#004

 微睡みのなかで響く「ユウ」という言葉は、声質からして犬井のものだろう。「ユウ」や「起きろ」とうるさいが、オレにはやらなければならないことがあるんだよ。――犬井がモテる理由を考えなければなるまい。この妙にふかふかしたなかで。


 モテる最大の要因は、危険を顧みずに人を助けるおとこだからだろうな。女関係には引いている男子たちだって、犬井を頼りにしている節があるし。まあ、大体はテスト前の勉強会なるもののお蔭だろうが。犬井のノートは見易くて大人気なのだ。オレのノートとは段違いだと言っておこう。見返りは持ち合わせたお菓子たちで、毎度勉強会のお供となっている。


 ランチタイムには腹ごなしと称した、男女入り雑じってのバスケだったりサッカーだったりを実に楽しそうにしている。爽やかな汗を流すその姿に、先輩後輩同級生と落ちる女の子があとを絶たないらしい。みんな犬井しか見ていないという歴然たる事実が存在しているが、なぜなんだ。他にも男がいるというのに、理不尽極まりないぞ。だが、それを口に出してしまえば『負け犬の遠吠え』でしかない。だから思うだけに留めている。オレは賢いのだ。


 もう惨めな思いはしたくない――情けない日常でしかないが、いまは関係ないので割愛する――と、「今日こそ寝る!」と宣言しても、毎回毎回犬井に無理矢理連れられていますがね。「ベンチで寝てろ」と言われてゴロゴロしてるんですよ。数十分の惰眠を貪ったあとは必ずと言っていいほど、狐ちゃんたちが腹の上で丸まっていたりするが。


 どうやら狐ちゃんは姿を隠すこと――決められた人間以外に認識をされないようにすること――もできるらしい。透明人間ならぬ透明管狐の出来上がりというわけだ。言わずもがなそれは犬井の術による。いまのところ、家族や依頼人以外ではオレしか見えないらしい。なんでやねん。端から見たら確実に怪しい奴が出来上がっていたりするだろ、それは。


 「嘘だろ!?」と挙動不審に陥ったオレに対し、犬井は「大丈夫だ」と笑った。曰く、ぬいぐるみを抱きしめているように見えるらしい。おい、待て、待て待て、待てや。ところ構わず狐のぬいぐるみを抱きしめて喜ぶ男子高校生なんていないだろうが。いや、怪しい奴に見られるよりかはいいのか……? そうだよなー。怪しい奴に見られるよりかはマシだよな。狐ちゃんのかわいさは正義なのだから。


 前に一度、「かわいいんだからみんなに見せればいいのに」と言ったことがあるが、心底面倒そうな、嫌そうな顔をされて「管狐は見世物じゃないぞ」と言われるオチであった。「なら、オレが触れ合えるのはなんでだ?」と聞けば、「ユウを気に入ってるからだな」と困ったように笑ったのだ。


 「きゅ」と小さな鳴き声のあと、「襲われても文句はないな――悠希」と囁かれた声に危険信号が走り、微睡みから浮上させられてしまう。友人に! 一体なにを! 言っているのやら!


「なに言ってんだてめええええ! 安眠を妨害するんじゃねーよ!」

「安眠している場合か」

「はあ?」


 勢いよく起き上がったオレは犬井に小突かれ、なにを言っているのかとあくびを噛み殺してようやく気がついた。突き刺さる視線に。


「え……、なんかすごいな。コスプレですか、そうですか」


 それこそファンタジー世界のような出で立ちをした男女数人が、オレたちの前に立っていた。比率では九対一で、女性はひとり。ついでに辺りを見渡せば、自分の置かれた状況に気がつく。どうやら寝かされていたらしいと。だから妙にふかふかしていたのかと納得する。


 二匹の狐ちゃんが頬に擦り寄ったらば、「して、勇者殿」とローブの被り物を脱いでいる女性が紡ぐ。凛とした声に、思わず背筋が伸びた。目を眇めながらそんなオレを眺めたあと、その手に持つ杖がぽんと片方の掌に乗る。と、杖の先にある紫色の宝石かなにかがぽわんと光った。それ以降、その丸い物体はうんともすんともいわない。


「そちらの方にお話があります」


 『勇者』とはなんぞやと首を傾げたのち、杖が向けられた。なるほど、『そちら』とは、こちらか。即ち、オレのことだろう。なんの話だと聞こうとした矢先、「悠希は目が覚めたばかりだろ。話があるなら俺が聞く」と犬井が手で制した。狐ちゃんたちも頬から離れ、その上に重なるように並ぶ。目の前には見事な川の字が出来上がっていた。狐ちゃんたちは「ぎゅー!」「ぎゅー!」と威嚇するように低く鳴いているが、かわいいから効果はなさそうだ。


「勇者殿にお手を煩わすことはいたしませんよ。なに、数分もすれば終わることです」


 にこりと笑んだ美人さんは、男たちに何事かを指示し、「お連れの方はこちらへ」と強引に腕を引かれる。つまり、ベッドから引き摺り出されたのだ。容赦がない。


「いてっ、ちょっ、もう少し優しく――」

「ふざけんな!」


 狐ちゃんが男たちに襲いかかる。おそらくは、顔を赤くした犬井の命令で。牙を剥いた狐ちゃんたちに噛まれて怯んだのか、指がするりと落ちていった。近づいて立ち塞がる犬井は怒りが収まらないのか、眉を顰めたままである。長きに渡りつるんできた経験から解るのは、かんかんだということだった。あ、これはヤバい。この状態の犬井は人の話を聞いてくれないので、厄介だ。


 犬井がぶちギレたのは片手で数えるほどしかないのだが、どれもオレ絡みだというのが悲しい。一度めは中学生のころで、先輩に呼び出されたとき。ついに告白されるのかと意気揚々と行ったはいいが、ケバい先輩たちに囲まれてしまった。次々に飛び出す言葉から察するに、要は犬井から離れろと言いたいらしい。先輩たちかわいいんだから、そんな濃い化粧なんてしなくていいのになあ。とかなんとか思っていたから、あんまり聞いてなかったんだよな。気づいたら目の前に犬井がいて、すべてが片づいたあとだった。犬井に聞いた話では、暴力を振るったわけではないから大丈夫だという。そしてオレは尋問されたという話である。言い返そうものなら狐ちゃんのくすぐりが繰り出されるから大変だった。


 二度めは高校生――入学式の三日後に当たる。犬井には新入生代表をという話があったようだが、「自分より相応しい人がいる」と蹴ったらしい。だが犬井は目立つ。新入生代表の男――委員長だった――よりも、話のタネは犬井である。そしてなんの因果か、オレはまたしても囲まれたわけだ。女の子のグループに。ネクタイの色から判断したところ、一学年上の先輩たちだった。やはり犬井から離れろと言われたが、「それはオレじゃなくて犬井に言ってくれ」と物申せば、「アンタ生意気!」と手を上げられそうになる。反射的に目を閉じたが、いっこうに痛みはない。どうしたのかと恐る恐る目を開ければ、犬井が立ち塞がっていた。肩の上に浮いた狐ちゃんが振り返り、「きゅ」と鳴く。背中しか見えなくとも、怒りは解る。オレには狐ちゃんの鳴き声しか聞こえないが、なにかを言われたらしい先輩たちは「いやぁー!」と一目散に走り去っていった。そうして振り返った犬井は深い深い嘆息を吐き、「ボッチ禁止」なるものを発令する。「ふざけんな!」と一蹴したのちに先輩たちになにを言ったのかと聞いたのがまずかったのか、機嫌を害したように「どうでもいいだろ」と返されてしまう。


 それ以来、女の子たちからの襲撃はなく平和だが、気をつけるに越したことはない。あとになって知ったことだが、先輩たちには「悠希を傷つける人間は許さない」と言ったらしい。犬井といると『彼女』が遠くなってしかたがないが、犬井が離してくれないのだからどうしようもないだろう。狐ちゃんと触れ合えたりと楽しいこともあるから、半ば諦めているのだ。


 「痛っ」や「やめろぉ!」などと男たちの情けない声が響く室内は狐ちゃんの独壇場である。かわいい狐ちゃんは、いまや牙の鋭い『獣』であった。見た目は狼に近いだろうか。言ってみれば、管狐の姿は強さを隠すための擬装だったのだろう。いま初めて解ったけど。


 一歩踏み出した犬井に話は通じるのかと不安になり、「お、落ち着け……」と半泣きで見上げれば、犬井は「怪我は?」と言う。深く息を吐いてから。


「ないですけど……、なんでそんなにキレてんだよぉ?」

「悠希は俺のものだからな。気安く触られたら怒るだろ、普通」

「はあ?」


 平然となにを言うか! 大体、いつ犬井のものになったと言うのか。言わずもがな、オレは誰のものでもなくオレのものだっつの。


「いつお前のものになったよ!?」

「昔からだろ?」


 なんだそのいまさらだろみたいな反応は! コイツがモテるのはなにかの間違いだ。そうだ、間違いなんだ! きっと世界の方がおかしいんだ!


「勇者殿! 時間はかけぬと申したであろう?」

「俺はこの国が潰れようが滅びようがどうでもいいんだよ。強引に召喚された国に愛着はないからな」

「なっ……」


 本当になんともないように言う犬井に対し、魔導師さん――男たちが「魔導師様」と口々に呼ぶから魔導師なんだろう――はみるみるうちに顔を青くさせた。信じられないとでもいうように。どうやら周りも固まっているようだ。


 オレから言わせてもらえば、確かに犬井の言うことも一理ある。だが、女の子を泣かせようとする犬井の方が悪いと思うぞ。悪く思うなよ、犬井よ。オレは犬井より女の子の味方をしたい。だって女の子に泣き顔は似合わないじゃないか。しかたがない、ここはオレが一肌脱ごう。そして好感度爆上げだ!


「話し合い、でしたっけ? 早くいきましょうか?」

「悠希?」

「終わったら戻るし、そんな心配するほどのことでもないだろ」


 なにを言っているのか解らないと言いたげに顔を顰める犬井だが、話が通じるのなら通じるうちに話をしなければならない。犬井は「ユウ」と窘めるように言うが、「うるさい! すぐに戻るわ!」と一喝してやった。言うことを聞かないオレを見て諦めたのか、また深く息を吐くと、「管狐」と呼んだ狐ちゃんを押しつけてきた。狐ちゃんは細長い管狐に戻っており、「きゅー」と小さな鼻をオレの鼻先にちょんと押し当てる。かわいすぎだ……!


 かわいいかわいいと狐ちゃんを抱きしめて悦に浸ったあと、やるべきことのために手を伸ばす。――犬井にお礼をしなければならない。両手で片手を握りしめ、「ありがとう!」と元気よく。その際、笑顔もポイントである。そして絵面を考えてはいけないのだ。絶対に。なにが悲しくて犬井と握手紛いのことをしなければならないのかと、テンションが下がるから。


「っ……、いいから、早く行け!」


 言い方は悪いが、オレは犬井の弱点を知っている。オレ自身だと。こんな人並み――といいつつも、童顔だけど――のなにが気に入ったのかは解らないが、少なくとも嫌われてはいない。だからいつの間にか『弱点』になってしまったのだろう。


 顔を逸らした犬井が口元に片手を添える姿を眺めていた魔導師さんはといえば、「可愛いな……」と呟いていた。よし、なにも見ていないことにしよう。おかしいなー、好感度上がってないよね、これ。もしかしなくとも、犬井の好感度が上がっただけだよね、これ。ああ、そうさ、無駄な努力だと笑えばいいさ!


「……では、こちらへ」


 こほんとひとつ咳を払った魔導師さんと男数名が、落ち込んだオレに背を向ける。要はついてこいということだろう。素直にあとをついていき、ドアが閉まる間際、垣間見た犬井は壁に凭れて腕を組んでいた。


 絵になりそうなのは首から下だけだろうな。その顔は厳しく、話が終わったら即行で謝ろうという気持ちにさせる。チョロいぜと侮ったオレが、一番バカをみてしまったではないか。


 ちゃんと謝ったら許してくれるよな……? そうだよな、犬井さん?




 

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