#013

 とうとうオレにもモテ期が到来したわけだが、なにかが違っていた。それもそのはずで、愛玩される一辺倒なのだ。どうやらぜんぜん男として見られていないらしい。


 いや、うん、躯は女の子だから『男として見ろ!』というには無理があるんだけどね。オレがもしもメイドさんで、女の子だと思っている子に「男として見てください」なんて言われたら、なにを言っているんだろうかと困惑すること必至だろう。だが、諦めるわけにはいかないのだ。オレには女の子といちゃいちゃしたいという願望があるのだから。もちろん両想いが前提にあるけどね。


「男としてモテるにはどうしたらいいんだ」


 狐ちゃんのマフラー姿で浴槽の縁に置いた腕に顎を乗せつつ呟けば、隣でくつろぐ犬井が「はあ?」と眉間に皺を寄せた。おっと、聞こえてしまったか。


「なんでもなーい」

「わけないだろ。悠希」

「うにゃぁ! やめりょっ」


 両手で頬を挟まれて揉みくちゃにされたあと、「俺がいるのにまだモテたいと言うのか、この口は」と軽くつねられてしまった。地獄耳め。「犬井がいるのが間違いなんだよ!」と不満たらたらで言えば、犬井はにこりと笑ってつねる力を強くした。


「いひゃい、いひゃいー!」

「まあ、口でならなんとでも言えるし、いまのは聞かなかったことにしてやるよ。しっぽに免じてな」

「本心れふけろれ!」


 立っているであろうしっぽとミミを隠しながら睨んでやれば、離したその手でポンポンお団子頭――髪が長いから、湯槽に髪が入らないように入浴前と髪を洗ったあとにはお団子にされるわけだよ――を叩かれ、「よく温まってから出るように」と忠告を残して先に出ていってしまう。「幼児扱いしてんじゃねーぞ!」との叫びはちゃんと届きましたかね、くそ野郎に。


 そういうことを除けば、だいたいは犬井が先に入って先に出ていくので、残されたオレとしてはこれが唯一ゆっくりとできる時間だった。オレ以外は誰もいないという貸切状態だが、泳ぎはしないぞ。誰か来たら迷惑だし。


 髪も躯も洗い終えたいま、あとは温まるだけであるが、犬井の言うことを聞くのは気にくわない。しかし、短時間で出れば出るほど、浴槽に沈められるだけなんだよな。「温まらないならどうなるか解るだろ?」とね。耳元で囁かれるようにそう言われたら、従わざるを得ないだろう。どうなるか、なんて解りきってるし。風呂で温まらないなら、寝室へと直行ですからね。


 ついでにいえば、泣き落としでなんとか躯は自分で洗うことを勝ち取ったが、髪は犬井に洗われているんですよ……。目を盗んで洗おうとすると、すかさず「《動くな》」と命令されるので、どうにもできなかった。その代わり、セクハラはしてこないのだから羞恥と相殺だろうか。いやいや、オレが恥ずかしがるのを楽しんでいるんだから、変態に変わらないな。


 沈んでいきそうな気持ちを振り払うように、狐ちゃんに視線をやる。犬井のことは彼方に飛ばしてやるぜ。ふはははっ、いい気味だ!


「気持ちいいですかー?」

「きゅっ」


 マフラーを解除した狐ちゃんたちは、腹を湯に浸けてゆらゆら漂っていた。海藻ですか、そうですか。かわいすぎるぞー。


「狐ちゃんと話ができたらいいのになあ。狐ちゃんもそう思うだろー?」

「きゅ! きゅーっ!」


 同意だというようにしっぽを振りまくるから飛沫がすごい。小さくて管のようでも、実は筋肉量がものすごいんじゃなかろうか、狐ちゃんって。「落ち着いて」と頭を撫でてやれば、すぐに動きを止めて指先に鼻を押しつけてきた。『ごめんなさい』とでも言うように、「きゅ~」と鳴いて。


「もうちょっと温まったら出ような?」


 今度は元気よく「きゅっ」と鳴いた狐ちゃんはそのまま漂い、オレは「んー」と躯を伸ばす。なんだかんだ言っても、やっぱり風呂はいいですなあ。



    □



 毎度毎度、犬井は脱衣場の端に置かれた長椅子に座りながらオレを待っている。先に着替えを終えたなら、湯冷めする前に部屋に戻れよとは思うが、それを言えば機嫌が悪くなるので禁句であった。ええ、もう体験済みですよー。『俺がいない間に他の奴を誘う気か?』とわけの解らない被害妄想丸出しでベッドに縫いつけられて、恥ずかしい目に遭いました。キレた瞬間からオレの敗北が確定し、二日ほどそのままベッドと友達になっていたのは悲しい思い出ですよ。後日、ちゃんとやり返したけどね。マッサージの名目で、『変態止まれ』との邪念を込めながら肩を揉みまくってやりましたよ。狐ちゃんと一緒に!


 出てすぐに、入り口脇に重ねてあるタオルを広げて狐ちゃんのスペースを作ってやる。オレはといえば二の次であり、まずは狐ちゃんだ。細い躯を震わせて水気を飛ばし、それが終わればゴロゴロ転がる姿を眺めつつ、湯気が立つ躯に残る水分を軽く拭っていく。


 嫌味たらしく長い足を組みながら召喚した雑誌――いろいろあるようだが、今回は観光案内らしい――を読む犬井の姿が視界の端に映るが、変態性の欠片もなく優雅である。実に。だが、それもオレが出るまでだ。


 出てからは、こうして熱い視線に晒されながら躯を拭くという苦行を強いられるのですよ。タオル越しだというのに、絡みつく熱がありありと解る。いまだに慣れないのは、熱すぎるゆえだろう。それでも、さっさと拭いて着替えるんですけど。時間をかければかけるほど、不利になるのはオレの方だからね。


 この城の脱衣場は壁伝いの棚がロッカー代わりとなっていた。上段の一ヶ所に束ねられた脱衣籠に服を入れるという古風なスタイルである。狐ちゃんはタオルごと置いていた籠の横へと運びましたが、いまは籠の縁と同じ高さでふわふわ浮かんでいた。元気よくしっぽも振っている。「きゅー!」「きゅっ」との鳴き声から解る通り、上機嫌らしい。「動くなよ」と言いつつ水気を拭い取る間に頬を擦り寄せてきたりあくびをしたりしていたのが、なんとも言えないほどにかわいかったです。


 オレの方はオレの方で、下着姿になった瞬間に背後から伸ばされた腕に抱き止められ、「捻れてるぞ」とタンクトップの肩紐を直されてしまいました。その下はスポーツブラジャーといえばいいのか、なんかそんな感じのに、変哲のないパンツを穿いている。全部白色なのは犬井の嗜好だからだ。強いて言えば、白、黒、薄いピンクのローテーションだったりしたりするんだが、選んだものを着せたい気持ちはよーく解るので好きなようにさせていた。熟慮したものは着てもいいと思えるシンプルなデザインだし。大人っぽいデザインのを選んだときは、「そういうのは無理だからな!」と背中を殴っていたことがあとあと効いたのだろうけど。


「いちいち抱きつくなっつの」

「ちゃんと温まったかどうかの確認だろ?」

「しなくていいわ! いいから、早く髪の毛拭けよ。観光案内オレも見たいし」

「仰せのままに」

「うるせえよ、畏まるな気持ち悪い」


 抱え上げられる腕のなかで顔を背ければ、犬井は「ユウ」と濡れたままの横髪を梳く。優しい声で。言っておくけど、別に気持ちいいなんて思ってないからな。「にやにや笑うなっ」と不満を漏らせば、指先が頬に滑り、唇を塞がれる。いつも思うんだけど、風呂上がりにすることではないだろうよ。


「変態に飲ます薬はないのかね?」

「残念ながらないな」


 「くそ」と舌を打ったオレに笑いかける犬井はそのまま、自身が座っていた長椅子へとつれていく。先に腰を下ろした犬井の足の間に収まるわけですよ、風呂上がりさえも。ちゃんとあとを着いてきた狐ちゃんはと言えば、オレの手首にそれぞれ巻きついてブレスレットと化しているのです。


 リボンをほどいて先にタオルで軽く拭いただけのオレとしては髪の質にこだわりはないし、自然乾燥でもいいんだけど、というか、初めて風呂に入ったときに自然に任せていたら「綺麗な髪を粗末に扱うな」と半ば無理矢理どうすればいいのかを教わった。のだが、「面倒だから犬井がやれよ」と丸投げしたのだ。たぶん犬井は髪が綺麗な母親や姉を見ていて手順を知っているんだろうが、髪ひとつとっても綺麗さを保つためには段階を踏まなければならないのだから、面倒にもほどがありますって。いやまあ、オレも妹を見ているが、あの子はそんな面倒なことはしてないんだよなー。


 髪に残る水分を丁寧に拭き取る間に、きちんと閉じられて横に置かれていた観光案内を手にパラパラ捲る。酒場などの飲食店、宿屋、アイテム屋、武器屋、公園などいろいろなところが載っていた。なぜかこの城も小さく片隅にあったのには驚いたが、大丈夫なんだろうか……。いくらなんでも、『我らが魔王のお城』とそのものズバリ書いてあるのはダメだろうよ。魔王様に会うにしても、その前に近衛に返り討ちにされるんだろうなー。不思議なことに、オレと犬井は近衛とりあうこともなくあっさりと魔王様に会えたけども。


「犬井はさ」

「どうした?」

「どこか行ったことある?」

「ないな」

「いやいやいやいや、ないわけないだろー?」


 なにを仰いますかね、この男は。「バカを言うな」と向き直れば、腰に片手を回してきた。落ちないようにだろうが、さりげないのが憎いです。


「剣の手入れは近衛の人に教えてもらったし、どこかに行く必要性はないだろ。俺はユウと行けないなら、どこにも行かなくていいんだよ」

「ああ、剣は手入れを怠るとダメだもんなー。けどさあ、魔王様とふたりきりで出かけてるのはお前だろ?」

「変な勘違いをするのはいいけどな、ふたりきりなわけないだろ。常識で考えろよ、常識で。護衛もメイドもいたし、アリテア様が贔屓にしている店に連れていかされるだけで、なにもしてないからな」

「オレは除け者ですけどねー」


 言外に犬井ばかりいい思いをするんじゃねーよと滲ませれば、「土産があるだろ」と囁かれてしまった。たしかに犬井の言う通りにお土産はたくさんあるが、そうではないんだ。温泉まんじゅう、煎餅、ゼリー、チョコレートなど食い物中心に買ってきてくれてすごいうまいんだけど、違うんだよ。オレは肌で感じたいんだよおおおお!


 オレの心を読んだ犬井は、「お前な……、外に出たらまた変な目を向けられるんだぞ。俺が堪えられると思ってるのか?」と抱きしめてくる。オレじゃなくてお前が堪えられないのは初めの方でよく解ってるし、あの絡みつく視線はふざけるなとしか言えないが、外に行ってみたいのだ。この国に来たときでさえ、オレは宿屋の一室から出させてもらえなかったのだから。危ないからという理由で。退屈しのぎに本や狐ちゃんを置いていってくれたけれど、窓の外にある景色を眺めるだけだった。犬井だけが世界を直に眺められて、犬井だけが多くの知識を手に入れている。オレの方はへっぽこからあまり成長していないし、できることもそんなにない。こんな不平等なことあるかよ。


「やらしい目で見られるのは嫌だけど、オレだってこの国のことを知りたいんだ。犬井と一緒ならいいだろ?」


 「なあ」と捲られた袖を引っ張れば、噛みつくように唇が落ちてきた。二度三度と繰り返して。


「――人が必死に抑えているそばから、上目遣いでそういうことをするんじゃない」

「抑えきれたところなんか見たことな――いぃっ!?」


 「見たことないぞ」と言うより前に、「悠希」と脇腹を撫でられて躯が仰け反ってしまった。危うく椅子から落ちるところだったんですけど! 「なにすんだアホ!」と思わず浮かんだ涙ごと訴えるが、「自業自得だろ」と鼻を摘ままれる。オレは本当のことを言ったまでなのにさあー! 離された鼻を擦る間に、「アリテア様に聞いてみるけどな、出かけるとしたら必ずローブ着用だからな。いいか、必ずだぞ」と言われてしまう。そんなに念を押さずとも解っていますよ、オレもね。


「言われなくても解ってるっつの」

「よろしい」


 もう一度口づけられ、躯の位置を戻された。さすがに向かい合わせではやりにくいからな。終わるまではまだまだあるし、観光案内を真面目に読もう。



    □



 「ユウ、終わったぞ」という声に「んー」と短く返す。着替えようと席を立つこともない。なぜかといえば、着替えたいと思ったときにはもう着替え終えているからだ。ニーソックス、緋袴、白衣、髪を彩るリボンたちは装備するかのごとくひとりでに肌や髪に纏う。『魔法』のひとことで片づけることもできるが、犬井の服やジャージ、メイド服なんかは着替える手間があるので巫女服が特別なんだろう。そんな巫女服姿で、オレはふたたび犬井に向き直った。


「行けることになったらここに行きたい!」


 広げたページには公園が載っているが、オレの目的はそこで遊び回ることではない。公園の一画にあるアイスクリームの屋台こそが本命である。写真を見る限りではソフトクリームかな、これ。ソフトクリームだと仮定してなにをするのかといえば、ベンチに座って食べながら駄弁るのだよ。想像するだけで楽しいと解る。


 察した犬井は目を細めながら、「ユウは食い物に目がないよなあ」とまた抱きしめてくる。くすくす笑って。


「誰でもおいしいものは好きじゃんか」

「目の輝きが違うんだよ、ユウの場合は。逆らえなくなるから怖い」

「逆らえないなんてあるわけないだろ」

「それがあるんだな。否定したら嫌われそうだし。まあ、実際には嫌われることはないんだろうけど、そう思わせるんだから恐ろしい見た目だ」

「元凶がなにを言うか!」


 「だから俺が一番逆らえないんだよ」と苦笑混じりの声とともに腕に力が籠められ、「それこそ初めから、俺はユウに勝てたためしがない」と続けられる。


「えっ、あれは冗談じゃなかったのか!?」

「へぇ……、悠希くんはいままで冗談だと思っていたわけか」


 オレの大声に違う意味で目を細めたであろう犬井がなにをしたのかというと――くすぐってきました。抵抗なんてなんのそので。


 酸欠状態になりながらもなんとか謝って許してもらったわけだが、最後のキスは必要ないよね!




 

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