた。

 

 月餅。


 上掛けを跳ね除けて、私は飛び起きた。

 窓の外は薄明るくなってきている。


 

 昨晩の騒ぎの後、とりあえず東潤とうじゅんの身辺警護を請負った私は、彼を客間の寝室から私の寝室へと移した。


 私の部屋はこの家の一番奥まった所にある。

 外からの襲撃があった場合、この部屋は何かと身を守りやすいのだ。

 私は客間で眠る事にした。



 私の便利な体質の一つだが、寝起きはとても良い。だいたい狙った時間にも起きられるので、寝過ごす事もない。

 私の食い意地のお陰で、今朝はいつもより早く起きた訳だけれど。

 寝台に腰掛けたまま、私は昨日からこれまでの出来事を頭の中で整理する。

 

 山道で怪我をして落ちてきた男を拾ったこと。

 私が幻獣・黄龍からの祝福を受けた『龍の花嫁』の力を持つ人間だと、その男──東潤にバレたこと。

 東潤は、先の城主の死の真相を調べる為、身分を隠し、国王直々の命令で潜入捜査をしていること。

 ここに来てすぐに命を狙われた為、とりあえずの護衛に私が雇われたこと。


 うーん、東潤については真偽含めてまだ分からない事だらけだ。あれこれ思い悩むのは、もう少し状況を把握してからでもいい。

 今は護衛に専念しよう。

 そして、私は簡単に身支度を整えると、静かに部屋を出た。


 東潤の寝ている寝室の扉を少し開けて、彼の様子を確かめる。

 衝立ついたての向こうでは、東潤がぐっすりと眠っていた。

 昨晩はあれだけ騒いでいたけれど、よく考えたら暗殺されかかってたんだよな、この人。おもてに出さないだけで、精神的に疲れていたに違いない。


 昨日、東潤は「私の腕を見込んで」と言っていたが、彼の前で実戦の腕前は見せていない。何故私の実力が分かるのか、という私の問いに、

「うーん、君以外に頼れる人はいないのもあるけど、そういう話じゃないだろう?君の観察力とか体捌たいさばきとかから判断したんだけどな。話した限り君は度胸も判断力も悪くない。少なくとも戦力として考えれば、僕より圧倒的に強い。僕は頭は使うが腕力はからきしだ。どちらにしろ玉翠殿に頼らざるを得ない」

 あっさりと言ってのけた。

 冷静に事実を見てるのだろうか。

 軍師将軍と言っていた。彼の言う事が本当なら、国の中枢を担う幹部の一人だ。

 

 いやホント、そんな人が何でこんな所で寝てるんだろう。

 ──深く考えてはいけない。

 

 東潤はもう少し眠らせておこう。

 火をおこして湯を沸かす。

 台所に置きっぱなしにしていた、お茶と月餅の包みを開ける。

 急須に茉莉花ジャスミン茶を匙で入れ、沸いた熱湯を注ぐ。

 白い湯気と共に、ふんわりとした香りが台所に広がった。

 私は湯呑みに茶を注ぎ、月餅をかじりながら、台所の窓から明けていく空を眺めていた。

 初秋とはいえ、朝晩の気温はめっきり冷えてきている。だがそれが心地良い。


 正体がバレた以上、場合によってはここを追われるかもしれない。面倒事になりそうなら、その前にまた逃げ出して、流れる旅になるだろう。

 仕方ない。

 生きてるだけでめっけもんみたいなもんだし。

 松の実のかりかりした食感と、餡と糖蜜の甘い優しさが沁みる。月餅最高。


 菓子を食べ終え、夜が明けるのを待って簡単な朝食を作っていると、東潤が起きてきた。挨拶をしてきたが、見るからにぼんやりしている。

 東潤はどうやら朝が弱そうだ。

 台所の入口でぼーっと立っている彼の手を引き、二人で席に着いて粥を食べた。

 東潤は二杯目の椀が空になる頃、ようやく覚醒してきたらしい。

「とりあえず、これからの打ち合わせをしましょう」

 白湯を飲みながら、彼は切り出した。

「分かりました」

「恐らく、もう少ししたら僕の腹心の部下の李信りしんという男がここを訪ねて来ると思います。山中で落ちたと思われる場所に僕がいなければ、ふもとの住人からこの場所の存在を聞くに違いありません」

「なるほど」

「そうしたら、私はいないと言ってください」

「……はい?」

「朝早く、元気いっぱい山を降りて行ったと、伝えてください」

 食卓の上に置いてあった、炒った豆をぽりぽりかじりながら、東潤は言った。

「腹心でしょ?いいの?」

「ええ」

「……わかりました」

 そう私は答えた。何故東潤が居留守を使うのか、理由は分かってないけど。


 そして、太陽が少し上がった頃、東潤の言ったとおり、李信と名乗る男が数人の部下と共に私の家を訪ねに来たのだ。




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