#005

 不安に飲み込まれそうになりながらも考えを蹴散らし、頭をからっぽにしながら魔導師さんの後ろ姿を眺めていた。肩の少し上にある髪がきれいだなーと。内巻きにしているから、くるんとなっているのがまたかわいい。正確には、後ろにいる男たちからの視線が怖いので、魔導師さんを眺めることによってどうにか逃避している。逃げる気はないんで、そんなに睨まないでくださいよー。


 そんなオレの事情などまったく知らない魔導師さんは一度立ち止まって振り返り、頭の先から爪の先までオレを眺めて「君は勇者殿とどういう関係だ?」と口を開いた。品定めかなんなのかは知らないが、オレは「友人ですよ」と答える他ない。実際、友人だからな。それ以外では『近所』という間柄だろうが、わざわざ言わなくてもいいだろう。言うとめんどくさいことになりそうだし。


「友人……? いや、しかし勇者殿の目は、友人を見るような目ではないぞ?」


 なにかを考えるように下あごに手を添えてそんなことを言う。やめてくれ! 怖いことを言わないでいただきたい。


「ははははは、ご冗談を! さ、早くいきましょうよ」


 ぐいぐい背中を押すが、魔導師さんは「しかしだな」と話を進めようとする。だがこれ以上は聞きたくないので、「怒られるのはオレですから」と強引に話を終わらせた。納得はしていないだろうが、魔導師さんは歩を進めていく。


 気にしたら負けなのだ。犬井のオレに対するスキンシップが怪しいことに気づいていたが、オレは同性とどうこうなりたいわけじゃないし、犬井の方だって抱きしめる以上はしてこないから友人を続けている。もしも抱きしめる以上のことをしてきたら、もう一度『絶交』を言い渡してやるからな。


「着いたぞ。ここは『転移の間』といってな、異界から『召喚』をし『送還』をするために作られたのだ」

「そうなんですか」


 廊下を進み、止まった先には金がふんだんに使われた豪奢なドアがあった。すげーと興奮したのは、魔導師さんの言葉までだ。わざわざそんな部屋を作らざるを得ない状況なのか、この世界は。どうなってるんだよ、一体。


 なにがあるのかと身構えていたが、肩の力が抜けていく。中身は空間だったのだ。床に魔法陣がでんと描かれた以外にはなにもない。その真ん中に立った瞬間、魔導師さんは「君には魔力がない。からっぽなんだ」と宣った。


「魔力がない者はこの世界を生き残れない。そもそも、君がこの世界に来たことが間違いなんだ。勇者殿の召喚に巻き込まれただけなのだから。私たちは勇者殿を必要としているが、君は一切必要のない人間だ。だから君を送り帰そうと思う。悪く思わないでくれ、これは君のためなんだ」


 ――必要ない。そうはっきりと言われた言葉が胸に刺さる。地球でも異世界でも、オレは犬井に隠れてしまうのか。悔しいが、それもしかたがないことだろう。犬井啓は完璧なんだ。性格以外は。性格以外はな。肝心の性格についてだが、オレからはなにも言わないぞ。オレだとバレたら、『狐ちゃんでくすぐりの刑』だからな。脇はダメだし、脇腹も弱いんだよ、本当に。笑いすぎて酸欠になるからな。


 魔導師さんたちが呪文を唱え始めたのを見るに、オレを『送還』することに間違いはないようだ。要は、端から話し合いなどする気はなかったということか。だが、まあいいだろう。オレとしてはこれは『最高の選択』でしかないのだから――。


「犬井にひと言頼めますか?」


 返事はないが、代わりだというように魔導師さんが小さく頷く。淡く光を放つ杖を握りしめながら。


「お前ならできるよ」


 この言葉はオレからの手向けである。いい奴だと自画自賛するほどにオレはいい子なのだ。巡ったチャンスには胸裡でガッツポーズをするしかない。犬井がいない世界で、オレはあの子の彼氏となる。そして薔薇色の日々を過ごすのだ!


 にやける口元を押さえた瞬間、豪快な音とともにドアが高らかに吹き飛び、ひしゃげた姿で隅に落ちた。そこに人がいなかったからよかったものの、下手をしたら大惨事になりかねなかっただろう。


「なっ……!?」


 突然の出来事に足が竦まり、動けなくなる。なにが起きたというんだ。しかし詠唱する声は止まることなく、ついには魔法陣が光を放ち始めた。なるほどなるほど、動揺しているのはオレだけなのか。


 消えかける煙――散った埃かもしれない――から姿を現したのは、他でもない犬井だった。青筋を浮かべながら、一歩一歩近づいてくる。


「ふざけるなよ、悠希」

「い、ぬい……」


 忘れていた。いまのいままで忘れていたが、犬井は狐ちゃんを介して話を聞くことができるのだ。「誰が帰すか」と変わらずに淡々と紡ぐ犬井だが、殺気が凄まじい。目付きだけで何人殺れるんだって話だ。


「お……、お前が悪いんだからな! 巻き込んだのはお前! オレは悪くない!」


 恐怖から一気に吐き出した言葉に返るのは、「《悠希を捕縛》」と狐ちゃんに命令する声である。了承だというように「きゅ」「きゅ」と鳴いた狐ちゃんは、オレの周りを浮遊し始めた。


「え……、あ、わ……っ!?」


 慌てて逃げようとしたが遅く、しゅるしゅる躯に巻きつく狐ちゃんのお蔭で簀巻き状態になってしまう。「おい、こらぁ、犬井! ふざけるなよっ!」と声を張るが、人の話を聞く気はないようで、今度はお札が飛んできた。オレを囲むお札を一瞥したあと、なにやらぶつぶつ呟いている。『印』とやらを組みながら。


「やめろよぉ!」


 また狐ちゃんにくすぐられるのだろうか。狐ちゃんの小さな顔は頬に寄り添っているが、いつ脇腹にいくか解らない。恐怖に固まる間に徐々に躯が熱くなり、頭がくらくらしてくる。


「――俺から離れようとした罰だ」


 冷酷なその言葉のあとに、躯から力が抜けていく。がくりと膝をついたあと、転がるようにして床にうつ伏せになった。とたん、狐ちゃんが離れるが、ゆるく手を握るのがやっとである。つまり、躯を起き上がらせることはできないわけだ。


 狐ちゃんは狐ちゃんで、犬井の頬にぐりぐり頭を押しつけている。やっぱりご主人様の方がいいんだなと、なんだか悲しくなってきたが、いま悲しみに暮れるわけにはいかなかった。


 「なに、した……、んだよ」と絶え絶えに言えば、犬井は口端を上げながら「さあな」とだけ言って歩き出す。追った視界の端に映るのは、腰を抜かしたらしい魔導師さんの姿だった。


 恐らくは「勝手なことをするな」と睨み付けられただろう魔導師さんの手から杖を奪い取って真っ二つにする。簡単に折れるものではないだろうが、犬井の手にかかれば容易いらしい。そうして床に落とされる杖を唖然としながら眺めている。その行為は非道極まりない。なんて奴なんだ。


 オレが倒れこんでからというもの、魔導師さんたちは詠唱をやめている。成り行きを見守っているのか、諦めたのか、それとも犬井に恐怖したのかは知らないが。なんだかんだで、三番目の線が濃厚だと思います。犬井怖いから。


「勇者殿……、なぜこのようなことを……?」

「俺から悠希を奪おうとする人間に優しくするわけがないだろ」

「あ、あの者はっ、魔力がないのだぞ!?」

「魔力魔力うるさいんだよ。あろうがなかろうがどうでもいいんだっつの。悠希は俺が守るからな」


 それが当然だという空気であるが、くそ野郎がなにを言っとるか。守られるなんて絶対に嫌だからな!


「う、うー……!」


 ようやく動かせるようになった躯を起き上がらせて息を吐けば、違和感に目を遣った。指先を隠すものは制服の袖ではない。


「なに……?」


 自身を見てみるが、着ているものはどう見ても制服とは呼べない代物である。ではなにかと問われたら、こう答えるだろう。『これは巫女さんが着るものである』と。そう、つまり、オレは白と赤――白衣と緋色の袴を着ているようだった。しかもノースリーブタイプの白衣と丈が短い緋袴にニーハイときたものだから混乱するしかない。袖らしきもの――正式名称は知らない――なんか、二の腕辺りに赤いリボンで留められている。雰囲気からして草履かと思えば、履いていたスニーカーのままのようだし、なんだこれは、コスチュームプレイか。


 どういうことなんだと緩く首を傾げれば、犬井がコンパクトミラーを投げて寄越した。にやにや笑いながら。どこから出したんだと疑問が湧かないのは、身嗜みのために持たされているらしいからだ。いつもはズボンのポケットに入れているようである。


 乳白色のふたを開けてびっくり仰天した。そこに映るのは、獣耳――ネコミミを生やした女の子だったのだから。


「のお――――っ!?」


 普通に耳もあるので、どこのコスプレだと突っ込みたい。やっぱりコスプレなのか、これは。背後に少し見えるのはしっぽだろうか。なぜ『女の子』かと解ったのかといえば、胸元辺りまで伸びた長い横髪を両耳の下辺りで結わえているからだ。これまた赤いリボンが大活躍していることから察するに、差し色は赤らしい。


 後ろはどうなっているのかと、恐る恐る手繰り寄せてみれば、「おおう」と戸惑うような声が漏れた。これはやっぱり、巫女さんを模しているのだろうか。伸びた髪は最後の方でひとつに纏められていたのだから。赤いリボンで。なんなんだよ、リボン狂いなのかよ。


 そしてもうひとつ、これは隠しきれない確かな証拠である。胸が少しだけ膨らんでいるのが見えるのだ。あれだよ、白衣が透けているんだよ。そうだよな、躯が熱くなったからか汗をかいたんだよな。ということはなにか? 鏡に映るこの女の子は――。


「ははははは!」


 夢だ、これは夢だ。思わずコンパクトミラーを犬井に向けて投げつけてしまったが、夢なんだ。


「呪術と魔法が合わさると、俺の妄想が具現化するわけか」


 しげしげとオレを眺める犬井は「《動くな》」と『命令』する。すぐさま躯が動かなくなり、できるのは睨むこと以外ない。


「悠希は俺の《式神》になったんだよ。ついでに言わせてもらえば、性の転換もしたわ。二度と俺から離れられないようにな」


 微笑むその顔でなにを言っているというのか。《式神》……? 性の転換……? 言っていることが解らない。頭がイってしまったのか、コイツは。


 茫然とするオレに犬井くそ野郎は言う。その瞳を肉食獣に変えて――。舌舐めずりをしそうに見えるのは気のせいではない。いやもう、はっきりと唇を舐めてますね。


「ああ――可愛いな」

「うわああああああ!」


 『可愛いな』のあとに続くだろう言葉は容易に予想できた。『いますぐに食いたい』しかない。女の子を前にして手を出さない犬井などありえないのだから。『貞操の危機』とは、こういうことを言うのだろうな! 危険を察知したオレは叫ぶ。と同時に躯に鞭を打って走り出した。あ、なんだ、走れるんだな。さっきまでうんともすんともいわなかったというのにっ!


 出入口めがけたはいいが、そこには重厚なドアがあった。はっとして見たが、あの吹き飛んだドアがない。いつの間に修復したんだよ!


 取っ手を引っ張っても動かず、ならスライド式かと引いてみたが動かないまま。押すのかと押してみても、一ミリも変わらなかった。おいいいいい! どうしたら開くんだよおおおおお!?


 焦るオレとは対照的に、犬井は狐ちゃんを従えながらゆるりゆるりと迫り来る。歩幅がゆっくりなのがまた怖い。


「開けろー!」

「ユウ」

「ぴぃっ!?」


 ドンドンガンガン叩いていれば、ふわりと背後から抱きしめられ、変な声が出てしまう。「ユウ」とふたたび呼ぶ声は、怒気が滲んでいるではないか。何度めか解らない湧き上がる恐怖のお蔭で、思考がぐちゃぐちゃになっていく。


「その格好でここから出るな」

「貞操の危機が、が、が、が、がああああ!」

「落ち着け、俺はいますぐどうこうするわけじゃないぞ」


 ガチ泣くオレの涙を拭いながら、犬井はローブを肩にかけてきた。どこから出したのかは不明だが、「そのままの格好で外に出るのは危ないから、絶対にやめろ」ということらしい。だから怒っていたのか、納得納得。


「お、おお、う……」

「変に焦る必要はないんだよ、時間はたっぷりとあるからな。ゆっくりと確実に落としていくから覚悟しとけ」


 そう囁いたのち、犬井はネコミミとしっぽに指を這わし始め、「俺から離れないと誓うならやめてやるよ」と責め立ててくる。どうやら怒りは簡単には収まらなかったようだ。そして、やはりと言うかなんなのか、獣耳としっぽはそういうあれなようで、親しい人以外には触らせないのが通例らしい。だから触れられると変な声が出そうになるのか! 本当に厄介だ!


 それでも、最初こそ頑張って「ふざけんな!」「変態!」「変態ぃ!」と悪態を吐きながら睨み付けていたが、狐ちゃんに手首を捕らえられてくすぐりも加わってしまった。もしかしなくともその悪態が気に障ったのだろう。がっちりと両手首を固定されてしまえば逃げることなどできないので、笑い泣くしかない。触れられる度に押し寄せる快感とくすぐりのコンボに勝てる奴がいたら教えてほしいくらいだ。泣いて泣いて笑ってへとへとになる前に、どうにか「誓いますー」みたいなことを言った気がする。犬井はにこりと笑って唇を塞いだあと、軽々とオレを抱き上げた。「腰抜けてるだろ」と。


 彼女のためにととっておいた神聖なファーストキスが奪われてしまったことで、オレは戦意を喪失した。犬井の腕のなかでまたもガチ泣く。「ファーストキスが奪われたぁ」「最悪だぁ」とぐずぐずに。腕から離れた狐ちゃんと犬井の傍で揺れていた狐ちゃんは「きゅ」「きゅ」と鳴いてオレの頬に鼻を押し当ててくる。慰めてくれているのだろうが、その慰めは効かないんだ。ごめんよ、狐ちゃん。


「返せぇ、オレのファーストキスを返せぇ!」

「誰が返すか。そもそも、悠希の初めては俺のものだからな。他の奴に渡すかよ」

「違うわボケぇ! オレの初めては彼女のものなんだよおおおおー」


 「犬井のバカ野郎ー」と叫んで鼻を啜れば、「彼女は作らせないから」と真顔で言ってきた。ダメだ。コイツに反省の色はない。


「黙れ! オレは絶対に彼女をつくるんだ! 手を繋いだりキスをしたりしてっ、甘い日々を過ごすんだっての!」

「だから作らせないっつの。彼氏ならすぐにでもできるけどな、俺限定で」

「嫌だー! その選択肢だけは嫌だああああ!」


 「はいはい」と軽くあしらわれるオレはまたもや茫然とする。犬井が片手を添わしたのち、一瞬光ったドアが開いていくからだ。重たい音を立てながら。なんで犬井だと簡単に開くんだよー!


「ゆ、勇者殿、どこに行く気だっ?」

「愛し合いにいくんだよ。邪魔をするようなら消すぞ」


 慌ててあとを追ってくる魔導師さんにさらりと答えるが、なにを言っとるか。「はあっ!? お前はなに言ってんだ!?」と怒りに染まったであろう赤い顔でじたばた暴れれば、もう一度唇を塞がれてしまう。


「――冗談だから暴れるなって。落ちても知らないぞ」


 困ったように笑う犬井に怒りが増したのは、言うまでもないだろう。


 笑ってんじゃねーぞ、くそ野郎。落ちる覚悟なんてしないし、オレは男だっつの! 健全な男子高校生なんだぞ!


 声に出したらなにがあるのか解らないので、ぐっと堪えて胸裡で叫ぶ。しかし、犬井には言いたいことが解っているのか、「男だろうと女だろうと、ユウは俺がもらうから」と新たな宣言をくだしてくる。顔を綻ばせながら。


 このときより逃げ道――『同性でどうこうはありません』は完全に塞がれてしまったらしい。そして新たな難点が発生した。犬井の言葉から察すれば、犬井は両性を愛せる人のようだ。つまりはオレが男であっても、精神は男で躯は女である現状でもなにも問題はないということである。ものの見事に八方塞がりとかなんの嫌がらせだよ!




 

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