#019

 どうにかこうにか圧迫死を免れたあとの昼食はとてもおいしいと言わざるを得ない。「うまい」ではなく「おいしい」とちょっとお上品になるぐらいにオレは疲れていたのだ。抱きしめられるのに。


 抱きしめたくなる気持ちは狐ちゃんでよく解っているのだが、抱きしめられるのはなんだか緊張してしまう。ことあるごとに犬井に抱きしめられているというのにね。いや、そうではない、な。犬井にはおっぱいがないから。ちょうど顔というか、頬におっぱいが当たるんだよね。


 オレとしては嬉しいけれど、やっぱり変に緊張するのは他人だからだろうか。それとも、慣れていないだけかなー。いや……、圧迫されるぐらいに抱きしめられるからだろうな、原因は。窒息しそうになるんだよなあ……。見上げれば緩めてくれるから、いまのところは大丈夫だろう。いまのところは。見上げた瞬間に顔を逸らされることのが多いけれど。しかし、なんだかんだで、結局は満足するまで離してくれないんだよ、みんな。


「ユウキ、ユウキ、あ~ん」


 箸というかフォークが止まってしまったオレに、隣に座る狐ちゃん――空ちゃんの方が自分のフォークを差し出してくる。心配してくれたのかな、きっと。深く落ち込んでいるわけではないので、「ありがとう。気持ちだけもらうよ」とフォークごと受け取って空ちゃんの口元に持っていってやった。それを真正面から見ていた天ちゃんが、うずうずといった感じに「狐もして!」とひとくちサイズのハンバーグが刺さったフォークを運んだ手のひらに置く。


「いいよー。あーん」


 咀嚼する狐ちゃんたちを見ていれば、鬱々とした気分は薄まっていったらしい。けれども、鬱々かどうかは判断が難しいか。愚痴と言えば愚痴だしな。犬井お手製のハンバーグさんにも悪い。おいしく食べてやらないと!


 そうなのだ。今日の昼食はハンバーグである。いや、ハンバーグさんだ。『様』や『殿』も似合うのだが、『さん』は個人的になんだか柔らかい感じがするから『さん』にさせていただきやした! ライス、ハンバーグ、コンソメスープのセット。ハンバーグだけでお茶碗三杯はいけるよね。


 ああ、そうだった、そうだった! ハンバーグと言いつつも、ただのハンバーグではないと言っておこう。それも、チーズインハンバーグではなく、チーズオンハンバーグなのだ。その名のとおりに、プロセスチーズがハンバーグの上に乗っている。温めれば溶けたチーズが広がっていく様が眺められるのだが、それだけで食欲をそそるのはその味を知っているからだろう。


 味つけはチーズとふりかけたブラックペッパーだけという代物だが、シンプルイズベストだとオレは思う。つけ合わせはトマトとレタスのサラダ。ドレッシングは和風しょうゆ。コンソメスープにはにんじん、キャベツ、玉ねぎといった野菜が浸っている。どれもこれもうまいから困るのです。まったくもって困るのです!


「ユウキ~、元気出た~?」

「出たよー」


 食べ進め始めたオレに対し、にこにこ笑う狐ちゃんたち。狐でありながらリスのようにもごもご食べる姿に癒されつつも、元気がでないわけないじゃないですか。


 異世界電子レンジで温めてくれたリリネルさんは『召し上がりましたら呼んでくださいね』と一礼して食堂から立ち去ってしまったんだよな。一礼した直後に『皿洗いはできるので大丈夫ですよ?』と言っても、『呼んでくださいね』と笑顔のままだったのがまた怖かった。うん、犬井だね。完全に犬井だよね。笑顔を張りつけたまま怒る人が一番怖いと学んでいるから、『ありがたく呼ばせていただきましゅっ!』と引き下がるしかなかったんだよ。噛んだままでも。


 犬井といえば、いまごろなにをしていて、なにを買っているのだろうか。やはりお土産屋さんを一通り見ているのかね。


「犬井はなにを買ってるんだろうなー」


 「狐ちゃんは解る?」と問えば、狐ちゃんの笑顔がなにやら含んだものになる。にやにやした笑いでも犬井と違って、かわいさしかないんだよなあ。


「主様はユウキが喜ぶものを買う~」

「主様がすることはぜ~んぶユウキのためなの~! 狐もユウキのためならなんでもする~」


 「ぜ~んぶ」のところで半円を描くように手を動かしながら、きゃっきゃと騒ぐ狐ちゃんにやられたのはオレだけではなかろうて。胸がきゅんとなりましたよ、いま。唸りながらテーブルに両拳を打ちつけるオレに、「ユウキ、どうしたの!?」と狐ちゃんたちが身を乗り出した。


「大丈夫、オレは大丈夫」


 解ってしまったのが嫌だ。犬井もこんな感じでオレを見ているのだろうと。だから唸って、顔を背けることもあるんだ。……どうしよう、どうしたらいい。悪い気がしないんだよ。本当にどうしよう。どうしたんだ、オレええええ!


 テーブルを睨む間に、「ユウキ~」と間近で狐ちゃんの声が聞こえてきてはっとした。視線を上げて「大丈夫」とふたたび紡いだオレの言葉に、狐ちゃんは「本当に~?」と顔を覗き込もうとする。いや、いまはダメだから!


「狐ちゃん、いまは、ちょっとぉっ!?」


 赤い顔を見られたくなくて背けようとしたのだが、ふたつの小さな手が素早く頬に置かれて阻止される。変な音がしなくてよかったです。どうやら天ちゃんはわざわざイスから下りて空ちゃんと同じ位置にやってきたようだ。ふたり乗っても壊れないとはすごいな。


「えへへ~、ユウキかわいい!」

「狐たちはね~、かわいいユウキのことが大好きなの!」


 抱きつく狐ちゃんたちに真っ赤な顔のオレという構図は、犬井が見たらなんて言うんだろう。怒るだろうか、呆れるだろうか。それとも、また違う反応をするのか。


 ああもう、なんでオレは犬井のことばかり考えているんだろう。いくら知り合いは犬井しかいないといったって、オレには魔王様もルルナさんもリリネルさんもいるのに。犬井が築き上げたハーレムメンバーだけどね! オレの待遇がよいのも犬井といるからであって、元々はオレなんて必要なかったんだよな。犬井がぶちギレたから残ることになっただけであって。


 ううーん……、改めて考えてみてみても、オレがここにいる意味はあんまりないんだよね。もしかしなくとも、ひとりだと寂しいからぶちギレたんだろうなあ。やっぱり知り合いがいるといないとでは違うしね。


 ――あ、そうか! オレができることは、犬井の寂しさを減らすことなんだ。ということは、犬井と狐ちゃんとこのままいればいいのか。


 よかった。オレにもできることがあって。犬井と離れなくていいならそれが一番いいから――って、こらこら、オレよ、犬井より狐ちゃんだからね!


「狐ちゃん、狐ちゃん」

「なに~?」

「オレも狐ちゃんたちが大好きだよ」


 犬井より狐ちゃん、犬井より狐ちゃん、犬井より狐ちゃん! 犬井よりもき、つ、ね、ちゃ、んっ、だから!


 不本意だが、狐ちゃんたちに抱きしめられたままのオレの脳裏には犬井の顔が蘇っているのだ。しかも『悠希』と紡いで、はにかんでいる姿。なにこれ、なんの嫌がらせですか。かっこいいなんて思わないんだからな!


 「ユウキまた真っ赤~」とからから笑う空ちゃんの手が頬を撫でたのだが、「ふわぁ! 熱々っ」とすぐに離れていく。


「そんなに熱い?」

「ん~、揚げ出し豆腐よりは熱くないよ~」

「そっかー」


 狐ちゃんらしいたとえに笑みを浮かべつつも、自分でも頬に触れてみる。うん、微熱ぐらいかな。これならすぐに熱は引くだろうから、怪しまれないね!


「じゃあ、ご飯食べ直そうか」


 冷めないうちに食べるのが、作ってくれた人犬井に対する礼儀だと思うのですよ。話が弾むと冷めちゃうこともあるけども。


 狐ちゃんたちは「は~い」ときちんと席に戻ってもう一度手を合わせた。なにもせずに食べ進めようとするオレよりマナーがいいとは恐るべし。さすが犬井家の管狐と言うべきか。犬井が帰ってきたら、どんな風に躾たのか聞いてみようかな。



    □



 食べ終わったらリリネルさんを呼んで――呼ばないとあとが怖いから――洗った皿を拭くのがオレの役目だ。思うに、いちいち洗わなくても魔法で食洗機のようにできるんだろうけど、しないということはそういうことなんだろう。狐ちゃんたちは「お手伝い~」と歌うように言って、テーブルを拭いてくれています。


「お味はどうでしたか?」

「とてもおいしかったですよ」

「ふふ、勇者様のお料理は愛情たっぷりですからね」

「そういうのは聞きたくないです」


 フイと顔を逸らすが、リリネルさんがくすくす笑っているのは解る。視線がしっぽにあるのももちろんね。話題を変えないとずっと見られたままだな、これは。


「あの、ずっと聞きたかったことなんですが……、その、リリネルさんは犬井のどういうところが好きなんですか?」

「そうですね。好きな人のためなら自身を犠牲にするところでしょうか」

「えーっと……、よく解らなかったのでもう一度お願いします」

「勇者様は好きな人のためなら、自分をも犠牲にするのですよ。私たちの知る勇者とはまったく違うので、驚きましたね。勇者とはもれなく、富と名声とそういうことに汚い者たちでしたので。もちろん、歴代の勇者は歴代の魔王様が瞬殺していますがね」


 なるほど、ひとつの謎がいま解けましたね。犬井が他の勇者と違うから、この城に留まることができたのか。あとは狐ちゃんのかわいさだろうな、たぶん。


「猫さんの方こそ、勇者様のどこがお好きなのですか?」

「オレとしては、どこが好きというわけではありませんね。ずっと一緒にいて、いつからかそれが当たり前になっていましたから」

「つまり、猫さんは勇者様のすべてがお好きなのですね」

「いやいやいやいや、なんでそうなるんですか!? 違いますからね!」

「恥ずかしがらなくとも大丈夫ですよ。私たちは解っておりますから、安心してください」


 私『たち』ってなんだ。というか、まったくもって恥ずかしがってはないのですが。だいたいなにを解っているというのですか、その緩みすぎの顔で!


 オレとしてはもちろん反論したいわけだが、なにもいい言葉が出てこないので、ぎぎぎと歯噛みするしかない。くそー、なんにも出てこないー。リリネルさんはかわいいなあとしか出てこないんですよねー。なんでかなー。女の子に免疫がない後遺症がここで出てきたのかなー。って、そんなのってないだろ!? オレのバカああああ!


「ユウキ~、拭けたよ~」

「――あ、はいはい。ちょっと待ってなー。ありがとう、狐ちゃん」


 我に返ったあと、拭いていた皿を重ね置きしてから、差し出された布巾を受け取る。皿が滑り落ちなかったのは奇跡だろう。反対の手で頭を撫でてやると、狐ちゃんは頬を緩ませると同時に足元に抱きつき、「狐はずっとユウキといる~」としっぽを揺らした。自分自身のアホさなど吹っ飛ぶよなあ。


「猫さんっ、私めにもご慈愛をお願いします!」

「ちょっ……!」


 抱きついてきたリリネルさんを抱き止めることができないのは、あまりにもいきなりだったからだ。ひっくり返ったオレはといえば、弾力のあるふたつの山に挟まれている。あ、大きい。いや、大きいのは見た目で解っていたけれど、抱きしめられるのと同じように息がしにくいのはどうしたものか。おっぱいに挟まれるのが夢のひとつだったが、こんな突然に叶っても意味がないんだよ。もっと雰囲気がほしいわけですよ。雰囲気がね!


「む~~!」

「もっ、申し訳ございません! お怪我はありませんか?」

「大丈夫でーす」


 引き起こされ、埃を払われる間――きれいな場所だから、埃なんてないと思うんだけども――リリネルさんは何度も頭を下げてきた。「いやもう、本当に大丈夫ですから」と立ち上がろうとしたとたん、リリネルさんが飛びついてくる。「ああ、なんとお優しいのでしょう!」と、嬉々として。様子を見ていたであろう狐ちゃんは狐ちゃんで、「狐もユウキと遊ぶの~!」とふたりともそれぞれ肩によじ登り始めた。いやいや、これは遊んでいるわけではありませんよ。リリネルさんは完全に蕩けているけども、違うんだ!


「くひっ……、うひひっ、狐ちゃんっ、くすぐったいからー!」


 しっぽが脇腹を掠めてますからねー!


 尻餅をついたまま躯を捩るオレが見たのは、恐ろしくも笑顔な犬井である。そんなに大きくない紙袋をみっつほど抱えた姿は買い物終わりだと推測できるが、お前、音もなく来るんじゃねーよ!


「ずいぶんと楽しそうだな」

「くすぐったいですよ!」

「――ふぅん。荷物置いてくるから」


 そう冷たく吐き捨てた横顔が消える前――つまり、犬井が食堂から出ていくとき――に「犬井っ!」と叫んだが、当の犬井は止まることなく食堂をあとにした。これはマズイ。早くなんとかしないと、恐ろしいことになってしまう!


「リリネルさん、オレは気にしてませんからっ」


 リリネルさんを引き剥がし、すぐに犬井のあとを追いかける。『謝罪もなく置いてきぼりにする』からダメな男のままなんだと思うけれども、リリネルさんならきっと解ってくれるであろう。いまのオレの優先事項は、犬井の怒りを鎮めることにあるのだから。鼻先をくすぐる甘い匂いに、また頭が熱くなっていく。どうしてかは解らないけれど。


「犬井っ、犬井ー!」


 小さくなった背中が目の前に迫れば、匂いがいっそう強くなる。勢いのまま抱きつけば、犬井は「なんだよ」と低い声で言った。が、拒絶の意味はなく、ただ単にねているだけなので怖くはない。おそらくは、ですけど。


「嫉妬すんなよなー」

「してない」

「はいはい。オレは犬井が一番だから拗ねるなよ、なあ」

「管狐と比べたらどうなるんだ?」

「なんでわざわざ狐ちゃんと比べるんだよ! 狐ちゃんと比べたら、狐ちゃんが一番になるのは解ってるだろ」

「悠希は正直だな」

「あ、違う、いまのは違う」


 機嫌を直しに来たのに、さらに機嫌を悪くさせてどうするんだ。オレのバカ! しかし、たとえ機嫌が最悪だとしても、直す方法は知っているわけで。ただ、オレの方が抱きしめるこれ以上の案にはいきたくないだけだったりするからね。


 どうしたものかと頭を押しつけてうんうん悩んでいれば、やんわりと腕を外したであろう犬井が「ユウ」と抱き上げてきた。肩にいる狐ちゃんもろとも。『え、いや荷物はどうした?』とは聞かない。魔法でなんとでもできるからな。


「悠希、俺はお前のなかで何番めだ?」

「一番! 狐ちゃんと同じ一番だから!」

「信じていいのか?」

「犬井が信じたくないなら、信じなくていいけどなっ」

「ユウ」


 ふんと顔を逸らせば、ネコミミの先に顎が乗る。その瞬間に魔法が解かれたのかなんなのか、甘い痺れが躯を駆け抜けていった。危うく変な声が出そうになったではないか。


「もう一度言ってみろ」

「犬井が一番。狐ちゃんも一番。悪いけど、オレはどっちかなんて選べないよ」


 危ない危ないともう片方のネコミミを折って――まったく痛みがないのが不思議だが――言えば、犬井は「まあ、いいか」と納得したようだ。『まあ』と言うぐらいだから、百パーセントというわけではなさそうだけど。というよりも、ネコミミに息がかかるからしゃべらないでいただきたいわ。


「解らせればいいだけだからな」

「ふあっ!?」


 おい、待てよ! 待ってくれよ! 結局一ミリも納得してなかったんかい! なんでだよー!


 今度はネコミミではなく頭を抱えたくなるが、押さえたままの腕をがしりと取られてできやしない。「悠希」と呼ばれる甘い声とともに。ううう~、爽やかに笑いやがっても目が笑ってないよう……。これはダメなやつだ……! 完全に怒り狂っておるー!


 どうやら、どうしたってこの嫉妬の塊重症者は狐ちゃんと同列が気に入らないらしい。オレは狐ちゃんと同じでもいいんだけどねー。どちらも大切でいいじゃないかと思うのに、なんで解らないかな、この男は!


 食べてすぐは吐くからダメだという抵抗も「はいはい」とあっさりかわされ、寝室に運ばれてしまったのは『口は災いのもと』そのものだからだろうか。


 いやでも、オレは本当に、ほんっとうに、どっちかなんて選べないんだよおおおお!


 覆い被さる犬井は肩へと歯形を残し、狐ちゃんの痕跡を消していく。逃げられない腕のなかで解ったのは、管狐の姿ではリボンが蝶ネクタイのようになるということだった。小さな蝶ネクタイが首もと――『管』狐だから、首もとなのか怪しいけども――にちょこんとあるのだ。


 もちろん、かわいいなーと思うよりも前に、オレは泣かされているのだけれどね。




 

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