第九十九話 暴虐の凍雨姫

 

 義姉さんに案内され、やってきた大広間。畳の敷き詰められた部屋の中で、一段高い上座に座った義姉さん。大河ドラマとかで、お殿様と評定……会議をするときとあまり変わらない状態に俺たちはなっていて、俺と村将、御庭は上座の方にいる。


 義姉さんの目配せを受けた御庭が、口を開く。


「あれは、里葉様が術式を得てから四年経ったときの話です」


 苦い表情をした村将が、頷きを返し。御庭が、ぽつぽつと語り始めた。






 今からちょうど、四、五年前の頃のはなし。


 雨宮里葉が、妖異殺しとして完成し、荒廃し続ける家から逃げるように、渦に潜り続けていたときのこと。


「村将。ついてきなさい。次はあの渦を叩きます」


 空を駆けるように突き進む里葉。その肌には、疲労の汗が滲んでいる。


 彼女の背を追う妖異殺しの数も、もう随分と少なくなった。食らいつくように走り続けている村将も、体の節々の痛みを堪えながら走り続けている。


「里葉様……! もうすでに枝を三本刈り取っております! 他の者どもも、既に疲労困憊し……っ! 里葉様!」


 本来、暴走する彼女を止めるのは、もっと老練の妖異殺しの務めだ。しかし、そういった実力のある忠臣は、当主を諫めたことにより不興を買い、遠ざけられている。


 次の渦をただ目指そうと、駆けていた里葉が木の根に足を取られ、バランスを崩し、獣道の中。土塗れになりながら、転倒した。


 顔を歪めさせ、顔を土泥で汚し、地を掴む。


「わ、たしは……いかなきゃ……妖異を殺す……妖異殺しの私は……」

「……御庭っ!」


 村将の言葉を聞き、背後から御庭が木々の上から飛び降りやってきて、眠気を催す催眠の術式を使用した。腐葉土を寝台に、彼女たちが仕える里葉は、今入眠した。


「……ありえないぐらいに効いている。相当疲れがたまっています」

「術式を使って眠らすなど、里葉様のお体にもよくない。どうすれば……」






 ゆっくり、思い出すように二人がその情景を締めくくる。


「……なんてことがあったように、当時の里葉は荒れに荒れていまして、渦に潜っていない日はないほどでした。まあ……ぶっちゃけるなら……仙台にいたときの広龍よりちょい多いくらい……新宿の楠くらいです」


「……マジか」


「マジです。ただ、里葉は広龍のような”いくさびと”ではないので……心身ともに強く疲弊していましたが……」


 憂いげな義姉さんの表情を見て、付き合う前、里葉と二人で渦に潜っていた頃のことを思い出した。

 里葉は渦に潜り続けようとする俺を、必死で止めようとしていたのを覚えている。


(『何度も渦に潜って偏ってしまえば、きっと貴方が壊れちゃうから』)


 電光が差し込み、冷え込んだ仙台の街。

 あのとき、里葉が俺に言った言葉を思い出した。里葉はどのような思いで、とにかく戦い続けようとする俺を止めようとしていたのだろう。


「まあとにかく……当時の里葉は、他の重家も手をつけられないくらい、暴れに暴れていました。里葉が『凍雨の姫君』っていう二つ名で呼ばれているのはもう知っていると思うんですけど……何故そう呼ばれるようになったか、知っていますか」


「なんだ」


 遠い目をした義姉さんが、その情景を思い浮かべる。


(”里葉が右腕を真っすぐに伸ばして、金青の魔力を揺らめかせ、金色の操作をした”)

(『うるさい……ぜんいん、しんじゃえ』)

(『ぬ、ぬぉおおおおおおおおおお!?!??!』)


「渦の所有権を主張する重家に対して、見えない武装の雨を降らして、問答無用でボッコボコにしたからです。あのとき治療の得意な重術師の者がいなければ死者が出ていたと思いますし……雨宮が歴史ある名家でなければ、確実に咎められていました」


「え、えぇ……」


「しかし、そのとき相手にしていた重家が私たちに性質が近い、超武闘派の重家でしたので、逆に賞賛され、事なきを得たのです」


「は……? いや、普通もっと大事になると思うんだが。殺されかけたんだろう?」


 いや……どうでしたかね……と考え込む義姉さんが、御庭に視線を送る。すると、御庭が当時のことを思い出すようにして、口を開いた。


「雨宮の次女、雨宮里葉は稀代の妖異殺しである、と吹聴していましたね。怜様と土下座するつもりで相手の重世界に訪れたら、嬉しそうに傷跡を見せられました」


「えぇ……」


「まあ、とにかく、今の里葉からは想像できないくらい、里葉は荒れていたんです。グレてたんです。夕食はいらないって言って、名前何回も呼んでるのに鍵かけて部屋に籠ったりして……」


「事情が事情だからなんとも言えないが……そこは一般的にありそうなエピソードなんだな」


 うーんと腕を組んで、悩みこんだ義姉さんが、漏らすように呟く。


「ここで、止めきれなかったのが原因だったんでしょうねー……」




 五月。雨宮里葉が、十五歳の誕生日を迎えるまで、あと一ヶ月のとき。

 またいつも通り、雨宮里葉は渦を破壊しようと、取り憑かれたように動き続けた。休息を取ろうなどとは思わない。彼女に付き従う妖異殺しの数が減ろうとも、関係なかった。


 重家の峰々には、不文律として、先に突入の目星をつけた重家の渦を他の重家が手出ししてはならないというものがある。しかし当時の里葉は、そんなもの知ったことかと渦に突入し、その破壊を続けていた。


 渦の破壊に足踏みする重家に妖異殺しの在り方を痛烈に示しているという好意的な捉え方がある一方、だんだんと一部の重家の間で、里葉の動きが問題視されているときのことだった。


 彼女は、相手がどんな重家であろうとも、なりふり構わない。


 相対するは、同格とも言える妖異殺しの名家。

 雨宮と佐伯。


 渦の保持を務める佐伯の妖異殺しを前に、里葉は冷静に言い放つ。


「今からその渦に突入します。道を開けてください」


 金青の魔力を揺らめかせるように立ち昇らせ、彼女は渦での戦いの準備をするのとともに、相手を威圧する。


「い、凍雨の姫君ッ……!? 昨夜、貴女は枝の渦を刈ったばかりであろう! 雨宮! この渦は我々佐伯が破壊するッ!」


 里葉御付きの妖異殺し━━村将が、中立派の中核である佐伯と対立することの危険性を頭でちらつかせながら、彼女を諫めようとした。


「……里葉様。彼らの言う通りです。あなたはここのところ、ずっと連戦続き。今日は、休息をとって━━」


 彼の言葉を途中で切って、里葉が一歩前へ出た。

 病的なまでにやつれたその表情は、鬼気迫っている。


「どきなさい。その渦は、私の獲物です。私は雨宮の誇り高き妖異殺し。妖異殺しの私だけは……否定させない」


 威嚇するように、金色の武装が空に浮かぶ。

 立ちはだかる佐伯家の男を取り囲むように浮かぶそれは、静かな殺意が込められていた。


 村将が止める間もなく、里葉は動き出している。


「なっ……! 雨宮! これはどういうつもりだッ!」


「……どけって!! 言っているでしょうッ!!!!」


「里葉様ぁ!! おやめくださいッ!」


 感情のままに、震える金色を放とうとする。

 その威容に、思わず目を瞑る佐伯家の妖異殺し。最悪の事態だけは防ごうと、焔を手に宿す村将。


 彼女たちを置き去りにする速度で、今、佐伯の老躯の妖異殺しが、魔力の揺らめきを以て金色の槍を撃ち落とした。


「!?」


 腕を組み、仁王立ちする男。突如として現れた大人物の姿に、村将は強く驚愕する。

 佐伯の大老は今、じっと里葉を見つめた。



 初夏の薫風が、彼女と彼の間に吹き荒ぶ。

 風に靡く草木はさざめき、本能的にこれから起きることを察知した小鳥が、逃げるように空へ飛び立った。


 老躯の妖異殺しの背後には、まだ十四歳の里葉より少し小さい、佐伯家の少女━━初維が、つまらなそうに立っている。


「雨宮よ。この渦は、我が佐伯のものでな。これから儂は、そこの初維を連れこの渦に突入する。お引き取り願おうか」

「…………」


 一触即発の空気の中。里葉が金色を再び展開しようとする。

 瞬間。その踏み込みすら、見えなかった。



 里葉は、魔力で構成された剣で袈裟斬りに合う。

 それは一瞬の出来事。神速の一振りに凄まじい衝撃を受け、その場に里葉は座り込んだ。



 村将は里葉に駆け寄る。里葉は身体を見下ろして、傷口を見ようとした。

 確かに”斬られた”という感覚はあるのに、体のどこにも傷はない。服にすら、何も痕はついていない。


 そのとき。彼女は理解する。


 彼女は、斬られてなどいなかった。


 自分は彼の魔力を、剣気をあてられただけで、敗北を認めたのだと━━━━


「まだ、甘い。自暴自棄に戦うことが妖異殺したることだと思うのであれば、出直せ」

「行くぞ。初維」


 彼は雨宮の者たちに背を向け、もう用はないと動き出した。

 汗をかき、体が真っ青になって、震え始めた里葉は、白目を剥く。


 気絶した彼女を、村将は雨宮の重世界へ運んで行った。

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