#006

 理不尽だ。ああ、理不尽だ、理不尽だ。

 思い返せばその言葉しか浮かんでこない。力業ちからわざすぎるだろうよ、犬井さんよお。


 暴君のような犬井の胸元のシャツを握りしめながらうおおおおと感慨に耽っている間、背中に回されていた手はその下方にきていた。もにゅもにゅ揉む手つきはさすがというか、慣れているなと解る動きをしている。


「さっきからどこ触ってるんだよっ」

「臀部」


 もぞもぞ動きながら「触るなって」と手を払うが、払ったら払った分だけがしりと掴まれ、もにゅもにゅ揉んでくるのだった。「ユウがいるから」と。なんなんだそれは、「そこに山があるから」と返す登山家か、お前は。――いや、登山家だろうとなんだろうとどうでもいい。対ネコミミのあとに繰り出された対臀部という二段構えをどうにかしなければ。


「いい加減やめろっての」

「ユウの成分が足りてない」

「ふざけんなアホ!」


 ついさっきまでプライドをへし折ってやっていたというのに、足りないなんてありえない。どこまで性欲魔神なんだ。いや、まあ、コイツの性欲が『底なし』なんてのは解っていますよ、もちろん。文字どおりの! 文字どおりのな! 大事なことなので二回言わせてもらったが、最悪である。悪夢だよ、悪夢。こっちがへとへとになってようやく離してくれるわけだが、犬井自身はどこ吹く風なのだ。一体『女神様』は犬井になにをプレゼントしたのやら。


 流されているばかりでは腹上死の未来しか思い描けないので流されてはいけないのだが、『押し倒されたら最後』なのだ。女の子になって力が劣っているから勝てないのか、犬井が手慣れているから勝てないのか――。とにかく、オレは悔し泣きするしかないわけだ。一応言っておくが、男のときも力関係は犬井の方が上だということは考えないようにしているだけだぞ。オレのプライドを保つためにな!


「ユウがなにを言おうが、足りてないものは足りてないからな。俺は毎日『ユウ欠乏症』で大変なんだよ」

「黙れ色狂い! 貧血みたいに言うな!」

「似たようなもんだろ。鉄欠乏性貧血は鉄分が足りないから起こる。で、俺の方はユウが足りないから抱きたくなるんだよ」

「冗談はやめろ! とにかく、これ以上は拒否するからな。さっきみたいに、オレ抜きで魔王様たちと楽しんでこいや」

「俺は悠希がほしい」

「うるさい黙れ変態」


 転がるようにして犬井から離れれば、ベッドサイドに置いた竹筒が軽快な音をあげる。「きゅー!」と狐ちゃんが飛び出してきたからだ。吹き飛んだふたをキャッチするのは毎度犬井の役目であった。二匹の狐ちゃんは天井付近から急降下し、オレの顔の横をそれぞれ陣取っていく。


「管狐、出るなら出るでいいけどな……、ふたを弾き飛ばすなと何度言ったら解るんだ」

「狐ちゃんにナメられてやんの、ざまあみろ」


 頬擦りをする狐ちゃんの横腹を撫でながらケラケラ笑えば、呆れていた犬井はオレを引き寄せて唇を塞ぐ。いきなりなにをするんだ、この男は。


「おい……っ、やめろ」

「お前がそういう態度なら、いますぐに気持ちよくさせてやる。――《管狐》」

「ふざけんなっ!」


 これは本気だ、ヤバいと覆い被さる犬井を引き剥がそうとするが、腕を縫い付けられてしまいあとがない。狐ちゃんに助けを求めようにも、主人の命令を待っているのか、きりりとした顔つきをしていた。くっ、狐ちゃんのなかの序列では、オレは犬井より下なのね。解っていますよ、主にはどう足掻いても勝てませんもんね。これでは助けてくれそうもないか。


 なら自分でなんとかしなければと思いつつも、なんら手立てはないわけで。もう食われるしか道はないなと悟り、唇を貪られながらぎゅっと目を閉じれば、犬井は息を吐いた。なぜそこでため息を吐く必要があるのか。恐る恐る目を開ければ、「解った」と紡ぐ。もちろん舌を打ってからだが。さっぱり解らないから、自己完結はよしてくださいよ。


「犬井ぃ?」

「やめる条件は、悠希からのキスだ」


 そう提示された条件に「誰がするか!」と叫びそうになるが、ぐっと飲み込んで「……解った」と頷いた。犬井なりの譲歩なのだから、オレも譲歩しなければなるまい。いくらあれな条件でも。つか、何度もオレからキスしてやってんだろうがよー。なにが不満なんだよ、ちきしょう。


「ユウ」


 横髪を指で梳きつつ、額に唇を押し当てる犬井に言いたいことは山ほどあるが、「目を閉じろ」とただそれだけを言ってやった。そうでもしなければぐだぐだとしたやり取りが続くだけだし、かといって見られながらは恥ずかしい。オレは犬井のように手慣れてはいないのだから。


 促され、たしかに目を閉じた犬井は存外素直だと感心する。いつもこうだったなら、オレの苦労は少ないはずなのに。胸裡でそう吐きつつも、「悠希」と甘い声に誘われるまま、その唇に自身のそれを押し当てた。――のはいいが、ああ、これ間違ってたわ。



    □



「魔王様……、いい加減寝室を別々にしてください」


 逃げ込んだ魔王様の寝室で涙ながらに語るオレにくだされた決断は、非情としかいいようがなかった。わざわざ添い寝をしてくれている妙齢の魔王様は「それはできん」としか言わないのだ。そりゃあ、ドアを開けた幼女姿の魔王様に抱きついたのが犬井ではなくオレだったのは気に入らないかと思いますが、いまは魔王様しか頼れないのです。獣はひとりで自家発電に勤しめや、くそ野郎。


「なんでですか!」

「そんなことをすれば、わしが勇者に嫌われてしまうだろ。別々にしたいのなら、まずは勇者に話を通してからだ」


 片手で頭を支えて片手で髪の先を弄りつつ、仄かに頬を染める魔王様はかわいらしいが、いまは魔王様を愛でているときではない。ちなみに、気まぐれに好きな容姿――幼女から本来の姿である妙齢の間――になることがある魔王様だが、いまは地球で言うところの省エネを実行しているらしい。ちっこいとそれだけで魔力の消費量が抑えられるようだ。なぜそうなるのかという科学的根拠は不明だが。


 ちっこいときは犬井に抱っこされるのが好きなんだよなー。そんな魔王様に対し、犬井もオレも必要以上に構ってしまうのは『かわいいから』である。喋り方は普段となんら変わらないのに、その姿は愛玩したくなるほど可憐なのだ。


 ――おっと、話が脱線してしまっているな。話を戻さないと……。


 いくら犬井に「寝室を別々にしたい」と言ったところで、認められるわけがない。「はっ」と鼻で笑うのが目に見えている。そして「離れたくても離れられないようにしてやるよ」と押し倒されるのも解りきっていた。やはり犬井といる限り、オレに平穏など訪れないだろう。


 拭った涙がじわりと浮かんでくるのは境遇からだけではなく、嫌だと言ったにもかかわらず翻弄してきたからだ。「犬井のアホ!」と涙に濡れた枕を投げつけてやったが、難なく受け止められてしまい効果はゼロに終わった。しかも、笑いやがったんだぞ!? 「無駄だぞ」なんて言いながらさあ! もちろん、掛け布団も投げつけてやったからな。


 「猫」と呼ばれて視線を遣れば、魔王様の指が涙を拭っていく。「お主が泣くと勇者が狼狽するからな」と。あんな奴、困らせておけばいいんだとは言わなかった。いや――拭う指の優しさに言えなくなったのだ。オレは魔王様が好きだから、困らせることはしたくない。一応言っておくが、好きといっても恋愛感情はありませんよ。犬井に対しても、恋愛感情はないけどね。


「魔王様は、犬井が了承するとお思いですか?」

「いいや、早いところ諦めた方が身のためだと思うぞ。いいか、猫よ、よく聞いておけ。お主が嫌だと言うのなら、わしを含めた誰かが相手をしてやるから、勇者の機嫌を損ねるようなことはするでないぞ。あやつが本気になれば、国が潰れかねんからな」

「犬井にそんな力はありませんよー」


 犬井の持つ『力』というのは、あくまで魔王を倒す力であって、国をどうこうする力ではない。大体、国をどうこうできていたら、確実に新しい国ができているだろうよ。犬井の犬井による犬井のためのハーレム王国が。魔王様は大袈裟ですよねー。


「お主は長年なにを見てきたんだ?」

「『女の子に囲まれる姿』としか答えられません」


 魔王様は「やはりと言うべきか、あちらの世界でもハーレムは健在だったようだな……」と呆れたように紡ぎ、「まあ、解らんでもないが」と苦笑する。


「オレもそう思います」


 女の子が群がる理由がさっぱり解らなかったけれど、『この姿女の子』になってようやく理解できた。そういうテクニックが女の子を離さないのだろうと。飲み込まれたらもうなにも――目の前の犬井のことだけしか考えられなくなるからな。そこらへんだけは、涙を飲んで参考にするしかないか。


「犬井を参考にすれば、オレにも彼女ができますかね?」

「早く寝ろ」


 掛け布団を頭の方に被せ直されてしまうが、どうやら魔王様は『それは無理だ』と言いたいようである。そうだと解った理由は、そろそろ覗き見た瞬間に魔王様が呟いたからだ。「猫に女ができたのなら、それこそ国が潰れるぞ……」と、苦々しい顔をしながら。


 オレに恋人ができて、どうして国が潰れることになるのか。そこの繋がりが解らないが、魔導師さんは潰したよな。厳密にいえば、魔導師さん愛用の杖をだけど。


 「よい夢を見るのだぞ」と頭を撫でてくる魔王様の半分でもいいから犬井に優しさがあれば、魔導師さんだって泣かせなかったのに。杖を直してほしいと懇願する姿に胸を打たれて口を開こうとすれば、唇を塞がれてしまった。


 その後を思い出すだけで気力が削がれていくだけなので思い出したくはないが、思い出すしかないこの状況が憎い。


 あとで覚えてろよ、くそ野郎!




 

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