ノースレイク精神病院にて
真榊明星
第1話 面会室
ゾゼ、人は皆信仰によって救われるんだ。信仰は決して恥ずかしいことじゃない。黙ってないで何か言ってごらん。今日僕がここに来た理由は君が罪の告白をしたいというからで、沈黙している君をただ眺めに来たわけじゃない。
……もしかして劣悪な環境下に置かれているのかい? 他の囚人や看守から酷い目に遭わされてるのかい? それともろくに食事を摂らせてもらえないのかい? ゾゼ、頼むから何か言ってくれ。時間は無限じゃないんだ。いや、すまない、別に僕は君を追い詰めたいわけではないのさ、ただ君のほうから話をしたいと言われたとき、つい嬉しくなってしまってね。前回君は自身の精神が悪魔によって蝕まれてしまったと言っていたが、僕はそうは思っていないんだ。確かに君は罪を犯した。ただそれは悪魔のせいなんかじゃない。いかなる理由があるにせよ、君自身が選んだ結果なんだよ。だから自身の罪を受け入れるしかないんだ。そして神の救いを信じ、悔い改めることで君自身を救ってほしい。
ん? 神はいるのかって?
ああ、いるさ。ゾゼは公園に行ったことあるだろう? その公園には何があった? 緑色の草が生えていて、色とりどりの花が生えていて、自分よりも大きな木々が生えていて、何だか妙に懐かしい自然の匂いがする――そのまま歩いていると二匹の蝶がまるで遊んでいるかのように舞っていて、その向こうには子どもを連れて歩く夫婦がいて、スーッと鼻を通る清々しくてなんとも気持ちいい空気に誘われてふと青い空を見上げると、そこには一点の太陽。
どれも美しいだろう? 一つ一つ見ても美しいが、それら全てを一つとして見るとどうだい? はっきりとは捉えられないかもしれないけれど、何か不思議なものを感じるだろう? ゾゼ、それが神の正体さ。
もちろん自然だけじゃない。音楽や絵画といった芸術でとっても素晴らしい作品に触れたとき、ああ……神だ、と感じたことあるだろう? 数学や科学においても恐ろしいほどに美しい方程式や法則を学ぶと、それがどうしても偶然に出来たものではなく人知を超越した何かがいるとしか思えない筈だ。それに奇跡だって君は体験したことがあるはず。これまでの人生において、いくら冷静に考えても自身の体験したことが奇跡以外のなにものでも無いと思ったことが一度か二度あったんじゃないか?
そう、神の存在を証明することは確かに出来ない。けれども神の存在を信じるに値する物事がこの世にはたくさんあるんだ。目には見えず触れることもできないが……どうだろう? どうしても信じられないなら仕方ないが、少しでも神の存在を感じられたなら物は試しっていう気持ちで今一度罪の告白をしてみないかい? それで君の心が軽くなれば今日僕がここに来た意味だって……。
ああ、そうかよかった。ようやく話をする気になったんだね。……条件? というと? 死んだら合図を送る……? 何を言ってるんだい? 意味が分からないよ。君が死んだあと僕の夢の中に現れて君が生きている時に言わなかった言葉を言うって……それがいったい何になるっていうんだい? え? 死後の世界を見た? 天国や地獄ではなくて記憶の母体に戻るだけ? 白夜のようにずっと明るいところでそこにはあらゆる記憶が……いや、ちょっと待ってくれ。落ち着いてくれ。すまないが……正直話についていけないよ。ゾゼ……君は今しがた死後の世界を見たと言ったが……いつ見たんだ?
最後の肉親であるお母さんが亡くなった直後、夢の中で見たって? ふむ……。いや全く信じないわけじゃないが、しかし俄には信じがたい。だってそうだろう? 夢の中で見たっていうその景色は君の想像の産物かもしれない。君の言いたいことは分かるよ。ただどうしてもそれを死後の世界と言われても僕は今すぐ受け入れることは難しいんだ。
だから証明したいって? もしかしてゾゼ……君はその事を今日言いたいがために僕を呼んだのかい? だとしたら心外だよ。僕は君の心が少しでも軽くなればいいなと思ってわざわざ時間をつくってここへ来たわけで、君のその遺言めいた事を聞くためなんかじゃない。いいかい? 僕はとても怒ってるよ。正直言うと今すぐ君の前から立ち去りたいくらいだ。僕の身になって考えてごらん? 僕は別に君から何かお返しを貰おうだなんてこれっぽっちも思っちゃあいない。ただ純粋に心から君の力になりたいと思ってるだけなのに、この仕打ちはありえない、侮辱するにも程がある。酷いよ。
いや、もういい。聞きたくない。君の言うその記憶の母体とやらが本当にあったとしてもどうでもいい。そこが天国であろうとなかろうと、死後の世界であろうとなかろうと、僕は金輪際その話を聞きたくないんだ。
え? 今ここで……? って何を言ってるんだ? ちょっと待つんだ、ゾゼ、君は自分が今何を言って……。おい! 看守! 今すぐ来てくれ! 早く! ゾゼ! 待て早まるな! 話は聞く! 君が満足するまで最後まで聞くからそのナイフを――。
ノースレイク精神病院にて 真榊明星 @masakaki4153
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます