#012

 いつものごとく寝室のベッドに下ろされれば、びくつきながら犬井を見上げる。いくら悪いようにはしないと言われても、押し倒されやしないかと不安でいっぱいだった。犬井は犬井なのだ。油断はできない。


 時間を稼ごうと「あ、あのさ、なんで走らされてたんだ?」と口を開くが、その声はどこかか細く不安げだ。しっぽも不安定に揺れていることだろう。そんなオレを眺める犬井はといえば、「連帯責任だな」とそのままその場に膝をつくように屈んだ。と同時に柔らかく握られる手を気にしたら負けだろうか。


 犬井自身はまったく気にした様子はなく、マフラーからもとに戻った狐ちゃんが鼻先を頬に押し当てていても平然としている。このなかでは、オレだけが変に意識しているらしい。なんか癪だ。だったらオレも意識なんてしないからな!


 そうだ、そうだ。いつも通りでいいんだよ。いつも通りで。


「りぇんっ、う゛ぅん! 連帯責任って、お前なにしたんだ?」


 いつも通りを全面にだそうとしてちょっと噛んでしまったが、咳払いで誤魔化す。犬井は小さく笑っただけで、「どうして俺がなにかしたのが前提になってるんだよ」と呆れていた。


「だってさあ、混ざらせてもらっているわけだし、なにかするのなら犬井しかいないだろ?」

「違うっつの。三日前に配属された新人がヘマをしたんだよ」

「それで連帯責任なわけか」


 続く「大変だったな」が棒読みくさくなるのは、頭を撫でてくる指先がネコミミに触れたからだ。やめろー! 揉まないでくれ!


「い、犬井さんんんんー」

「いいから、《おとなしくしてろ》」

「しかしですね!」


 命令されたことは解るが、その力が弱いのかなんなのか、躯が跳ねてしかたがないんですが! 悪いようにはしないんじゃなかったのかよ!?


 涙が浮かんできた目を反射的に閉じてしまったからか、指先の感覚が鋭くなっていく。「ううう~」と唸れば、「遊びは終わらせるから、もう少し我慢しろ」と犬井の声が聞こえた。含み笑いはよけいですけど。あと、お前最低だからな! 鬼畜野郎が!


 「人で遊ぶんじゃねーよ!」と抗議すれば、ネコミミから温かみを感じる。感覚が鈍くなったと言えばいいのか、指先の触感がわずかにしか伝わってこない。例えるのはちょっと難しいが、気にしなければ触られていることが解らないくらいだ。


「んんんー?」

「どうだ?」

「触ってるんだよな?」

「そりゃあもう揉みまくってるぞ。どうやらうまくいったみたいだな」


 恐る恐る目を開けてみるが、言われたようにまだネコミミを触っているようだった。実際見ていても、触っているのかと言いたくなるぐらいに感覚は鈍い。これならば、触れられないときと変わらずに過ごすことができるだろう。


「魔法は便利だなー」

「これでメイドやアリテア様に触られても大丈夫だろ」


 ああ、そうか。オレのためにしてくれたのか。だったらちゃんと言えよな、アホ。いきなりじゃ解らんっつの!


 なんだか照れ臭くなり、ぎこちなく「うん」と頷けば、犬井はわしゃわしゃ頭を撫でてきた。そうして指の腹で涙を拭い始める。「ユウを泣かせていいのは俺だけだからな」と頬を撫でてくるが、その手を払う気にはなれない。もちろん呆れてだ。いったいどこからその自信が湧いてくるのか疑問だよ、本当に。逆に言えば、自信があるからこそ強く出られるということなんだろうけども。


「というかさ、リリネルさんと一緒にいたの、どこから見てたんだよ?」

「どこからでもだな。ユウの安全が脅かされないように見張っているのは当然なわけだ」

「覗き行為も可能なわけか、変態め!」

「アホか。わざわざ覗かなくても、手を伸ばせば届く距離にいるからな」


 「ほら、次はしっぽだ」と腰の方に手を伸ばしてきたが、わきわき指を動かすのはやめていただきたいですね。



    □



 やりづらいからと背中から覆い被さるようにしてしっぽにもしっかりと魔法を施されてしまったが、犬井がそれだけで終わるはずもなかった。「変態がいますけどー!」と悪態を吐いていたオレはいま、ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら匂いを嗅がれている。狐ちゃんも容赦がなく、何度も髪にキス――犬井曰く、抱きしめられているからしかたがなく髪にしたようだ――をしてきてネコミミに絡み、最終的に揺れるしっぽと戯れていた。


「もー、なんなんだよ」

「他の奴に抱きしめられた分を返してもらってるな」

「そんなことしなくても、お前が一番抱きしめてるだろ!」

「離れた分を補うにはまだまだ足りないんだよ」

「だから半日も離れてないっての」

「時間は関係ないからな。足りなくなったのが事実なだけで」

「面倒くさい奴だなあ」


 オレが身じろぐ度に犬井は離さないと言わんばかりに躯を擦りつけてくるもんだから、堪ったもんじゃない。こう密着されたら暑いんですよね!


 ああもう、まったく、面倒くさい。オレが折れるまで離す気はないんだから。


「――よし、解った。犬井、ちょっと離れろ」

「断る」

「犬井」


 見上げた犬井は不満そうな顔をしつつも腕を緩め、現れた小さな隙間に「狐ちゃん、おいで」と狐ちゃんを迎え入れてやる。そうして、「きゅっ!」と嬉しそうに鳴く狐ちゃんごと抱きしめ返した。


「オレがこうするのは、犬井と狐ちゃんだけだ」


 抱きしめられたりしたが、抱きしめ返したことはない、と思う。特別感を与えてやれば満足するだろうかとやってみたりしたけどさ、意外に恥ずかしいな、これ……。


「急に黙るなって」


 なにか喋れやと見上げた先、「あ」とひと言発するだけで動きが止まってしまった。真っ赤な顔の犬井はすぐにそれを背け、唸るような低い声で「悠希」とオレの名を呼ぶ。


「お前は……」


 「俺の理性を消し飛ばす気か」と小さく漏らしながら目元を片方の腕で隠す辺りで、オレも顔が熱くなってしまう。あれですよ、回顧ですよ、回顧。犬井の言葉に、ベッドでのうにゃうにゃが蘇ってきたのだ。


「い、犬井が離してくれないからだろ……っ」

「……離せるわけないだろ……」


 羞恥と呆れとが混ざったような声とともに背中に回されたままの腕で引き寄せられ、あまりの顔の近さに思わず心臓が跳ねてしまった。いくら見慣れた顔でも、こう近いと食われるんじゃないかと怖くなるだろうが。「ちょっ……、近いっつの!」と慌てて引き剥がそうとするが、犬井の方が一枚上手だった。――その場に押し倒されたのだから。


 ああ、そうかい、そうかい、オレはやっぱり食われるんかい! さっきはさんざん食われていることは置いておいてやったのによお。そこを突き詰めたらややこしくなるだけだし。


「ふざけんなよ、犬井……っ」


 脱け出そうともぞもぞするが、犬井はなにをするでもなく胸元に顔を埋めたままだった。毒気が抜かれてしまったのは、なにやらぶつぶつ呟き始めたからである。「くっそ……、可愛すぎるんだよ……っ」「目に毒すぎんだろ」「なんなんだよ、本当に」「なんでこんなに可愛いんだよ」と耳を赤くさせたまま悶える犬井がなんだかかわいく見えてくるのだから、不思議なこともあったもんだ。


 思わずといった感じに頭を撫でてしまったものだからか、目線を上げた犬井は「……ユウ……」と戸惑いつつも小さく笑う。しおらしいのは新鮮だなーとそのまま眺めていれば、頬に手が伸びてきた。――が、次の瞬間には頭に狐ちゃんの攻撃タックルを食らい、その手も眉尻を下げた顔も伏せられてしまう。「ぐっ!」とくぐもったような声を上げつつ。


 痛そうだと同情するのと同時に、押し潰されることなく抜け出していた狐ちゃんたちは意外に頭がいいんだなーと感心する傍ら、「ぎゅぅ!」「ぎゅっ!」と怒りに燃える狐ちゃんは犬井の肩口を噛んでいた。伸びるシャツに狐ちゃんの怒りが表れているのだろう。


「いきなりなんなんだ、痛いだろうが」


 頭を押さえながら怒りを滲ませる犬井だが、「きゅっ!!! きゅー!」としっぽで攻撃をしかける狐ちゃんたちも負けてはいない。


「落ち着け。なにもお前たちを蔑ろにしたわけじゃないからな」

「なんて言ってるんだ?」

「自分たちを無視するな、だと。あとはまあ、俺ばかりがユウを構って、自分たちがユウに構われないから機嫌が悪いんだよ」

「へー、犬井にそっくりだな。ペットは飼い主に似るって言うもんなー」

「似てねーよ」


 不機嫌そうに顔を逸らした犬井に突っ込むのは、空気が読めないと言われるだろうか。少し離れただけで苛つくくせに、なにが「似てない」だよ。苦笑するしかありませんよねー。


「ゆ、う、きー」

「ぶわっ!? こら、にゃにしゅんらっ」


 考えを見通してオレの頬を片手で挟んでふにょふにょしたあとはまた胸元に顔を埋め、「似てないからな」と念押ししてきた。狐ちゃんは狐ちゃんで同意をしているのか、「きゅ! きゅっ!」と鳴きながら頷いている。同族嫌悪すぎるだろ、似た者同士よ。


「解った解った、解りましたー」

「解ればいい」


 コントを眺めているようで見ている分には面白いけども、拗らせすぎるのはよくないなとない頭で結論を出したわけだが、犬井はまだ胸元にいるわけですね。そうですか、そうですか。


 重いからさっさと離れてほしいというのに、『まあ、いいかな』なんて思う自分もいるもんだから、どういうことなんだと問いつめてやりたい。よくない、よくないですから!


「ユウ」

「なんだよ、どうした?」


 悶々としているところに声がかかるが、平然を装う。慌てないことが優位に立つ術なのだ、たぶん。巧いこといっているのかは解らないけど。


「可愛いな」

「うるせーよ、かわいくないわい」


 なにを言う気かと待っていたが、言いたいことはそれかよ。バカらしいと顔を背ければ、頭を撫でられた。「ユウ」と何度も呼んで。狐ちゃんも機嫌が直ったのか、「きゅー」「きゅ」と頬擦りをしてくる。完全に緩みきった空気を破るのは、誰でもなくオレですよ。堪えられないんでね。


「だーっ!」


 べりーっと音が出そうなほど勢いよく引き剥がしてやれば、犬井は舌を打った。行儀が悪いぞ、お前。


「暑苦しいから、もうやめ!」

「しかたがないな、そこまで言うなら解放してやろう。補充はできたからな」


 上から目線で言いつつも、ちゃんと躯を起こしてくれるのだから許してやろう。ようやく重圧から解放されたオレも上半身を起き上がらせ、乱れた服と髪をささっと直した。


「ちゃんと直ってるか?」


 確認してもらうためにベッドから下りて軽く一回転したが、犬井は胸元と鼻を押さえ、狐ちゃんはしっぽで顔を覆っている。そういう反応が返ってくるとは思いませんでしたわ。


「えー、ちゃんと直っていると仮定しましてー、ネコミミとしっぽのことはありがとうございます! オレは洗濯に戻るので! さらば、犬井!」


 危険を回避するために素早く部屋を出て、洗濯係の活動場所である中庭へと赴くその間に、ちょっと思考を整理した。女の子がくるりと一回転をする姿にはくるものがあるよな。なにがとは言わないが、ふわりと舞い上がるスカートに胸が高鳴らないわけがない。それが『好きな子』であったのなら、最高だとしか思えないだろう。


 中身が男のままだからか、なんとも危機意識が低いですね。犬井が好きなのはオレなわけだし、これからは気をつけなければ。とは思いつつも、神経を尖らせたままなのは疲れるよなあ。


「なにかいい方法はないものか」


 離れると犬井が怒るからな、でも雰囲気に飲まれるのは嫌だし、などとぶつくさ呟いていれば中庭に着いてしまい、メイドさんたちの視線が一斉にオレに集まった。が、すぐに顔を戻したようだ。鬼軍曹もといリリネルさんが現場監督をしているのでね。


 手を招くリリネルさんに近づけば、「もうよろしいのですか?」と微笑まれた。そわそわしているのか、微かに躯が動いているようだ。


「はい。サボってしまい申し訳ないです」

「心配はいりませんよ。猫さん方は『来賓』ですからね。本来なら、このお城でゆっくりと過ごしていただかなくてはならないのですから」


 無理を言って洗濯係に捩じ込ませた挙げ句にサボっていたというのに、リリネルさんや他のメイドさんたちは嫌な顔ひとつしない。なんていい人たちなんだろうな。いくら来賓扱いだと言っても、新入りには代わりないというのに。オレだったら愚痴ぐらいは言うね。


 「それよりも……」と続いた言葉と、やたら大きな咳払いをするリリネルさんになにかあるのかと身構えたが、反してがばりと勢いよく抱きしめられてしまった。「抱きしめてもかまいませんね?」という言葉とともに。変にそわそわしていたのはそういうことだったのか!


「ああ~、この抱き心地は堪りませんね!」

「先輩ばかりズルいですよ!」

「私たちにも抱かせてください!」


 わあわあ言いながら集まるメイドさんたちに対し、リリネルさんは「お黙りなさい! 可憐な猫さんは私が目をつけていたのですよ!」と声を荒らげる。


「ようやっと抱きしめられるというのに、そう簡単には渡しはしません」

「多勢に無勢ですよ、先輩~」


 迫り来る後輩らしきメイドさんたちから庇うように躯を反転させるリリネルさんだが、あっちにもこっちにもメイドさんがいた。つまるところ、オレたちは完全に包囲されているらしい。


「く……っ、しかたがありませんね」


 悔しそうに唇を噛んだリリネルさんは、「私の負けです」と白旗を揚げたようだ。しかし、そこはリリネルさんである。「負けは負けですが、猫さんの負担を減らすために時間制にします!」と宣言したのだ。メイドさんたちは反対するのかと思いきや、「ええ、先輩の言うとおりに」と快諾した。即答でしたわ。


 そんなこんなで、次々にメイドさんたちに抱きしめられて時間が潰れましたとさ。


 ……モテすぎるのも大変だなあ。はははー。




 

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