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男は
この辺りの視察を兼ねて山歩きをしていたところ、仲間とはぐれ、道に迷って足を滑らせ落ちたそうだ。頭を打ったせいか、細かいところはよく覚えていないけれど、と言って。
それから、私を試すようにちらりと視線を送り、口許だけで笑った。
矢傷については、東潤は何も言わなかった。
つまり、
『自分は訳ありの人間ですが、これ以上君に迷惑をかけるつもりはありません』
という意思表示だ。
だから、私も
下手な好奇心で、自分の首を絞めるのは真っ平御免だ。
勿論、東潤からも私に対して、会話の糸口となるような質問を一切投げてこなかった。
何故(男装をしているとはいえ)女一人こんな山奥にいるのか、どんな仕事をしているのかといったような、私の身の上についてや、家族以外に誰が住んでいるのかといった事をだ。
私から当たり障りのない程度に、
「軍属を退役して、腕に覚えがあるので、この山と麓の用心棒がわりにここに住んでいる」とだけ告げたが、東潤の反応は、
「なるほど、そうですか」
の一言だけだった。
優しげな
それを全て、綺麗な笑顔でつるりと包み込んで、完璧に良い人を擬態しているのだ。
──うーん、やっぱり拾わなければ良かった。
改めて彼の(人形のように整いまくった)顔を見る。
新しく派遣された官吏、ねぇ。
抜け目がなさそう……というか、綺麗な顔の下は底の見えない感じだな。
そういえば、つい先日、ここ一帯の州を治める城主が亡くなったという報せが来ていたのを思い出す。
それに合わせた人事異動で、この人もこんな辺境に飛ばされて来たんだろうか。
左遷かな。
女性関係で失敗でもしたんだろうか。
まぁ私には関係ない。とりあえずは火鉢代の為にせいぜい良い顔をしておこう。
そんな酷い事を思っているなど全く気付かれない笑顔を作って(お互い様だ)、私は東潤に話しかける。
「東潤様」
「何でしょう」
「日も暮れてしまいましたし、今夜はこちらにお泊まり下さい。明日にでも私が麓に降りて人を呼びましょう」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
日が暮れて真っ暗な山の中に放り出されてなるものかと、向こうも外交用のきらきらした笑顔で応えてくる。
さらりとした艶やかな黒髪。
髪と同じく黒く長い睫毛に縁取られた黒曜の瞳。
綺麗に上がった口角からちらりとのぞく、輝く白い歯。
顔の良い人間ならではの、必殺の物理攻撃だ。おっかねぇ。
東潤を客用の寝室に残し、私は台所へ向かうと夕飯の支度を始める。
湯を沸かした時に、火を
小麦粉に砂糖・塩を少し加え、耳たぶくらいの固さになるように水で練る。
もっちりとまとまって来たら、綿棒で薄く伸ばし、油を塗って端から丸めていく。
棒状にした生地を、一口大の大きさに切って、渦巻きを上にしたものを更に平べったく伸ばす。
それを、油を塗った鍋でこんがり両面を焼いたら
台所いっぱいに、香ばしい匂いが立ち上る。
それから裏の畑から取って来た青菜と今日買い求めた豚肉を酒と塩で手早く炒め、一皿を作った。
先ほどの焼餅の上にアツアツのこれを乗せて食べるのだ。
切り分けておいた豚肉の脂を出汁にして、葱と溶き卵の汁物を作る。
──肉と卵、両方使ってしまったなぁ、贅沢してしまったな、などと思ったが、客人もいるので仕方がない。器に盛り付ける時に、自分用に少し残しておいた。
今日買った月餅があるのを思い出したのだ。食後の甘味を堪能すべく、胃袋を整えておかねば。食べ過ぎは良くない。
出来上がった料理が冷めないうちに、客間へと運ぶ。
何もありませんがどうぞ、と勧めると、東潤は意外にも、
「──あなたさえ良ければ、一緒に食べませんか?」
と声をかけてきた。
「──構いませんが」
一応敵ではない私と2人きりなのだ。
今更私に先に料理の毒見をさせ、与えられる料理に異物が入ってないかなど、不要な心配をするような器の小さい男ではないとは分かってきたが。
まぁ、こんな辺り一帯、灯りも何もない山の中の小さな家で、大皿料理を一人でもそもそ食べるのは、慣れていなければ確かに気が滅入るかもしれない。
そう思ったら、うっかり口を滑らせてしまった。
「──知らない土地の山の中で、少し寂しくなっちゃいました?」
「なりませんよ!!」
ですよね。
すいません。
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