第九十三話 その名はヒーロー(2)
白のレースが敷かれた、丸テーブルを囲む。お喋りをする女性の声と、スイーツを切り取るフォークと皿のぶつかる音が、カチャカチャと聞こえていた。
今目の前には、にっこにこでケーキを貪る里葉と、死にそうな顔でコーヒーを飲む田中さん、そして紅茶を優雅に啜る兼時さんの姿がある。
「や、雨宮さん。そちらにある苺ムースはまだ食べてないようだね。あれもお勧めだよ」
「ありふぁふぉうふぉふぁいふぁふ」
ごっくんとケーキを吞み込んだ後、口元にクリームをつけたまま、お皿を持った里葉がとととーと噂のムースを取りに行く。それを微笑ましいなと見つめる兼時さんの姿が、異常に様になっていた。
……どうして、こうなった。
今日は里葉と二人きりでデートして、いちゃいちゃして里葉成分を補給する予定だったのに。あーんとかして。最近忙しすぎていちゃいちゃ出来てないんだぞこっちは。本当にどうしてくれるんだ。キレる。バチ切れ。激おこ。
…………俺も相当疲れてるな。これ。
「お邪魔してしまって申し訳ないね。しかし、まさかたまたま私の行きつけの店に行く予定だったとは」
店員さんを名前呼びするという、明らかに常連の雰囲気を醸し出している兼時さんが、ショコラを口にした。里葉みたいに、口元にかすはつかない。なんでスイーツ食べ放題が行きつけなんだよ。おかしいだろ。そこはバーとか老舗の純喫茶とかそういうあれじゃないのか。
「まあしかし、貴方と話をしてみたいと思っていた。倉瀬広龍くん。重家の峰々に話が通り易くなったのは、君のおかげでもあるからね。それと、かの高名な“凍雨の姫君“にも会えて嬉しいが……」
兼時さんがちらりと、里葉の方を見る。苺ムースとチョコムースで視線を行き来させ、うーんと悩む里葉が、二個ずつ手に取った。
「話に聞いていた人とは、かけ離れている」
……二個ずつ取るなら、最初から悩む必要ないだろ。
「……いや、すいません。うちの里葉が」
「ああ、いいんだよいいんだよ。問題なんてないさ。年相応なところもあるのだな、と。しかし、あんなに可愛らしいお嬢さんが妖異を蹂躙するのだから、驚きさ。まだこの時代には馴染めない」
フォークを静かに動かした彼が、ケーキを切り取る。
俺たちの横にいる田中さんは、まだ無言でコーヒーを啜っていた。明らかに顔が死んでいる。
「……その、年中無休ヒーローの田中さん……は、どんな感じなんですか」
「…………」
話を振ってみたけど、返事がない。シカトしてるとかそういうのじゃなくて、シンプルに聞こえてなさそう。
「……田中くんは度重なる勤労により疲れているようだ。やはり、“ヒーロー”はきついね。華々しい仕事だが、実態は苦しそうだ」
遠く、ケーキバイキングの方で、里葉が両手で九枚くらいお皿を持とうと、試行錯誤をしている。里葉の体幹が成せる業で、常人にはできない姿勢だった。
……しかし、足元でささかまがウロチョロしている。何してんだあいつ。スリスリし始めたささかまの重い数撃にバランスを崩されそうになって、里葉が顔を顰めていた。ぷるぷるしてる。
「…………なるほど」
「君は表側の人間には珍しい、重家との交流が深い人間だから、かな。あまり、表側の実態も知らないのも無理はないだろう。少し、話をしようか」
彼がごほんと咳をして、紅茶に口を一度つける。
「雨宮が引き起こした、“白川事変”。あの事件は多大なる影響を重家に与えたが、それのちょうど少し前、表側でも大事件があってね」
決戦の少し前というと、あの頃は里葉を救うための準備であちこちを奔走していたので、あまり記憶にない。重世界にいることの方が多かったし……表側のメディアには全く触れていなかった。
しかし、今となっては片倉達の報告書を読んでいるので、概要は知っている。ただ、その場その場の肌感覚としての知識がないというだけで。
「……民間人が数名、対応に当たった警官が数名、そして居合わせたプレイヤーが三人食われた、『台東区妖異侵犯事件』だ。最終的には、到着した妖異殺しが瞬殺したようだが……これの影響が大きい」
「この事件は、侵犯妖異の危険性、そしてしがらみのある軍隊と、数少ない妖異殺しとは違い、即応できる民間人協力者の重要性を明らかにした」
……片倉たちが集めた情報や、雨宮に渦の討伐を求めた重家探題の動きを考えても、やはり表側の防衛は苦しそうだ。
「……平和を守るために『ダンジョンシーカーズ』を装備したプレイヤーが必要とされるわけだが、ここでいくつか問題があってね。まず、広龍くんが知っての通り、DSを装備できる人間は限られている。そしてプレイヤーたちにとって、侵犯妖異を討伐するという行為が、労力に見合わないものになっていた」
皿を十一枚に増やしケーキをもりもりに取ってきた里葉が、楚々とした表情で着席する。おかえりなさいと口にした兼時さんが、そのまま話を続けようとした。
……青時雨、使ったな?
「しかし、それも当然だろう? プレイヤーにとって渦を破壊する方が、身入りが安定している。報酬部屋で見つかるものによっては、一攫千金を狙えるし、等級を定めて効率よく破壊していれば、危険も少ない。対して、侵犯妖異を討伐する方は、いつ来るか分からないものに備えなければいけないし、手に入るアイテムの数も少ない。衆目を集めてしまうために、SNS上ではプライバシーを失い、場合によっては被害を抑えきれなかったことで、痛烈に批判される」
難しそうな話をしているなぁという顔をした里葉が、パクパクとスイーツを食べ始める。オンオフの切り替えがしっかりしすぎている里葉は、今完全なるオフモードだ。傍若無人にスイーツを喰らう里葉に、死にそうな顔の田中さんがちらりと視線を向けていた。
そして、里葉の足元で箱になっている巨大な猫を見て、コーヒーを噴き出している。里葉。能力使って周りの人に見えないようにすれば、いいってもんじゃないぞ。
「国は、妖異侵犯事件を受けて、討伐者に報酬金を支払う制度を確立させたが、その手続きは煩雑な上に、そもそもの報酬金の額が渦の討伐で得られるものと比べ、非常に少なかった。それを受けて今度は、渦の攻略で得た収入に税を掛け調整しようとしたみたいだが……仮想通貨であるDCやマーケットなど、『ダンジョンシーカーズ』の機能だけで全てを完結させてしまえば、それが抜け道となり適用されない。DSの王である空閑肇には逆らえないし、どうしようもなかった」
紅茶を一度口につけ、鋭い眼光を煌めさせた兼時さんが、静かに口にする。
「話が少し逸れるけど、あの男はあまりにも大きな力を持ちすぎているね。一体何を目的としているのか……」
この発言を俺の前ですること自体に、意味を見出しているような気がする。しかし言われずとも、俺はあの男を信頼していない。
「ま、それはともかく……話を戻そう。この結果を受けて、一人、立ち上がった人間がいた。元々は公安所属だったのではないかと噂されるその男は、まず、妖異侵犯事件の対応のみを専門とした探索者チームを結成した。初期メンバーには、現在のトップヒーローである『消し炭姫』灰原優を抱え、何度も侵犯妖異を討伐する彼らは、実績を積み上げ、報酬金の受け取りの代わりに政府に対して補助金の交付を要求した」
「政府に伝手があったのかは知らないけど、その補助金は迅速に下りてね。まとまった資金を獲得した彼らは、同じような問題を抱えていたアメリカ合衆国の取り組みを参考にしつつ、所属していた探索者それぞれを『ヒーロー』として扱い、タレントとしての付加価値を与えることによって、マーケティングを開始した。メディアへの出演、グッズ商品展開、サブスクにより視聴できるヒーローのドキュメンタリー等、大成功を収めた彼らは、組織を拡充させ、渦の攻略以上の収入と名誉を、プレイヤーに提供した。そうやって、今では大量のヒーローを抱えている。妖異侵犯事件は、六割がヒーロー、三割が妖異殺しによって解決され、今では死者を出すような事件も減少し、上手くいった、というわけさ」
コップの縁を人差し指で撫でる彼が、口にする。
差し込む光に、彼の時計が反射していた。
「
「いや……そんな綺麗なもんじゃないすよ……」
コーヒーを飲むのをやめ、枯れた声で田中さんが口を開く。民衆の前で明朗としていた彼は、見るからにやつれていた。
「ブラックオブブラックですよ。最近は特に。私は年中無休ヒーローなんていう……まあスキルの都合で体力が他の人より多いってだけなんですけど……最後に休んだのはいつか分かんないですからね。いやそういうキャラ付けってのも理解してるんですけど……マジでキツイ……やめたい……」
「……ヒーロー一人頭の労力は、増加傾向にあるようだね」
「いや、今日だって兼時さんがいなかったらヤバかったですから。半休申請して寝ます……では、失礼します」
田中さんがよろよろと立ち上がって、帰ってった。
スイーツ食べ放題の制限時間を迎え、払った額以上は確実に食べた里葉が、ご満悦で店を出る。身だしなみを整え、また会うことになるだろうと口にした兼時さんがスマートに会計を行い、さらっと奢った後、挨拶をして、人込みへ消えた。
「……スイーツ美味しかったです。ヒロ。この後はどうしますか?」
うーんと体を伸ばした里葉が、俺の方を見る。どうやら、体が仕事モードになっていたようだ。まだ休日の時間はあるし、里葉とゆっくりすることもできるだろう。
「……ああ。今行く」
今日目撃した、侵犯妖異。無視できない陣容であったし、ヒーローの彼の口ぶりからして、最近は事件が増加傾向にあるようだ。
「ヒロ?」
反応の悪い俺を慮ってか、里葉が俺の腕に抱き着く。とりあえず今はそれを忘れて、羽を伸ばすとしよう。
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