第九十七話 来訪者(1)
表側の季節を反映した、雨宮の重世界。鬱陶しい夏の日差しまでは真似しなくてもよいだろうと苛立つアシダファクトリー社員の独り言を聞いて、周りの社員が小さく頷いている。
「ぬっぬっぬっ」
段ボールを抱え、物資の運び込みのために忙しなく動く雨宮の面々の間を、冬から全く姿の変わっていないもふもふのささかまが闊歩している。猫にも換毛期があるはずなのに、何も変わっていない。
俺は竜の体になってから、暑さや寒さといったものに対する耐性を得たのか、苦しい、と思ったりすることもなく、快適に過ごせている。いや、暑いと思ったり、寒いと思ったりもするんだけど、平気、みたいな不思議な状態になっている。
雨宮の勢力に属する集団……柏木家やアシダファクトリーなども含む人員も動かし、今俺たちは広大な雨宮の重世界で、白川家と戦った時のように雨宮の城を改修し、来る戦いに備えている。
しかし前回の戦とは違い、今回は防衛戦のための備えではない。
避難施設として、雨宮の城を利用できるように備える。
武家としての雨宮にはそのノウハウがないので、政府のマニュアルなどを参照し作っている最中ではあるが、妖異殺しの叡智、表側の知識を上手く合わせ、調整している。
もともと雨宮の城は数千人という数の人が籠城したこともある施設なので、設備は何もない場所よりは整っているが、それでも使われていなかったところの方がほとんどだ。設備を改修し、より快適に使えるようにしている。
今は、飲料水や生活必需品などを、倉庫へ運び込んでいるところだ。フォークリフトなどが使えない代わりに、術式屋が重術を用い上手くやっているところだが、結局は人の手で、というところも多い。こんな暑苦しい場所で肉体労働をしなければならないのだから、苦労を掛けるだろう。しかし、やるだけの価値はある。
ダンジョンシーカーズのストレージ機能のような、別の重世界空間を倉庫として扱う重術もあるようだが、非常に習得しにくい術であり、更に重世界内でそれを行うのは難しいようで、雨宮の重世界でそれを行うのはいまいち現実的ではないらしい。
そういった意味でもDSの特異性が目立つ。いや、正確にいうと、ずっと前に里葉……運営から貰った、ボックスデバイスとかもか。重術としては、数百年先の技術と言ってもおかしくないもの。そう、雨宮の術式屋である御庭さんは言っていた。
力仕事は行わず、全体の指示、物資の管理を行う臨時の指揮所にいる義姉さんに資料を手渡した澄子さんが、汗を拭う。彼女はいつもの和装のままで、暑そうだ。
「御本城様。東京、千葉、横浜の方で起きた、侵犯事件についての報告書です。やはり、裏世界側の動きが活発ですの」
ぴらぴらと資料をめくり、その内容を確認する義姉さんが、俺を手招きして呼ぶ。俺に澄子さんからの資料を渡してきた後、義姉さんは彼女の方へ向き直った。
「……澄子さん。重家の情報をいつもありがとう。本当に助かっています」
「いえ、当然ですの。雨宮家の存続と繁栄は、私たちの繁栄と同義ですし。しかし、横浜ではいきなり伝承種が攻め込んできたり、無茶苦茶ですの。その場に佐伯家のガールがいたようで、事なきを得たようですが」
しかし、表側のメディアは、事務的にそれをいつものように報道するのみで、この妖異侵犯事件に、国民が強く反応している、というわけでもないらしい。
良くも悪くも、DSがリリースされてから数か月。表側に現れる妖異を専門的に排除するスター軍団、ヒーローなんてものも現れるようになって、
「伝承種まで出てきたのか。深刻だな。不幸中の幸いなのは、既に状況を察知して独自に動いている重家が多いことだが……」
俺のポジティブな捉え方に、義姉さんが全く真逆の、悲観的な捉え方を教えてくる。
「全員バラバラです。まとまって動くことができていません。この状態で超規模の侵犯が起きれば、更なる混乱を招きます」
「……やはり、か。重家それぞれの、独断的な行動が目立つな」
それぞれの家の独立を尊重する重家。その体質は、数千年の時を経て紡がれたもの。数年で変えられるものじゃない。
「それゆえに私たちはここまでの術を磨くことができたのですが……こうも大規模になってくると、やはり連携は急務です。幸いなことに、晴峯や『ダンジョンシーカーズ』、広龍と里葉が会った兼時さんの伝手で、『ヒーロー』と情報共有することはできていますが……他の重家とは出来ていない。国を除けば、私たちが最大勢力でもおかしくありません」
深刻そうな表情で、澄子さんが語り掛ける。
「柏木から、別派閥の重家にも打診を掛けてみましたが、取り合ってもらえませんでした。すでに、柏木は雨宮の一部として捉えられているようですの……雨宮は表側と関わりすぎました。重家から、少し敬遠されているように思えます」
「表側の人員に頼ろうにも……活動的なヒーロー、さんたちは……少々、探索者たちと比べ妖異を舐めている節がありますの。いや、トップヒーローの灰原さんなんかは、わたくしなんかよりガチのマジで強そうですけど」
「……ああ。片倉たちが監視カメラの映像を入手して見せてくれた、あの
澄子さんのコメントに、義姉さんが人差し指を顎に当てて考え込む。
「かといって、唯一重家の中心となってくれそうな重家探題はこういった問題に能動的ではないですし……」
だんだんとイライラしてきて、思わず歯を食いしばる。
「くっ……歯がゆいな。この状況は。今すぐ雨竜隊を展開して、先手を打ち渦を破壊していきたいところだが……」
リクライニングが可能な椅子に座る義姉さんが、背もたれに思い切り倒れこむ。
「あんなこと、言われちゃいましたからねー……」
それは、先日。同時多発的に起きた妖異侵犯に対し、雨宮家から里葉を中心とした雨竜隊を支援部隊として提供しようとしたときのことだった。
人員を集め、指揮を執る片倉。金色の槍を握りしめ、部隊の先頭で里葉が体を温めようと、振るっていたとき。表側から突入してきた雨宮の数少ない重術師が、見送りに訪れていた俺と義姉さんの元へ来る。
「怜様。参謀総長。今……表側の雨宮の家に、面会を求める者がいます」
義姉さんとふたり、頭の中でスケジュールを思い浮かべる。しかし今日、誰かと面会するという予定があった記憶はない。
「……事前の連絡もなしにくるのか。日を改めて来いと伝えろ」
雨宮が大きくなってから、このように勘違いしてやってくる者も増えた。いつも通りの対応を指示しようと、彼に伝える。
「それが……」
拒絶しようという俺の言葉に一定の理解を示しつつも、困った表情をした重術師が、義姉さんの方を見る。なかなかの大人物が訪れたのだろうと察した義姉さんが、彼に聞いた。
「……どなたですか?」
静かにうなずき、彼は口を開く。
「……佐伯家の、大老様です」
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