#021
外出当日の朝――ではなく、夜中、おそらく午前零時を悠に回っている時間だろうか。布団のなかでもぞもぞ動いたオレに、小さな声がかけられた。
「眠れないのか?」
「……犬井こそ」
少々掠れた声に心臓が惑わされそうになるがしかし、それはダメだと軽口を叩く。惑わされそうになるのは、数時間前まであんなことやこんなことをしていたからであって、いつもドキドキしているわけではない。そう、オレは惑わされやしないのだよ! 犬井がすやすや眠れるのにも、ムカつきはしませんぜえ! ……いや嘘です。ものすごくムカつきます。管狐型の狐ちゃんたちの寝息もぷくぷく聞こえてくるなか、オレの方は一向に眠ることができやしないんだから。
「わざわざ疲れさせてやったのに、眠れないのかよ……」
おいおいと呆れたような声音とともに「今回はことさら疲れさせたんだぞ」という嘆息が降ってきたが、だからかと納得した。いつもより激しめだったのはこういうことだったのか! 気の使い方がおかしすぎるんですが、そこのところは解ってるんだろうな? まあ、解っていてやっているんだろうけどな!
「そういう気遣いはいらねーですよ!」
「うるさいと管狐が起きるぞ」
むにゅと頬を潰すと同時に、顔を近づけてそんなことを言ってくる。暗いなかでも解るのは夜目に慣れたからだ。狐ちゃんを起こすのはかわいそうなので、ぐっと言葉に詰まった。数秒間しか持たなかったけれども。
「い、いにゅいが、ひぇんなほとしゅるかららろぉっ!」
「ユウは子ども体質だからな」
さらりと言っても呆れているのが気配で解るが、楽しみすぎて眠れないのは子どもも大人も関係ないだろう。たぶん。
頬をむにむにしながら背中を撫でてくる片手が憎らしいことこの上ないのだが、それでも言っていることは事実なので言い返すことは不可能だ。悔しさに奥歯を噛みしめ、犬井を睨む。――と、口角を上げた気がする。
「眠れないと言うならしかたがないな。いまからでも反抗的な顔を蕩けさせてやるけど、どうする?」
「どうもこうもなにも、必要ないんですけどぉ?」
なんてことを言うんだ、この男は。狐ちゃんたちはいまだに気持ちよさそうに寝ているから聞かれずにすんだけれども、変態性を全面に出してくるなよ! そう怒鳴りたくなるがしかし、狐ちゃんたちを起こしてしまうのはごめんだとぐっと堪える。変わりに、カッと熱くなった頬を「嫌ならちゃんと寝ろ」と軽くつままれた。「寝不足だと楽しめるものも楽しめないぞ」と。
額に落とされた唇の感触を覚える前にはもう、瞼が落ちていく。あ、これ、強制的だ。そう解っても、抗議をする意識は潰されているのでどうしようもない。
それでも「さと……く……」とだけ無意識に呟いた声にはきちんと、「――おやすみ、悠希」と前髪を払っているであろう手が返ってきていた。と思う。
□
「ユウキ~、朝~」という陽気な声とともに揺さぶられることで、朝が来たのだと理解する。
「おはよう、ユウキ~」
「狐ちゃん……、んん、空ちゃんか、おはよ……」
寝ぼけ眼のまま目の前にある頭を撫でてやれば狐ちゃんは「ユウキ、もっと~」と抱きついてきた。しかしすぐに、「狐だけダメー!」という叫びとともに、視界の端でカーテンを開けていた天ちゃんも飛びついてくる。おうおう、今日も元気がいいなあ。まあ、管狐姿でもいつも元気がいいんだけどな。
「大丈夫大丈夫、どちらかを放置なんてしないから安心していいぞー。天ちゃんもおはよう」
それぞれの頭を撫でてやると、狐ちゃんたちはえへへと笑う。この笑顔は癒ししかありませんね、まったく。
「まずは顔を洗いにいこう」
犬井はトイレか魔王様と話をしているかだろうし、オレはオレで準備を進めていく。洗顔と軽く歯を磨いたあとの着替えも完了だ。狐ちゃんたちはメイド服だが、オレは走り込むためのジャージだよ。そして走る前の朝ごはんであるチョコレートと野菜ジュースも完食した。どうせならと、準備運動もばっちりだ。ぱたぱたぶんぶんしっぽを揺らす狐ちゃんたちのかわいさにはやられたよね!
犬井が戻ってきて準備を済ませたらば、今日も負けん気で突っ走るのみである。言葉どおりに。結果は教えてやりませんがー。
悔しさに顔を背けたままでも、運ばれていくのは変わらない。今日も今日とて朝の訓練に混じっている。
「今日こそは負かしてやるからな!」
「はいはい」
今日こそ、今日こそはその鼻っ柱をへし折ってやるんだ。頑張れ、オレ! と自分自身を叱咤しつつ木剣を構え、目の前の男を睨みつけた。相も変わらず余裕そうなのが気に入らないぜ。
じりじりと距離を詰めていくと――狐ちゃんたちが犬井の動きを封じるかのように両足にがっしりと抱きついていた。これは天のお恵みか。いやいや、狐ちゃんのお恵みだ。
「犬井覚悟おおおお!」
優しさを無下にするわけがないと一心不乱に間合いを詰めて、木剣を降り下ろす。上半身だけではなにもできまいとして。
「ユウは甘いな。降り下ろしただけに意味なんてないぞ」
「なにぃっ!?」
真剣白羽取りだと!? 生でする奴なんて初めて見たんですが!
「どこの漫画なんだよそれは!」
「そうやって気を逸らすからダメなんだっつの」
狐ちゃんたちをものともせずに掴まれたままだった木剣は払われてくるくると地面を滑り、マジかそれと眺めるがら空きの躯は伸ばされた腕のなかへと閉じ込められていく。と、すぐさま「勝負あり!」との声が響いた。
「また負けたああああ!」
「今日も俺の勝ちだな。こら、暴れるなっての」
「うるせえっ」
暴れまくったあとに次こそはオレが勝つんだといつもどおり叫んでやると、犬井は「楽しみにしてるわ」と言いつつ、抱え上げてきた。ああああー! 棒読み加減が腹立つうううう!
「棒読みやめろや!」
「はいはい。ああほら、ユウの好きなチョコレートをやろう」
口のなかへと放り込まれたチョコレートがオレを黙らせるのは、それこそ一瞬でだ。ぐぬぬ、なんて卑怯な手なんだろうか。悔しいがしかし、うまいものに勝てるはずもない。
「うまー」
「それはよかったな。行くぞ」
「りょうかーい。うひひっ、狐ちゃんくすぐったい」
脇腹辺りをくすぐりながら「狐も」「狐も」と騒ぐ狐ちゃんたちにもチョコレートが放り込まれ、首に巻きつきつつ「おいしい~」と漏らす。どうやらいつの間にやら管狐姿になっていたようだ。
部屋に連れられれば「着替えろ」と指示をされ、はいはいと着替えた。巫女服に。犬井が言うにはこれが一番防御力が高いらしいのだ。その上から藍色っぽいローブを羽織れば完成である。犬井はいつもと変わらずにシャツとズボンというラフな格好だな。狐ちゃんたちはメイド服のままだが、それでよいというわけか。
「待ち合わせ場所に行くぞ」と抱えられて連れられるオレとは違い、前を歩く狐ちゃんたちは「お出かけ~」「お出かけ~」と唄いながらしっぽを振っている。
「あー、ドキドキしてきたー」
「公園に行くだけだろうが」
「ただの公園じゃないんだぞお前。異世界の公園だぞ、異世界のっ」
「異世界だろうが、公園は公園だろ」
だからどうしたと言いたげな言葉に、「ムカつくうううう!」とべしべし肩を叩いてやる。平然としやがってよおおおお! 犬井は外に遊びにいけるからいいご身分ですよねえ! そう思うと余計に腹が立つわー! と叩く力を込める間ももちろん、犬井は澄まし顔でしたけどねー。
待ち合わせ場所となっている城門前に着く前に疲れるなんて、アホの極みである。「はー……、疲れた」と犬井に躯を預けることになるなんてな。なんて情けない奴なんだ、オレというやつは……。
「猫はどうして疲れた顔をしているんだ?」
「犬井に腹が立ちまして、殴りつけていました!」
不思議そうな顔をする魔王様にそう答えると、「そうか。だが、手は大事にしなければな」と笑みを浮かべられた。柔らかな笑みを。なんかこう、小さな子に向けたような笑顔な気がするんだが、気のせいだろうか?
いや、気のせいではない気もするなとぐるぐる思考を巡らせていると、リリネルさんがすすすと音も立てずに傍に寄ってきては「今日はよろしくお願いしますね」と爽やかな笑みを向けてきた。こちらはいつもの笑顔だ。かわいらしい笑顔。……その下はただの変態だけどな。
「ああ、はい。よろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げたあと、「犬井」とこちらも軽く肩を叩いてやった。下ろせではなく行くぞという意味で。下ろしてもらうのは公園に着いてからでも遅くはないからな! 羞恥などあるがないんだ。あるけど気にしてはいけないんだよ。
向かうは公園。だがしかし、たかだか公園と侮るなかれ。異世界なのだから、なにかがあるに違いないと思うんだよ、オレは。
あ、ちなみにこういう面子です。オレと狐ちゃんたち、犬井、魔王様、ルルナさんにリリネルさんの七人ですね。ほかに護衛がいないのは必要ないかららしい。魔王様曰く、「わしがいるのだから大勢はいらん」ということである。なんて男らしいのか。これでは惚れてしま――わないです。
まさか、「悠希が惚れていいのは俺だけだ」と囁かれるとは思わなかったわ。
おい、こら、人の考えを読むなっつの! いい気分が台無しだろうが!
勇者の隣の式神さん~(異)世界を救うのはネコミミです!~ 白千ロク @kuro_bun
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