#014

 魔王様に話を通した犬井曰く、五日後に出かけることが決まったようだ。いろいろと調整があるようで、すぐにとはいかないらしい。やっぱりというか、もしかしなくとも無理をさせてしまったのかとへこんだが、犬井の言葉に救われてしまう。頭を撫でてくるのはよけいだけどな。


『俺がユウといたいように、アリテア様もユウといたいんだよ。調整張りきってたぞ』


 犬井が言うならそうなんだろうと気持ちを切り替え、オレの方も洗濯係を頑張った。リリネルさんや他のメイドさんの緩んだ顔を他所に。オレを見ていても、特になにも起こらないのですがねー。特にリリネルさんの顔が緩みきっていたのだが、なにがあったんだろうか……。気になったのでそれとなく聞いてみたりもしたが、「生きているといいことがありますね」と内容がないような返事をされてしまいました。


 そうして外出を前日に控えた今日、オレは寝起きに目を丸めている。「ユウキ~、ユウキ~、起きて~!」とふたつの弾む声に微睡みから浮上したのだ。


 目前には肩を越して腰に届くか届かないかの金色の髪――いや、金色よりかは黄金色のが近いか、いやいや、近くないなあ……。一番合うのは狐色かな。そう、狐色の髪から獣耳を生やした小さな子どもがいる。巫女服を着た子どもが。見た目で判断すれば低学年ぐらいだろうか。ちっこくてかわいい。獣耳だけではなく、しっぽも元気に揺れています。声が女性的だったから、女の子なんだろう。


「どちら様でしょうか?」


 寝起きになにを言っているのかと思うが、オレはこの子たちを知らないという話だ。ぎゅっと抱きつくこの子たちは誰なんだろうか。頭にクエスチョンマークを浮かべるオレに返るのは「狐は狐だよ~!」なのだから、さらに混乱するしかないよー。


 『やっぱりさっぱり解らん、誰やねん』という結論を出したあと、ふとそうだと思った。オレはこの子たちを知らないけれど、オレを知っているということは犬井の知り合いだろうと。そうならオレが知らないのも無理はないですよね。


「うん、狐なのは見た目で解るよ。お名前はなんていうのかな?」

「狐は狐なの!」


 ……ダメだこれ、ほしい言葉に辿り着ける自信がない。いったい、犬井はどこでこの子たちと知り合ったんだろうな。いや、待て! 知り合いということは、犬井ならこの子たちと会話ができるじゃないか!


 探しに行くしかないと「ちょっと待っててくれるかな?」と言えば、ひとりには「嫌~! 狐はユウキとお話するっ」と左腕にしがみつかれ、もうひとりには「狐もいっぱいお話するっ」と右腕を取られた。


「人を探しに行かないといけないんだ。すぐに戻ってくるよ」

「……本当に? 狐たちを置いてどこにもいかない?」


 頭を撫でながら言えばおとなしくなり、あと一押しだと「いかないよー」と頷けば、女の子たちは「なら、狐は待ってる」「狐も! 狐も待ってる」と渋々だろうが腕を離してくれた。


 とにかく犬井を探さなければ始まらないと、部屋を出て急いで洗顔と歯磨きを終わらせる。さすがに寝起きのままでは印象が悪かろうて。さっぱりしたあと、食堂――と言いつつも、魔王様たちが使っているのはキッチンが備えつけられたこぢんまりとした個室である――、広間、それぞれの寝室と探していき、魔王様の寝室で犬井を見つけた。思い至ったのはそれだけという、オレの行動範囲は狭くて悲しい。ドアを開けた隙間からなかを覗けば、なにか話をしているようで、このタイミングで出ていくのは違うだろという深刻さだ。たぶん、明日のことについて話をしているんだろうから、よけいに出づらい。


 諦めて寝室に戻れば、女の子たちに「おかえり、ユウキ~」と抱きしめられた。「ただいま」と頭を撫でれば、「えへへ~」と笑う。狐ちゃんも撫でてやれば笑うんだよなーと思えば、狐ちゃんを全然見ていないことにいまさらながら気がついた。犬井のところにもいなかったし、竹筒のなかで寝ているのだろうか……。


 そんなことを考えている間に女の子たちに手を引かれていたのか、ベッドの前にまで来ていたようだ。「ユウキはここ!」と座るように促されて腰を下ろせば、女の子たちは両隣にちょこんと座る。そうして「ユウキ~」と抱きつき、頬擦りをしてきた。懐いているのは悪い気はしないが、懐かれるようなことはなにもしていないので不思議な気分だ。


「主様がいない間に、ユウキといっぱいお話するの~」

「主様……?」

「主様は主様~」

「え、っと……、いつもそう呼んでるのか?」

「そうだよ~、狐の主様!」


 え、なに? 『主様』ってつまりそれは、主従関係が成立しているってことだろ……? 犬井が『主様』ということは、この子たちは――。


 ああ、犬井、お前にドン引くぜ。年端もいかないであろう女の子にも手を出しているなんてな! 現代日本の法律が及ばない異世界だとしても、やはりそういうことはダメだろうよ。いくら合意の上であろうとも、見た目的には完全にアウトだ。自制心の効かない獣が小動物に覆い被さるなんていうのは!


 怒りに燃えた矢先に寝室のドアが開き、「ユウ、起きてたのか。おはよ――」と口を開く間にヅカヅカ大股で近づいて、張り手を食らわしてやった。いい音がしたと感慨深くなる前に叫ぶ。


「お前最低だ! 変態だとは思ってたけどな、度がすぎてるんだよ! このド変態野郎!」


 数秒間目を瞬かせていた犬井はといえば、あとをついてきた女の子たちに視線を流す。またまた抱きついてきたこの子たちを怒る気か! そうはさせまいと庇うように抱きしめれば、犬井は呆れたように額に手を添えて唸る。


「……管狐、悠希になにを言ったんだ?」

「そう! 管狐――……うん? 管狐……? え、狐ちゃんっ?」


 予期せぬ犬井の言葉に、『そう! ○○ちゃんたちになにをしたんだ!』と言いたいことが吹き飛んでしまった。○○にはもちろん犬井が言った名前が入りますが、いまなんて言ったでござろうか……?


 管狐って言ったよね? 管狐って――。


 え、なに、このかわいらしい女の子たちが狐ちゃんだというのか!? 可憐な女の子は狐ちゃんで、狐ちゃんは可憐な女の子であったというのか!? うえええー!? と混乱するオレを他所に、狐ちゃんは胸を張る。


「狐は本当のことしか言ってない!」

「狐も本当のことしか言ってない!」


 かわいらしい姿に少しだけ落ち着きを取り戻したが、『そりゃあ、そうだ』としか思えなかった。狐ちゃんの名前は狐だし、狐ちゃんの主は犬井に他ならない。狐ちゃんたちが言う通りに、本当のことしか言っていないのだから。――ということは、だ。


 犬井の視線がオレに向く。『解ったか?』と言いたげな瞳とかち合えば、瞬間に大きな勘違いをしていたのだと理解した。一瞬のちに、すばやく「すみませんでした―!」と頭を下げる。ジャンピング土下座ならぬ、普通の土下座だ。ジャンプしながら土下座の姿勢など難しすぎるので。


「いやだって、あ、主様って、言ってたから……、てっきり、その……、おっぱい星人のくせしてこんな小さな子にも手を出しているド変態だと思ったんです!」

「恨まれるようなことをしているのは置いておいても、俺になにか恨みでもあるのかというぐらいにひどい誤解だな。そもそも、幼児は守備範囲外だぞ。愛でるだけの存在だろ、幼児は」

「おっぱい星人ですものね」

「それは、いや、あー……、まあ、いい」


 自己完結する犬井がどんな顔をしているのかは解らない。オレは下を向いたままなのだから。「ユウ」と脇に手を入れられて「ひひっ」と変な笑いが漏れるが、犬井は特に気にすることもなくオレを抱き上げてベッドへと移動する。『これは朝までコースですね、解りました』と受け入れる心を決めたが、反して犬井はタンスに向かっていってしまった。三段ある真ん中の引き出しを開け、「早く着替えろ」とジャージを投げてよこされる。


「あ、あれ……? 『朝までコース』じゃないのか?」

「ユウが望むならそうしてやるけど」


 にやりと笑ったその顔に「望んでねーよ!」と声を上げれば、犬井は笑い声を噛みしめながら「管狐、出るぞ」と狐ちゃんの腕を掴んだ。狐ちゃんたちは両脇に抱えられても、ぶんぶんしっぽを振っていた。それはそれは勢いよく。


「狐、ちゃんと待ってる!」

「うん、早く着替えるからな」


 手を伸ばした狐ちゃんたちの頭を撫で、出ていく背中を眺める。ドアが閉まれば、ひとり残る部屋で広がるジャージに手を伸ばした。瞬間、緋袴も白衣もひとりでに布団の上に畳まれていく。つまり、オレは無防備なわけです。


 下を穿いて、胸元に垂れる横髪を払い、上着に袖を通す。洗剤の残り香を吸い込み、ふはあと息を吐く。甘すぎず、かといって、爽やかすぎない香り。犬井とはまた違う匂い――って、なんでここでさらりと犬井がでてくるんだよ! 関係ないからな!


 でもこう、犬井は爽やか系だけど……って、違うから! 犬井はいいから、狐ちゃんだ! そうだそうだ、狐ちゃんだよ! オレの思考回路よ、聞け! 犬井は関係ないんですー!


 狐ちゃん、狐ちゃんとぶつぶつ呟くうちに思考回路は狐ちゃん寄りになっていく。よかった、よかった。それで、だ。オレとしては狐ちゃんはいてもいいんだけど、犬井が納得しないんだよなあ。「俺以外の人間がユウの着替えを見るのは堪えられない」とかなんとか言うんだよ、犬井は。犬井、は――。


「だから違ーーーーう!」


 ポカポカ頭を叩いて犬井を追い出し、勢いよくドアを開ける。と、横に立っていた犬井が「なに叫んでるんだよ?」と怪訝な顔をしながら問うてきた。腕を組みながら。


 きゅっ、急に声をかけてくるんじゃねーよ! こっちには心の準備ってもんがあるんだからな!


 熱が集まった顔を逸らしながら「いろいろあるんだよ!」と返す。本当なら「なにってお前が悪いんだろ!」と言いたかったが、その言葉は飲み込んだ。言いわけができなくなりそうだったから。狐ちゃんにも「ユウキ、顔赤いの大丈夫~?」と指摘されてしまったしな。


 狐ちゃんには優しく「あはは、ちょっと考えこんじゃってさ」と返したが、狐ちゃんは「ユウキは主様だけじゃなくて、狐たちのことも考えた!」とにんまりと笑った。意図しない狐ちゃんの言葉に、誤魔化すには『これだ!』と、「そうなんだよー! 狐ちゃんたちのことを考えてたんだ!」と話を合わせてみる。狐ちゃん様々です、ありがとうございます。


 これでひと安心だと胸を撫で下ろしつつ犬井を見遣れば、犬井はオレの腕を取った。「管狐のなにを考えてたんだ?」との不機嫌そうな声とともに。背後から抱きしめられる形となり、爽やかな果実の匂い――リンゴか、オレンジか、レモンか、それともまた違う柑橘類のものなのか、これというのは断言できないが、とにかく果実っぽい――がいっそう強くなる。犬井の匂いだと思えば、心臓が大きく脈を打った。


「な、なにって、名前だよ、名前っ」

「ちゃんと名前はあるだろ。管狐は管狐だ」

「それはそうだけど、『狐ちゃん』って呼んだらふたりとも返事するだろ!?」


 現にいま、ふたりとも「はいっ!」と元気よく返事をしたのだ。犬井には見分けがついていても、オレにとっては一卵性の双子のようにそっくりなわけだから、それぞれに名前をつけてあげないとややこしい。


「それで、ユウはなんて名づけたんだ?」

「うぇっ!? あー、えっと……」


 あ、まただ。また心臓が跳ねた……。だが、動揺するのはあとだ、あと。いまは切り抜けそうないい名前を考えないと! 狐ちゃんだから、なにか狐に関わるものがいいよな。狐に関わるものといえば――。


「そうだ! 天狐に空狐だ!」

「狐に関係があるものを考えたようだけどな、管狐と妖狐は同じようで違うものなんだよ」

「よ、妖狐でも狐は狐だろっ」


 前に興味本意で『管狐』とか『妖狐』とかで調べた結果があったからよかったけど、なにもなかったらどうなっていただろうか。香る匂いに思考が溶けていきそうなところを必死で抑えている現状から考えれば、正気を保てないかもしれない。というよりも、もう半分くらいはくらくらしている。


「だ、だから……、天ちゃんに空ちゃんって名前はどうだろう、か……?」

「狐は天ちゃん!」

「狐は空ちゃん!」


 狐ちゃんたちは顔を輝かせながら、嬉しそうにその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。どうやら気に入ってくれたらしい。かわいいと思うより前に犬井を引き剥がそうとしてみたが、不発に終わる。なぜかといえば、抱きしめる力が強くなったからだ。とたん、鼻腔をくすぐる匂いに躯中が熱くなり始め、これはいかんと頭のなかで警鐘が鳴り響いた。


「犬井のアホー!」


 引き剥がせないなら突き飛ばすまで。もちろん、肘でね!


 緩んだ腕を振り払ってすぐさま走り出したからか、「いっ……」とくぐもった声は小さく聞こえる。「ユウキー! 置いてくのはダメー!」と狐ちゃんたちがあとをついてきたのがかろうじて解っただけだ。


 頭の先から足の先まで、全身が熱い。それでも、自分がどういう状況かは解る。これはあれだ。あれですが、犬井はダメだ。犬井だけは、ダメなんだ。オレは犬井の親友で、ライバルなんだから。


 変えたくない。変わりたくない。このままがいい。このままでいい。だってオレは犬井の――……。


 考えるままそうだと気がついて、言葉を失った。狐ちゃんのしっぽが指先に触れるまで。




 

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