第九十八話 来訪者(2)
出撃の準備を終えた雨竜隊を横目に、佐伯家の大老と呼ばれる人物が、雨宮の重世界にて、供も連れず仁王立ちをしている。
彼の姿を見て、金色の槍を握る里葉が、何故か苦い表情をしていた。里葉のことだったら、大体分かる。彼女はどこか、気まずさというか、彼に引け目を感じているように見えた。術式屋の区画に籠りっぱなしだった御庭が、状況を聞いて、焦りながらもコソコソと俺の隣にやってくる。
広場の中央に立つ大老と向かい合うように、義姉さんが立っている。一見、無防備のように見えるが、今彼女の隣には、里葉の透明化を受けた村将と、一番隊が護衛として控えていた。
大老がいきなりやってきたという報に、村将と一番隊が驚いていたのを見ている。妖異殺しの彼らとしては、緊張する相手のようだ。
「……まずは、事前の通告もなしにこの雨宮の城を訪れたことを詫びよう。当代の雨宮」
「お久しぶりです。佐伯の大老。佐伯家と雨宮家の友誼を思えば、詫びる必要などありません」
改めて、彼の容姿を見てみる。
体格は老人とは思えぬほどに屈強で、和装で覆われていない、素肌の部分のあちこちには生傷がついている。白髪の彼は髭を生やしていて、癖のついたそれは剛毛である。
武装の類は一切身につけていないが、その肌の下に鳴動する魔力は、かなりのものだ。
俺の横にそーっとやってきた御庭さんが、その長い髪で見え隠れする目をこちらに向けながら、話し始める。
「……広龍さま。あの、佐伯家の大老。彼は重家の中でも非常に優れた、大人物です。注意してください」
「……老桜みたいなものか?」
「いえ、彼女のように”始まり”から生きている妖異殺しではありませんが……少なくとも、百、いや二百年以上は生きています」
「……当然のように寿命を超えるのか、妖異殺しは」
いえ、多くの妖異殺しは寿命を全うしますよ、と御庭は一度否定する。
「……根も葉もない噂ではありますが……彼は過去に、空想種と交戦した経験があるようです。老桜となんらかの因縁もあるようですし、分からないことが多い。しかし、確かな実力と、重家に対する影響力を持っていることに違いはありません」
「それに佐伯家は、多くの重家と友誼を結ぶ中立の重家です。派閥には属さず、単独でも非常に強い」
彼らとは仲良くしてください、と遠回しに説明した御庭の方から、義姉さんたちの方を見た。
形式張った会話を続ける二人が、ようやく本題に突入する。
「それで、佐伯の大老。本日は、如何な御用でしょうか」
「……今日は、或る重家派閥を代表して、書状を携えやってきた」
現代では全く使うこともなさそうな、折りたたまれた白い紙を彼は懐から取り出した。それを見て部下の一人に受け取るよう指示した義姉さんが、書状を手にする。今この場で読んでもよいかと、視線を送った彼女を見て、大老が頷きを返した。
書状を広げ、縦書きの文を目で追っていく義姉さんの顔が、みるみるうちに険しくなっていく。
「雨宮家の参戦を止める様、調停してほしいという嘆願書……」
「関東に分布した大枝を刈り切ったその誇り、見事なものだった。ここからは、我ら佐伯を含めた他の重家に、任せてほしい」
「……しかし、状況は切迫しています。今現在も、侵犯事件が起きているところでしょう」
「横浜の襲撃には儂の初維がおる。千葉には赤穂家を中心とした重家連合が展開し、東京のものはヒーローと他の重家が対応している。雨宮の参戦は、必要あるまい。すでに、雨宮は十分働いた。ここからは、我らが責務を果たすべきだろう」
「…………」
「…………と、いうのが建前であるが、実際には、誇りに準じようという重家が、名家とはいえ一度没落した雨宮に負けるわけにはいかぬ、表側の者どもに負けるわけにはいかんのだ、という焦りの表れであろう。故に、儂にその紙切れが来た」
他家からの書状を外部に晒すという、タブー中のタブーの行為に、義姉さんは混乱している。
歴戦の妖異殺しの表情から一変、好々爺の笑みを浮かべた大老が、笑い声をあげた後、冷静な面持ちで義姉さんを見つめた。
「表側を含め、あちこちで揺らぎが生まれておる。表側は、一変した世界の常識。裏側では、空閑の登場、先の白川事変、雨宮仕置、そしてヒーローとやらの登場に、重家は浮足立っている。そこで雨宮が更なる活躍をすれば、重家がどう動くか分からん」
……佐伯家。時代の荒波の中、上手く家の形を変え、存続してきたという中立派の名家。重家全体のことに気を配る大老の姿は、まあなんか、一瞬でも老桜と比較したのが間違いだな、と思えるぐらいには立派だった。
「一度、重家に自信を持たせる機会を用意したい。すまんが、手を引いてくれぬか。無論、大事に至った際は、そうは言わん」
そういった彼は、膝に手を突き、深々と頭を下げた。それを見て、雨宮の妖異殺しがざわざわと喚く。義姉さんも目をまん丸にして、びっくりしていた。
ゆっくりと頭を上げた大老が、義姉さんの後方にいる━━里葉の方を見る。
「『才幹の妖異殺し』。『凍雨の姫君』よ」
「……っ」
「
「……き、決めるのは姉さまです。私ではありません。佐伯の大老」
ゆっくりと、義姉さんの方に視線を移す。
「…………確かに、佐伯家には白川事変の時受けた、大きな恩がありました。それを思えば、重家の峰々を思うこの願い、受け入れざるを得ないでしょう」
義姉さんはきっと、白川事変のとき、その決着まで、佐伯家が身の安全を確保してくれたときのことを話している。
「感謝する。では、ここに儂がいてはできる話もできんだろう。失礼する」
和装の裾を翻した彼が、雨宮の重世界空間を去る。
俺は雨宮の当主としての義姉さんを信頼している。白川事変のときの借りを返したということなのだろう。しかし、里葉の様子がおかしい。少し目を大きくさせて、頭を抱えるような、そんな素振りを見せていた。
佐伯と雨宮の間には、白川事変の時以上のものがあるのか……?
「……雨竜隊。出撃の必要はありません。一度、解散します……広龍。御庭。それに、村将も。大広間の方に来てください。話があります」
「ね、姉さま。わ、わたしはどうすればよいですか?」
「里葉は……うーんと……」
目を泳がせて、一度考え込む義姉さんが、いつものように闊歩する猫の姿を見つける。
「ぬっぬっぬっ、にゃなにゃぬぬぬー」
「あ、里葉。里葉は、ささかまの相手をしていてください。ささかま、おなか減ったよ~って言ってますよ」
「それはいつものことですが姉さま……わかりました」
里葉がてくてくと歩いて、ささかまを抱き上げる。腕の中で大暴れするささかまを妖異殺しの膂力で押さえつけて、ゆったりできる居住区の区画へ運び込もうとしているようだ。
「んー……広龍。来てください。皆も。義弟に、しておかなければならない話があります……」
はあと大きなため息をついた義姉さんが、暴れるささかまを抱え、毛に顔を突っ込みながら表情を見せないようにしている里葉の方をちらりと見る。
「義姉さん。さっきの、佐伯の大老の要請を受けざるを得なかった理由の話……ってことだろう?」
「そうです。これは、その、里葉が十四歳のころの話なんですが……」
天守閣がそびえる、本丸の方へ歩いていく。
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