Ⅲ
(たそがれさんは?どこ?)
ニタニタ、とソレはわらっている。
一歩一歩後ずさり、そしてトン、と壁にぶつかった。
「ナゼェ、ニゲ、る?ぼ、ぼクとアソボウ??」
ガタガタ、と体が激しく震える。涙は勝手に流れ、のどは異様に渇く。
「サビシイ……サミしィィ……ぇぇ」
右に左に首を傾げ近づいてくる。伸ばされた腕がさやかにふれるその瞬間。
ギャッ、と悲鳴が聞こえた。
「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
長い脚でソレを蹴飛ばしふぅ、と息をつくとくるり、とステッキを回した。カンッ、と甲高い音が響く。
「さぁ、いらっしゃい」
階段を駆け上り屋上へと続く扉を開ける。屋上のドアの向こうには広い空が広がっていた。
随分時間が経っているはずなのに、この不思議な夕焼けはさやかが家を飛び出したときと同じように思えた。
「……急がなくては」
ポツリ、と黄昏は呟いた。
「……どうして?」
未だにさやかの心臓はドキドキ、と鳴っている。
「お嬢さん、この世界は永遠にあるモノではないのです」
僅かに目を細め黄昏は帽子をさげる。
(えいえん、じゃない)
永遠、とは何なのか。いまいちピンとこなかった。けれど、ここにずっといちゃいけない、というのは、どうしてかわからないが心のどこかで感じていた。
影は確実に伸び色濃く染まっていく。刻々と過ぎゆく時を感じているのに、陽は暮れず夜は訪れない。
(ここはふつうじゃない)
ギュッと手を握りさやかは思いきって気になっていたことをきいてみることにした。
「ここは、どこなの?……それに、アレはなに?」
ここは、さやかの知っている街であって、知らない街だ。見ている景色、立っている建物、すべてが同じだ。でも、この街はさやかたちが住んでいるあの優しい包み込んでくれるような雰囲気が感じられなかった。
「ここはお嬢さんたち人間が住む世界の裏側にあります」
「うらがわの、せかい」
「本来、お嬢さんたちはこちらの世界へ来ることはできません。けれど、ある条件下で偶然と偶然が重なり、こちらの世界へ足を踏み入れてしまうことがあるのです」
パチパチとさやかは目を瞬かせた。
「この世界に長い間とどまったままでいると、帰れなくなってしまうのです。影はいつも光を求めてさまよっています。お嬢さん、貴女に残された時間はもう少ないのです」
黄昏がいうには、ここはさやかたちが住む世界の裏側に位置する世界――次元なのだという。表側の世界をそのまま反転させたここは本来『影』が住まう。
光に付き従い永遠に。
「そして、お嬢さんを追ってくるアレは『魔物』と呼ばれる存在です」
静かにソレ――魔物の気配が近づいてくる。ぶるぶる、と背筋が震えた。
「お嬢さん。貴女は帰りたいのでしょう?」
温かな眼差しが向けられる。こくん、とさやかはうなずいた。
「……かえりたい。おねえちゃんとなかなおりしたい!」
「それが貴女の願いですね」
たとえどんな代償を払うことになったとしても。
「たそがれさん、わたしをおうちにもどして!」
(おねえちゃんとおとうさんにあいたいから)
「はい、わかりました」
カン、とステッキを地面へつき黄昏は右手を宙へ差し出す。するとそこにキラキラと金色の光が集まり一冊の本がその手の中に現れた。
「黄昏の悪魔の名において誓いましょう。私は貴女と契約し貴女の願いを叶えると」
フワァ、と金色の本から紫色の粒子が舞、開かれたそのページに文字が綴られていく。
「『みやもとさやか』さん。貴女を無事家まで送り届けましょう。これは契約、違えることのできない誓約です」
さやかはその神秘的な光景を我を忘れて見入っていた。
「お嬢さん、貴女のお代は――――」
「うん、わかった!」
ギィィ、と屋上へ続くドアが開かれた。ソレがゆっくり近づいてくる。
「……アぁ、ソボウ?……サミしィィ!」
ダッと走り出しこちらへ突っ込んでくる。ボロ布から覗く骨がゴキ、ゴキ、と音を鳴らし変形していく。ソレがこちらへ到達する直前。黄昏は手にした本――魔導書トワイライトのページを繰り、ステッキを向けて呪文を口にした。
「私は黄昏。あの世とこの世をつなぐもの。己を忘れし寂しき魔物よ、陽の光に照らされ夜闇に眠れ」
黄昏がそう呪文を唱えると、魔物の足元に金色の魔法陣が描かれた。そしてそこから黒いモヤが発生し魔物に絡みついていく。
「……グ、ギギぃ……イ、イヤダ……ヒトりハ……ッ」
モヤが魔物に絡みついたと思うとどこからともなく、金色の光が降り注いだ。それはまるで沈みゆく前の夕日のような、どこか暗いけれど落ち着くあの色をしていた。
「……ア、アア……ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァ……ッッッ!!」
魔物の上げる叫び声にさやかは思わず耳をふさいだ。決してその声が大きくて驚いてしまったわけではない。その声が酷く寂しそうで、助けを求めているような。そんな悲しい声に聞こえたからだ。
(……しってる。さやか、このこえをきいたことある)
体の中から叫びだしたくなってしまうような寂しくて寂しくてしかたない。この感情をさやかは知っている。
悲鳴が止むと同時に魔物は姿を消した。あたりは静寂が包み、風が魔物だった塵をふわり、とさらっていった。
怖いモノはいなくなったはずなのにさやかはどこか喜べなかった。
準備はよろしいですか、と黄昏はさやかに尋ねる。うん、と返せば黄昏は妖しくわらった。
「さぁ、ここからは魔法の時間です」
そういうとさやかと黄昏を包み込むように金色の光が漏れ出した。帽子を深くかぶり黄昏はさやかの手をとる。
「帰りましょう、お嬢さん。貴女の住む本当の世界へ。貴女のことを待っている人がいますよ」
ふわり、と足が地面から離れ夕暮れ時の空へと浮かぶ。柔らかな風とともに影の夕幻街を飛んでいく。
ふと、さやかはあることを黄昏に聞いた。
「……あの魔物さんはどうなっちゃったの?もしかして……」
消えてしまったのだろうか。
さやかの不安を感じ取ったのか黄昏は優しくいった。
「消えてなどいませんよ」
「じゃあ、どこにいったの?」
悲しい悲鳴を上げながら溶けるように消えた魔物をさやかは見た。
「魔物はどこにでもいるのです。ただ見えないだけで消えてなどいません。消えることもありません」
「…………?」
こてん、とさやかは首を傾げた。
それを見てフフ、と黄昏は微笑んだ。
まるで鳥にでもなったかのように宙を飛んだ。
「きれい」
「ええ、そうですね。世界はとても美しいんですよ」
にこ、と紫色の瞳がわらった。夕日に照らされ浮かび上がる黄昏はとてもすてきだった。
「ほら、ごらんなさい」
黄昏が示す方にはさやかの家があった。
「さやかのおうち!」
玄関へ降り立つと黄昏はさやかにこういった。
「黄昏時はあの世とこの世の境目です。陽の時間とも夜の時間ともいえない夕刻。ありえないことが起きる、そんな不思議な時間なのです。もう決して、一人で出歩いてはいけませんよ。影の国に住む寂しがりやで少し心が壊れた魔物に攫われてしまいますからね」
そっと黄昏はさやかの頭をなでた。
「……あえるといいね」
さやかは黄昏にわらっていった。なんのことだかわからず、黄昏はぽかんとしている。その様子に少しさやかは焦ったがゆっくりゆっくり言葉を探して口を開いた。
「……えっと。たそがれさん、おとうとがいるっていったでしょ?だから、その……。あえるといいねって」
一生懸命紡いだ言葉は色々足りないところが多かったけれど、これはさやかにとって大きな一歩になった。
「……そうですね。まったく、あの子は一体どこでなにをしているのでしょう?」
苦笑気味に黄昏はいった。脳裏に浮かぶのは今はもう懐かしい弟の姿。記憶の中の彼はまだ背丈が低く幼さの残る顔をしている。
(今はもう、私の知る君ではないのかもしれませんね)
けれどきっと、あの無邪気な面影を残していることだろう、と黄昏は思った。
「お嬢さん、家族は大切にするんですよ。かけがえのない、だなんてよくいいますがそれは本当です。失って――なくしてしまってはじめて本当の価値に気づくのです」
「……うん!」
玄関のドアノブへと手を伸ばし開ける直前でさやかはふりかえった。
「ありがとう、たそがれさんっ!」
「ええ、お元気で」
帽子を外し黄昏はあったときと同じ優雅なお辞儀をした。
「もう二度と、こちらの世界に来てはいけませんよ」
ガチャン、と閉じた扉の前で黄昏はそう呟いた。
そういう悪魔の手元にはキラキラと光る星屑のようなモノが浮かんでいた。
「貴女のその『寂しい心』ちゃんといただきましたよ」
(あの子がもう泣くことがないように)
「フフ、悪魔がそんなことを願うのはおかしいですね」
けれど願わずにはいられない。
寂しくて寂しくてしかたなくて、魔物になってしまうほど悲しい心を溜め込み、迷子になってしまったあの少女を見過ごすことはできなかったから。
「私も早く、弟を見つけなくては」
夕日が沈み夜が訪れた。昼と夜とが交差する、黄昏時が終わった。まるではじめからそこにいなかったかのように。その悪魔の姿はもうどこにも見えなかった。
✡✡✡
黄昏時は人を連れ去る魔物がでる。この世の世界の裏側へ、一人出歩く人間を迷い込ませる。
出られない、と。帰れない、とうつむくあなたの耳に軽やかなステッキのなる音と妖しくもどこか悲しい響きをもった男の人の声が聞こえれば、もう、大丈夫。
黄昏時には迷子になった子を元の世界へ送り届ける、少し変わった悪魔と出会う。
もしも、影の世界へ迷い込み、帰り道が分からずあなたが泣いているのならば、必ずその悪魔は姿を表すだろう。
優しいお代と引き換えに。あなたを元の世界へ送り届けてくれる。
お代はそう、あなたのもつ――
【ほんの少しの悲しい
episodeⅠ黄昏の悪魔 〜end〜
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