第百話 変容
大広間で行われた、佐伯家と里葉に関する昔話。
当時の里葉が今よりずっと荒れていて、柔らかい表情を見せることが少なかった、という話は聞いていたが、ここまでとは思わなかった。でも確かに、初めて会った瞬間の里葉は表情が凄く少なくて、他者に向け好感情を示すのが、苦手だったように思える。
今の里葉は天真爛漫の、可愛い可愛い俺の婚約者だけど。
まあ、とにかく、荒れていた里葉はこの時、佐伯の大老を相手に無傷で敗北したことによって、他の重家の渦を強奪するような強引な行為は避けるようになり、少し落ち着いたんだそうだ。
「この出来事から里葉様はどこか……少し、大人びた顔を見せるようになったと思います。懐かしいですね……」
しみじみと語る御庭の、里葉への愛の大きさを、語り口から感じる。陰から雨宮を支える術式屋の彼女たちは、非常に信頼できる者たちだ。
「まあ、これが里葉……我々雨宮と佐伯の間にあった出来事です。この出来事をきっかけに里葉は落ち着きましたが、確かに里葉は槍の矛先を彼らに向けてしまった。佐伯家を含む中立派から抗議があってもおかしくはなかったですが、なんと佐伯が断固抗議すべきだという主張を抑えて、事を穏便に済ませたのです」
うーんと、腕を組んで唸った義姉さん。
「まあ、その時は正直、ラッキー、と思っていましたが……」
「そのツケが、今になって効いてきたな。あの言い回しは間違いなくその借りを返せということを示しているように思えるし、今後中立派の重家ともやっていくためには、この要請、受けざるを得ない」
如何せん、里葉のやらかしたことだから、うちの里葉がどうも、すみませんという気持ちの方が大きい。里葉、問答無用で人に槍を向けるなんて……本当に荒れてたんだな。しかし、俺と出会ったとき俺を本気で殺そうとはしていなかったので、あれから三年……俺と里葉が会った時の時点では、もうある程度は丸くなっていたんだろう。
「雨宮家としてではなく、私個人のワガママにはなってしまうのですが……正直、佐伯に感謝をしています。出来ればこの要請、彼らの立場も思って、汲んであげたい」
里葉の暴走を止めたこと。
白河事変の際、義姉さんの身を保護したこと。
この二つの出来事は、人の良い義姉さんが恩義に感じるには、十分すぎた。
「じゃあ、義姉さん。御庭さん。村将。今後は、戦いのための準備よりも、有事の備えの方に注力していくべきかもしれないな、この話はすぐに参謀本部や傘下の者たち、実働部の方にも共有して、今後の方針を固め直そう」
「そうですね」
……以上が、俺たちが渦の破壊を基本の方針とせず、避難物資や有事のための施設を重世界内に作り上げようとしている理由だ。義姉さんが打ち出した、重家としての原点回帰。それを忠実に遂行するべく、出来ることを出来るだけ、やろうとしている。
使うかも分からない避難施設に投資するというのは、どうなんだという意見もあるかもしれないが、他国の状況を聞いていると、バカにならない。海の向こう側の……国家の力が弱い一部地域では、表側が壊滅に近い打撃を受け、その土地の人間の殆どが、重世界に移り住んだ、なんていう話もある。バカにできない。
「広龍。貴方、ずっと働き詰めでしょう。そろそろ、休憩を取ったらどうですか」
リクライニングチェアの背もたれに寄りかかって、ぐるぐる回る義姉さんが俺に言う。
「いや、義姉さん。俺は一応参謀総長だし、そもそもこの身体は竜だ。疲れなんて全くない。仕事を続ける」
「大概、広龍も働き者ですよねー……。休むのも仕事の内ですよ?」
ぐるぐる回っていた義姉さんが、俺の前でビタッと回転させていた椅子を止める。
「何かあった時のために、その体力は取っておいてください」
便乗するように、ぐるぐる回っていた義姉さんへ缶コーヒーを手渡した澄子さんが言う。
「そうですわよ。広龍さんは、もう少しわたくしを見習った方が良いですわ。今、御本城様との会話という絶妙に仕事っぽいものを利用して、わたくしはうまい具合にだらだらしてるんですのよ」
「…………澄子さんは、柏木の指揮を取ってください」
「あ」
口を滑らせましたわと手のひらで口を覆う澄子さんを眺めながら、考え込む。まだまだ俺は働けるんだが。第一、今の俺は”雨宮仕置”のせいで、自由に戦うことができない。それを思えば、これぐらいの仕事はさせてほしい。
「まあ、澄子さんは気が抜けているようにも見えますけど、本当にお仕事は優秀ですしねー……やっぱり、もう少しゆっくりしてていいですよ」
「ン、マ、いえ、ご、御本城様……!」
女子らしく、ワーと声を上げながら澄子さんが義姉さんに飛びつく。澄子さんの寄行に義姉さんも慣れ始めたのか、そのまま抱き寄せてナデナデしはじめた。二人とも重家の当主だというのに、どういう関係性だよ。義姉さん。こいつはささかまじゃない。
「……広龍。今里葉は確か、調理場の方で指示を出しているはずです。里葉も働きものですから、休憩させに行ってあげてください」
「……わかり、ました」
手を振って二人に挨拶をし、その場を去る。
そう言われると、やっぱ弱いな。
調理場の方へ向かうと、そこには複数人、雨宮の家の者たちがいたが、もうここに里葉はいないと伝えられた。どうやら、ちょうど雨宮の表世界の方に、新しく発注していたものが運び込まれたようで、里葉はその運び込みを手伝っているらしい。
今、雨宮は、先の渦の攻略で手に入れた資金を元に、様々な物資を発注、購入し、重世界へ運び込んでいる。避難に人々が訪れたときを想定した、炊事場、風呂の設営などといった、衛生設備の配置のための資材、道具など、ありとあらゆるジャンルのものが続々と届けられていた。
元々自給自足のためにあったという農場も拡大することを考慮しており、機械類を除いた、表側の農具も発注しているっぽい。機械類の代わりに便利な魔道具を術式屋が作ってきてくれているので、更なる労働力を必要とする、というわけでもなさそうだ。
この際中立種を導入し、畜産まで手を出すべきだと主張しているものもいたが、ノウハウもないうえに維持が大変だと却下し、その代わりに楠の能力で進化した、環境の変化に強い魚の中立種を水堀に放ち、生態系を構築させて、いざというときの食料となるようにしている。
楠晴海……一度剣を交えたこともある女だが、彼女は非常に優秀だ。なんでかは知らんがかなり金を欲しているようで、金さえ払えば大抵の仕事はやってくれる。渦の破壊や護衛などを行うエージェントとしてだけでなく、中立種の販売にも手を染め始めたようで、彼女の持つ『魔海の珊瑚礁』という能力は、やはり規格外のものだと言えるだろう。ダンジョンシーカーズ……空閑の代行人として活動している様子も見受けられるので、彼女とつるみすぎるのは危険だが。
”イリーガルデバイス”と呼ばれる空閑の管理下にないDSのようなツールを用い、犯罪行為に走るものがちらほらと出始めていて、その集団を楠が空閑の代わりにシバいて回っているらしい。しかしだんだんとその手も追いつかなくなってきたようで、ヒーローや国家権力の業務にそういった違法デバイス持ちを逮捕する、というものが追加されている。
空閑の管理はほぼ完璧に近かったようだが……その違法デバイスというのは、どうやら海の向こう側から運び込まれてきたようだと、片倉が語っていたのを思い出した。
”重獄”と呼ばれる重家探題と重家の峰々によって管理される、あの戦国時代よりの歴史がある妖異殺し最強の監獄にも送り込まれるような危険な囚人も現れているようで、今政府やDSは、重世界空間を利用した刑務施設を開発中らしい。
働く雨宮の者たちを見回りながら、里葉がいるという広場の方までやってくる。
てくてく歩いていくと、広場の中心には積み込まれた段ボールと、部下に向けて何かを主張している里葉の姿があった。
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