第四章

 夜が明ける前に、紺色の空気に身を預けながら守り人は〝ガバド・アングール〟について思考の糸を巡らせていた。『ガバド』という名前がひどく胸につっかえていたからだ。

 彼の真意は既に知っているが理解はできない。けれど応えてみたいと思う自分がいる。もしかしたら彼は──という思考の糸が強く主張してくる。だがその答えはまだ早いと別の糸を手繰り寄せる。いつもは何でも教えてくれる〝神樹〟は何も答えてくれない。しかし


(私はただ森を守っているだけに過ぎないのでしょう。だから森の意思に従うだけか)


 いつの間にか糸の隙間から差し込む光が増えた事からもうすぐ夜明けだと気付く。今日も彼の面倒を見に行こう。そう思って新雪に一歩足を埋めた時、森を歩く人影が見えた。もちろん彼しかいないのだが、その姿を見た守り人は喉を詰まらせるほど息を呑んだ。久しく感じなかった空気の冷たさが肺を震わせる。顔も思い出せないのに魂に刻まれているかのような〝それ〟

 だって、だって、その姿はあまりにもひどく……!


──あの人に似ていたから……!


  ◆◆


 ガバドと守り人が一緒に過ごすようになって幾月が過ぎた。二人の関係も出会った頃と比べ変わり、守り人と一緒に過ごすうちに森での生活に慣れてきたガバドは、木登りもできるようになっていた。彼女が自分に見せてくれる笑顔の数が増えた気がする事からきっと、少しは打ち解けられたかもしれないとガバドの頭には花が咲いていた。

 相変わらず守り人の感情は読めなかったがそれでも時折自分からガバドに会話を持ちかけるようになった。それに合わせてガバドも自分が知っていることを沢山教えていた。例えば森にいる動物は外の世界ではどうやって生きているのか、や軍隊で使う笛の吹き方など。いずれにせよ守り人が何かに興味を持つのはいい事だ。それが外の世界に関する事なら尚更とガバドは感じていた。


(それで彼女に新たな別の意思ができたらいいな。一つの事に固執してしまうのはあまりよくないと思うから)


 二人は昼間に森を散歩したあと夜は一緒に食事を取ることが日常になっていた。その間にも人間達による襲撃は幾度かあったが守り人は何も変わらず、いとも簡単にねじ伏せていた。その光景は隣で一緒に戦っていたガバドの目にしかと焼き付けられていた。

 そんな戦いが終わったある日、ガバドは守り人に尋ねた。


「ねぇ、ここは今荒らされた状態だけど明日には元に戻るんだよね……? それってやっぱりこの森が特別だから?」

「……今じゃないから。いずれ答える」


 守り人が露骨に視線を外したため、ガバドはそれ以上何も聞けなかった。


 ガバドは段々と森での出来事を皆に伝えようと考えていた。もちろん言える事は少ないがそれでも〝人間が守り人に助けられた〟この事実だけでそれなりの衝撃になるはずだと思った。そういう事を伝えていけばやがて『守り人』と『森』は敵じゃない、二百年前の出来事は只の偶然だった、そういう認識が広がるかもしれない。

 そうすればきっと、すぐには無くならないだろうが戦争は少しずつ減っていくかもしれない。そうすれば彼女が戦う事も傷付く事も無くなる、そんな藁にすがるような期待がいつしか日の目を見る事を信じていた。


  ◆◆


 今日もガバドは目覚めた時いつも通りの金色の朝かと思ったが、世界はまだほのかに夜の色を残していた。寝ぼけ眼のまま本能的に窓の外を見ようとした時、視界いっぱいに守り人がおり他のものを見る隙間が無い事に気付いた。それはもう守り人の前髪が自分の目に入りそうなくらいに近かった。

 嬉しさで胸が躍るというより、むしろビクッと心臓が跳ね返りそれのせいでしばらく胸が躍らされる感覚はあまりいいものではなく、寝起きの心臓に悪いのでやめて欲しかった。


「……び……っくり、したぁ……」


 心臓が飛び出ないよう口を抑えるガバドに対し、守り人は特に何の反応もせず離れた。そんな彼女はこれから厳かな儀式でもするような佇まいで、どことなくいつもと雰囲気が違っていた。彼女につられて周りの空気もいつもより澄んでいるようで重く感じる。


「どうかし──」


 こんな早くから珍しいと思いつつ、ベッドから出ようとした時には既に守り人はガバドの言葉を遮るように手を引いて小屋から出ていた。突然どうしたのかとても気になったものの、守り人自らガバドの手を引く事が珍しく、きっと何か意味があるのかと思い彼は、黙った。普段お喋りな彼でさえ、適当な言葉が見つからなかった。

 きっと連れて行きたい場所があるのかもしれない、守り人の意思に従うという意味も込めてガバドは彼女の手を握り直した。


 森は特に変わった様子はないが、それが全部幻に見えてくる不思議な感覚に襲われる。歩くにつれその幻が消えていくように灰色の霧が森を満たし、自分の周りに纏わりつくと同時に視界も奪われてしまった。一歩前を歩いている守り人さえも見失いそうなほどに霧は濃く、まるであの世への道を歩いているようで少しだけ自分の存在すら危うく感じてしまう。

 自分の体なのに他人の体に入っているようなフワフワした感覚の中で、唯一繋がっている守り人の感覚を離さないように、繋がれている手を強く握ると彼女も握り返した。それにガバドはとても安心した。


 前に進んでる感覚は無いに等しいが──しばらく歩くと彼女が止まった。


「着いたぞ」


 彼女の言葉と同時に霧が一気に晴れ、眩しいほどの光に目が貫かれたような感覚に強く目を瞑ってしまった。しかし守り人が手を離してしまったので仕方なく光に慣らしながら目を開けると、そこには森にあるどの木よりも一際存在感を放つ大樹がそびえ立っていた。


 大樹は人間など蟻に感じてしまうほどに太く大きな枝はこの世の空を覆いつくし、木の根は世界全体に張り巡らされていた。それはまるで世界が養分になっていると感じさせるほどの生命力だった。一部の幹は丸く膨らみそこから淡い光が漏れていた。その光景はとても神秘的でもあり、強大な力を前に己の無力さに絶望し抵抗もできずひれ伏すほどの畏怖の念さえ抱く。


 ずっと森にいたはずなのに、なぜこの木が見えなかったのか。いやこの大きさであれば国にいても見えるはずだ。それでも認識できなかったのは何か〝不思議な力〟のせいなのかもしれない。巨大な力の前に膝を折る事しかできないが、少しだけここが暖かいとガバドは感じた。


 ガバドから離れた守り人はどこか聞き覚えのある歌を口ずさみながら大樹の根に腰かけると、温もりを確かめるようにその巨大な幹に頬をすり寄せた。それを見るにここはな場所なのだと分かった。

 彼女の邪魔をしないために自分から言葉を発さないよう気を付けながら、ガバドは静かに近付いた。すると守り人はいつもと違う雰囲気で語り始めた。その言葉一つ一つがとても重くのしかかる感覚がした。


「お前は〝世界〟についてどう思う?」

「え……?」


 突然、壮大な疑問を投げられたガバドはすぐに答えられなかった。だが守り人は構わずに続けた。


「世界、と言ってもいくつか種類があり定義が難しいが……今は『この世界』にしよう」

「うーん難しい事、聞くね……どうって言われても普通だと思うよ? ルリュイ大陸以外の世界を見た事ないから何が〝普通〟かもあんまり分からないけど」


 ガバドが住んでいる世界は、当たり前だがこの世界一つだけだ。もし他に世界があると言われてもおとぎ話みたいに現実味がない。もしあったとしても想像がつかない。

 子供の頃に別の世界を想像していたとしても、大人になってからより深く考える者は少ないだろう。ましてやこの戦争しか頭にない世界では尚更の事。


「そうだな、普通かもしれない。だが……これだけは覚えて欲しい」


 そう言うと守り人は立ち上がり、ガバドの目の前に立った。


「世界には〝核〟がある」

「核……?」


 話が読めていないガバドの左胸を守り人が触り、吐息が触れそうな程に顔が近付く。突如距離を詰められ、心臓が血液を急速で全身に送ったせいか顔が熱くなる。彼女が囁くように言葉を織り出すのがくすぐったかった。


「そうだ、核は世界を存在するために必要であり、核がなければ世界は成り立たない。そしてを壊されれば世界は消滅する。……人間の心臓と一緒だ」


 今度は守り人が自分の胸にある血のように赤い宝石を指差した。澄んだ空気に赤い光が反射してガバドの目を刺した。突飛な話であるうえ彼女との距離が近い事で、頭が働かず言葉が出ないガバドは大人しく彼女の次の言葉を待った。


「それに核は普通、見えないんだ」

「見えない?」

「見えたらすぐ壊せてしまうだろ? でもここは違う。……この世界の核はこの森〝神樹〟だ」


 守り人が指差したのは我が物顔で世界に根を下ろす大樹だった。


「だから人間がこの森を落としたら、〝神樹が落とされたらそれは文字通り世界の末日〟」

「……!」


 一度聞いただけではにわかに信じ難い話ではあるが、それが嘘でない事ぐらい誰にでも分かる事だった。しかしあまりにも日常からかけ離れた事過ぎて理性では信じ切れていないかもしれない。『核』は人間の『心臓または命』に値する。なぜそんな『核』が見えているのか気になるが、その理由を人間が理解できるかは不明だ。


(つまり森が消えたらこの世界は消滅するという事……? それは世界が死ぬ事になるのかな。そうならないために彼女はずっと、ここを守ってるのか? でも、それは彼女の意思とは関係ないのかもしれない……)


 まだこの話には続きがあるらしく守り人の言葉は止まらない。


「前に戦いが終わった後、夜が明ければ森は元に戻るかと聞いたな」

「うん……」

「世界は核がある限り何度だって蘇れる。この森は神樹の一部、神樹があるかぎり森は消えないし、何度だって蘇る。人間の行為一つで森を傷付ける事などできない」


 ガバドは父が自分の息子を死地に追いやる事も厭わないほどに、執着していたあの話を思い出した。今の今までそんなおとぎ話あるわけがないと馬鹿にしていたが、実際に『神樹』の前でそんな話をされてしまったら少し信じてしまいそうになる。本当にそうだったら、それに縋れればどれだけ気が楽になるのだろうか。


 これはきっと常人では理解できない、もっと別次元の話かもしれない。そう思ってしまうほどに世界の真理というにはあまりにもお粗末だった。森一つ、たかが大樹に世界の命運を握られているなんて。だけどそれほどに自分たち人間はちっぽけで無力な世界の養分にしかならなかった。


 人間の頭では理解の範疇を超えた話だが、頑張って噛み砕いて何となく理解した気になる。この話が本当であるならば人間はずっと間違いを犯してる事だけは分かった。だったら尚更、戦争を止めなきゃいけない。

 だがそれよりも、


「そんな大事な事、話していいの?」


 森というよりも世界を揺るがす〝弱点〟をはガバドに教えた事になってしまう。もちろん彼一人ではどうにもならないが、国に戻ってから〝何か〟をする可能性だってある。それが考えられないほど守り人は馬鹿ではないと信じていた。だからこそ何か別の意図でもあったのかと疑ってしまう。

 守り人はガバドから離れると、また神樹の根に腰かけた。


「守り人の許可がなければ何人なんぴとたりとも神樹には辿り着けない。……故に人間が攻め入る事も、私が人間を殺す意味もない。それにも望んでいない」


 どうやら前提から勘違いしていたみたいだ。確かに神樹に辿りつけないなら、もしガバドが大軍を引き連れて来たところで何も変わりはしない。彼女にとっては全てが些事であった。約二百年、戦争している結果がこれとは気が抜けてしまう。本当に無意味だ、と噛みしめる。


「そっか、それなら安心だね。……君はどこでこれらの事を知ったの? やっぱり守り人になってから?」


 元々人間であったかもしれない彼女が人智を超えた『何か』を知っているのは、そういうきっかけがあったと考えるのが普通だ。そして彼女の話に時々登場する〝あの人〟も気になる。きっとこの世界の根幹に関わっているのかもしれない。その謎を今なら解き明かせる、そう思ったらこの機会を逃すわけにはいかない。


「……そうだな。が教えてくれた」

「神樹が……?」


(あの人が教えてくれたのは理解できるけど神樹も?)


 そもそもただの大樹に見えるあの樹に、人間のような意思があるのか? もしかしたら〝不思議な力〟があって守り人は『樹』の声が聞こえるのかもしれない。しかしこの森の守り人であるという事を考えれば何となく納得はできる気がする。だけど一番気になるのは、


「あの人って誰? もうここにはいないの?」


 ここまで正体が掴めずにいたが今なら教えてくれるかもしれない。どんな些細な情報でもいいから何かないか、と守り人の様子を伺う。彼女は上を見上げた。包帯の下にある、空と樹の葉どちらを見ているか分からない瞳に憂いを帯びているのか、ガバドには見えなかった。


「……そうだな、もういないな。あの人の顔も思い出せない。だけど、とても大切な人だという事は覚えている」


 薄々分かってはいたが何も得られなかったとガバドは落胆した。あともう一歩なのに、その一歩がいつまで経っても掴めない。


「だが、……少しだけ、お前は似ているかもしれない」

「ボクが……?」


 初耳の情報だった。似ているのが見た目なのか性格なのかは分からないが、国に帰ったら自分の先祖を漁ってみよう。だけどなぜか彼女に言われた途端に〝あの人〟の事をよく知っているような違和感を覚える。


「だからボクを殺さなかったの?」


 冗談でそんな事を言ってみるも守り人は鼻で笑うだけだった。


(……うーん恥ずかしい)


 どこを見るわけでもなく視線を泳がすガバドに少し苛立った守り人は、不意に彼の片腕を両手で強く掴みガバドの目を真っ直ぐ見つめた。その瞳が少し揺れたように感じたのは錯覚だろうか。


「お前は覚えていないのか?」

「え……?」


 守り人がどうして苛立っているのか、彼女自身でさえも分からないならばガバドはもっと訳が分からない。露骨に感情をあらわにする彼女は初めて見た。それが何を意味しているのか必死に考えを駆け巡らせても拙い人間の頭ではどうしようもなかった。


「戦争の事も神樹の事も世界の事も……覚えていないのか」


 守り人の顔が苦痛に歪み、両手に込められる力も腕が折れそうな程強くなっていく。


(どうしてそんな苦しそうな顔をするんだ……)


 それは自分のせいなのか……? 彼女が問いているのはきっと、第三者としての記憶ではなく当事者としての記憶である事は分かる。しかし言葉の意図は理解できても何も分からない。無い記憶を思い出す事は不可能だ。彼女の質問に答えられないのはひどく脳みそを焼かれる気分だった。


「…………ごめん、ね」


 何かを思い出さないといけないのかもしれない。だけど今は彼女の怒りを受け入れて謝る事しかできなかった。ひどい耳鳴りの中、守り人が小さく「そう、か……」と呟くのが聞こえた。


「すまなかった……今のは忘れろ」


 守り人は固まった自分の両手をゆっくり離すとガバドに背を向けた。力を入れ過ぎた反動で力が抜け過ぎた彼女は今にも倒れそうだった。そんな目の前のか弱い少女を支えようとガバドが手を伸ばした時、よく聞く『守り人』の声がした。


「木々は危険を感じると回避行動を取る」

「え……?」


 脈拍もなく守り人は淡々と話し出す。木々に限らず命あるものは少なくとも、本能で危機回避はすると思うが守り人が言いたい事は違うのだろう。


「古くなった木は朽ち次の木の養分となる。……私がいずれ森の一部になる事は話しただろう」

「あ、うん」


 出会って最初の頃に話した内容をぼんやりと思い出す。森になる、彼女自身が木になってしまうかもしれないという事。少しだけ、大分嫌な予感がする。


「いずれ私は森、神樹の一部となる。そして多分守り人も継がれるだろう。もし引き継がれなくても意識は残り責務を全うする事になる」


 ガバドは絶句した。


 守り人は継承されていき前任の者は神樹の一部になる。そうなると〝あの人〟も今は神樹の中にいるのかもしれない。それが『死』を意味するのか分からないが、もしかしたら無関係だった彼女を巻き込んで『守り人』にし、全ての業を彼女に背負わせたのかもしれない。それがとても許せない。


──守り人は神樹の養分に過ぎない


 そんな考えが頭を過る。


──違う! そんな事がしたかったんじゃない! だってこんなの、また──


 漆黒の闇に呑まれそうになる前にハッと我に返る。自分は今何を考えていた……? 前にも似たような事を考えた気がする。またもう一人の自分に責め立てられる不快感、それさえも疑心暗鬼になるほど心にかかった黒い霧は濃くなるだけだった。そのせいか焦点も合わなくなり、今度はガバドが倒れそうになる。


「あまりここに長居はできない。帰るぞ」


 守り人が優しく包むようにガバドの手を取り歩き出す。


 ここで彼女が語った事全てがガバドには他人事にしたいほど信じ難い話だった。しかしこの森が無くなれば世界は消滅する事と彼女──守り人──はいずれ神樹の養分と成り果てる事、そして無いはずなのに思い出せない虚構の記憶、どれも他人事ではないと鋭い棘のように何本も自分の心を貫いた。

 やけに主張してくる腕の痛みを持て余しながら、ガバドは彼女の歩調に合わせるように歩いた。


  ◆◆


 夜に食べる物を採りながら二人が小屋に戻ると、森は闇に呑まれ木々の間から煌めく星々が顔を出す時間になっていた。いつものように星を眺めながら守り人と一緒に料理を作り、他愛もない会話をしながら食事を済ます。しかし昼間の事もあり、二人の間にどこかぎこちない空気が漂っていた。


「では、また明日」


 食事が終わると守り人は小屋から出て行く。いつも通りだ。しかし今日のガバドの気持ちはいつもと違った。彼女にしか合わない焦点で見つめる。


「まだ……! 行かないでほしいんだ」


 座っているベッドから立ち上がろうとする守り人の肩を掴んで制止する。彼女は特に反抗もせずガバドの言葉を待っていた。それが何だか自分を受け入れて貰えているような気がしてつい甘えしまう。


「ねぇ君は、人間をどう思う?」


 昼間されたように、漠然とした質問を投げかける。なぜ今この質問をしたのか自分でも分からないが、彼女の心の奥を知りたい。そう思ったら自然と出た言葉だった。守り人は目を見開いてから少しバツが悪そうに微笑んだ。


「お前のような人間もいると話してみなければ分からないな。……他の人間は好かんが」


 素直に凄く嬉しかった。だけどもっと知りたいと欲が出てくる。彼女から『守り人』や『森』の事はたくさん聞いてきた。だけど肝心の『彼女自身』の話はあまりしてくれない。彼女は一体何を見て何を感じ、何を考えて現在に至るのか。

 それを聞いたうえでもっと自分の事も知ってほしい。どうしようもなく愛しいと思う気持ちに流され気付けば、彼女を巻き込んでベッドに寝転んでいた。


 もしかしたら心の霧も晴れるかもしれない、そんな縋る思いを隠しながら顔色一つ変わらない守り人の頬にそっと触れる。


「ボクは……君と、分かり合いたいんだ。君の事もっと知りたい。表面上のことだけじゃなくて更に深いところまで」


 彼女は目を閉じて言った。


「好きにしろ」


 違う。違うよ。


「ううん、それは違う。ボクの好きにじゃあダメなんだ……君と一緒がいい、君も知ってほしいんだボクの事。一方的じゃなくて、君とボク両方が嬉しい事をしたいんだ。これはただのボクの我儘だから、君の気持ちを教えてほしい……もし興味がないならそれでもいい、ボクがやめるだけだから」


 ガバドはそっと守り人の胸にある赤い宝石を撫でてみる。大事な部分を触らせてくれた事に高揚する。


「そういう事か」


 彼女の反応からあまりいい返事は期待できないかもしれないと思っていた。だけどその予想をきっと裏切ってくれるはずだ、という謎の自信が彼にはあった。


 摘んだはずの芽はいつの間にか芽吹き一輪の花を咲かせるまで成長していた。それが自分の気持ちだと、守り人は受け入れた。今度は摘まずに大切に育ててみよう、そうしたらもっと綺麗に花が咲くのだろうか、それとも神樹のように立派な樹になったりするのだろうか、なんて事を考える。ガバドに影響されて随分と人間らしくなった、がそれも悪くない。


「私には人間的機能や機構がほぼない。そのうえ感情も記憶も欠如している……だからお前が望む通りにはならないかもしれない」


 守り人はガバドを傷付けないように優しく彼の髪を撫でた。久しぶりに触れる人間への力加減はまだ曖昧だったが、きっと大丈夫かもしれない。


「それでも許してくれる……か……?」


 ガバドにとって十分すぎる返事だった。


「……ありがとう。君はそのままで十分だよ」


 守り人の体から体温は感じられないがそれなら自分の体温をあげればいい。そう思って彼女の枝のように細い体をガバドは優しく抱きしめた。


  ◆◆


 窓から差し込む暖かな光に目を覚ますいつも通りの朝。だけど今日は違う。

 ベッドから起き上がり隣を見ると静かに眠る彼女がいる。こうして見るとただの少女にしか見えない。寝ている彼女を起こさないように髪を優しく撫でる。


 たまにはボクの方が早く起きてご飯を作るのも悪くないと思い、物音を立てないように気を付けながら静かに外に出た。空を見上げると眩しい日差しの中に一羽の鳥が何回も自分の上に影を作る。


「……!」


 その影で思い出させられたけど大丈夫。ボクがここに来た目的もこれからの事も忘れてはいない。あれはきっと父さんが様子を見るために飛ばした鳥だ。

 空に向けて手を伸ばすと鳥が止まりに来る。白い羽を撫でるもっとしてほしいのか、手に体を押し付けてくる。守り人に悟られないようにするための連絡手段。ボクが生きているかの確認、生きているならそろそろ連絡して欲しいんだろうな。だけど丁度よかったのかもしれない。


 最適解とは言えないけど一つの考えが浮かんだから。


  ◇◇


 神樹……神樹は相変わらず暖かいね。ここだけ春みたいだ。彼女が守ってくれたおかげかな。

 世界……核……やっと何となく思い出せてきた。でも一番大事な事が思い出せない。

 ボクは何者なんだ……?


──神樹が落とされたらそれは文字通り世界の末日


 どこかで聞いた言葉……いや、……? 分からない……。いつの末日だ……?

 いや、それよりもあの歌……それも、思い出せない……。なぜなんだ。


──だけど彼女の温もりだけはよく覚えてる。

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