最終章

 守り人が自分に駆け寄るのが見えたガバドは喜びを表現するように両手を広げた。少し気恥ずかしさも感じたが、これから守り人と一緒に暮らす事を考えたら胸が高鳴った。彼女と一緒にいられるなら家族も国もどうだっていい、元々そこまで思い入れもないし最初からこうすればよかったと過去を悔いた。

 だがあともう少しで彼女を抱きとめられると思った時、突然この場に似つかわしくない発砲音が響き現実がぐにゃりと歪んだ。その音を聞いたのは二回目。一回目はガバドが殺された時。


 だがその音を今聞くのはありえないはずと見開いたガバドの目に映されたのは、熱い鉛玉が一直線に守り人の胸にある赤い宝石を打ち砕く光景。欠片が空中に舞い、嫌に輝かしく乱反射する光が二人の目を射抜く。


「っ……!」

「……っ!」


 守り人は目を見開き信じられないという顔でガバドに手を伸ばすも、届かず重力に従うようにその場に膝をついた。守り人の手を取ろうと駆けた勢いを利用して何とか、ガバドは彼女が地面に倒れ込む前に抱きかかえる事に成功した。そこで改めて守り人の砕けた宝石を見て血の気が引いた。


 鉛玉は守り人の体を貫通したのか、宝石は粉々に砕けこの場で修復するのは不可能だろう。そうでなくともガバドが宝石を修復する技術を持ち合わせていない。雪の上に落ちた欠片は無情にも綺麗だった。こんな状況でなければきっと高値が付いたであろう。


「だ、大丈夫……!? 一体何が……、ボクの声聞こえる!? どうして……何で……ねぇ死なない……よね……? ぁ、返事して……よ……」


 ガバドは何も信じたくない一心で散らばった宝石の欠片を集めて守り人に渡そうとする。それを受け取らない守り人にガバドは正気を保てなくなりそうだった。強く握り過ぎて手から血が滲み宝石を濡らしたが無意味だった。一緒に掴んだ雪が傷口に染みるのも気にせず、集めた宝石を手放そうとはしなかった。まだ希望はあると縋らなければ心が破壊されてしまう。


 焦点の合わない目で守り人が見た方向にはガバドの父と少年がいた。どうやらガバドの父に撃たれたらしい。だが守り人はそれをガバドに伝えようとはしなかった、する必要がないからだ。


「あぁ……すまない……」


 あまり自分が死ぬ事を考えた事はなかったがやけに人間らしく死ぬのだと守り人は感じた。自分の最後がこんなにもあっけないとは。


「ね、ねぇ……お願い、何か言って……? だ、大丈夫だよ、ね……? ボクが生きてたんだもん。君も……生きるよね? ……どうすれば助かるの? ……教えてよ……ボクができる事は何でもするから……ううん、君が助かるなら、どんな不可能な事だってやるから、さ……」

「死なない……神樹になるだけ、だ……」


 守り人なりに精一杯の強がりと同時にガバドへの励ましだったのだが、どうやらあまり効果はなかったようだ。頬にガバドが流した涙が一粒落ち、その温かさを感じた守り人はガバドの顔に手を伸ばした。走馬灯のように彼女はあの日助けてくれた大事な人の面影を思い出していた。


 一度足を踏み入れたら二度と帰る事はできないと言われた森で過ごすのはとても寒くて苦痛だった。昔森に入った家族も友達も皆、帰ってくる事はなかった。自分も同じように帰れず、ここで命が尽きるのを耐えるしかないと悟った。


 せめての気紛れで歌を歌いながら何日も無駄に命を消費していた時、それが功をなしたのかは分からないが大きく温かい手に拾われた。それからあの人は暖かい寝床と食事を用意し、面倒を見てくれた。元気になると森の事を教えてくれた。食べられる植物の見分け方、動物との付き合い方……。


 そして森を守るためにいなくなってしまった。だけどまた会えた。

 あぁ愛しい人。ずっと忘れていた。


「そうだ、やっと思い出した……今まで忘れていた名前を、呼べる……お前だった、のだな……愛しい人〝ガバド〟 ……」


 今までに見た事ないくらいに少女らしく守り人は笑った。初めて見た年相応の笑顔を本当はもっと

別の、例えば一緒に他愛ない話をしながらご飯を食べる時や寝る前に今日あった事を話したり、そういう幸せな時に見たかった。絶対に今じゃないと、ガバドはやるせない気持ちに支配される。

 あぁそんな顔をしないで愛しい人、と思いガバドを慰めようと彼の頬に守り人は手を伸ばす。そうだこれも伝えなければいけない。


「大好き……だ…………」


 守り人の手はガバドの頬に届かず力尽きてしまったが、その手をガバドは強く握った。その瞬間、握っていた欠片が守り人の上に落ちまるで血の花のように彼女を彩った。


「これから、ずっと一緒にいられる……。だけど今は……眠い……起きたら、一緒にご飯を……作って……そしたら……森、を……散歩して…………また、夜一緒に……ご飯を、食べ、て…………ねぇ、ガバド…………」


 まるで幼い少女のように問いかける。


「何……?」

「……もう、どこにも……行かないで……。ずっと一緒に……いて……二度と、いなく、なら……ないで……?」


 今にも目を閉じそうな守り人の意識を繋ぎとめるためにガバドは彼女の手をより強く握り、顔を引き寄せた。意識が霞んでいるはずなのにそれでもなお守り人が手を握り返そうとしてくる事に胸が締め付けられる。


「うん、大丈夫だよ。もうどこにも行かない、ずっと君の側にいる……いなくなって欲しいって言われたって離れないからね」


 その返事に安心したのか守り人は目を閉じた。同時にガバドの手にかかる重さが変わってしまった。今度は大きな鉛玉に撃たれてしまったかのように胸に大きな穴が開いた。また血液が流れだして心が空っぽになってしまったみたいだ。


「う、そ……ね、ねぇ? ……また目を開けてくれる、よ、ね……?」


 ガバドがどんなに話しかけても彼女の目は固く瞑られたままだった。握り返してくれなくなった彼女の手を自分の頬に当てる。これが悪夢ならどれだけいいか、だけど自分の腕の中にいる彼女の重さが現実逃避させてくれない。どこで何を間違えてしまったのか……もう何も考えたくない。


「……は、……はは、冗談……だよね……? だってボクが生きてるんだもん、君が……そんなの嘘だよ……」


 いくら言葉を投げかけたことで答えが返ってこない事は分かり切っていたが、それでもガバドがやめられないのは現実を直視したくないからだ。……誰だってそうだ。元々体温というものを守り人から感じなかったが雪のせいで更に冷たくなっていく気がして、更にガバドの頭は混乱していくばかりだった。


 守り人の顔に雪がかからないように覆いかぶさる。もしかしたら本当に寝ているだけかもしれないと、耳を立ててみても寝息一つ聞こえない。彼女の顔を覗き込んでいればいつかの日のように、偶然目を覚ますかもしれないと待ってみても漆黒の目が開かれる様子はない。

 そんな事を繰り返し遂に、彼の心は彼女が戻って来ない事実と向き合ってしまい砕け散ってしまった。自分の心の欠片を拾う余裕なんてどこにも無い。


「う……あ、ぁ……あぁぁ……!」


 ガバドは守り人の胸に顔を埋めた。欠片が自分に刺さるのも気にならないほど静かに、慟哭した。


――歌が聞こえない


――憎いな


「あぁ、全部思い出したよ」


 ガバドは自分が漆黒の闇に呑まれるのを感じながらそれに抵抗しようとはしなかった。やっと全部思い出したんだ。君の事も、自分の事も、あの歌も……。思い出すのが遅すぎたんだ。


「ボクは失敗したみたいだ……君を助けられなかった、ごめんね」


 全て思い出したからなのか不思議と気持ちは落ち着いていた。やけに頭が冴えているがそれが本来

の自分なんだと納得する。それでも自分のやる事は変わらない。腕の中で眠る愛しい君の名を呼ぶ。


「……〝ヴェルデ〟ずっと森を守ってくれてありがとう。どんな悪夢も君を苛む事はできないから安心して眠って」


 彼女の角を避けるように額に口づけをして、名前をもう一度呼ぶと幼いヴェルデが振り返り笑う、そんな光景が見えた気がした。

 ガバドの目に涙はもうなく灰色の虚空に向けてぽつりと呟く。


「ねぇヴェルデ、全部思い出したんだ。君が歌ってくれた歌……人間なんて愚かで大嫌いだ。……こんな世界なら今日を末日にしよう」


 君のためなら何回だって世界を壊すよ。あぁまた神樹に小言を言われそうだ。大事な時に何も教えてくれないくせにこういう時はうるさいよねホント。


 ガバドを呑んだ闇は神樹の根を辿り世界中に巨大な棘を生やし、そこから溢れ出た黒い液体が世界を満たしていく。この時ガバドは気付いていなかったが森の中にいた彼の父親も例外なく命を刺し穿たれた。しかしガバドには関係のない話であった。知ったところで彼はもう気にも留めないだろう。なぜなら虫を潰すように人間を等しく全て亡き者にしたからだ。


 漆黒に呑まれてもガバドは驚くほど正気を保っていた、というよりも呑まれたからこそ正気でいられたのかもしれない。静寂だけに支配された世界でガバドはヴェルデを起こさないように抱きかかえ歩き出した。向かう先は神樹だった。


 あの日聞いた懐かしい歌を歌い神樹に向かいながらガバドは全ての記憶を確認していた。世界の始まり、輪廻の経過を。森に入る人間はヴェルデ以外にもいたが興味はなかった。それなのにヴェルデの事は助けたいと思ってしまった。だから慣れないながらも人間の真似をした。彼女が幸せになれればそれでいいのに。核だからといって万能なわけではない。ましてこの世界は小さすぎるのだ。それでも慎ましく暮らすには十分なのにどうして失敗してしまうんだろうか。


 考え事をしていたにも関わらず、ヴェルデの案内がなくてもガバドは簡単に神樹へと辿り着いた。その事にガバドは特に不思議がる事はなく、当たり前のように神樹の根にヴェルデを寝かせた。その隣に腰かけると彼女の髪を撫でながらガバドは優しく話しかけた。


「ねぇヴェルデ、今度はどんな世界がいい? どうすれば君は幸せになれるのかな……守り人としての生活はどうだった? 苦しかった? 寂しかった? ボクが不甲斐ないばかりに君に役割を押し付けたみたいになってごめんね。神樹にもよく言っておくよ」


 今は独り言でもいつか神樹を通して彼女に伝わるかもしれない。今のうちに思いつく限り言葉を並べたかった。まだ〝人間のガバド〟としてヴェルデに話しかけたかったから。


「それにしても君の角、立派に育ったね。神樹にあげるのが惜しいくらいだ…………左目、ボクがいなくなった時に失くしてしまったのかな。残念だな……君の目が大好きだったんだ。それにしても君が守り人として人間と戦う姿は圧巻だったよ。昔の気弱な君とは大違いだ! ちゃんと成長してくれて嬉しいよ……あーでも次はそんな事させないからね。ちゃんとボクが守るから。あはは大丈夫だよ、しっかり考えて準備するから!」


 雪が降り止み、神樹がヴェルデを少しづつ呑み込んでいく。丁重に扱えよ、と釘を刺す。そろそろ時間のようだ。〝人間のガバド〟にできる事はもうない。そろそろ〝ガバド〟の責務を果たさなければ。


「安心してヴェルデ、また会いに来るけど……ボクはまた君に会えると思うんだ。――次は絶対に幸せにするから」


 命の灯火が消えより一層、彫刻のように見えるヴェルデの額にこれ以上ないくらいに愛しさを込めてガバドは口づけした。


「ゆっくりおやすみヴェルデ」


  ◆


――歌が聞こえたんだ

ほらねヴェルデ、やっと会えた、今度は失敗しないよ


【True End】

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世界神樹 てをん @twqnqn

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