第4話  克之の母の死

 克之のお母さんが亡くなったのは、昭和三十一年の一月末だった。

この時のことはよく覚えている。

 国語の時間だった。用務員さんが血相を変えて教室に入ってきて担任に耳打ちし、お母さんが病院へ運ばれたから、すぐに帰宅するようにと指示を飛ばしたからだ。克之は教科書もノートも何も持たず教室を飛び出て行ったため、終礼後、誠が克之の分まで全て持ち帰った。

 帰宅してから両親に、克之のお母さんが肺炎で亡くなったことを伝えられた。

「今日は仮通夜で明日は通夜、明後日が葬式になる。誠は何も手伝わんでいいさかえ、かっちゃんのそばにいてやり。」

 金浦商店街の突き当たりに、適当に作られたバラック小屋の中にあった、集会場で行われた平田和子の別れの儀式は、本当に侘しく冷たいものだった。

 商店街の人々がすまなさそうな表情を浮かべ焼香を済ませ、お悔やみの言葉も早々に、そそくさと逃げるようにその場を後にすると言った状態で、集会場は常に克之と誠くらいしかいなかった。

 弔問客がどうしてそのような態度だったのかは今となってはよく分かる。死因が肺炎ではないということが手に取るように分かっていたからだ。

女将さんの話によると、平田和子は起床時刻になっても、店に顔を出さず、心配して見に行った時には、布団の中で既に冷たくなっていたという。

子どもには肺炎と伝えたが、死に方からして、性病が原因で亡くなったことは一目瞭然であった。

 伝統的な遊廓地帯だった赤線は、週一回検梅という、性病検査を行っていたが、金浦商店街は青線であり、非公然売春地帯であったため、検梅はなかった。克之の母が日に日にやつれ顔が青白くなっていったのは、日々の疲れもあるからだろうが、徐々に性病で体が蝕まれていたのだろう。

 この界隈に住む女たちは一様に、このような死の迎え方をしていたらしく、和子もその例外ではなかったため、商店街の弔問客は淡々としたお別れに徹していたのだ。


 暖かい季節を待たずして、引き取り手のない克之は、臨翔園という児童施設へ預けられることになった。

 克之との別れの時、誠は思わず克之に言ってしまったことがある。

「かっちゃん、いいなぁ。この商店街から出れて。」

「なんもよくない。園の奴は俺がどこから来とるか、みんな知っとる。俺が線の上を生きてきたこと、みんな知っとる。」

 少ない荷物を抱えた克之は、誠の顔をじっと見て言い切り、線を後にした。

                 ○

「かっちゃん、俺、かっちゃんと昔、別れるとき、かっちゃんに酷いこと言うた。それ、今でも悔んどる。俺ら、周りからいじめられすぎて、お母さんが亡くなったとはいえ、かっちゃんだけこの商店街から先に出られるの、本当に羨ましかったんや。本当にごめん。堪忍してや。」

「まこっちゃん、やめてくれま。あれは当然や。ワシら、よういじめられたもんなぁ。でもなワシな、やっぱり園に行ったら、ワシがどこから来たかみんな知っとって、やっぱりいじめられたわ。でも期間は短かったかな。園に入って一年も経たんうちにな、富山県の砺波市におる、三島さんっていう旅館を営んどった夫婦の養子の話が来たんや。ワシもいじめられるのうんざりやったし、その話に飛びついたんや。だから俺は平田克之から三島克之になったんや。平田克之を捨てたんや。」

 三島克之となった克之は、その後、中学校、高校へと進学し、家業の旅館を継いだ。七十歳を超えた今、経営の大半を息子の克己に家業を任せていると言う。

「立派なもんや。ちゃんと旅館を維持しとる。頑張ったなぁ。」

「なんも、運が良かっただけや。自分で産んだ子でもないのに育ててくれた養父母が残してくれた財産やさかい、大事にせなと思ってね。それだけや、その思いだけや。三島家には本当は義男という跡継ぎがおったんやけど、空襲で即死したんや。養父母は毎年、義男の墓参りは欠かさんかった。連れて行かれるたんびにな、わしゃ義男から命を引き継いで生きとるんやなって思うようになっていってね。二人分の人生を生きとるんやなぁって思って今まで生きてきた。でもなぁ、今になって思うんや。もしかしたらな、義男を演じてきていた部分があるんじゃないかな?と思うこともあるんや。たまーにな、養父母が克之ではなく、義男とワシを呼び間違えることがあったんや。やはり重ねて見とるんやなぁって思うことが多くてね。いつしか、わしゃ自然に義男を演じ取ったなぁ。それが養父母に対する親孝行かなとも子供心に感じとったんやろうなぁ。」

 克之は普門院から貰ってきた骨壺を左手に置いたまま、話を続けた。克之の口からは骨壺の中に入っている、産みの母親である平田和子に関する思い出話は一切、話されることはなかった。骨壺に厳重に蓋がなされているように、彼の心の中に住んでいる平田和子の思い出にも蓋が被さっているのだろう。誠もあえて和子の話を聞こうとはしなかった。

 

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