俺の季節

紫陽花の花びら

第1話

 振り返るとそこには、小綺麗な女が立っていた。

年の頃は三十代前半か?

「暫くじゃない。出て行ってから何年になるの?」

「ああ~暫く……」

誰だっけ、薄らした記憶を、無理矢理引き出そうとしている俺の顔を、面白そうに見ているその女。

「もう、十五年は経つな」

「思い出した? 私のこと」

適当な名前をあげても良いが、それさえ億劫なほど疲れているんだよ俺は。

「悪い……思い出せないよ」

突然笑い出すその女は、

「なんとまあ、騙されやすい男ね

アハハ」

騙された? 頭おかしいのか? この女。

「なんだ? 顔見知りじゃないのか? でも見たことある気がしたぞ」

「よく言われるの。何処にでもいる顔なんでしょ。無個性ですかなんてね」

「そう? まぁまぁ美形だよ」

「なによ、まあまあとか、アハハ」

「フフフ、ところで俺になんか用?」

 女はスーと真顔に戻る。

「あなたさ、生気がないのよ。死に体みたい。だから気になって声かけたの」

 倒産した会社の後始末に奔走。

俺のせいじゃねぇけど。

潰したのはもっと上だろうが! なのに俺が毎日毎日頭下げてよ! 疲れ果てんだよ。

 田舎に帰ろう!そう思ったんだ。

あの田んぼが、あの山が、あの空気がやたら恋しかった。

「大丈夫? それとも、やっぱりだいじょばない?」

「はあ? なに? だいじょばないって」

「えっ? 普通に言わない?大丈夫じゃないとき」

「言わねえよ。アハハ バカだね」

「なによ!もう!バカって言ったら、自分がバカだ!」

俺たちは顔見合わせると、思わず吹き出していた。

「ねえ寒いよ。そこの花に行かない?」

「まだあるんだ。花」

「あるある! さっ! 行こう行こう」

女は俺の腕を取ると、いそいそと歩き出した。


「いらっしゃい! あら、湯たんぽ、早いねぇ」

「湯たんぽ? 名前がか?」

「いらっしゃいませ。お初ですか?」

いちいち説明も面倒くせえけど、知り合いに会わないとも限らない。

「はい。でも出身はここなんですよ。実家はもうないけど」

「そうなんだ。ご実家はどの辺?」

「ああ~浜野第一小の近く」

「えっ~浜一小?それって……喜久山くん?」

恐ろしい! 何とか力持ってるのか?

「はあ~喜久山学です」

「いやだ~学ちゃん!私、私よ、佐竹まゆだよ~」

「えっ!まゆぶ あの角の佐竹さん?」

「思い出した?まゆぶかぁ懐かしい」

「ねえ、ちょっと! お腹空いてるし、喉渇いてる!ですけど」

「ごめん! なに食べる?」

「まず梅お湯割り。え~と? 学ちゃんは? なにする?」

「俺は熱燗、人肌より少しだけ熱めでお願いします」

「後は任せるからね」

俺たちはカウンターの近くに座った

「なぁ、なんで湯たんぽなんだ」 

「あ~私ね湯布子って名前で。しかもなんだか人より体温高いんだ。だ~か~ら? 私と褥を共にした男がね、湯たんぽって言い始めてさ。それで湯たんぽ」

「おまたせ」

熱燗来た!いや~寒い日にはやっぱりこれだよ。

湯布子は梅お湯割りか、これも美味いよな。

「それでは、どうぞ」

差しつ差されつとはいかないけど。

「ありがとう。じゃ乾杯」

グラスとお猪口を軽く上げゴクリ

と流れ込む感覚が染みるなぁ。

美味い! 久々に美味いと感じた。

ザバの味噌、おでん、揚げ出し豆腐かぁ。母親が得意だった。

「すいません! 熱燗! 湯布さんは?」

「貰う!同じ奴」 

お互い身の上話はしなかった。

もうこの歳だよ、そりゃお互い脛に傷は持ってるさ。

まあいい、少し酔ったな。

湯布……いい女だ。

抱きたい。

これも久し振りの感情だ。

何気なく時計を見ると。

「行く?」

これをどう取れば良い? 

尻が青い若造でもない訳で。

俺は黙って頷き、

「五千円になるけど良い?」

「勿論」

俺は一万円を出して、

「また来るからさ」

「うん。ありがとう」

まゆと握手をして、先に出ていた湯布の肩を抱いた。

「寒いなぁ」

「うん……うちで温まろう」

「良いのか」

「なにそれ?アハハ バ~カ」

十分ほど歩いて、湯布のアパート着いた。

 すべてを剥ぎ取るのも焦れったいほどに、噛みつくように貪りあった。

熱い……信じられないほと熱いんだ。

ひと勝負終えた俺は、台所に水を取りに行った。

暖房器具を何となく見るが、付いてる様子がない。

「水飲むか?」

「うん!欲しい」

湯布に水を渡ながら、

「お前、本当に暖けぇなあ」

「暖房付いてないよな」

「うん」

「暑いよ! 部屋中暑いぞ」

「うん……だから湯たんぽなんだよ」

お互い何も羽織ってないのに、汗が滴る。

「ねえ~来て~ねえ~」

「あいよ~」

 俺は湯布を見つめる。

綺麗だ……全てが滑らかで、いつまても触れていたいと思わせるほどだ。

「照れくさいよ」

湯布は俯く。

「バ~カ」

唇をせがむ姿がいじらしい。

「今年の夏残暑が厳しかったけどさ湯布っの」 

「の、なに?」

「何でもない。するか?」

「うん」

口惜しいほど奔走していたこの夏よりも汗だくだ。

 俺は遅れてきた残暑に嬉しい悲鳴をあげる。


 この冬の残暑は酷かった。


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俺の季節 紫陽花の花びら @hina311311

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