満点の星空
「……」
腹の底から迫り上がる湿り気たっぷりの嘆息が口から溢れて止まらず、額から垂れる「妥協」の二文字が俺に巻き付けた縄を解くまでに導いた。
「良かった。俺達はきっと協力し合えると思ってたんだ」
不首尾に終わった奇襲の代わりに、取ってつけたような言葉を拵えてトムへの供物とする。
「すまない。二度も」
頭はまだ痛むが、身体の痺れはとうに過ぎ去っていた。一人で立ち上がる事も然のみ苦労しなかった。室内の床から馴染みのない砂混じりを感じ、身体を思わずはたく。
「身体は?」
利害を一致させた相手方の気遣いについて、俺が「誰の所為だ!」と、声を荒げても乖離した発言には当たらないだろう。しかし、今築いたばかりの関係に亀裂をもたらす語気は排斥すべきであり、巧言令色を繕った。
「全く問題ないね。逆に軽くなった」
足を揃えて細かく跳躍を繰り返すと、トムの口に笑みが灯る。
「良かったよ」
これで二度目になる。難所を共に乗り越える協力関係の一人として、俺は握手を求めた。
「なんだそれは?」
トムは意味深長に俺の手を凝視し、握手に求められる工程を掴み損ねているようだった。どの世界に於いても通底した礼儀作法だと思い込んでしまった俺は、握手の為に差し出した手を引っ込める。
「なんでも」
二択の木のテーブルと四脚の椅子は、客人を迎え入れるにも些か質素なものに仕上がっていて、殺風景と言わざるを得ない室内が「シャード」の現状をそのまま映していた。
「月照とはえらい違いだろう?」
自虐的な笑いを溢すトムの姿に憐れみを込めた視線は酷だろう。
「そうだね」
俺はしおらしく俯きつつ、肩をそっと叩いて労る。外で待っているであろうリーラルの元へ向かう為建物を出ると、見上げなければ目線も合わせられない巨大の男と鉢合わす。そしてそんな男に両手を後ろに結ばれ、すえた顔をするリーラルの姿がそこにあった。抵抗虚しく終わった跡として残る髪の乱れが、自省を強いられた事へおかんむりである。
「離してやってくれ」
トムの一言で自由になったリーラルは、奇異な表情を浮かべて俺に訴える。
「カイル」
気を揉むリーラルの肩を抱き寄せ、俺は耳元で子守唄のように呟く。
「大丈夫。話は済んだ」
親が子の問題を一人で片付けてたかのような気風は、リーラルにとって世にも奇妙な体験だったようだ。眉間に深い谷を作り、硬く閉じた口の歪みは、如何にも猜疑心を抱いた人間のそれである。だが、無理に言葉を尽くして虚飾すれば、瓦解の呼び水になりかねない。多少の疑心は甘んじて受け入れ、帰路につく背中を追わせるのだ。
「帰ろう」
俺は気難しい人間ではない。どちらかと言うより、無頓着な性格だと自覚している。ただ、背後から向けられる視線の圧をあっけらかんとやり過ごすほど、鈍感でもなかった。
「……」
月明かりの静寂に石畳の足音が鳴り響く。手持ち無沙汰に誘われて、ふと、空を見上げた。そこには、冬の空気を吸い上げたかのような無数の星々が所狭しと散りばめられており、町中に居ることを忘れさせる壮観な光景が広がっていた。流星となって夜空を駆け出さないのが不思議なくらい、生き生きとした活力に満ちていて、目を奪われた。
「綺麗だ」
「ん? そうか?」
この風景が当たり前のものとして享受してきたリーラルにとって、俺が発露した審美眼は甚だ場違いな感性に違いない。
「そうだよ。せっかく命を燃やして輝いてるんだ。褒めてやらなきゃ、可愛そうだろう?」
「んー……」
儚げな天体の神秘たる一幕をいまいち咀嚼出来ずにいるリーラルは小首を傾げて腕を組んだ。
「死にゆく命は等しく美しい」
そう言った直後、古傷が痛むかのように腹部に痛みを覚えた。
「ワタシはそうは思わないかな。惨たらしく死んでいった人間の遺体を見た時、そこに美しさは凡そ感じなかった。怨嗟の思念を残して去っていくのを肌で感じたし、きっとワタシだって恨み節を最期まで吐くと思う」
先刻の詭弁を翻そう。惨めで呪詛を吐く事すらままならず、路上に打ち捨てられた猫のように生き絶える瞬間を待つ。そこに美しさなど全くもってない。あるのはたった一つの、復讐心だけだ。
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