第九十二話 その名はヒーロー(1)

 

 雨宮の城を出てから、電車に乗ってしばらく。そうやって訪れた東京の繁華街を、里葉と二人で歩んでいく。


「ヒロ~。今日はすいーつ食べ放題ですよ。すいーつ。くれーぷにてぃらみすにぷりんにけーきですよ~」


 きゃっきゃと騒ぐ里葉が、腕を絡めて俺に抱き着いた。頬ずりをして、めちゃめちゃ楽しそう。


 今日は先の作戦以降、働き詰めの里葉を慰労する目的で、スイーツ食べ放題の店を予約した。


 現在の雨宮家にとって最重要戦力である里葉を、参謀本部の人間として、だいぶこき使ってしまっている自信がある。疲れはないと彼女は主張しているが、休息はやはり必要だ。


 バリバリ武闘派の里葉も、女子の例に漏れず甘いものは大好きである。これはきっと、良い息抜きになるだろう。そう思って、スイーツ食べ放題をチョイスした。


 それに大喜びした里葉は、今日俺と二人で行くことを楽しみにして、暇さえあればその話をしていた。そんな用があって、今日は東京を訪れている。


 平日だというのに、往来を行く人が多い。人波をかき分けて、土地の都合からだろう、狭い歩道を歩いていく。そうやって進んでいく途中……交差点。道路の中央。


 空中に亀裂が走るように、罅が入った。竜の右目を通して見れば、その隙間から魔力が漏れ出ていることが分かる。


「──!」


 それが意味することに気づいた里葉が、ぽやぽやから即座に臨戦態勢を取る。カフェの窓ガラスから『迷い人の旅行鞄』を取り出し、金色を人のいない空へ展開した。


 笑みのない、冷静な表情。流れるようなその変化に、胸がドキッとする。


 ……重世界から表世界へ行き来するための手段は、主に二つある。


 まず一つ目は、裏世界側の設備である渦のようなもの。これは表世界側の魔力を吸い取るために開けられたもののため、常に出入口が開いているような状態だ。


 そして二つ目が、雨宮の重世界のような、固定された重世界空間へのもの。これは文字通り開閉を行う扉のようなものであり、その開け閉めができるのは、その“重世界空間”の座標を知る重術師のみだ。


 しかしこの亀裂は、その二つに分類されない。



 これは、帰り道なんて考えない、攻めの一手。



 義姉さんと御庭さんの集中講座により学んだ知識から━━これが裏世界側からの、重世界を通った侵攻であることを確信する。


『キャァあああああああっ!!!!』


 砕け散るような音とともに、宙に現れた妖異が着地した。その姿を見た一般市民は叫び声をあげ、一斉に距離を取ろうとする。交差点を通っていた車は一斉に停車し、乗車していた人々は車を降りて、必死に駆け出した。


 ……ダンジョンのクラスで分類するのであれば、D級~C級の妖異だろう。鋭い嘴を持ち、退化した羽を広げた二足歩行の鳥が、威嚇の声と魔力を放っている。他にも続々と、様々な妖異が表世界に降り立った。


 金青の魔力を立ち昇らせた里葉が、前傾姿勢になって言う。


「ヒロ。私が対処します。交戦の許可を」


 構えを取った里葉の肩を掴み、耳元で囁いた。


「いや、待て」


 ……遠くから、なかなかの速度でこちらに向かってくる奴がいる。

 ……これは、術式持ちの魔力反応。


 群衆の垣根を飛び越え、交差点の中央へ躍り出たその男。

 奇天烈としか言いようのない恰好をしている。全身に電球のようなものを付け、昼間からビカビカと明かりを灯す彼を見て、俺の横にいた男の子が、大きく声を上げた。


 そうか。あれが━━━━



「年中無休ヒーロー! 24/7! 今日も休まず、敵を討つ!」



 随分と俗っぽい口上を述べた男が、光り輝く魔力を灯す。何を言っているかよくわからないという顔をした里葉が、とぅうぇんてぃーふぉーせぶん……と静かに呟いた。


 逃げ惑う群衆は今観衆となり、彼の雄姿を見届ける。


「頑張れ! ヒーロー!」

「行けー!」


 沸き立つようなその歓声に、里葉がきょろきょろと辺りを見回していた。これは、彼女の常識ではあり得ない。


「ハぁああああああ!!!!」


 徒手空拳を武器とする24/7が、妖異の一体に今アッパーカットを決め、灰塵にした。更に、背後からの攻撃を回避して、拳で反撃をする。


 一見、優勢なように見えるが……


「ヒロ!」

「ああ。分かっている」


 彼の後方。そこで再び、空間に罅が入った。それに気づいた年中無休ヒーローの顔色が、少し悪くなっている。というか、魔力の勢いが弱い気がした。その質からして、おそらく、彼は疲弊している。


「ヒロ! 私が全て……!」


 衆目など意に介さず、今すぐにでも介入しようとする里葉の後ろ姿を見た。

 彼女のその姿勢から、表側に現れる妖異は全て消し去らんとする、妖異殺しの誇りが垣間見える。


 しかし、彼女のそれは、杞憂だった。


「……彼の動きがいきなり良くなった? いや、妖異の動きもおかしい……?」


 怪訝な表情を浮かべた里葉が、旅行鞄を握る手を緩める。妖異の攻撃がいきなり当たらなくなり、逆に彼の攻撃はよく当たるようになっていた。


 竜の右目を凝らして見る。。増援を華麗に捌く彼を見て、周囲の人々のボルテージはどんどん上がっていっている。


 妖異が攻撃をしようとした時━━奴らは、停止させられているのではないかと思えるほどの低速で、動いていた。二秒の間に、ほんの、数ミリメートルしか動いていない。


 ……片倉のものに近い、術式か?


「でやぁああああああああ!!!!」


 貫くように放たれた白グローブの拳が、最後の一体を貫く。その姿を見届けた人たちは、万雷の拍手を送り、大いに盛り上がっていた。


 彼が深々と頭を下げる。


「市民の皆さん! 素早い“組織”への通報、ありがとうございました!」

「よくやった! 年中無休ー!」

「お兄さんありがとー!」


 ニコニコと笑みを浮かべた男は、では、これにて!と大きく声を上げ、群衆の中へ飛び込む。その先を見てみても、すでに奇天烈な服を着た男の姿はない。


 ……DSのコスチューム機能か。俺も黒甲冑に着替えるときに使うが、そういう使い方もできるのか。


 しかし、一般人の目を誤魔化すことはできても、俺と里葉の目を誤魔化すことはできない。


 先のヒーローを伴って、一人の男が俺たちの背後にやってきている。


 ゆっくりと振り返って、その姿を目に納めた。


 ……藍色のジャケットを着て、目立ちすぎず、しかし洒落たネクタイピンをつけた、スーツ姿。左腕に着けている時計は高級感と無骨さに溢れ、陽光に反射している。


 ……潜在する魔力量は、DSと、遜色ない。


「ご機嫌よう。倉瀬くん。雨宮さん。初めまして。ご迷惑をおかけしてしまったかな」


 懐から銀色の名刺入れを取り出した彼は、二枚、それを俺と里葉に渡す。


「重術監査院。特別監査官の兼時信かねときしんという。この後ろにいるのは、PDR所属のヒーロー、24/7。本名、田中武くんだ」


 あ、どうもとお辞儀をしたヒーローの彼は、やつれた顔をしていた。


 兼時信……昔、重術の専門家としてテレビに登場していたのを見たことがある。顔立ちの整っている彼は、“イケメン公務員”と呼ばれ、女性たちからすごい人気があるとかないとか……聞いたことがあるような気がした。


 しかし突っ込むべきは、そこではない。


 新たに設立された、その組織。


 国や民間組織、重家、果ては同じ監査機関である、重家探題をも対象に入れ、完全に独立した監査機関。重術監査院。


「これも良い機会だ。今から、茶でもシバかないかい?」


 使、機動的、横断的な監査に取り組む部隊員。通称、特別監査官ウォッチドックと呼ばれるものの一人が、目の前に立っていた。

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