#020
なんだかんだと三回も! まさかの三回連続――リリネルさんと狐ちゃんが触れた分に怒らせた分だろう――で泣かされた挙げ句、頬をむにむにされながら「犬井がいちばんでふー」と何度も言わされたオレは力尽きていた。そのため、背後から抱きしめられながら取り込んだ洗濯物を畳んでいます。
ある程度重ねた洗濯物を両端で待機している狐ちゃんたち――小物類は天ちゃんの方に、上着や下履きは空ちゃんの方――に渡し、そのまま籠に戻す間にまた畳むを繰り返していれば、洗濯物はすべて籠のなかへと収まっていた。うんうん、いつ見てもやり遂げた感があるよなあ。犬井も手伝ってくれたからか、いつもより早く終わったしね。
「よし、次は――」
「犬井」と見上げたらば抱き上げられ、「どこに行きたいんだ?」と目を合わせてきた。
「リリネルさんに謝りにいくからよろしく」
ぽんぽん肩を叩いた言葉に返事はない。長い沈黙のなかでこめかみ辺りに一瞬青筋が立てられたが、気にせずに耳元に顔を寄せて囁く。
「リリネルさんに謝りにいくんですよー」
「悠希……」
「オレは拗れるのは嫌だからな」
その言葉に、犬井は片手で額を押さえて「あー」と軽く天を仰いだ。数秒後、いや、数分後かもしれないけれど――今度こそ苦渋の決断をしたのか、「解った」と小さくこぼした。
相変わらず嫌そうな声音だったが、折れてくれた分のありがとうの気持ちを込めて「ありがとうな!」と抱きつけば、犬井は「……悠希」と唸る。自分から抱きしめるのは平気なのに、抱きしめられるのはいまだに慣れないなんて、おかしな話だろ。いやまあ、なんだ、オレも人のことはそんなに言えないけどさ! けど、犬井みたいに赤くなったりはしないから。しないといったらしないからな!
「ほら、犬井、早く行こうぜ」
犬井が変なことをする前にと先手を打って誘導という名の肩口の布を引っ張れば、頭を撫でられてしまう。「ああ」と小さく頷いてから。
お、おう。ここで紳士とかなんなんだ。熱くなる顔は気にしない方向で、ね。犬井が悪いんだから。
□
「申し訳ありませんでした!」
気持ちを切り替えるように洗濯物をしまってから中庭に赴いて、リリネルさんに深々と頭を下げたあと――お互い様ということで話が片づいた。難なく。リリネルさんが満足するまで抱きしめられたけれど、それはそれだ。
一仕事を終えたあとは、明日についての作戦会議を開くことにした。どんなところか下調べは重要だからな。召喚した観光案内雑誌の表紙を眺め、公園に思いを馳せる。待ち遠しいし、早く行きたい。種類がありすぎてどれを読めばいいか解らんけども。とりあえずということで、一冊選んで読んでいる。もちろん、ベッドの上で寝転がりながら。狐ちゃんたちはブレスレット状態で、犬井は縁に座っているという、いつもの光景である。
「写真からして広そうだよなー」
「そりゃあ、まあ、公園だからな。ある程度の広さはあるだろ」
「犬井の言うとおりだけど、情緒がない」
はっきり言われてしまえば楽しさが半減だ。お前には楽しみたい気持ちがないのかと犬井を見上げれば、わしゃわしゃ頭を撫でてくる。おい、こら、オレは呆れつつ怒っているんですよ。呆れも怒りも半減してしまったではないですか! なんて奴だっ。
「髪が乱れるだろうが」と叩き落とした手は後頭部へと伸ばされていた。おそらく背中へ流れる髪も指で梳かれている。邪魔をされないのならいいかとそのままだ。別に、梳かれるのが気持ちいいとかではないぞ。犬井は変態だから気を許してはいけないんだ。だから気持ちいいとかではない。
「はー、ソフトクリーム楽しみだー」
「狐も楽しみ~」
「だよなー」
犬井から気を逸らすように、目の前の写真――ソフトクリームに集中する。たとえ写真だろうともうまそうだ。やっぱりバニラは欠かせないよなー。濃厚なのも標準なのも好きだ。季節限定の味ももちろん。
「売り切れだったらどうするんだ?」
「人の夢をぶち壊しにくるなよ!」
「現実的だろ?」
「ああいうところは売り切れないように補充してるんだよ! オレには解るんだからな」
ぶち壊すことをさらりと言うところが犬井と言うべきか。言い返したあとは「へー」という興味なさそうな言葉が返ってくる。なんなんだよ! ――そう言いたいのを抑えたのは、犬井が頬をむにむにしてきたからだ。「いにゅい!」と睨むが、犬井は手を離すことなく頬を伸ばしている。抑えたというか、抑えられたが正しいのです、はい。ブレスレット装備を解除しつつ「狐も混ざるっ」と狐ちゃんたちも加勢してきて揉みくちゃにされる。「ぶああああー!」とぶるぶる頭を振るが、あんまり意味がなかった。もしかして、まだ怒っていたりするのか? するのですか?
「おまっ、まだ怒ってるのかよぉ?」
「ユウが無視をするからだろ。あとはまあ、単純に面白いからな」
「犬井に構う暇はないし、面白くもないから!」
無視を決め込みたいと思うことをする犬井に問題があるんだと言ったとしても、聞く耳を持っていないから無意味だろう。オレからしてみれば、問題はそっちじゃないしなあ。言いたいことはひとつしかない。面白いで弄られる身にもなれや! である。「この野郎」と犬井の二の腕にげしげしパンチを決めていれば、「はいはい」とやんわり手を掴まれた。この余裕綽々の態度はどこからくるというのだろうか。考えるがしかし、そうではないという結論に達する。
「――って、構う時間がないんだった。犬井はさ、なにを買うんだ?」
こうなればこっちから話を振るしかなかろう。犬井は「まあ、気まぐれに」と答えたあと、オレを抱き寄せた。完全にだらけきっていたから、盲点でしたよ、これは。
「犬井ー」
「なにかをするわけじゃないからいいだろ」
「してるくせになにを言うか!」
不満げな声に返る声音はたしかに普通だ。やはり怒っているわけではないのだと安心したのだが、それとこれとでは話が違う。腰を撫でるな、腰を! そう言いたげに睨めば、狐ちゃんたちが頬へと擦り寄ってくる。「狐はユウキと一緒~」と。あー、ダメだ。狐ちゃんのかわいさとふわふわな体毛の心地よさにより、不満なんて掻き消されていくのが自分でも嫌というほどに解った。現金な奴だと笑われようが、オレは狐ちゃんには勝てないのだ。ある意味では犬井にも勝てないが。
「少しだけだからな! 本当の本当に少しだけだからっ」
「悠希は管狐に甘すぎだろ」
「オレが狐ちゃんに甘いのは、昔からですけどぉ~?」
「まあ、俺も悠希に甘いけどな」
「うるせーぞ、変態っ」
「はいはい」
呆れたような声にふんと顔を逸らして、狐ちゃんと戯れ始める。もちろん、『呆れた』と言えば聞こえはいいが、咎めることが一番だっただろう。しかしオレは、それを無視できるほどの神経を持ち合わせていた。しっぽを揺らしたままの狐ちゃんの背中を撫でたり抱きしめたり、顎の下を指先でこちょこちょしたり、犬井の躯に背中を預けてみんなで観光案内を見たりといろいろする。狐ちゃんたちが「くすぐったい~」と身を捩るその間も、犬井はオレを離すことはなかったんだけども。まあ、機嫌がよくなったのはよかったことかもしれないな。
オレから言わせてみれば暑苦しいだけなんだけどーと思いつつも、一通り観光案内を読み終えた結論は、ソフトクリームは天下だということだ。アイスクリームは世界共通で幸せになる食べ物だったというわけか。一部の雑誌に書かれていたのだが、ソフトクリーム屋さんの近くにはときおり、クレープ屋さんも来ているらしい。なんということだ。これはオレに食せという神様の采配だろう。そうに違いない。
「クレープも食いたいなー」
「好きにしたらいい」
「やった! いやー、犬井は話が解るなあ」
「言ってろ」
ちらちら犬井を見たらば、犬井はオレを抱きしめ直しながら宣う。ソフトクリームの上にクレープなんて、楽しみすぎてどうしてくれようか。
「狐もクレープ食べるの~!」
「おう。一緒に食おうなー」
こちらもはしゃぐ狐ちゃんたちを抱きしめ直して、そういえばと考えつく。紙袋の中身はなんだったんだろうか。
「そういえばさー、犬井はなにを買ってきたんだ?」
「そう言われても、食材を調達してきたぐらいだな。食料庫に入れておいたけれど、なにが食いたいんだ?」
「卵と牛乳は買ってきた?」
「それは元からあるぞ。主に肉の調達だったからな」
「よっしゃ! プリン食いたくなったから作って」
「おやつに食うのか?」
「違いますー。晩飯のあとのデザートですー」
「仰せのままに」
おやつの時間には配られるお菓子があるので除くしかないが、プリンさんはデザートの時間まで熟成させておくと考えれば、オレだって堪えられるんだよ。
「じゃあ、オレはリリネルさんたちの手伝いにいくからっ」
いくら一仕事を終えていても、手が空けば手伝いに回るのが新人の務めであろう。他の人がしているのに、オレだけ免除は申し訳ない。いまからはサボった分を手伝いにいくということで、プラスマイナスゼロになるといいなという思惑からだ。
「はい、離して」と訴えたあとは素直に離してもらい、「んー」と躯を伸ばしたあとに「さらばじゃ」と手を振ると、犬井は苦笑いをしつつもくしゃくしゃ頭を撫でてきた。だから乱れると言うとろうが。
まあ、今回はプリンさんに免じて許してやるけどな。
プリンー、プリンー、と心踊らせながらマフラー状態の狐ちゃんとともに中庭に戻れば、あろうことかリリネルさんに突進されてしまう。「猫さんんんんん!」と。
「わ!? い、いきなりどうしたんですか……?」
「そ、そそそ、その顔はああああ! 勇者様が! 狂ってしまわれますよ!」
「いや、あのっ、狂っているのはリリネルさんで――わぶっ」
軽く揺さぶられて抱きしめられるなかでは、言いたいことの半分も言えやしない。犬井は元から狂っているからいいとして、リリネルさんの挙動不審は半端ないですわ。かわいらしいけども!
「お、落ち着いてください! ねっ、ねっ?」
「申し訳ありません、あまりのかわいらしさに少々取り乱してしまいました。もう問題はありませんよ」
「あ、そうなんですか」
それならよかったと胸を撫で下ろせば、新たな問題が頭をもたげる。――ちょっと待て。これじゃあまた泣かされるだけなんじゃねーの? なにもオレは、ベッドが好きというわけではないんだよ?
とは思ってもだ。女の子には優しくしないとという考えが根本にあるので、引き剥がすのは難しい。前にできたのは危険を察知したからであって、毎回できるわけでもない。それにさ、犬井のように安心感はないけれども、抱きしめられること自体は嫌いじゃないんだよねー。
だからダメなんじゃねーかと答えを出す間に離されたようで、躯は自由になっていた。今回は満足するのが早いな。
手伝い手伝いと洗濯籠に手を伸ばすと、リリネルさんが宣う。
「猫さん、少しいいですか?」
「はい、どうぞ」
「そういう顔はしないほうが身のためですよ。このお城には私を含めて不埒な輩がたくさんいますから」
「そこは自分を含めるんですね」
「猫さんには嘘はつけません。私は不埒な輩ですので」
洗濯物を干した手を握られると、また抱きしめられる。あー、不埒とはそういうことか。もっと過激なことを思ってしまったが、犬井よりは全然マシだ。
「あははは、抱きしめられるくらいなら平気ですよ」
その先は堪えられないと思うけれど。犬井だからこそ堪えることができるんだろうし。まあ、オレは――……。そう考えて、やめた。つきりと胸が痛んだから。
「猫さん?」
「いえ、なんでもないです。今日のデザートはプリンなので、にやけが止まらないんですよー」
緩く頭を振ったオレを怪しんだのか、リリネルさんは首を傾げたが、プリンさんを思い直して気も持ち直す。
「ああ、勇者様の得意料理ですね」
「はいっ!」
「みんなで食べましょうねー」と頬を緩めると、リリネルさんも「ご馳走になります」と笑みを浮かべる。マフラー状態の狐ちゃんは狐ちゃんで「プリン楽しみ~」と頬に顔を寄せてきた。
再開した手伝いを終えて晩飯の時間になれば、丼が顔を出した。『コケドリ』という見た目鶏――よりも三倍ぐらいの大きさがあるが――を使った親子丼だ。柔らかな卵と鶏肉のうまさといったらない。
うまいうまいと完食したあとは、もちろんプリンも平らげ、入浴、そして就寝の準備をする。まあ、風呂に入る前に一騒動あったが。犬井がさあ、「さて、悠希、午後は何回抱きしめられたか言え」と迫ってきたんだよ。「知るか!」と逃げ回ったけれども、毎度同じくあっさり捕まってしまったのはどうしてか。
「犬井の変態ー!」
「それがどうした?」
変態と罵っても平然としているのはなんでなの? 心が折れ――ないか……。きっと何度罵られても犬井は平気なんだろう。これまでを思い返しても、言ってはいけない言葉は『嫌い』だけだと思う。
理由なんて解っている。オレだってその言葉は聞きたくないんでね。
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